読書録

シリアル番号 1052

書名

理性の反乱

著者

上草貞雄

出版社

技術環境研究所

ジャンル

哲学・思想

発行日

2009年8月

購入日

2010/05/20

評価

著者贈呈本

スチュアート・カウフマンの「自己組織化と進化の論理」でも紹介されたフンベルト・マツラーナとフランシスコ・ヴァレーラのオートポイエーシス論を人間社会にまで拡張する試み。オートポイエーシスとは権威にそまらない自律分散的個という概念。アロポイエーシス(権力)との対比で展開。

著者は東海大学の電気工学の教授だったが引退後著した本。総合知学会の元会長。先生は総合知学会の目標に関し、

約10年前、私が現役の頃、学内で「文明の未来予測」に関して、小さなシンポジュームをコーデネートした経験がありました。そこには文系・理系の方達が集まって議論したのですが、理系の方は高度経済成長を技術で為したという自負があってか、技術で未来は拓けると、一途に主張します。また、文系の方は、観念論を引っさげて、文明の崩壊が生じ低成長になった他、深刻な環境問題を生じたのは紛れもなく科学技術のせいだと譲りません。結局は不毛な議論であり、各自のパラダイムを主張しあうだけでは、知恵が出ないなとの感想を持ちました。少なくとも、総合知学会でそれを繰り返したくない、と言うのが私の願いです。

と書いてきた。これに対し

先生の危惧は分かります。しかし今日の日本の衰退は極論すれば日本が文系が権力を握っていることに起因するとわたしは考えているわけで、ここを打破しないかぎり日本の未来はないと思っています。

文系が環境問題を生じたのは紛れもなく科学技術のせいだというのはどうしようもなく短絡的です。我々の存在こそが環境破壊の原因であって、科学技術はむしろそれを解決してきたのです。私の一生はいわゆる硫黄化合物を大気に出さない技術提供により公害というものを退治していた一生であったと思います。文系は理解できないものは全ては悪魔の仕業と思う迷信深いどうしようもない人達だとしか思えません。そして江戸時代こそ模範とすべき社会であったなどとほざく哀れな人々です。かれらこそ総合知学会で学ぶべき人たちではないでしょうか?

それから原子力のような将来性のないものを保護推進する予算を確保し続ける文系役人とか文系政治家も困った存在だと思っています。国家のためではなく、我田引水的行為でしょう。これに丸め込まれた理系人間も哀れな存在ですが。そういう学会でなければ何のための学会かとも思いますが。

先日宮城県の船形山に登りました。このとき続日本紀元明紀にでてくる色麻柵で有名な色麻(しかま)町から保野川沿いに山に分け入りました。色麻柵は当時、東北辺境開拓のために、城柵の設けに守られながら開拓に従事した武装開拓移民が開発した土地です。ここから古川にかけての広大な水田は伊達藩の豊かさのもととなったところかなと思いました。

いまでは水田は戦後の土地改良がゆきとどいて大型になっています。しかしいまでは休耕田では牧草栽培をしています。刈って干した牧草を集めて円筒形の梱(こり baile)にし、プラスチック・フィルムでくるんであります。牧草収穫機械には邪魔になるだろうと思うのですが、補助金目当てか畦は維持していました。農政がもたらしたゆがみでしょう。

海抜200mの地点で高さ50mの立派なロックフィルダムが目に入りました。一般地図には記載ないダムです。グーグル地図には保野川(ほのかわ)ダムと記載がありました。灌漑用にしては降水域が狭いのです。不思議なダムだと思ってしらべましたところ。王城寺原演習場周辺障害防止対策事業として建設されたらしいのです。王城寺原演習場の迷惑料ということしょう。それにしても水田も休耕田になっているので灌漑に役だっているのかしらと疑問をもちました。さらに調べると漏水などがあり地震による決壊の危惧もあるらしい。色麻町は受益者負担としてのダム機器の維持管理費にあえいでいます。日本でいままでに完成した大ダムは2,749個あり、そのうち農業用ダムおよび農業関連ダムは2,081個を数え、大ダムのおよそ76% を占めているといいます。いずれどこかでロックフィルダムの決壊はあるのでしょう。これが文系支配の日本のほんの片隅の出来事です。

東大物理学科を卒業して東大の助教授になったのはいいが、日本の学界に嫌気をさして辞職し、米国(パーデュー大学など)とヨーロッパ(オランダ)の大学を渡り歩いて最終的にドイツの工科大学の正教授(終身職)になった森永先生も全く私と同意見です。先生が「茅誠二が文系大学不要論を唱えていたが、その息子はその文系役人にひれ伏してIPCCのお先棒を担いでいるのは喜劇だ」とおっしゃったのが忘れられません。

管首相に期待しましたが彼は若いときからずっこけ理系でいまや完全に文系になっていることが判明しました。ハトさんもそうですね。日本だけでなく、アメリカの凋落も同じルーツと考えます。理系人間が個人として技術を理解しながら国家を動かすことは不可能ですが、すくなくとも人脈が役にたつわけです。いわゆる非公式・公式コミュニケーション・ネットワークです。これがない文系人間は法学的動きしかできませんから、前例踏襲で日本はバカのひつ覚えで突っ走り続けるということになります。ちょうど高速増殖炉「もんじゅ」見学記に書いたようにナトリウム冷却炉がめくら運転をしているのと同じです。

上草先生の「理性の反乱」は全く同感ですが、私がいまここに書いたようなことは、礼儀正しく、慇懃な先生は表立って言及されていません。文系人間を先生の用語でいいかえればアロポエーシスです、隔靴掻痒。しかし奇麗事では世の中は変わりませんね。

それからもしかしたら私は都市大好き人間かと誤解されないようにいいますが、私は田舎育ちですから都市内部には住みたくありません。かといってのどかな田舎も苦手、その中間の郊外、それも自然の豊富なところということなります。自律分散も大好きでなんとか電力網に頼らず自活できないか、家庭用風力・太陽電池ハイブリッド発電のような実験と思索を続けております。ただ大規模投資に打って出るにはまだ早いと判断しています。

シリコン消費が1/100になるアモルファス薄膜もありますが、昭シェルは現在銅ーインジウムーセレンと銅ーガリウムーセレンの固溶体である(Copper Indium Gallium Selenide;CIGS)金属化合物型半導体のPVを九州の工場で生産しており、私の古巣の千代田化工が工場建設に協力しています。昭シェルとIBMのワトソン研究所の銅ー亜鉛ースズーセレン系化合物CZTS(Copper, Zinc, Tin, Selenium)の薄膜太陽電池の共同研究に期待しています。IBMのワトソン研究所は9.6%の変換効率をすでに達成しています。レアメタルのインジウムが不要となります。台湾のDelSolarもIBMと提携しています。東京応用化学工業が化学と製造装置提供をします。役人の知らないところで、技術は着々と芽を吹いているのです。文系大学など扶養家族を増殖することにしか役に立ちません。文系大学卒の教師は次世代の教育すらまともにできていないではないですか。

と書いた。私の総合知はなにかと聞かれ

総合知の目的、狙い、必要性: 好奇心の充足
基礎モデル、世界認識: 自らの脳が満足する合理性と整合性
方法、アプローチ: 試行錯誤

と回答。

Rev. October 31, 2010


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