総合知学会

2016年

原子力政策批判

 

2016年3月12日例会

九州大学工学部機械工学科出で資源エネルギー庁発電課長を務めた与志耶劫紀(よしやこうき)氏から経産省の原発に関する態度の真相を3時間聞いた。その中から一般に知られていない話しをとりまとめた。

●55基ある原発のうち、BWRでは福島第一の6基、東海1基、浜岡2基、島根1基の10基、PWRでは敦賀1基、美浜2基、玄海1基の4基、合計14基 が廃炉決定。これに加え、美浜1基が2016年末までに廃炉決定予定。伊方1号機も廃炉決定。BWRの福島第二の4基も福島県は再稼働認めないとしている。志賀1号機も直下にある活断層のため廃炉の可能性大。PWRでは北海道泊4 基は三菱重工の手が回らず申請書もできていない。大飯3,4号は運転差し止め仮処分が出ている。したがって再稼働できたのは川内PWR2基だけである。

●東京電力は福島事故は想定外事故として免責されると主張しているが「原子炉立地審査指針」、「軽水炉安全設計審査指針」、「耐震設計審査指針」に照らし、不十分な設計であったといえる。

●文系社長に忠実に発電所状況を報告する事務系の物を所長に発令する体制になっていた。技術的事項は全て「技術担当次長」のところで判断・決済するシステ ムとされた。国側も同じく、原子力安全・保安院は官邸に福島の現状を伝えることはなかった。ようするに文系人事独裁となって組織として機能していない。

●そもそも保安院の保安の意味は軍需省の時代に産業育成の枠組みのなかで作業員の安全確保のための規制行政という意味を持っているのみで地域住民や市民保 護の概念は完全に抜け落ちている。民主党が2012年につくった原子力規制庁は市民保護の観点があるが、実態は再稼働の現時点での住民避難計画の欠如など 依然として道半ばである。

●東電は否定しているが総員引き上げを政府に懇願したことは事実である。菅首相がこれを押しとどめた。この菅首相の行為を暴挙とよぶ朝日の船橋記者は傲慢なエスタブリッメントの一員なのだろう。

●政府と電力業界は原発推進のために4枚の手形を出している。

@原子炉は多重防護を採用しており、かつ国の安全審査を受けて言うので原発事故は起こらない

A使用済み燃料は再処理のために発電所より搬出する

B放射性廃棄物は、国の方針により、発電所敷地外に永久処分される

C原子炉は40年の運転期間終了後には解体撤去して更地にする。

現状は破綻といってもよく、全て空手形となっている。結果は全ての核廃棄物はそれぞれの発電所内石棺で永久保管となり、その費用で原発をもつ旧電力は電力自 由化の下で新電力に負ける。遅かれ早かれ、原発の隠されたコスト(約13yen/kWh)は税金で補てんせざるを得なくなる。

●経産省の文系役人は国民の大多数が反対するにもかかわらず原発推進で足並みをそろえ、政治家を洗脳するのかといえば、国会を正面突破して楽するだけのためで、日本国のためを思っているわけではない。

●電力業界は技術的能力を持たず、こういうことになった。技術当事者能力のなさの例として、日本原燃の青森のウラン濃縮工場は手持ちの遠心分離機すべてを 振動事故で失っている。その原因は6フッ化ウランの昇華温度が常温近く、温度制御しないで遠心分離機を動かして壊しているというイランや北朝鮮にも劣る能 力しかない。もう一つの例としてはガラス固化装置にサンゴバン社の実績ある電磁加熱炉を採用せず、ジュール加熱炉を採用して均一加熱に失敗してトイレ無き 再処理プラントとした。メーカーには学歴の高い技術者がいたが、スリーマイル島事故以来、世界の新規建設が完全にとまり技術を磨く機会もないままに引退し た。原発に魅力を感じない世代はこの分野にはいってこない。したがって人材は皆無。再稼働してもはなはだ危険な状態である。

●イランや北朝鮮と米国の関係をみれば、もし日本がプルトニウム回収はコスト高でやめたいといえば、すでに回収したプルトニウムを消費するか返納すれば米 国はOKするだろうと水を向けると。与志耶劫紀氏は何の根拠あってかプルトニウムサイクルは米国との協定で日本側からやめるといっても米国が許してくれる とは思えないと言い張る。2016/3/17米議会の公聴会で米国務省のカントリーマン次官補がプルトニウム再利用は経済的な合理性はないとし、撤退がの ぞましいとの見解をあきらかにした。米国は支援しないし、奨励もしないと述べた。日本政府は二階に上がって梯子外されて驚愕の様子。こちらのほうが滑稽。

