日本の政治・経済の不調の原因

形式知優先社会は暗黙知を失い国は亡ぶ

追補ー2 大学教育

2011/3月卒業の国公立大学759校の卒業生の未就職率は文系が多い。未就 職者総数は86,153名。世の中は良く分かっているようだ。残るは明治政 府のつくった隠れ身分制の文系優位の伝統とキャリア身分保証を廃止すればよい。

学科 未就職率 %
芸術スポーツ科学 36.5
法・政治 27.7
文・人文 26.2
経済・経営・商 25.2
教育(教員養成課程) 23
社会・国際 22
13.1
12.6
10.6
9.8
保健 8.7
6.7

文系比率が大きすぎてつまずいた千代田化工の最近の2011年の採用比率は理系83%、文系17%である。この採用比率は文系中心の人事部が案を作るのでどうしても多くなる。理系はつぶしが効く が、文系はつぶしがきかず、徒党を組んで悪さをする。先行きが心配だ。

慶応大学工学部の前身、藤原工大の創設者、藤原銀次郎は「日本の官庁をご覧なさい。技術者を局長にも課長にもしていな い。何故かといえば常識が無いからです」と1938年に言っているという。技術者を局長にも課長にもしていないのは既得権である疑似科挙制に立脚する身分 制度をまもりたいだけのことで「常識が無いからです」というのはあまりに皮相的なみかただと思う。藤原銀次郎はなにも分かっていないか、ペテン師であるか のどち らかであろう。藤原銀次郎はわが郷里、長野市の安茂里の豪農の出身で慶応大学を卒業し、戦前の三井財閥の中心人物の一人となった。富岡製糸場支配人から王 子製紙(初代)の社長を務め「製紙王」といわれた。その後貴族院議員に勅選され、貴族院廃止まで在任。米内内閣の商工大臣、東條内閣の国務大臣、小磯内閣 の軍需大臣を歴任した。戦争を始めた内閣の大臣だったわけで、戦犯に準ずる人間だ。この藤原銀次郎は実際にどのように理系学生に常識をもたせようとしたの か?常識とは定義できず、その時代、時代に生きて一生かけてみがくもので大学教育で身につくものではあるまい。英語で常識はコモン・センスとなり、アメリ カ人を独立戦争に立ち上がらせたトーマス・ペインの名著が ある。したがって藤原氏のもくろみ通り慶応大学工学部が官庁の局長や課長を輩出したとは聞かない。常 識を持たせようと若者を教育しても役人としては役立たず、技術者としてもレベルが低い人間しか生まないであろう。常識をその時代の社会のコンセンサスとす れば、変化のない社会ならそれもよいが、激動の時代には常識はむしろマイナスだ。藤原氏がなぜ戦争を指導した内閣の閣僚だったわけが分かる。もし常識を人 文科学とすれば、私が学んだ戦後 の国立大学の2年間は教養学部で人文科学を教えてくれた。ここで学び方を学べば実社会で継続して10倍も学べるのだ。ということで教養部をなくした文部官 僚が愚かな判断をしたということになる。能力もやる気もなく権利としてその職にある文部官僚のやりそうなことだ。こうして韓国や中国に負けるのだろう。官 庁 の身分制は利権なのだから教育でどうのこうのという前に政治家たる藤原銀次郎が自分で直接公務員制度をかえればすむことなのだった。

