読書録

シリアル番号 871

書名

生物と無生物のあいだ

著者

福岡伸一

出版社

講談社

ジャンル

サイエンス

発行日

2007/5/20第1刷
2007/7/20第6刷

購入日

2007/7/30

評価

これもまえじまさんの推奨本。

時間はどこで生まれるのか」を読んだ後、これを読むべしとのことだった。

よしかわさんもこれを丁度よんでいるとのことで「著者の文章力と論理の構成が優れていると思います」と伝えてきた。そこで「時間はどこで生まれるのか」と一緒に購入した。

そしてまえじまさんの推奨のとおりに「時間はどこで生まれるのか」を読んでからこの本を手にした。

いきなり野口英世の発見したものはその後の検証で間違いだったということになっている。なぜなら彼が発見したという病原菌は真犯人ではなくヴィールスが犯人だったのだが、彼は顕微鏡で見えないものが真犯人だろうと推論するだけの推測と裏付け実験をせず、功を焦ったためと指摘する。ここら辺、国内の野口像とかなり乖離していて新鮮だった。というわけでヴィールス発見功績は素焼きろ過を使ったイワノフスキーのものとなる。日本での野口像をゆがめているのは正しい情報を伝えることをためらう気分があるからだろうか?

ヴィールス発見以降、ワトソン、クリックによるDNAの二重ラセンの発見、ロザリンド・フランクリンのDNAのX線回析写真、「PCRの誕生 バイオテクノロジーのエスノグラフィー」で読んだキャリー・マリスのPCRの発明など生物学の発展の歴史をたどるがすべて知っていることでパス。

この本の良さはしかしまえじまさんが感心したように時間と統計力学または熱力学との関係だ。ワトソン、クリックが生命現象の研究をしようと思い立ったのは量子論を打ち立てたシュレーディンガーの「生命とはなにか」という小冊子を読んだからだという。そこに「我々の体は原子にくらべて、なぜ、そんなに大きくなければならないのでしょうか?」という問いがある。これに対する回答は「すべての秩序ある現象は、膨大な数の原子が一緒になって行動する場合にはじめて、その「平均」的なふるまいとして健在化するからである。原子の「平均」的なふるまいは、統計学的な法則にしたがう。そしてその法則の精度は、関係する原子の数が増せば増すほど増大する。ランダムの中から秩序が立ち上がるというのは、実にこのようにして、集団の中である一定の傾向を示す原子の平均的な頻度として起こることなのだ。

このような文章を読むと昨日の参院選挙での民主党の勝利と自民の敗北はちょっとした生命現象のように見えてくる。堀田善衛が「人民自体の音無しの構え」と表現した不気味な受動性もどこ へやら。体に巣くった癌細胞を除去せんとする意思がそうさせたのか?

遺伝子産物としてのタンパク質が織り成すネットワークは、形の相補性として紡ぎ出されるから、それらは枝の分岐というよりは、角々をあわせて折りたたむ折り紙のようなものとたとえたほうがよいかもしれない。

機械には時間がない。原理的にはどの部分からでも作ることができ、完成した後からでも部品を抜き取ったり、交換することができる。そこには二度とやり直すことのできない一回性というものがない。機械の内部には、折りたたまれて開くことにできない時間というものがない。

生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度、折りたたんだら二度と解くことのできないものとして生物はある。生命とはどのようなものかと問われれば、そう答えることができる。

と締めくくっている。

朝日新聞で福岡伸一と梅原猛の対談を読んで同じ本を2008/10/10また買ってしまった。2008/8/22第17刷となっていた。 再読してみると生命とは「自己複製を行うシステムであるとともに動的な平衡状態にあるシステム」としてとらえようとしている。

本書を教えてくれたまえじまさんが2008/10/20に亡くなった。通夜に出かけた折の往復4時間の間に前回パスしたところを再読してDNAはラセン構造であるばかりでなく、C2空間群であるとの新たな理解を得た。

Rev. October 23, 2008


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