読書録

シリアル番号 076

書名

サイバネティックスはいかにして生まれたか

著者

ノーバート・ウィナー

出版社

みすず書房

ジャンル

サイエンス

発行日

1956/12/20初版
1966/9/20第6刷

購入日

1966/01/01

評価

人間機械論と共に名著

若き頃これを読んで、社会現象も全て制御理論で解釈して理解したくらいである。

wikiによれば1906年9月に、11歳でタフツ・カレッジに入学(ヴァネバー・ブッシュと同じ、村上春樹もここに留学)、1909年、14歳のときに数学で学位を取得 し、ハーバード大学の大学院に入学した。ハーバード大学では動物学を専攻したが、1910年、コーネル大学大学院に移籍し、哲学を専攻した。翌年再びハー バード大学に戻り、哲学を続けた。1912年、18歳のときに、数理論理学に関する論文によりハーバード大学よりPh.D.を授与された。そして、ケンブ リッジ大学(イギリス)に留学し、バートランド・ラッセルの下で学ぶ。G.H. ハーディの数学の講義に感銘を受けたらしい。1914年には、ゲッティンゲン大学(ドイツ)でダフィット・ヒルベルトやエトムント・ランダウの下に学ぶ。 その後ケンブリッジに戻り、再びアメリカに戻った。1915年-1916年にはハーバード大学で哲学講座の講師を一年間務めた。その後ゼネラル・エレクト リックで働いたり、百科事典『エンサイクロペディア・アメリカーナ』の編集執筆者として働いた後、メリーランド州のアバディーン性能試験場で弾道学に関す る仕事に就いた。第二次世界大戦中の弾道学、や射撃制御装置に関する研究は、通信理論への関心を総合し、サイバネティックスを定式化することへ彼を促し た。戦後、彼は自身の影響力を行使し、ウォーレン・マカロックやウォルター・ピッツらの人工知能、計算機科学、神経心理学の分野における当時最も優れた研 究者の幾人かをMITに招いた。彼自身は軍事関連のプロジェクトで働くことや政府からの援助を受けることを拒絶した。

2014年にいたり、とある人から、ノーバート・ウィナーは「物理の散歩道」に定義された「博覧強記型」と「演算型」のハイブリッド人間だという。私からみればノーバート・ウィナーはどうみても「演算型」だ。単純な原理から世のなかのメカニズムを奇麗に整理出来している。

複雑系で原理原則では説明できない世界をそのまま記憶する「博覧強記型」は 人文系の世界だ。いろいろなロジックが生み出されるが例外が多く、汎用化できない。法律や政治の世界もそうだ。例外が注が多すぎる。経済に至っては何も整理できていないから予言もできないし、経済の制御すらまったくできていない。単なる希望的観測というやつ。

Rev. August 30, 2014

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