読書録

シリアル番号 1161

書名

古代は輝いていたIII

著者

古田武彦

出版社

朝日新聞社

ジャンル

歴史

発行日

1985/03

購入日

2013/09/10

評価



2000年会社の先輩平松幸一氏に日本国成立の経緯解明調査中間報告を聞き興味をもった。

2006年学士会会報2004-VI No.849に掲載された川端俊一郎氏と学士会会報2005-V No.854に田口利明氏の田口利明氏も同じ認識と知りメモ1034にまとめた。その裏には古田武彦氏が居てネット上の吉田史学会報を拾い読みしていた。

総合知学会の芝尾紘一氏より本著の第五部白村江の戦いと九州王朝の滅亡、第一章『旧唐書』の証言と第二章『日本書記の側』からのコピーを借り読む。エネル ギー総合工学研究所専務理事、全国電気管理技術者協会連合会 顧問の吉澤均氏は古田史学の支持者であり、本書の1-2章のコピーは吉沢氏のものだ。

618年に唐朝が成立した7世紀は九州王朝最後の世紀となった。これは中国側の歴史書「旧唐書」と「三国史紀」に白村江の戦いの戦勝国側の目で書かれてい る。日本の研究者は該当箇所の文言のを重箱をほじるように引用するだけで全体の記述はみない。該当箇所をとりだして記紀に挿入して理解から大きな間違いを する。ましてや「宗書」、「随書」も読まない。

日本に関してもっとも重要なのは「旧唐書」の東夷伝で、高麗、百済、新羅、倭国、日本の五国が東夷とされている。倭国と日本は独立国として認識されてい る。白江の対戦の前に百済の謀将福信の策略で百済王「扶余豊」は倭国で人質となっていた。大唐は「扶余隆」を新百済王として擁立した。白江の対戦とは唐が わからみれば百済の反徒を支援した倭国と高句麗を新しい百済の王とともに殲滅したということ。そして高句麗は新羅に、倭国は日本により併呑されたというこ と。

では倭国とは後漢の光武帝が金印を与えた国の後継者で、三国志の倭人伝にある卑弥呼の後継者。隋書にでてくる俀国(たいこく)と旧唐書にでてくる倭国は同じ。

唐からみて、日本は倭国の下位にあったため、倭国を滅ぼして日本と和親を結ぼうとみさだめて白江の対戦をしたと考えられる。中国側としてはその後、日本からくる遣唐使がもたらす(日本書記)の史観はおかしいと記録している。

第二章『日本書記の側』では白村江の戦いに敗けた4月後に大叙勲をしている。敗戦したとは思えない行いだ。近畿天皇家が無傷のまま論考行 賞をおこなったのである。そして701年の唐により日本の承認にいたるのである。このことは日本書記には一切書かれていない。

古田による代案の多くには異論もあり、決着はしていないが、多くの定説の根拠が覆されたされたことには疑問の余地がない。科学雑誌「Newton」の創刊編集長・竹内均博士も同誌上で絶賛した。

姉妹書に
古代は輝いていたI『風土記』にいた卑弥呼 (朝日文庫) [文庫]
古代は輝いていたII : 日本列島の大王たち, 古田武彦 著〔朝日新聞社 昭和60年2月〕

吉澤均氏蔵書
吉留路樹「倭国ここに在り 文底に隠された真実・二つの国があった日本列島
いき一郎「中国正史の古代日本記録
Rev. January 8, 2014

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