アラビア湾ダス島でのセーリング

1976年にアラビア湾の中心にあるダス島に約7ヶ月間滞在した。 自ら基本設計をしたLNGプラントを試運転するためであった。このとき、プラントの運転を請け負っている英国石油の社員が組織した ダス島セーリング・クラブに入会した。(Marina Serial No.123)クラブハウス前には赤地に白十字のクラブ旗がへんぽんとひるがえっていた。このデザインは白地に赤十字のセントジョージ旗を逆転したものとお見受けした。

入会にあたり一応安全講習を受け、教本をもらった。安全管理がしっかりしていると感心した。

ダス島のセーリングクラブ

日曜日に、海水パンツのみで1日中缶ビールをのみながらディンギーレースに参加したり、観戦したりするのである。 強い日光に焼かれ、水の代わりに缶ビールをガブ飲みしていると、その夜は焼けどを負った皮膚の痛みで一睡もできなかった思い出がある。よくぞ急性腎炎にならなかったものだ。

昼食にカレーライスを食べながらまるで裁判のようにルールに基づく異議申し立てなどを楽しむのが、日本では見られない習慣であった。だたい英国人は論争を楽しむ。

ある風の強い日のレースで、先を争って無理をし、2回もチンし、ベイラーから排水しようと、水船のまま強引にセーリングしていたら、舵が折れて漂流しはじめたことがあった。いくら沖から助けを求めてもだれも気がついてくれない。この時は 英国人のヘルムスマンのヒラメキで生還できた。たまたま積んでいたオールを舵にすることに気がついたのである。風が強かったのでオールで漕いでも島には戻れず、イランの岸辺までながされただろう。


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