読書録

シリアル番号 503

書名

イノベーションのジレンマ

著者

クレイトン・クリステンセン

出版社

翔泳社

ジャンル

ビジネス

発行日

2001/7/3第1刷
2001/9/1第2刷

購入日

2001/04/12

評価

原題:The Innovator's Dilemma by Clayton M. Christensen 1997 Harvard Business School Press

「偉大な企業はすべてを正しく行うが故に失敗する」という「破壊的イノベーションの法則」(Paradox Serial No.15)は「国家の興隆と衰退の要因は同じ」という地史学の大原則と似ている概念である。

「イノベーションのジレンマ」は1年前にその存在を知り、(Paradox Serial No.15)として記録している。日本語訳は昨年7月に出版されたが買うまでもないと思っていた。しかしやはり気になるので買い求めて1日で読破。

「盛者必衰のことわり」も同じ概念だが少々荒っぽい。この本の価値は豊富な実例を詳細に分析してその共通の原因をあぶり出し、汎用の対策を提案していることである。同族的、官僚的、退廃的、堕落、腐敗、無気力、無駄、非効率などのないよく組織され、真摯で積極的で効率的な優良企業「でも」ではなく「は特に」失敗するのはなぜか?

本書を読むと日本産業の成功と失敗の原因がわかり、今の日本の国家体制内では日本企業が再生する見込みは低いと思わせる恐ろしい本である。全国民の必読の書であろう。政治家、官僚、経営者の同族的、官僚的、退廃的、堕落、腐敗、無気力、無駄、非効率、利己的行動を排除することは大切なことはいうまでもないが、これだけでは日本の再生には不十分。ではどうしたらよいか。本を読んでください。

組織のなかで苦しんだものにとって目のさめるような解析でよく理解できる。解決法はウーン。国民が共有する価値観が変わらねば日本産業の再生はないと断言されている。しかし変わらねば日本の明日はない。


上のメモを書いてから9年経過した。日本経済の具体的症状と治療法は本を読んでもらうためあえて伏せたがもういいだろう。ばらしてしまおう。

いわく、「鉄鋼、自動車、家電のいずれの産業も欧米の市場の最下層の低品質、低価格の分野に、破壊的技術を持って攻め込んだ。その後、各社は容赦なく上位市場へ移行し、世界最高の品質を誇るメーカーとなった。優れた経営者は下位から上位へと導くことはできるが下位市場に導くことはできない。米国では人材の流動性があるため、成功した企業が行き詰まると社員は会社をやめベンチャー・キャピタルから資金を調達して市場の最下層に攻め込む新企業を設立し、除々に上位へ移行するということを繰り返している。日本ではこのようなことは生じない。従って日本は没落する」

ボボスという造語を作ったコラムニストのデヴィッド・ブルックスがクレイトン・クリステンセンが2010年ハーヴァード・ビジネスを卒業した学生たちにした講演を紹介している ので下に概要を紹介する。

クレイトン・クリステンセンはハーバード・ビジネス・スクールの教授だ。 学生が入学してきた当時、アメリカの経済は絶好調であった。その後、世界経済は破綻し、薔薇色の未来は泡のように消えてなくなってしまった。卒業にあたり、学生たちは理論や実務をおしえてくれた学校に向かって「ぼくたちはいまから社会の混沌に放り出されるのですが、あなたがたの教えてくださった事柄・知識をどのように使っていったらいいのでしょう、それらはこの混沌の中でどんな役に立つのでしょう、そのことを伺いたい」と言って、クリステンセン教授のスピーチを希望した。

これを読んで感じたのはシャープに米国の強さと日本の弱点を明晰に指摘したクリステンセンが倫理を持ち出したことである。彼が成長したのか歳とったのか、時代の要請なのか?

レイトン・クリステンセンの講演概要

クリステンセン教授は、学生たちを前に、「きみたちがここで学んだことにはふたとおりの意味がある」とスピーチをはじめた。

「まず、わたしたちがきみたちに教えたのは、きみたちがこういう分野で仕事をしたい、この道に進みたいと決心したとき、どうすればその分野で成功できるかということを考える技術だった。わたしたちがきみたちに教えた”プロジェクト・マネージメント”という考え方だ」

だがさらに、とクリステンセン教授はつづける。「きみたちがやりたい職業を選択し、人生というプロジェクトを企画・実行していく前に、わたしはきみたちにきみたちが習得した知識・能力はどういう意味があるのだろう、と問いかけてほしい」厳しい勉強の時間を割いて「ハーヴァードで学んだ知識や技術がのまわりの社会とどのように関わるのだろうか」と深く考えつづ、その成功が社会にインパクトをもたらさなければどのような意味があるのだろう、そういうことを考えてほしい」とクリステンセン教授はいう。

「そのことを逆から言ってみよう。わたしは経済学の学者としてビジネスに大きく貢献し、私の研究は多くの企業に多大の利益をもたらした。だが数年前、わたしは癌を病んでいることを知らされた。そのとき以来、わたしは多くの人びと(つまりコミュニティ)に助けられながら生きている。彼らの助けがなければわたしは論文を書くこともできず、講義をすることもできない。友人や家族や大学のひとたちに助けられなければ、わたしはビジネスに貢献することができない。わたしと社会はその意味でギブ・アンド・テイクなのだ。きみたちは不況の中で社会から取り残されていると思っているようだが、社会はいつだってきみたちの能力を必要としている。不況のまっただ中にいて、社会はきみたちがこのビジネススクールで学んだことを使って不況を退治することを求めている。きみたちはそういう能力を身につけたはずだ。あとは社会のどこでその能力を発揮するかを探せばいいだけなのだ」

クリステンセン教授のスピーチは、ハーヴァード大ということと、教授が敬虔な宗教者(モルモン教徒だという)ということもあって、「諸君は選ばれた者なのだ」という選民思想が見え隠れしているが、スピーチは概ねこういう主旨であった。スピーチには「みっともない経営者・ビジネスマンだけにはなってくれるな」というエコノミストの思いが読み取れる。

そもそも高等教育というものはビジネススクールだけでなくどの分野でもこのような「ふたとおりの意味」をもっているのではないか。それらふたつの意味を教えないような教育ならば無意味なのはハーヴァード・ビジネスだけではない。どこの学校のどの教科であれ無意味だ。

Rev. August 14, 2010


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