●過去に送電鉄塔のボルトが抜き取られて送電鉄塔が倒壊した事例があった。手口からみて北朝鮮が怪しいとされている。これなど原発の対テロ脆弱性の典型的な事例である。結果の重大性からみて原発は今後到来するとみられるテロ社会を生き抜くことは困難。

神出瑞穂氏は

●2016/3/26日本から米国に返還された331kgのプルトニウムの受け入れをサウスカロライナ州知事が、最終処分場になる事を懸念して拒否した。 背景に同州に建設中のMOX燃料製造施設が当初10億ドルの計画が78億ドルに膨らみ2014年に建設が中止されたことにより、最終処分場になるのではな いかという懸念が出てきたようだ。ネバダ州も2009年に最終処分場計画に反対、オバマは撤回した。日本が資産にしている48トンのプルトニウムは、 米国に返還すれば良いと単純に考えていたが、あの広大なアメリカ大陸でも「地方の時代」、主権在民だから 現地がNOと言ったら連邦政府も無理強いは出来ない。

●集中システムから再生可能エネルギーの自律分散システムへの転換の前に、集中システムの尻ぬぐいをど うするのかという問題が日本だけでなく米国でも起きている。


2015年版総合知学会誌

私は共著者の了解を得て、原発事故はべき分布になるという「Probability of Nuclear Power Plant Accidents with respect to Radioactive Fallout」を提出した。神出瑞穂氏は全員を代表して「わが国の原子力発電のあり方について:10の提言」をドラフトし、会員の意見をもとめてきた。 以下は私のコメント。

どの論点も異論はないし、論理も一貫して構成されていますし、美しさもある。それでもあえて追加すると

巻頭の「原発推進派と脱原発派で国論は二分され、マスコミの論調をみても詰め切れていない。このことは国民全体にとって不幸な事である。」から発展した思いです。

この観察結果はなにも日本だけでなく、ドイツやオーストラリアを例外にして世界的にほぼ同じで、まことにその通りなのだが、なぜそうなのかとつらつら考え ると「原発推進派」とはすなわち既成の社会制度において、既得権を得ていた勢力で、その既得権益を守ることに全てをささげて利権をまもろうとする。脱原発 派とは既得権もなにもないルンペン・プロレタリアート層で事故が起これば被害者になるだけ、形式的補償があっても本質的なルーザー、ただ失うだけ。これを指摘した既得権 者を非難している左翼というイメージが「原発推進派」が信じていることだ。なぜそうなのかというと、この哀れな左翼勢力がいざ権力を握っても統治能力が皆無で、行政手腕は役人におんぶにだっこ。戦後なにも変革できなかっ たではないかと考えている。左翼、安倍嫌い、9条支持は戦後の日教組の教育の影響が残る70才以上の人間(含天皇)までと朝日新聞読者だけ。残りは全て右翼だそうです。このように今の政治情勢は確定的で代わり様がないないようだ。民進党にチャンスはない。ようするに民意はいつの間にかナチ的なになっているようだ。

 これは特に日本では左翼勢力が時の権力と形式的な批判をするということしかしてこず、国家統治の代替法を提案できなかったという歴史的事実から来 ているのだろう。既得権益層は左翼なんてなんの能力もなく、ただ権利を要求する不平分子だから蹴散らせばよいと考えている。このように国が二分されてにら み合っているだけというには国民全体にとって不幸な事だ。

マスコミは両者の主張をただ面白くサル蟹合戦よろしく報道するだけで当面メシは食える。

産業界は更に困ったことに同じようなものを横並びで安くつくるというオールドパラダイムしか頭になく、米国の製造業をつぶした成功体験が忘れられず、同じ 戦略で中国が国家資本主義で門戸をちょっとだけ開けると大挙して日本国内の工場を中国に移転して企業としてはなんとか生き残った。こうして中国という国家 は経済力をつけたが、日本という国家は貧乏になった。ハッと気がつけば経済力をつけた中国の政治体制は共産党の独裁体制、経済力がつけば領土的野心がでて くるのは人間性の本質。戦争の発生確率は原発と同じ「べき分布」というわけで、軍事的冒険にでてくる。原発のメルトダウンが先か、尖閣を失う方が先かというこ とになる。選挙民は領土的不安は本能的にわかるので短期的には政治は「原発推進派」に任せるしかないかと考える。原発が戦争で脆弱なことは気も付かない。長期的に中国の力をそぐには日本企業が中国から 調達する製品に関税をかけるしかないが、これはグローバリゼーションの流れに棹さし、そもそも日本の成功そのものの仕組みにツバすることだ。

