EPC契約関係

EPCとはEngineering, Procurement, Constructionの略だ。

「原発」という製品をEPCコントラクターとして東電に売ったのは「日立」や「東芝」である。この売買契約で電力会社は金を支払ってEPCサービスを購入したのだから債権者でEPCサービスを売った「日立」や「東芝」は債務者ということになる。

繊維会社に就職した機械屋の矢花氏は中電に就職した機械学科の同期生から聞いた話とし、「電力会社退職後の2011年5月当時でも原子力や原子核の知識は ゼ ロだったという。電力の技術者は自分で苦労して開発したものではないから、原発が何物であるのかという知識はないという。しかしこの言いぐさは債権者に有 利なように民法を書いた明治政府の陰謀に甘えているということができそうだ。自分は何も知らないのだから事故責任は債権者にはなく、すべて債務者にあると いいたいのだろう。いわゆる想定外の事というわけだ。

原発のEPCコントラクターはGEとウェスチングハウス。しかし歴史を紐解くと「原発」を電力に売り込んだセールスマンはAtom for Peaceのキャッチフレーズを作ったアイゼンハワー大統領だ。涙を流して飛びついたの中曽根代議士と読売新聞の正力松太郎だでこれを国家目標として政治的環境を整えた。東電の原子力事業部 のトップ近くにいたOBから直接聞いた話だが、東電社長だった木川田氏が技術者たちににGEのデザインは何一つ変えてはならぬといったそうだ。理由は不明。だから技 術陣は思考を停止したという。設計は実際にはEBASCO,The Electric Bond and Share Company)という1905年にゼネラル・エレクトリックの電気事業の証券を売却した持株会社を起源とした企業である。GEはこの持株会社を通じて電 力会社を系列化し、自社の重電設備を販売することによって高いシェアを獲得した。EBASCOはしかし、その後GEにとって金の卵の価値を失い、レイセオンに売却され、レイセオンの子会社であるUnited Engineers and Constructorsの一部となっている。このエバスコの設計に基づき、東芝や日立がたたき大工をしたというわけ。だから東芝や日立は設計思想なるもの を生み出せないでいる。

そして売買契約書には世界標準に従い事故補償は運転者の責任と明記してあるはず。無論GEの下請けの日立にしても東芝にしても同じ立場。むろん機械保証は してるから壊れれば直すが。この契約方式は欧米流にビジネスをする日本のEPCコントラクターも同じ。機械保証と、性能が出なければ無償で直すというも の。しかし爆発させて人を殺したり、公害を出した責任は運転会社の責任ということとで世界は動いている。原発が止まって、電力が売れなくなって生じた営業 損失あるいは得べかりし利益の補償はEPCコントラクターの責任ではないことになっている。自家用車をトヨタから買って交通事故を起してもその補償はトヨ タはしないし、タクシー代金を支払ってはくれないのと同じである。という ことで原発EPCコントラクタの受け取る代金には電力が福島市民に支払う10兆円に達する事故補償の保険金の保険料までは含まれていない。そもそも日本に ある50基の原発の建設費が約10兆円なのだから、そのような補償を前提にすれば、EPCコントラクター・ビジネスは成立しないのだ。

ところが日本の民法第640条に「請負人は、第634条又は第635条の規定による担保の責任を負わない旨の特約をしたときであっても、知りながら告げなかった事実に ついては、その責任を免れることができない。(注文者による契約の解除)とある。民法第416条関係にも (1) 債務の不履行に対する損害賠償の請求 は、これによって通常生ずべき損害の賠償をさせることをその目的とする。(民法第416条第1項と同文)(2) 特別の事情によって生じた損害であって も、当事者がその事情を予見すべきであったときは、債権者は、その賠償を請求することができる。民法第709条には故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」とある。

