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826

コロポックル原住民説

2004/07/02

日本列島の「アイヌ原住民」論はまちがっていないだろう。明治期にアイヌ原住民説を否定するかのように、アイヌ前期に先住していたといわれる「コロポックル」原住民の小人説が流布された。しかも一級の御用学者によって、間違った認識が流布された。

アイヌ民族の伝説の中に、
「蕗の葉の下に住む≠ニ云われる小人あり、何日も何日も嵐の為に食糧を窮したアイヌの家に、魚類をこっそりとどける者あり。その姿を見た者がない。ある日、アイヌの若者が届けびとをつかまえてみると手甲、腕に入れ墨をした小人≠ナあった」。

このような小人%`説は、古今東西を問わず世界の民俗話によく出て来る話であろう。だが、この「アイヌ伝説」を悪利用(あるいは大真面目か)して、日本列島原住民イコール コロポックル≠ニ云う「矮小人種説」を唱える学者らが居た。アイヌモシリの遺跡の竪穴・土器・石器はコロポックルの使用したものであり、アイヌが口や手の甲、腕にしていた入れ墨(筆者の祖母もしていた)も、コロポックルの真似をしたのだ、とする学説である。これでは日本列島の「アイヌ原住民」説を抹殺することになる。これを拡大解釈をすると縄文文化とアイヌ文化の因果関係を否定する結論に達する。 コロポックル説の代表人物に、故坪井正五郎(東京帝国大学・理学博士)が居た。1887(明治32)年、この御仁が大学の講演や著書で人類学の専門家の立場から、宣伝したためコロポックル説≠ヘ有名になった。

大真面目に坪井博士の珍論を信じた者、とりわけ学者が少なくなかったと云う。当時は、考古学は「人類学」の範疇にあって、「考古学」としては専門化されていなかった時代でもあり、坪井博士の「人類学」の勢力が学会内で強かった為に反論できる者はいなかったと云う。

このように一部特権階級化した博士らにより非論理的な「アイヌ研究」が行われた時代でもあった。
当時は、アイヌ研究イコール植民地政策である。主な目的は圧迫によるアイヌ民族の滅亡≠フ考えがあり、これ(抹殺)を前提とした研究であった。その意味で「アイヌの骨を拾う作業」であった。

アイヌ民族政策の欺瞞的な態度は、学者と称するシャモ・インテリの特権階級によるアイヌに対する冒涜であった。

大塚柳太郎他著「人類生態学


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