正しい方策は関税にはなく、中国がまねできない独創的で魅力的な製品やサービスを開発することだが企業の経営者にはその才覚が皆無だ。残念なことに中国企業の 方にその力が垣間見れる。企業がだめなら国民がため込んだ資本を政治が再投資してやろうと政府が不経済な電力食いの超伝送新幹線等に投資して景気浮上させようと しても貴重な資本をドブに捨てるだけでなく、電力不足で化石燃料輸入量が増えることでおわるだろう。二酸化炭素を出さないようにという無意味なお題目を唱える政府としては自己矛盾であることにすら気が付かない。

脱原発するためにはまず、世界に冠たる競争力ある産業を再構築することにあるのだ。政治に期待することはむりだろう、民間企業にも無理。明治期のように若 者がみずから考えて起業するしかない。彼らがしっかりすれば原発などという20世紀の遺物は自然消滅するだろう。だが、政治は制度そのものだ、それを変 えずして若者に期待しても所詮無理。イノベーションの芽は個人の脳に浮かぶイメージから始まるが、現代のテクノロジーは大勢の人の協力がなければ育たな い。結局、好ましい制度は既得権益層を破壊して初めてでてくるものだろう。

米国がソ連と冷戦継続のための資金捻出のために日本にろくでもない原子炉を売り込み、読売新聞が国民に売り込み、洗脳し、中曽根がそのための国の予算をか すめ取った。日本はいったん組織をつくるとその制度が自動的に作動するという役人にハイジャックされた国家だ。太平洋戦争もそうして起こった。国民は反乱 も起こさず従順に死んでゆく。そういう国にするために文部省が国民教育で上からの命令は天皇の命だなんて洗脳する。

農水省の役人が戦後集まって、省益のために補助金と恫喝とブレインウォッシュで賢かった村長をそそのかし、満蒙開拓団を満州もそれも満人の住んでいる地域 にその土 地をメシ上げて送った。結果、男たちは徴兵でいなくなり、残された女子供は土地を追い出された満人に再度追い出され、生きる術を失って全員自決した。村長 は戦後責任を感じて自害。戦後の農水省の総括は怠け者の満人よりまじめな日本農民を送るのは正しかったと自己正当化しただけで反省もしなかった。自分が効 率よく働けるならだれの土地を奪ってもよいということになり、この農水役人の後つけ総括は全く理不尽。被害が国民等し く受け入れるべきというロジックで、役所の判断ミスが免責となっている。役人の無誤謬神話というものだ。

同様に左翼政権が設置した規制委員会も役人が法案をドラフトしたものをそのまま成立させたままなので、無論免責となっている。敗戦でなにも変わらなかった。事故が おこっても住民は等しく受け入れるべきである。なぜなら補助金を喜々としてもらって反対しなかったからではないか」がいいたいわけだ。こうなったのは役所は常に正しいと自 己満足することを許さず国民が過去に役人の責任を問わないからだ。ドイツがナチの残党刈りをしたように責任ある政治家と役人を刑務所に送らなければいつまでたっても彼らに無視されたままだ。こうしてどのような提言をだしても政治家 や役所の傲慢は今後もなくならない。批判すれば体制側は聞こえなかったふりをするか、隠避で執拗な村八分で攻撃してくるだろうが、ここで戦わないと、もと の木阿弥。原発再稼働も同じ。NHKは陛下の宣伝機関だからそこまで扇動はしない。一人いい子になる。阿智村は満蒙開拓平和記念館までつくっているがつま しいものだ。

日本人の半分(右といわれる人々)はいぜんとして太平洋戦争敗戦のトラウマがのこり、好戦的政治家を本能的に投票で選んでいる。これらの人々は無知ゆえに 核兵器にしがみついている。だから脱原発は寒々とした心象風景を脳裏に浮かべるのではないか?月刊WILLの花田編集長と話したときにそ う感じた。彼はそういう不安にのって、軍事や右翼系メディアを作って好戦的考えを売って生きている。というわけで、道徳を説いても、不安は消えない。無知こそが不安の原 因なのだ。だから提言は経済の恐怖、領土の恐怖、戦争の恐怖、原発の恐怖を払拭させる知識を国民の過半数にどうしたら持ってもらえるかではないだろうか?

