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シンポジウム
「福島原発でなにが起きたか」
ー安全神話の崩壊ー
International Symposium on the Truth of Fukushima Nuclear Accident and the Myth of Nuclear Safety
2012 年8 月30 日(木)・31 日(金)/東京大学駒場キャンパス
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主催:「福島原発で何が起きたか―安全神話の崩壊」シンポジウム実行委員会
実行委員長:黒田光太郎事務局長:菅波完
共催団体:柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会/原子力資料情報室/東京大学持続的開発研究センター/東京大学「人間の安全保障」プログラム
/APAST(The Union forAlternative Pathways in Science &
Technology)/高木仁三郎市民科学基金
協賛団体:エントロピー学会/高木学校/市民科学研究室/環境エネルギー政策研究所/法政大学/サステナビリティ教育機構/プラント技術者の会
シンポの趣意書に『今、日本は、脱原発への道へ進むか否かの分かれ道に立っています。脱原発を求める声は巷に満ちているにもかかわらず、政府は安全性の検
証や対策を先送りにしたまま、原発の再稼働を急いでいます。福島原発事故の真実を明らかにし、検証の結果を世界に向けて発信することが、日本の科学者・技
術者の大きな責任であると私たちは考えます。それに際してとりわけ私たちが問題にしていることは、福島原発事故について、いまだに基本的な情報が不十分で
あり包括的な分析がなされていないということです。東京電力や原子力安全・保安院、あるいは原子力推進に密接に関与した専門家たちからの発信は、3/11
を招いた原子力発電の本質的な危険性や原発推進の利権構造への言及を避けたものばかりです。このシンポジウムでは、人びとが幸せに生きてゆける社会の実現
をめざす科学者、技術者の視点から、福島第一原発で何が起きたのか、今、何が起きているのか、その原因は何かについて、議論を深めたいと考えています』
とある。事故後、一人事故調を決意して、論文を1本、通俗解説書を1冊書いているものにとって今更と思ったが、かっての職場の仲間たちが結成している「プ
ラント技術者の会」から誘いがあって謙虚に学ぼうと参加を決意。下北沢で京王井の頭線、駒場東大前駅で下車する。なるほど専用の駅を持つ教育を受ければ下
々のことは理解もできない学者や官僚が育つのかもしれないと思いつつ校門をくぐる。参加者は400名であった。ほとんど知っていることの繰り返しであった
がそれでもいままで
気が付かなかったことがいくつかあった。以下に整理した。
駒場 1号館
@井野博満(東大名誉教授):ベルギーの圧力容器のクラックはアンダー・クラッド・クラッキングと聞いている。昔から見つかっていたようでいまなぜ問題になったかわからない。これは溶接手順がわるかったための残留応力が原因。中性子脆化でクラックは発生しない。
A田中三彦(東工大機械、パブコック日立、国会事故調):1号機SR弁の作動音が聞こえなかったのは一次系の配管が地震で壊れたのではと疑って東電報告
の津波が襲った時刻をしつこく調べこれは沖合1.5kmの海底設置の津波計の時刻と判明。時間差は2分であることを東電はみとめたが東電の正式報告の時刻
は間違ったままで修正されていない。(これは核計装管の破損で早々と圧がぬけたためと考えられる)これで少なくともDGのAは津波より先にダウンしている
が原因は不明。次に水冷DGが海水ポンプが第一波で水没したのではないかと調べたがそのようなことはなかった。1号機のICは水素が発生してしまえば水が
凝縮しなくなり自然循環は止まる。水素発生前にとまったのは隔離弁開閉ロジック収納ボックスが水没したためだが、このロジックも異常検知ロジックと弁開閉
ロジックと分かれていて、それぞれ違う箱にないっていたから時差が生じる。三号機のDCは最後まで生きていた。すなわち計器は生きていた。せめてこれくら
い救ってほしかった。1−3号機の格納容器は場所は特定されていないがすべて底が抜けて水はじゃじゃ漏れ。これを浄化して循環。地下室の水位は地下水位よ
り低く維持しているため水は増えつつある。1号機はウェットベントできたためか、サプレッションチャンバーの放射線は10Sv/hと一番高い。
Bアーニー・ガンダーセン(原子力工学者):フクシマ・フィフティーはよくやった。格納容器トップフランジの漏れについては伝わっているようで、おなじこ
とは1977年にBrunswick Nuclear Generating