慶 応大学工学部の青木教授に藤原氏の「日本の官庁をご覧なさい。技術者を局長にも課長にもしていない。何故かといえば常識が無いからです・・・」という言葉 の真意を木下氏が聞いた処、「官庁の技術者は大学の先生と同じで、産業界を知らない、実体経済を知らない、現場の技術を知らない、工場や設計現場で働く第 一線エンジニアの気持ちや夢・気合が分からない。ビジネスと会社が何かが分かっていない。そんな人に日本の商工省を任せられないということで、誠に至言」 と言ってきたという。すなわち、官庁の技術者を罵倒した言葉、と教授は解釈したようだ。官庁に就職した理系人間は、現場で訓練を受けていない。にもかかわ らず、役所のエスカレータに乗っている、乗ろうとしている。そんな現場を知らない人間に商工省を任せられない、・・・という気持ちで行ったのだろうと木下 氏は推察。これからいえることは所詮大学教育ではたいしたことはできない。人はすべて実社会で生きた技術やビジネスで鍛えられるということ。 だから、教育に期待することがそもそも無理。だから官庁も学歴ではなく実力で登用すればいい。ところが政治家がわかっていないから明治後100年以上に なっても正しいことがおこなわれない。日本が鎖国していればそれはそれで良いのだろうが、グローバリゼーションでは差がついてしまう。 企業も小さいうちは実力で人材登用が行われるが、大企業になると官庁と同じになって学歴でところてん式に昇進するするといまの日本のようになる。この事情 は米国でも同じだが、技術者に覇気があって、所属する企業が硬直していると感ずるとスピンアウトする。それをベンチャーキャピタリストが支援して儲けると いう仕組みがうまく動いている。以下に紹介するが日本人でも嶋正利や舛岡富士雄はスピンアウトを繰り返して充実した人生を送っている。 藤沢氏は政治家として官庁を改革をせず、大学教育に逃げた。といういう意味で氏は敗者だが、怪我の功名で慶応工学部をつくったという功績は残せたというと ころか?

自民党に高市早苗というとんでも代議士がいる。まったく歴史を知らない。藤原銀次郎のいういわゆる常識がない。どこの出身かとおもったら神戸大学経営学部 経営学科とか。経営学部経営学科とかいう学科はかなり手抜き教育しているようだ。その証拠に米国を含めて経営学科卆が経営者となっている企業の業績は落ち 目だ。視野が狭すぎるし、歴史観が欠落している。いくらノウハウをおしえても経験のない修羅場に当面した時、マニュアル通りの手法は役に立たないからだ。 このような即席の紅衛兵にとりまかれた安倍首相はさしずめ毛沢東。だいたい同じ おつむが集まって原発事故の封じ込めが可能な地下式原子力発電所政策推進議員連盟を作って気勢を上げている。地下水の中に持続的熱源があれば、温泉の原理 で汚染された間欠泉がふきあがるということが頭に浮かばぬらしい。まったく常識がない。そして失敗すれば想定外だと言い訳するのだろう。

現在われわれはグローバリゼーションの結果、国民国家の集まりのルールでは制御できない時代がきている。民主主義を国家の枠組みを超えて維持する新しい ルールを創造するか独裁制に行くかの岐路に立っている。高市早苗に代表される自民党は国民国家にとらわれていて柔軟な発想ができない。柔軟な発想の出来る 人間をたとえばマイクロプロセッサを発展させた米国の実例を挙げてみよう。20世紀最大の技術革新を起こした人間は集積回路の発明者のロバート・ノイス (物理)、ゴードン・ムーア(化学)、アン ディー・グローブ(化学工学)のような技術に秀でマネジメント能力のある人間である。そこで嶋正利(東北大化学)が電卓用にと持ち込んだワイ ヤードロジックCPU(RISC)+ROMのROMにプログラムを内蔵する構想をより汎用化 しようとテッド・ホフがマイクロプログラムCPU (CISC)+RAM+ROM+I/Ocontrollerの組み合わせでCPUを汎用化した。こうして世界初のマイクロプロセッサが誕生。嶋正利はロ バー ト・ノイスにスカウトされインテルに転職x86 アーキテ クチャが完成した。その後ファジンらCPU開発チームの主力メンバーと共にスピンアウトしザイログ設立に加わった後、ブイ・エム・テクノロジー、 AOIテクノロジー、会津大学での教職などを歴任した。このように理系といえどもコンピュータの心臓部は化学を学んだ人間が多く活躍している。大学の専門 で人生を縛るのは好ましくないということがわかるだろう。フ ラッシュメモリは舛岡富士雄(東北大西 沢研)が東芝在籍時に発明したが、これを実用化したのはインテルだ。そして舛岡富士には予算も部下もない技監としたので退職。舛岡は自身が発明したフ ラッシュメモリの特許で、東芝が得た少なくとも 200億円の利益うち、発明者の貢献度を20%と算定。本来受け取るべき相当の対価を40億円として、その一部の10億円の支払いを求めて2004年3月 2日に東芝を相手取り、東京地裁に訴えを起こした。2006年7月27日に東芝との和解が成立、東芝側は舛岡氏に対し8700万円を支払うこととなった。 このように日本の企業は基本回路開発技術者を使いこなせず、みずから製造業に特化して墓穴を掘った。日銀がいくら金を印刷したところでそれをたべる鶏は死んでしまい。ひよこは生まれていない。

