読書録

シリアル番号 1131

書名

コモンウェルス(上下)―<帝国>を超える革命論

著者

アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート

出版社

NHKブックス

ジャンル

哲学・思想

発行日

2012/12/25第1刷

購入日

2013/02/10

評価



総合知学会の仲間からネグリの新著が出たよと言われて丸善丸の内本店で購入。「帝国 グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性」2000 年を読んでいたからである。<帝国>では、現在は大国による数極集中の体制が崩れ、権力さえもがネットワ−ク化、階層化している、と定義される。この権力と向き合 う民衆もまた個々人は独立心があるものの「多数者」としてネットワ−ク化(弁証法的に)して対抗していると分析されている。これをマキャベリが定義した用語であるマルティチュードと呼 ぶ。これが、グローバル時代の民主主義の原点だと言っている。

この思想はマキャベッリの「フィレンツェ史」にでてくる「国は必ずといってよいほど、それが変化するに際して、秩序から無秩序へと陥り、その後、再び無秩序から秩序移行するのが常である。それは、この世の物事が自然の掟によって静止することが許されていないからである」

解説でこの本の前に「マルチチュード 上下 <帝国>時代の戦争と民主主義」2004年が三部作の一つとして出ていたことを知る。互いにダブっているので書評を読んで済ませた。戦争と平 和の境界線が曖昧(つまり常にどこかで戦争が起こっている)になり、自国と他国の境界線も曖昧になるというものらしい。

米国の覇権が終わっても米国はグローバル帝国主義時代の君主の座に痩せたりとはいえ座ることになる。その下に貴族層としてG-Xとか、Gクラブ、NATOなどの多国籍軍事組織軍事同盟、ヨーロッパユニオン、蔵相会議、国際金 融エリート、多国籍グローバル企業が国境を越えて同盟を組んで超国家組織を作り出すだろうと予想される。最下層にはイギリス、ドイツ、日本などの国民国家、衰退した隷属国家が中国、ロシア、インド、ブラジルの台頭勢力、と協 力体制を組んみ、宗教の法王、イマーム、メディアなどが存在し、貴族層と交渉する。この超国家組織はア ントニオ・ネグリ、マイケル・ハートの「帝国グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性」にえがかれた帝国に一致する。ジョセフ・ナイも同様の見方 をしている。これは昔の帝国ではなく、新しく出現しつつある地球に一つだけある帝国だから<>で囲む?尖閣問題などは田吾作が畔を削っ た、削らないという争いといえる?


超国家の階層構造

マルチチュード(Multitude)とは、マキャベリによって最初に使用され、その後スピノザが用いた政治概念である。本書では<帝国>を構成する新しい階級と定義される。労働者や人民、大 衆とは区別される。虐げられる一方で自由に国境を越えて移動する、移民労働者や不安定な身分のまま小さな企業を渡り歩く半専門職的な知識労働者である。マ ルチチュードは最下層に含まれている。<帝国>の貴族達が恐れるのはマルチチュードの抵抗である。なぜなら彼らはすでに法律によってではなく、暗黙のうちに 自由を要求し維持しているからである。マルチチュードは統合されたひとつの勢力でありながら多様性を失わない、かつ同一性と差異性の矛盾を問わぬ存在としている。超国家あるいは<帝国>が機能すれば、世界大戦 というものは多分少なくなるが、権力に反抗するテロなどは半永久的に継続するだろう。モンテエジソンやベクテルが国際企業なら日本や、イタリア、中国、ロシ アのような国民国家より上位の貴族層に属する。最下層は国民国家、法王、イマーム、 マスコミ、フリーメーソンなどの秘密結社、そして難しい概念だがマルチチュードという国境を超える自律的に創造的仕事をする者たちが大勢いる。(なんていうか西欧中世の石工、日本なら穴太衆か)。君主に せよ、貴族層にせよ選挙はないので世襲。

資本主義は私有財産制によって発展した。この原理の下、過去数十年、新自由主義的政策をとる政府によってコモンの民営化(私有化)が進んだ。私的なものの 反対の概念は公的なものである。しかしながらこれまでの長い期間 のエンクロージャーのプロセスを通じて地球の表面は公的財産(社会主義)か私有財産(資 本主義)に分割されている。そこに誰にも開かれている共有地(コモン)はないのだ。現在でも言語、知識、イメージは共有財産ではあるが、これが私有化され れば悲劇が待っている。