StationのBWRで経験していると発言した。事故記録がないのはおかしいと調べたところ1970年代に新しい格納容器が完成した時にリークテストし
た。このときまちがって設計圧より12%高い圧力70psi(4.92atm)まであげてしまったらガスがもれた。しかしこれは間違いのテストとして関係
者だけが知っていたのだが、福島で水素ガスが爆発したとき、これを思い出したという。この記事。
原子力安全基盤機構(JNES)の解析では圧力8気圧、摂氏500℃以下ならボルトはかろうじて弾性限界内にあるが、2003年の原子力発電機構「重要構
造物安全評価(原子炉格納容器信頼性実証事業)に関する総括報告」によれば摂氏350℃度を超えるとシールの健全性が失われ、圧力が大きくかからなくとも
漏洩するとしている。封じ込めの成功率は81%である。4号機の潜在的危険としてジルコニウム管にニクロム線を埋め込んで空気中で加熱すると燃えてしまう
写真を見せてくれた。nuclear village現象は米国でも全く同じ。結局透明性を高めて、原発コストを高め、Wall
streetに決めてもらうしかない。米国もnuclear
village現象は同じ。原子力は補助金により成立しており70才になっても親のすねかじり。
C石橋克彦(地震学者、国会事故調):原発が建設された1968年頃でてきたプレートテクトニックスによれば日本は4枚のプレートに乗っている。西と東の
プレートも違うし、日本海はアムールプレートに乗っている。柏崎刈羽のはぎとり波の加速度は1,699galだったのだから、日本の原発はこれで設計すべ
し。六ヶ所村は450ガルのため東通も一律この数字にしているのはおかしい。マーフィーの法則If it can happen, it will
happen.は正しい。25万年間安定して地下水も流れ込まない安定地層を探して放射性廃棄物捨て場にすつのにもっとも困難なのが日本であることは間違いない。
D今中哲二(京大原子炉実験所助教):希ガスの放出量はチェルノブイリより多かった。IAEAの日本委員の旅費は放射線影響研究所が出している。そしてこの金は電気事業連合会の金である。
E田中一郎(市民と科学者の内部被ばく問題研究会):日本が準拠しているICRPはIAEAと一体で内部被ばく軽視したりガンと白血病いがいの被害無視、
経済合理性を健康より優先。そもそもシーベルトは内部被ばくを体重で希釈してしまっている。自然放射線はラドンなど希ガスなどが中心で線量は多いが害は少
ない。
F北沢宏一(民間事故調):産官学という言葉の普及とともに規制当局と事業者の立場が癒着し逆転したようだ。責任ある規制当局の課長クラスは定年後のことがちらちらしてなにもしないことが身のためとと考えていたと聞く。産官学は互助会と化していた。
G船橋晴俊(法政大教授社会学部):「原子力村」は正しくは「原子力複合体」と呼んだほうがいいだろう。これは産軍複合体と同じ。
H吉岡斉(九大教授、技術史、政府事故調):厚生省は健康保険が破綻するのを防止するために自己責任という面を強調するために生活習慣病という病気を作り
出した。いわば責任転換なのだがこのメタボ政策は失敗した。これを私は「政策失敗病」と命名する。政府事故調も事務局主導であった。検察から人を集めて、
聴取するからさすが操作のプロ。有罪にできそうな事実関係は調べてくれたがそれ以上の深い洞察は書かれていない。そして7月は官庁の人事異動時期というの
でそれ以上の整理はせずに解散していしまった。問題はこれを調べた人の個人名、調べられた人の個人名の記録はない。原子力災害防止法は全くの欠陥法だと分
かったが、その改訂作業は行われていない。この他原子力損害賠償法、電源三法、最終処分積立金法はすべて廃止しなければならない。
Iフィリップ・ワイト(オーストラリア・アデレード大学):日本のウランの20%はオーストラリア産。レンジャー鉱山トオリンピック・ダムウラン鉱山は世
界最大のウラン鉱山。先住民が迷惑を受けてマウンドスプリングの水が枯れるなどの被害がでている。ウラン資源量は多いので、プルトニウムサイクルは無意
味。核疑惑を生む。韓国など再処理できないと不満をもっている。日本語の核は核兵器で原子力は平和利用とつかいわけでいるが、英語では両方とも
nuclearである。
J船橋晴俊(法政大教授社会学部):日本の役所の事務局の運用は不適切。運営は不公平。3人集まったら記録を残すという3人ルールを守ってもらうしかない。データを集積してないので電力会社からの出向者を返すとデータもなくなってなにもできない。
K海渡雄一(弁護士、福島瑞穂のダンナ):福島県住民1300人が東電と保安院、安全委員会委員ら33名の刑事責任を問う訴訟の弁護士をしている。福島、金沢、東京の地検に
提出した。検察が起訴しなかったら、弁護士が強制起訴するつもり。それにつけ残念なのは最高裁のもんじゅ判決はそれまで積み上げてきた判決をひっくり返し