数日前のTV朝日ではポツダム宣言受諾後、ソ連は千島をとり北海道進駐をねらっているのを気に病んだマッカーサーが早く厚木基地に入って実質進駐をして ソ連の動きを封じるための事前交渉をしたい。ついでは天皇の使者が沖縄まで白地に緑十字のマークをつけて飛べば、あとは米軍がマニラまでのフライトを用意 すると連絡がきた。しかし厚木基地には終戦を受け入れない錯乱した反乱軍が居て・・・という切迫した話であった。木更津から沖縄まではなんとか飛んだが、帰路、ガソリン不足で遠州灘に不時着する。それから地元の人間の協力で何と か次の日には東京に帰ったというお話し。おかげで北海道は分割されずに済んだ。

国民が原子力を捨てる決断ができない理由はお隣の核兵器に対する恐怖だろう。だから使用済み燃料からプルトニュウムを化学的抽出でプルトニウムを分離回収 して核兵器を製造できるではないかと考える。しかし米国との協定で六ケ所村では抽出分離した後すぐ、同量のウランと混合して兵器に出来ないようにしている ことを知らないわけだ。無論、再溶解して再抽出すれば兵器には国際協定違反で世界を敵とするのは必定。バイデン米国副大統領ですらトランプ候補の日本に核武 装させれば米軍の費用は減るとの意見に「日本憲法は私たちが書いた。日本が核保有国にならないために」と言っている。

冷戦時代は、核には核で抑止力をという相互確証破壊理論が中心であったが、最近の迎撃ミサイルの精度向上のため、日本は迎撃ミサイルで核の第一撃を退けれ ば、同盟国、米国の報復核攻撃と連動することにより相互確証破壊理論と同等の抑止力が得られるという戦略が次第に強くなっているようだ。中国は自国の核兵 器が無効となり、下手をすると核報復を喰らうのでしきりに気にしている。脱原発しておいて原発への報復攻撃という私のアイディアは補足的抑止力手段として 使える。いずれにせよ、プルトニウムや原発を持つことは時代錯誤。そもそも原発の対テロ脆弱性は未解決のままだ。

スコットランド王国の紋章は薊(あざみ)で標語はラテン語で「誰も傷つかずには私には触れることはできない」であった。

ドイツではワイツゼッカー大統領が、「過去の過ちを正しく清算してこそ、前進が可能になる」、という有名な演説をしている。 しかし安倍首相とその一党はアメリカは南京虐殺事件をでっち上げて日本を悪者にし、石油禁輸にして太平洋戦争に引きずり出したという日本会議の歴史認識を 共有していて。このアメリカから着せられた濡れ衣を正しく清算したいと思っているようだ。しかしアメリカには直接言えないため、その当時のアメリカの同盟 国の 中国をイライラさせて気をまぎらせている。不思議なことに選挙結果をみれば同じ復讐の情念を持っているようにみえる。この人々は米国が押し売りした原発を 貴重な技術と考える傾向もあり、愛憎矛盾している。その原因は歴史と科学にかんする無知蒙昧。日本人の右半分はこれを支持している。アメリカ側は大人のた め、安倍晋三がいくら 米国に尻尾を振って見せても、腹の中ではまったく別のことを考えていることは見透かされている。

フランスのことわざに 「復讐は冷まして食べるとよい料理」とどこかのTVがいっているのが妙に耳にのこった。

La vengeance est un plat qui se mange froid.

Revenge is a dish that can be eaten cold. または

Revenge is a dish best served cold.

8月15日のNHKスペシャルは真珠湾攻撃した真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄と真珠湾への復讐心に燃え、日本本土への初空襲を志願、名古屋に4発の爆弾 を投下し、中国の日本軍占領地に不時着して捕虜になったアメリカ陸軍のジェイコブ・ディシェイザーが戦後牧師となって淵田美津雄は米国に、ジェイコブ・ ディシェイザーは日本で贖罪の講演をして回った逸話であった。二人がそれぞれ独自に聖書で見つけ、癒された言葉はルカの福音書二十三章三十四節、「父よ、彼らを赦(ゆる)したまえ、その為(な)す所を知らざればなり」

戦争に関してはあまりに大きく「復讐は冷まして食べるとよい料理」とはならず、結局宗教に救いを求めるしかないということのようだ?日本会議はこのような 悩みを抱えた人々の一種の宗教団体だ。無知による心の病は信者同志で傷をなめ合って、慰め合ってほしい。他人に迷惑をかけないように行動するのがエチケッ トだろう。

March 14, 2016

Rev. August 18, 2016


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