解決法としては大学教官は純粋培養を半分にした民間の当該部門で経験を積んだ人材の横滑りを増す必要があるだろう。そもそも工学などという名前が 誤解を生む。ヴィクトリア・アルバート・ホールに「エンジニアリング」という言葉が英国の栄光を支えた4つの要素として刻まれている。これを「工学」と訳 したのだ。暗黙知またはトピカが原動力となる芸術とおなじく、暗黙知から創発されるデザインを重視して工術となずけたらどうかと小松会員が提唱している。

機械やエレクトロニックスの仕掛けのデザインに特化した工学を拡張して社会もデザインしようという大学がマサチューセッツに10年前にできたオーリン工科 大学だ。隣接するビジネス・マネジメントと強いバブソン大と芸術・人文社会科学に強いヴェルズリー大と相互乗り入れで革新的人材を育成しようとしている。 リチャード・ミラー学長は嵯峨根・森永先生が研究者として在籍したアイオア大から移籍した人で鈴木メソッドがヒントだったという。日本でもこうした教育を したらいい。

大学教育はしかし、専門知識を与えるところだから、創造性のような暗黙知に関係ある脳の構造は幼稚園や小学校低学年で固まるため、そのころの教育が大切と なる。グーグルの創業者の二人がたまたま幼稚園と小学校低学年のころモンテッソーリ教育(シュタイナー教育も同類)を受けたことがヒントになるだろう。幼 稚園と小学校低学年のころモンテッソーリ教育しなくとも、制服を着せることをまずやめるべきだろう。権威に従順な人間になったしまい自分で考えることをし ない羊のような人間になってしまう。た だいつまでも自由にさせておいたらみな芸術家になってしまう。理系は徹底的な徒弟的教育がなければ本物にはならない。幼児にシュタイナー教育で育て、数学 や英語は親が特別に教師を雇ってしごき、理系として外国留学に送りだそうとしている一家がある。成果を見たい。

水村美苗はヨーロッパでも日本でも普遍語(univerasl language)と現地語(local language)の二重構造が存在している。知識人は二重言語者と呼ばれる。さて日本は明治維新以後、国語を作ることに成功し、学問も国語で出来る幸せ を満喫してきた。しかし、米国の一人勝ち、インターネットによる一律な情報流通で英語が世界の普遍語として台頭してきた。にもかかわらず、日本政府は全て の国民が読み書きできるようにと、「読まれるべき言葉」が少しでも困難だといって読まさずに愚民教育している。これからは学問もすべて英語で読み書きしな ければ世界に流通しない。英語で読み書きできない日本は世界の中で孤立化しつつある。満州事変から太平洋戦争にいたる過程には日本の「言語的孤立」があ る。すべての国民に同じ英語教育をしても無駄である。国策として少数の「選ばれた人」を二重言語者に育てなければ日本の「言語的孤立」を避けることはでき ない。格差社会は問題だが、少数の「選ばれた人」を選んで投資することが必要である。第二次大戦後の平等主義からの決別が必要なのである。そうしなければ 日本は亡びるという。

自民党の政治家はこのことを知らないから、教育改革は戦前と同じ権威に従順にしたがう国民を作るというところに向かう。これでは中国とどっこいどっこいの人権もない奴隷国家になるだけだ。

高等教育への公費負担は日本はGDPの0.5%。OECDの場合は1%だという。学生一人当たりの国の補助金は国立大学100万円、私立大学10万円だという。

July 26, 2011

Rev. September 25, 2014

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