読書録

シリアル番号 742

書名

航海者 上下

著者

白石一郎

出版社

幻冬舎

ジャンル

歴史小説

発行日

1999/7/10第1刷

購入日

2006/1/2

評価

マゼラン海峡経由で九州の臼杵湾に1600年に漂着したデ・リーフデ号の航海士で後に徳川家康の家臣となったウィリアム・アダムスの伝記小説 。

デ・リーフデ号

臼杵湾に到着するまでの冒険航海記は一気に読んだ。5隻の船団で出港し当初の喜望峰回りを風がないために断念し、マゼラン海峡経由に変更し、春になるまで、この海峡で越冬し、一隻だけが日本に到着する。だが5隻のガリオン船はいずれも沈んではいない。そこまで当時の造船技術は進歩していたのである。ただビタミンC欠乏症の原因と対策がまだ知られて折らず、この犠牲者がおおかった。またトルデシリアス協定が定めるスペインのテリトリーを航海したので岸に到着した船の乗員はスペインに拿捕され死刑にされた。日本にもスペイン、ポルトガルの影響が及んでいたが日本の政治体制がしっかりしていたのでウィリアム・アダムスらは生き延びたということを作者は言いたいのか。

いずれにせよ彼の日本到着以降の複雑な政治情勢を読み続ける気力なく一時中断するも、気をとりなおして再開数日にして完読。

三浦案針の領地は この本では「浦賀入り江の奥から登った丘の上の百戸ばかりの逸見村」と書いてあるが間違いで後の日本海軍の軍港(現米国海軍基地)となった横須賀港の入り江の奥から登った丘の上の逸見村が正しい。逸見村は今では住宅地になってしまっている。しかし山の上には今でもウィリアム・アダムスの墓、按針塚が残っている。

若い頃、日本が高度成長を遂げた直後、英国のBPの製油所を訪問しようとテームズ河口南岸のグレイン島を訪れたときタクシーの運転手がウィリアム・アダムスを知っているかと問いかけてきた。すぐ近くにある運転手の生地のジリンガムはアダムスの生地だと運転手が自慢したのを懐かしく思い出す。

今だ平戸には行ったことがないが、平戸は長崎と共に貿易港だったのだ。次第にオランダが横暴になってゆき、英国とオランダに挟まれ苦労する。1652-54年と1664-67年の2度の英蘭戦争の原因はここらで萌芽していたのだろう。

英蘭戦争の海戦画

英国人のアダムスは家康なき後、貿易業に復帰し、ベトナムにでかけてマラリアに感染し平戸で死ぬが、 死の床にあって、まず平戸の現地妻であった混血児のおこんと息子に現金を持たせて長崎に去ることをすすめ、英国の妻子と三浦の妻子に財産を二分する遺言を英国人の商館長コックスに託して死ぬ。

妻の蔵書

Rev. October 21, 2007


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