た犯罪的判決である。これを出した。泉徳治(判)、横尾和子(政)、甲斐中 辰夫(検)、島田仁郎(判)、才口千晴(弁)は全員有罪である。
L鈴木達冶郎(原子力委員会副委員長):なにやら謝っていたが、意味不明。ただ事務レベルの非対称工作の犠牲者でもあり、聴衆の期待があるのか拍手。
M金平茂紀(TBS記者):マスコミが原子力拡大の神輿を担いだのは事実。鉄腕アトムとその妹がウランちゃんであったのだから。広告代理店から個人的には
あからさまな圧力はなかった。しかし関西のほうであったという話は聞いている。今日もここに取材にきている記者は少ないが理由は熱しやすく冷めやすいのでた
だ忘れてしまったというだけ。御用学者をマスコミがよびだしたのもそれしか知らなかっただけで最近ではみな恥ずかしくなって出てこなくなった。それにしても原子力村ペンタゴ
ンの巻き返しは激しい。たとえばNHKのETV特集取材班が「ホットスポット ネットワークでつくる放射能汚染地図」を書いて文化庁芸術祭大賞 早稲田
ジャーナリズム大賞 日本ジャーナリスト会議大賞など各種章を総なめしたがNHK内では処罰されている。
N黒川国会事故調委員長のあいさつ(田中三彦氏代読):私は福島4号機の圧力容器を設計した当事者で、これが使われなくなったのは、残念でもあり、ほっと
してもいる。日本では東芝、日立、三菱重工などメーカーの責任が話題になることがない。航空機事故ではボーイングなどメーカーが技術的な矢表に立るのにお
かしいのでは?それにして私が内部告発してからの原子力村の弾圧は退役軍人集団が脱走兵を指弾する激しさでシリア内戦のような経験をした。(原子力学会で
はメーカーは積極的に活躍している。マスコミはメーカーから取材できる能力をもっていない。メーカーのいうことを理解できない記者にメーカーが話すはずが
ない。マスコミはそれを理解しているから取材しない)
O船橋晴俊(法政大教授社会学部):これからは事故の因果関係を市民科学者がしらべ原子力共同体を壊し、脱原発法をつくる必要がある。核にたいする原子力
の平和利用などという言葉のマジックはやめるべき。これはcivilian
useでいい。軍を自衛隊というような詐欺のような使い方もやめるべき。そもそもストレステストなどは3大臣の超法規処置で早急に是正する必要あり。スト
レステストも一次は裕度を調べるだけに対し二次は福島の知見を反映することになっている。これはまだ未着手である。日本は討論空間分立で互いに情報交換が
ないから進歩がなく、妥協もない。そしてダブルスタンダードである。
P丸山真人(東大教授国際社会学):「原発という犠牲のシステム」という一文を書いた。ある人の利益が他の人の尊厳と生存権を犠牲にするという意味。これは近代法違反である。
(1)苛酷事故被ばく者
(2)被ばく労働者
(3)ウラン鉱山労働者
(4)一般被ばく者
事故を起こしてしまった責任
事故対応が不適切であった責任
これは刑事告発に値する。
Q高橋哲哉(東大教授哲学):1945年にカール・ヤスパースが「戦争の罪を問う」で4つの罪を上げている。
- 刑法上の罪
- 政治上の罪(国民全部)
- 道徳上の罪(推進したビレジの全員)
- 形而上の罪(個人が神の前で)
原発推進の政治的責任は自民党に特にある。無関心で政府に好きにさせていた国民にも責任はある。行政官は政治家の指示に従っていただけとはいえ
ない、のめりこみの責任がある。司法も誤審したという責任がある。御用学者を多く生んだという学者にも責任がある。特に東大の学者が該当。東大の教育に問
題があるのだろう。
倫理的責任はJCOチェルノブイリを知っていたのに有効な手立てを準備しなかった、官僚、マスメディア、学者にある。
Rミランダ・シュラーズ(ベルリン自由大学):メルケルに指名されて原発の倫理性委員会で活躍した体験談。
S池内了(総
合研究大学院大学理事、理学系):原発は「共有地の悲劇」の典型例である。原発は複雑系である。原発は多数の受益者と少数の被害者を生むのでベンサムの功
利主義を適用すると倫理的問題を生む。原発は共時性と通時性の不一致を生む。原発は予防措置原則を適用すべき。原発主義とは軍国主義と同義語。工学教育に
問題があるのかもしれない。
以上
感想:原発敗戦を総括した本セミナーを抜け出してキャンパスを歩きながら今回の福島事故で一番信頼を失ったのは東大だが、学園祭の準備
をしてストリートパーフォーマンスを練習しているあどけない学生を見ていると多少心細くなった。最近完成した隣接する生産技術研究所の建物は周辺住宅地と
の調和を欠いてあたりを睥睨している。ここらへんのメンタリティーから変えてもらわないと原発問題は解決しないような気がする。
池内了は工学教育に問題ありとしたが、そんな単純なことではないだろう。日本の言語的知性優先社会が非言語的暗黙知を抑圧しているがゆえにこのような事態が発生したのであって、こうして国は亡ぶのだという予感がする。