読書録
シリアル番号 |
1201 |
書名
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官僚主導国家の失敗
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著者
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加藤寛(ひろし)
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出版社
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東洋経済新報社
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ジャンル
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政治
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発行日
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1997/3/13発行
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購入日
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2014/06/23
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評価
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優
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著者は慶応大学経済学部卒。千葉商科大学長
丁度、白内障の手術と重なり、あまり目を酷使できないため、読みたくないことは飛ばすから速読術を持っていると誤解される。じつは読みたいことだけ読んでいるのだ。以下読みたいところだけどころか補筆までして著者の言わんとしたところを強調している。
代議制は選ばれた代表が一群の政策を掲げて選ばれる。市民はそのうちの一つを支持したのに選ばれた政治家はその他の政策も支持されたと勘違いするところにある。
自らの効用関数を極大化しようとする政治家、官僚の相互作用を通じて供給される公共財(公共政策)が市民の選好と一致する保証はない。
投票の一票が一つの政策にむすびつく、国民投票制度が大切。先進国ヨーロッパで普及。
巨大化しかつ複雑化した社会での官僚制は、特殊専門的な技術体系を持ち、その発達の過程で自律性を持つに至る。自律性とは自ら目的を設定し、その目的を追
求する権力をもつということである。これが若い官僚の政治家への転身である。こうして政治家を排除するようになると官僚天国は完成する。
官僚制の悪弊である形式主義・秘密主義・縄張り主義、官尊民卑はますますはびこる。
米国では政府の事業は一定期間に限定し、以降、順次民営化している。これはサンセット方式といわれ、日本でも明治期には冨岡製糸場のように実施されていたことである。
国家は国防と安全だけでよい。アダム・スミスの夜警国家(Night-watchman state)で十分なのである。
しかしなにより大切なのは国民の一人一人が自分達の困難を政府・役人が解決してくれると考えるのをやめることだ。
官が非効率になるのは市場経済の機能のうち、参入と退出の自由を適用するメカニズムがないこと。
立法権は形式上は国会にあるが、立法の82%は官僚が行っている。行政手続法、情報公開法、公取委の強化が「政治の失敗」を避ける方法である。・・・と言いながら安倍政権は官僚の言いなりの法を制定した。全く政治家として胆を抜かれた事態である。
内外価格差は規制がつくったものである。特に農水省管轄の米、肉に多い。前川リポートが「自立化を行い、農業の自立化をはかる」としたのに、実施段階で、
「農業の自立化を図って自由化を行う」と逆転させることがしばしば行われる。そして破綻した農林系住専の国税による救済が行われたのである。
結論として日本は日本においては自由主義国家は不成立のままである。中国とどっこいどっこいで批判などできない。2014/6の東京都議会での自民党の鈴
木章浩都議などのヤジに看られる如く、男尊女卑意識ものこり、人身売買もいまだ放任していると米国政府は批判しているが知らん顔だ。
フォーチュン誌が命名した「日本株式会社」の特色の一つは資本が土地の含み益を担保にした間接金融方式で調達されることにある。間接金融方式が有効なのは
右肩上がりの時代だけである。そして土地の含み益は官僚機構が生み出したものである。そのカラクリは工業化のためには農民に土地をすてさせて都会に移動さ
せ工
場労働者にする必要がある。ゆえに通産省はこれを奨励した。しかし縦割り組織下の農水省は農民が去った土地を農地法と農業委員会を使って農地以外に転用することを規制し、結果として工場用地と
都市住民の宅地を潤沢に供給することを制限した。こうした規制で土地価格が上昇し、含み益を
創出したのである。しかしこれは結局、日本の製造業を高コストにし、国際競争に負ける遠因を作った。縦割りの農業保護政策が製造業を殺したのである。あま
