読書録

シリアル番号 1238

書名

アメリカに潰された政治家たち

著者

孫崎享(うける)

出版社

小学館

ジャンル

政治

発行日

2012/9/29第1刷
2012/10/28第3刷

購入日

2015/07/19

評価



鎌倉図書館蔵

著者は外務省で国際情報局長をしていた元役人。

これを読んで岸と安倍に関する認識が180度変わった。マスコミが流布する情報とは真逆で驚き。

歴代の首相で自主独立路線に走って失脚した政治家名は鳩山一郎、石橋湛山、重光葵(まもる)、芦田均、岸信介、佐藤栄作、田中角栄、竹下登、梶山政六、橋本龍太郎、 小沢一郎、鳩山由紀夫である。最後はアメリカにたてついため、米国びいきの国民、経済同友会、財界、マスコミに批判されてその地位を追われた。

一方、吉田茂、池田勇人、三木武夫、中曽根康弘、小泉純一郎、菅直人、野田佳彦、親米路線をとって長期政権を維持した。安倍晋三はこの本が書かれてから政権を取っ たが、祖父とはちがって親米路線に切り替え、長期政権を狙っているように見える。かれらは世間に流布している 認識とは異なり、本質は売国奴ということに なる。野田佳彦、安倍晋三が脱原発をつぶしたのは日本が先に脱原発すると米国が困るのでそれに配慮したという説をとる。なぜ野田が親米派かというと松下幸 之助の塾で徹底的に親米教育を受けたからとしている。TPP交渉を始めたのも野田。

具体的にどのような力学が働いたか、いくつか事例を上げよう。

岸信介

岸は米国のCIAから政治資金もらっていたため対米追従路線者と日米両側で信じられていたし、日本では今もそうだ。しかし岸の秘められ たる本心は独自路線であった。岸の戦略は安保条約を改訂した後、行政協定(地位協定)を改訂するというものだった。しかし吉田茂の後継者である池田勇 人、三木武夫、河野一郎は困難な同時改訂を主張 したため。米国の抵抗で地位協定は古いまま残った。米国が支援した安保闘争をのっとった実質岸追放運動の結果、岸の退陣後、対米追従路線の政治家である池 田は地位協定の改訂をしようとしなかった。池田は困難な同時改 訂を主張して岸政権をつぶしたことになる。60年安保は無知な全学連が始めたものだが、安保反対が途中で岸政権打倒に変貌した。バスチャーター費のような闘争資 金 は右翼活動家の田中清玄(きよはる)、電力中研の松永安左ェ門 、中山素平、今里広記、水野成夫などの財界トップからでた。岸退陣で、新聞社が「七社共同宣言」を出してデモを止めた。七社共同宣言を書いたのは朝日の論 説主幹笠信太郎である。笠は朝日のヨーロッパ特派員としてドイツに渡ったのち、1943年にスイスに、異動、ベルンでアメリカの情報機関OSS(CIAの 前身)のアレン・ダレスと協力して対米終戦工作をした。アレン・ダレスは安保時期のCIA長官である。こうして日本の報道機関はCIAのコントロール下に あった。七社共同宣言後は安保反対の記事を書いた記者は地方に転勤させられた。(川上などが長らく九州支部に飛ばされて本社に帰れず、大阪で更に途中下車させられたのも多分同じ理由)このように自主路線を志向する記者は粛清され、中央に残った」のは対米追従派ばかりに なった。新聞社がそうだから自主独立の官僚は官邸から矢がとんできた。こうして自主独立派は減っていった。

佐藤栄作
沖縄返還の交換条件にしたニクソンにとって重要な繊維製品の輸出制限と核の沖縄への持ち込みの密約を守らなかったためにニクソンは佐藤をうらんでいた。1970年のニク ソン・佐藤会談では中国政策にかんしては事前協議すると約束していたのに、しなかったと激怒したニクソンは1972年2月に電撃的に訪中して佐藤へ報復した。

