読書録

シリアル番号 1200

書名

本当は謎がない「古代史」

著者

八幡和郎

出版社

ソフトバンク クリエイティブ株式会社

ジャンル

歴史

発行日

2010/11/25第1刷
2010/12/18第2刷

購入日

2014/06/05

評価



ソフトバンク新書149

近くの本屋で衝動買い。

一言でいうと近世に成立した皇国史観的な見方を排除して記紀を読めばおかしなことは書いてないという論だ。イデオロギーと商業主義が古代史をゆがめてい るという立場。この人は歴史学者でもなんでもなく、東大法学部をでてから通産の役人になってフランスのENAに留学し、大学教授になった人だ。気分は日本の中心にいて歴史を振り返るというスタンス。

それにしても詳しく書いてあって、全てが正しいかは判別できないが、常識でどちらだ正しそうだというロジックは説得力があった。友人の原氏は「皇国史観は記 紀、特に日本書紀の記述に依拠しているのでは?」と書いてきた。著者は記紀の神話部分は世界のどの国と同じく神話なので無視。しかし神武以降は本当の歴史 を反映している。年代はおかしいが世代数は正しいと思ってよいとしている。そして皇国史観は近世において成立した万世一系という神話を押し頂く一種の宗教だが、例えば神武天皇の業績とされえるものは記紀には一切書かれてはいないという。

著者は大和の国は三世紀のはじめごろ、崇神天皇のころ統一された。この崇神天皇の数世代前に日向の国を数人で出奔し、吉備で少しばかりの手下を得て大和盆 地の南西部の葛城(かつらぎ)地方に小さな領地を得た人物(神武天皇)が居た。ということが記紀に書かれているだけだ。しかし大軍団を率いて東征したとは書いてない。崇神天 皇は葛城地方の一豪族だったが、なぜかより強大な三輪地方のクニを乗っ取った。そして4世紀の仲哀天皇と神功皇后の時代に筑紫地方に大和朝廷の力が及んだ。そのとき「魏志倭人伝」に登場する伊都(い と)国も服属した。邪馬台国は1世紀前に滅んでいたから、記紀には出てこない。邪馬台国畿内説は「媚中史観」の産物でしかない。邪馬台国東遷説も考古学 的痕跡もないので、荒唐無稽な作り話。「神武東征」も平安時代に作られた伝説に惑わされている。記紀には書かれていない皇国史観の反動で継体天皇 が新たな王朝を創設したというのもおかしい。なぜなら記紀の原型は推古天皇の時代に成立したと考えられるが、推古天皇の祖父は継体天皇なのだからすくなく とも比類なき英雄と記紀に書かれてもおかしくないわけだ。しかし実際には任那を失った凡庸な王者としてしか記紀には書かれていない。万世一系といったところで神武が大和 に来るまえからそこにクニはあったのだ。「日本は世界に似た物はない特殊な国である」などという愚かな妄想は持たず世界のそれぞれの国の歴史を見ると同じ 目でみれば謎などないのであるとする。

さて善光寺平を見下ろす茶臼山の山麓に川柳将軍塚がある。5世紀前半崇神天皇(すじんてんのう)が 国内平定のために各地に派遣した四道将軍という皇族の一人、「大彦の命」の墓だということになっている。

NHKは最近、纏向古墳が卑弥呼の墓とする一派と北九州の伊都(いと)国にある平原(ひらばる)1 号墳が卑弥呼の墓ではないかという仮説も紹介していた。しかし纏向古墳がある三輪でみつかった遺跡は三輪地方を納めていた王の宮殿に過ぎないことが分かる。箸墓古墳は前 方後円墳だが、魏志倭人伝には円墳と書いてある。八幡和郎の解釈は中国からみた邪馬台国は大和の勢力が九周に及んだ時にはすでに滅びていたことにな る。

古田史学の九州王朝説は記紀の記述はすべてウソであると否定して文学作品のように自由に歴史を書いただけだと切り捨て。ただ九州の出先機関が独自に外交をしたことはありうるとしている。

日本語は縄文人たちが話していたオーストロネシア語を「基層語」として韓国・朝鮮語系の言語を「上層語」とするクレオール言語である。

八幡和郎説批判のHPもある。

Rev. June 10, 2014


トップ ページヘ