つさえ、金融で資金を野放図に供給したため1900年の土地バブルを発生させ、その後の日本経済のデフレスパイラルの原因を作った。無理をして借金し、自宅を建てたはよいが借金を返済できな
くなった世代が団塊の世代の最後尾にいた。私は逃げ切りセーフの世代。この不良資産が人々が職を求めて自由に移住することを妨げ、日本の産業が硬直化して
新しい商品を生み出す活力を削いだ。これは官庁の縦割
りの利害を除去できなかった政治家の無能のゆえである。いまだにこの悪弊は直っていない。共産中国は全く日本のまねをして成功した。これも中国共産党とい
う官
僚組織があるからだ。だが失敗も同時にマネしていることになる。中国3,000年の歴史がそれが避難い宿命だと物語っている。
このように日本の製造業が衰退したのは日本政府の省庁がそれぞれ省益を追及した結果だ。これはなにも日本や中国だけのことではない。押しなべて先進国も官僚が国を牛耳っているが、「劣化国家」で指摘されたように米国は巨額な国家債務を抱えている。まだ生まれても居ない世代は選挙権がないから、勝手に負債をその無言の世代に押し付けていることになる。ツケはいつか必ず返済しなければならない。それが経済の摂理だ。
この本では指摘されていないが、日本では米国のような寄付文化が育っていないのも官が敵視するからだ。安倍政権の法人税税率低減にかこつけて財務省はNPO法人などの
市民活動を後押しする寄付優遇制度を縮小させようとしている。租税特別法の寄付額控除対象額を50%から縮小しようとしているのだ。寄付は税を集めて配布
するという役人の権力を制限するからいやなのだが、役人がばらまく金は不効率で日本を更に疲弊させる。日米を比較すれば誰でも分かることだ。
平和は各国間のパワーバランスがとれていないと侵略の誘惑を誘う。そういう意味で憲法がどうあろうと、実力を保持した歴代政府は評価できる。しか
し隣国の経済が発達し、軍備に潤沢な資金が回るようになるとこれに対抗するには一国では無理。不足分は他国との安全保障条約でパワーバランスを維持するし
かない。しかし安倍首相の集団
的自衛権に関する説明はこの本質を説明しないで姑息な理由をつけて拙い。こんなリーダーで大丈夫なのかと不安に思う。
人口減は世界的な現象で女性が目覚めれば生じる。彼女らが目覚めても充実した楽しい人生を送れる社会を作れば人口減がとまるだろう。政府が人口の数値目標
をつくったところでどうにかなるものではない。喉が渇いていない牛を水辺に連れて行っても水を飲ませるわけにはゆかない。彼女たちに渇きを与えなかった政
官の愚策の帰結だろう。間違いなくそれがいま人口減というしっぺ返しになっているとおもう。
大平正芳は1898年にイギリスのエベネザー・ハワードが提唱した巨
大都市は作らず、中規模の分散都市を造り、それぞれに職場のある職住接近のコミュニティーの集合体国家を作ろうという田園都市構想を評価していた。そして
首相になる準備中に研究会も作っていたようだ。しかし首相になった途端に心臓麻痺で亡くなり、田中角栄の中央集権的列島改造構想だけが残った。ロンドン周
辺にいくつかあるニュータウンが田園都市構想を実現したもので、とても魅力的なところだ。最近はインターネットの発達でコッツウォルドの田舎の村にIT関連のエリートが田園都市を形成している。
福沢諭吉は「官を慕い官を頼み、官を恐れ官に諂い、毫も独立の丹心を発露する者なくして、その醜態見るに忍びざることなり」
この本が書かれてから、福島第一の事故が発生した。私はこれをみて第二の敗戦だと感じて「原発敗戦」という本を書いたが、まさにこの敗戦は官僚国家であるが故の敗戦だったと思う。そして官僚国家なるがゆえに、再稼働へ向かって、ズルズルと既成事実を積み上げているのをみれば、いまだ日本は官僚組織に乗っ取られた国家であるとつくずく感ずる。
巻末に弟子の中村まづる著の官僚の理論的分析なるものが添付されている。
公共部門の予算配分は時間の都合で欧米でも増分主義になっている。いわゆるゼロベースの見直しはなされない。
政治家の官僚に対する支配力は弱い。公共サービスは非市場性があるため、官僚の俸給、役得、名声、権力などの利己的利益のために歪められる。
結局、代議制民主主義では民意から乖離することになる。
議会と官僚は独占力にかんして非対称である。議会が官庁を監視し、情報を収集できるならば、権力は官僚から政治家に移る。非対称制を減らすために予算獲得で競合する官庁を競わせることも非対称性を減らすことができる。
官僚は議事設定権限(アジェンダ・セッター)をもつ。議案は二者択一しかできないように設計できる。これをうまく設定すれば、官僚の望むような結果に誘導できるのだ。
政治家は官僚の「モラル・ハザード」の問題に直面する。官僚の利益が政治家の要望と競合する場合、官僚は自己の利益を優先する。契約関係が短いほどこの危険は増大する。契約が不十分だと公共サービスに専念する誘因は低下し、地位を乱用する傾向がでてくる。
ドイツは1945年の敗戦状態をEUを作ることにより完全に消去できた。しかるに日本はむしろ靖国をもちだして1945年に初期化したい人間をリーダーに
選んだ。その選択をしたのは国民である。つらつら考えるにこのような国民をつくったのはマッカーサーだ。マッカーサーが天皇を利用したため天皇制が残っ
た。天皇制が日本の癌だと新聞記者になった友人(故人)が言っていたが、いまにして思えば至言だ。この見解が災いしたのか彼は外報部長直前に失脚したが、言い当て
ていると思う。
行政機構の巧妙な仕組みが官僚主導国家の失敗の要因になっているだろう。
Rev. July 6, 2014