フィルム映画編集

8mmフィルム時代

独身時代アマチュア向けに8mmフィルムと撮影機が市販されていた。従兄弟にカメラを借り、北海道旅行を撮影したが、一度映写しただけでその後、カメラも買わずフィルムは紛失してしまった。まだモノクロ時代であった。これでよかったと思っている。

 

企業宣伝用映画の製作

アラビア湾でLNGプラントが完成に近づいた1973年、 デピュティープロジェクトマネジャーの東頭氏が宣伝映画を作らねばと気づいた。試運転のために現場に居た私に撮影部隊の支援と 、どこをどう撮ったらよいか指導せよと指令が下った。カメラマンと監督が2名やってきた。ベテランの方々で劇映画や教育映画作りの思い出話を沢山聞いた。

記録映画のカメラマンに身を滅ぼす前は劇映画のカメラマンで若尾文子にはカメラを回す前によくおひねりをいただいたそうである。こうなると監督の指示を無視してアップで撮影してお返しをするのだそうである。アップで撮影された女優の人気はますます上昇するのだそうである。若尾文子が大女優になったヒミツを垣間見たような気持ちになった。

「南極探検隊の隊員が南極に第一歩をしるすシーンも撮影したが、あれは真っ赤なうそですよ。だって私が第一歩をしるさねば撮影できないでしょう」

とか、

「教育映画でタカがウサギを捕まえるシーンとかヘビが巣の中のヒナを狙うシーンなど全てヤラセです。でなければ、ものすごい時間がかかってしまう」

などなつかしい思い出を語っておられた。

こちらは専門技術者が見たいところをちゃんと画面に入れておいてもらわねばならないので毎日一緒に現場を歩き回って希望を伝えた。彼らはそのアングルを太陽の角度がもっともよいときに撮影するのだ。帰国してストーリーを口述し、監督が仕上げたシナリオやBGM音の入らない編集済みのフラッシュフィルムの映写をみたのだが正直いって失望した。感動が無いのである。NHKのアナウンサーのシナリオ朗読の収録に立会い、BGMをつけた完成作品をみたとき初めて感動した。記録映画の感動などBGMのおかげだとこのとき悟ったものである。それにしてもNHKのアナウンサーが一つのミスもしなかったのには舌をまいた。

その後、1986年に逆ポドビルニアク・サイクル適用のLNG冷熱利用発電装置を開発した時も宣伝映画を作った。このときはアニメでエクセルギーを説明しようと苦労したことをおもいだす。

January 21, 2006

Rev. June 25, 2010


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