資本的価値増幅過程が必要とした生産は物質を加工したものだが、現代は非物質的生産が物質的生産を凌駕してしまった。たとえばイメージ、情報、知識、情 動、コード、社会関係などである。自動車や鉄鋼などはなくなりはしないがその価値は下がってしまった。これら非物質的財の生産する労働形態は、サービス労 働、情動労働、認知労働などがある。頭と心の労働とよばれ筋肉のそれではない。知的・情動労働にはしかし体の特定部位だけに対応するのではなく、体と精神 の全体を必要。フランスの経済学者ロベール・ボワイエは「これから数十年後に出現するような成長モデルをあえて予言すれば『人間による人間の生産モ デル』を生み出す制度的枠組み設計がおそらく必要になる」といっている。こうなると経済成長の計測はどう行うのか。

資本はいまや満身創痍だ。社会主義もケインズも新自由主義も役に立たなかった。シュンペータの指摘の通り、企業は官僚主義的となり、姿の見えない重役達の 下した決定に基づき、機械的に型にはまった運営がなされる。ビル・ゲーツやスチーブジョッブズはネットワークという偉大なシステムの革新のエネルギーを糧に しただけで真の革新者ではない。かって経済革新は企業家が行ったが、すでに彼らにはその力がない。その代りにヒドラのような多数の頭をもつマルチチュードが社会を支えるよう になってきた。

マルクスとエンゲルスによれば封建的所有関係は発達した生産力の阻害要因になったから資本主義社会に向かわざるをえなかった。今資本主義がおなじように発 展の阻害要因になったのである。新たな生産力の拡大とコモンの自由な生産を図るためにー資本を救うために、いかにしてマルチチュードの自主性を阻害しない 社会をつくるかというテーマのようだ。

ジェノア、ベネツィア、オランダ、英国そして米国はグローバル化の結果として生産設備への投資が見合わなくなり、生産から金融に移行した。そして軍事的に も覇権を持てなくなった。では中国がヘゲモニーを持てるかと言えば否である。 なぜならこれから現れるグローバル秩序は過去とは全く異なるからである。

もはや、資本家や国家が外部から生産を組織する必要はない。それどころか、外部から組織化を行おうとすれば、すでにマルチチュードの内部で機能している自 己組織化のプロセスを阻害し、腐敗させてしまうことになる。マルチチュードが効率的に生産するには自由をあたえなければならない。そのために所有財産の共 和制から脱出しなければならない。

自由が求められるのは、旧来の市民と国家の契約、労働者と資本の契約が生産の足かせになっているからだ。その足かせとは権威の確立と正当化なのである。 個人は自分と同等の他者との水平的な関係ではなく、権威の形象との垂直的な関係に引き込まれてしまうからだ。一人の個人では、決してコモンは生産できな い。他者との知的なコミュニケーションなしには新しいアイディアはうみだすことができないのとおなじでコモンを生産できるのはマルチチュードだけなのだ。

翻訳の訳語がすこしおかしいので、わからないところがあるが、コモンとは家族、企業、共同体、村、大都市、ネーションという公共の場のことを言うらしい。 昔英国にあった広大な共有地(コモン)が産業革命で囲い込まれたという故事の暗喩でコモンといっているようだ。形のないものでは言語、インターネットもコ モンということになる。水や天然ガスなどの天然資源もコモンだ。これを民営化(私有化)することはマルチチュードを阻害する。すなわち資本のためにもなら ないという考えになる。新しい科学的知識が生産されるためには関連する情報、方法、アイディア、を科学的共同体でオープンな形で利用可能である『ことが大 切。これもコモンである。ただネーションの内部構造は階層化されており、排除の論理もあるのでコモンとしてはかなり腐敗臭のあるものである。マルチチュー ドの行う革命とはこれらの腐敗したコモンからのエクソダス(脱出)である。

革命は暴力的でなければ成立しないのか?答えはイエス。だが革命は力の行使を必要とするが流血を必要としない。平和な街頭デモ、脱出、メディアキャンペー ン、労働ストライキ、ジェンダー規範の侵犯、沈黙、皮肉などがある。特に脱出が有効だろう。妨害行為や共同作業からの離脱、カウンターカルチャーの実践、 全般化された不服従である。

各国で行われている民営化はコモンの破壊による私有化なので好ましくないということになる。官僚の腐敗、家族という腐敗したコモン、性別役割分担、家父長的権威、階級もコモンの腐敗ということになり、マルチチュードの生産の足かせとなるので脱出するのだ。

朝日新聞掲載の渡辺靖文化人類学教授の紹介は一言で片づける。

中世以降、土地、水、天然資源などの自然資源、知識、情報、言語、情動など社会資源などの共有物を私有化することにより経済が発達した。これが資本主義の 基本。しかし弊害がでた。そこでそれらを公的に所有することを試みたが失敗した。これが社会主義である。マルチチチュードは人間の本質として法律によって ではな く、暗黙のうちにこれら公共財へのアクセスの 自由を要求し維持しているからである。公共財へのアクセスを阻害するものは家族、企業、国民国家の枠組みである。この阻害要因をなくす工夫がなければ将来 はない。


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