にも関わらず、「津浪という特別の事情によって生じた損害であっても、当事者がその事情を予見すべきであったときは、債権者は、その賠償を請求することが できる」という民法を盾に東電は東芝と日立を訴えていない。これはなぜか?理由は簡単で、米国のGEを訴えても米国法に準拠して契約したから負けるので意 味はないのだ。それにすでに時効だろう。

私が2000年にまとめた日本プロジェクトマネジメント・フォーラム(JPMF)の会員募集のために作成したビューグラフ、「今なぜプロジェクトマネジメントか?アメリカ再生のマネジメント手法」 プロジェクトマネジメントのスライドのP48-49pに「発注者側のリスク回避条項として悪名高いexculpatory clausesというものがしばしば、建設契約に入ることになるので契約時にはそれに同意しないようにするというのが世界の常識となっている。しかし日本 のEPCコント ラクターは民法640条や416条に慣らされているため鈍感で、国際契約ではいつも不利な契約を締結して大損害を出し続けているのだ。そもそも日本の民法 はローマ法やナポレオン法典のい系列に属するドイツやフランスの大陸法をたたき台にして作られている。しかしビジネスの契約のほとんどは英国のコモンロー の系列であるから、ややこしい。

さて原発の再稼働に向けて規制官庁の要求に合致させるべく、日本のEPCコントラクターは日本の民法にしたがった改造契約をしているはずである。ということはもう米国のEPC契約の傘に は守られていないわけで民法640条や民法第416条に従うことになる。原発の再稼働後、事故が生じたとき、電力会社はこの条項をたてに東芝や日立は問題を知りながら告げなかったので 10兆円の補償費はEPCコントラクターの責任だと迫ることは理論的には可能だ。ただ東芝や日立は民法640条や416条は適用外という一条を契約書に加えることは可能だ。

米国で初めて原子炉を潜水艦の動力に使おうと考えたリコーバー提督は細かいところまで介入して安全を確保したという。日本の電力会社はそんな努力はしてお らず、テレビを買うノリで原発を購入したのだ。かといって自分は素人だからプロダクトライアビリティー法(製造物責任法)を適用してほしいというのは厚顔 無恥といえよう。プロダクトライアビリティー法の精神はあくまで一般人のような素人の債権者をメーカーなどのプロの債務者から守るのが目的で原発には適用 できないだろう。わが国において、1995年7月に製造物責任法(PL法)が施行されるまで、製造物責任の法的根拠は、不法行為責任(民法709条)と債 務不履行責任(民法415条)に求めるのが一般的であった。ところが、不法行為責任については、被害者である消費者が製造業者や販売業者の「過失」を立証 しなければならないことから、高度な科学技術を応用した製品が製造されるようになると、専門知識を持たない消費者にとって困難を強いることになった。ま た、債務不履行をはじめ契約責任についても、契約関係の存在を前提とするものであり、流通過程の複雑化によって製造業者との間に多くの流通販売業者が介在 するようになったため、消費者にとって必ずしも有効な責任根拠とはならなくなったのである。

PTTの交渉でも今後公共事業も相互乗り入れになるかもしれない。そのときこの民法は削除されることが条件になるのではないか。米国の目的はすでに製造業 の再興にはなく、医療や金融サービス業での制覇である。いずれ閉鎖的な日本の病院のドアもこじ開けられ、フィリピン人の看護婦とインド人の医師の世話にな る時代がくるのだろう。

民法にしても商取引にしても交換を機能させるための仕掛けにすぎない。大切なのは交換に値する価値を創造することでそれがエンジニアリングの役目であるのは当然である。

私が理解できないのは日立がなぜEPCを捨てて英国で原発運転者の立場になりたいかだ。無論、電力事業のもうけは上手くいっている時の儲けは膨大だ が、リスクも大きい。住民に損害をあたえたならば発電会社は英国法にしたがって住民補償はしなければならないのだ。英国が保証する電力買い取り金額にそのような補償費を含めるのは 困難ではないか?

Novemeber 22, 2015

Rev. November 25, 2015


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