読書録

シリアル番号 879

書名

暮らしの環境を守る アメニティと住民運動

著者

木原啓吉

出版社

朝日新聞社

ジャンル

環境

発行日

1992/6/25第1刷

購入日

2007/08/14

評価

娘の蔵書

地球温暖化しか興味がなくいままで書棚にあったのは知っていたが手にとらなかった。この本は地球温暖化のようなグローバルな問題ではなく地域の住環境をどうよくするかということを考察している。暮らしの環境を守るには役人に任せておいてはだめで、住民が意識を変え、役所に働きかけなければダメだという主旨の本である。著者はもと新聞記者。

wakwak山歩会に所属して月1回山に入るが、戦後の林野行政に失策は目に余るものがある。戦後の住宅不足に対応するための大規模伐採はやむをえなかったとしても拡大造林政策の下に成長の早いカラマツを植えたには失敗であった。植林当時は炭鉱の抗木や鉄道の枕木としての利用が期待されたようだが今では全く需要がない。このような無用の人工林が国土の全森林面積の4割にのぼるという。

国有林野事業は独立採算制のため、カラマツをほうっておいて売れるブナ林をもとめて知床半島や白神山地でブナ林の伐採などの問題を引き起こしたことを思い出させてくれた。ようやく自然保護意識は高まったが独立採算制の国家事業は数兆円の赤字を抱えたままである。

私が日ごろ気になっていたことに街路樹や公園の樹木を剪定して裸にしてしまうことである。かって仕事で米国人を連れて東京と大阪の製薬会社を行脚したことがある。東京砂漠を通過し、大阪の御堂筋についたとき彼がホットとしてようやくこころ温まる想いがすると言ったことが忘れられない。仙台の青葉通りも無剪定の成功例だろう。

役所が街路樹をむやみに剪定するのは伝統的に日本の庭園が庭木を刈りこんでいることにあると思う。我が家の庭の樹木を放置しておくと向三軒から嫌われる。剪定は樹木の自然な姿がスポイルされるのでいっそのことと間伐すれば皆ニコッと笑ってくれる。

このように住民は樹木が自然の姿を現すと恐怖感をもつものらしい。落葉の掃除がいやだとか日影がいや、電線に触れるなどとと税金を無駄使いして折角伸びた引地川の千本桜の枝を無残にも落とし鑑賞に堪えなくする。唯一評価できるのは千鳥が淵の桜くらいだ。

地元の図書館でも折角のびたプラタナスを裸にしてしまった。横浜の新杉田の地球シミュレータ棟の緑地の樹木無残に剪定されていて心が痛むとともに無剪定の思想を知らない小役人の惰性を嘆いたものだ。

電線に触れると伐採するくらいなら電線をまず地中化すべきだろう。もう道路は作りすぎたのだから行政は電線の地中化にこそとりくんでほしい。鎌倉市もユネスコの世界遺産の登録がほしいのならまず醜い電線の地中化にとりくむべきだろう。

この本は無剪定政策の成功例を示している。

第二次大戦が始まるとイタリア政府はローマ、フィレンツェ、ベネチアの3つの古都を「無防備都市」と宣言し、軍事施設の配置はもとより軍隊を通過させることもしないと世界に公約した。そのかわり、もしこれらの都市で戦闘をし、人類共通の文化遺産を破壊したときは、戦争犯罪としての責任を問われるだろうと訴えた。これゆえに遺産は守られた。

ひるがえって我が国の奈良、京都、鎌倉の文化遺産を守ったのは米国政府であったのだ。なんという違いだろう。


トップ ページヘ