読書録

シリアル番号 1253

書名

遊動論 柳田国男と山人(やまびと)

著者

柄谷行人(からたにこうじん)

出版社

文芸春秋

ジャンル

哲学・思想

発行日

2014/1/20第1刷
2014/11/20第2刷

購入日

2015/11/26

評価



文春新書

朝日新聞記者の柄谷行人のインタ ビュー記事を読んで購入。

柳田国男の「山人」は狩猟採集をしていた石器時代の遊動民(ノマド)。人々が次第に定住して都市を作り農耕するようになると、遊牧民とか山地民が出てくる が、これは農耕民との分業であって、遊牧民は遊動民ではない。なぜなら農耕民あっての遊牧民で互いに束縛しあっているから。そして遊牧民は商業にも従事 し、やがて軍事も担当して国家を作った。日本では稲作が始まる以前の縄文時代でも定住が始まって村を作っていた。

柳田国男は山人すなわち遊動民は国家とか資本主義を乗り越える来るべき社会を暗示していると考えた。

遊動民が持っていた交換様式は贈与と返礼だけの「互酬」だけであったため絶対的な支配者が出にくい。しかし遊牧民や商人は貨幣と商品の交換を担った。そし て国家 は略取と再分配、強制と安堵などの再分配を担当した。柄谷行人は定住以前の遊動性を高次元で回復するもの、したがって国家と資本を超える交換様式がフロイ トの「抑圧されたものの回帰」 という型として脅迫的に到来すると予言する。

ドゥルーズ&ガタリは「千のプラトー」でノマドについて 論じているがノマドを遊牧民のイメージで論ずるので戦争機械は国家を破壊できるが結果としてもっと大きな国家(帝国)をつくることに終わっている。資本 も同じ結論となる。すなわちジェットセッターという新しいタイプのビジネスマンとホームレスというノマドが生れるだけだ。

歴史学者網野善彦は天皇制国家を脱却するために芸能的漂泊民に期待したが、芸能的漂泊民は裏で定住民を支配する権力につな がっているので失敗。

柳田が追い求めた山人、すなわち遊動民がもつ遊動性が未来のキイとなる。柳田が山人の概念を抱いたのは可住地面積は村域の僅か4%に過ぎず、川沿いや、山 の主に中腹域の緩斜面に点々と集落が存在していて、焼き畑農業を営む農家が残る宮崎県の椎葉村(しいばそん)で山民を調査 したときだ。彼はそこで土地を共同所有するという思想を持った人々に出会った。その思想とは自治と相互扶助、すなわち「共同自助」であった。これは基本的 に遊動性と切り離せない。

Rev. December 16, 2015


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