田中角栄
1972年2月のニクソンショック直後の9月、田中角栄が中国を訪問して日中国交正常化をし、ニクソン効果を帳消しにしたためニクソンに恨まれて、ロッキード事件での田中失脚の主因 となった。朝日と読売が田中金脈を大々的に報じるとともに木川田一隆東電社長、中山素平など岸降ろしに動いた経済同友会系の財界人が蓋をすべきでないと 発言。やむなく田中は辞職。それでも田中は隠然たる力を維持したため、中山素平が工作して三木内閣を暫定的に政権を担わせ、米国ないでは多国籍企業委員会 (チャーチ委員会)に誤配という名目でロッキード社が各国政府関係者に巨額の賄賂をばらまいという文書がとどいたのだ。三木首相はフォード大統領に資料提 供を求め、「司法共助協定」が調印され、コーチャンは罪に問わないという日本の法律にはない、米国流の司法協定まで結んで、尋問が行われたのだ。こうして田 中は政治生命を絶たれた。

小沢一郎
湾岸戦争の時には小沢はすべての軍事費を出して米国に評価されていた。そして米国流の規制緩和、新自由主義的経済政策を支持していた。ところが民主党と合 流してから米国のプレゼンスは第7艦隊で十分だと発言してから米国は敵性人物と判断されたようだ。発言から1月も経たない2009年3月3日、小沢の資金管 理団体「陸山会」の会計責任者で公設秘書が3年前の政治資金規正法違反逮捕されるのである。アメリカの諜報機関は情報をつかむと、必要になるまでス トックしておくのだ。

鳩山由紀夫
小沢失脚後小沢が担いだ首相だがやはり「普天間基地は最低でも県外」といって虎の尾を踏んでしまった。米国側にたつ官僚はすべて反対、民主党の政治家も鳩山に背をむけて辞職。

芦田均
米軍は有事のみ駐留するという案の持ち主だったため、首相になった途端に昭電事件がおきて失脚。昭電事件とは昭電の社長が復興資金からの融資を求めて政治家や官僚に賄 賂を贈ったとされる事件。結局芦田均は濡れ衣だったのだが、政治的に失脚した。これは日本の特捜部に米国に内通する検事がいたため。

石橋湛山
敗戦直後、膨大な米軍駐留経費の削減を求めて、就任2か月で奇妙な病気で辞職

特捜部
特捜部と米国との癒着が強く、布施健という特捜部長はゾルゲ事件を 摘発し対米戦争を回避しようとしていた近衛内閣を崩壊させて対米戦争を起こさせたともいえる。戦後、ウィロビーにゾルゲ事件の報告書を提出している。下山 事件という米軍の暗殺事件を担当したのも布施健であった。ロッキード事件の時は三木首相に任命されて検事総長となった。ロッキード事件でコーチャンを尋問した堀田力は在日一等書 記官だったこともある。小沢の陸山会を担当した佐久間達哉特捜部長も在日日本大使館の一等書記官だったことがある。


作家の赤坂真理が朝日の「いびつな日米関係」で

東京大空襲や原爆投下を受ける程、かっての敵を愛したのか。軍国主義よりアメリカ民主主義のほうがいいというのが当時の実感だったとはいえ、闘う対象が見えにく葛藤のなか日本人は「よじれ」と「鬱屈」を不問にし、敗戦を「なかったこと」にしたかったのでしょう。

米国には国家に先立つ民の存在。国民でも人民でもない、ひとくくりにできない草の根の市民=People。たった一人の異論であっても受け止め、議論を尽くす。そういう懐の深さが米国にはある。

Rev. 2015/7/25


安倍内閣は結局、集団的自衛権は憲法解釈を変えて合憲ということにした。最高裁での判断はこれから。

そうすると米国は南沙諸島での中国の国際法違反を抑止するために日本にも12海里内の航海を求めてくるだろう。IS征伐のような西洋と中東の1,000年 戦争に日本が加担する手はないが南沙諸島12カイリ内航海は日本のエネルギーの生命線(シーレーン)なので米国の誘いは断りにくいだろう。米国から独立し て原爆持てば米国に付き合う必要はないのだが、米国の覇権は簡単には消えない実力のため同盟を選択するのが安上がり。

Rev. November 5, 2015

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