民族学者宮本常一氏の「塩の道」という講談社学術文庫が目に入ったので読んでみた。フィールドワークをベースとした氏の考察は目からウロコという感じがある。
なかでも中世に三河と信州を結んだ物流ルート、俗に塩の道に中馬というシステムがあったことを初めて知った。
中馬街道は3通りあり、一番北が名古屋を発する官道である中山道である。
これに平行して中山道の南東側を通過する脇往還が3本ある。
@岡崎を発し、矢作川経由川船で足助(あすけ)まで運ぶか陸路→追分→(足助街道)→足助→(飯田街道)→明川→伊勢神峠→武節→根羽→赤坂峠→平谷→冶部坂(じぶざか)峠→浪合→(三州街道)→寒原峠→大野→小野川→駒場→前原→山本→飯田→伊那→塩尻→松本のライン。
1970年の三船の映画「待ち伏せ」は三州峠が舞台だ。水野越前守の命で、三州峠を通る御用金を掠奪し、松本藩をつぶすためだというのだが、三州街道にはそのような峠はない。撮影は甲州と信州の川上村の間にある信州峠のようだ。
A更に南東の豊橋の吉田を発し、中央構造線にそって→新城(しんしろ)→古戦場の長篠と別所街道をすすみ、長篠から分岐して伊那街道を北上し、遠州街道にはいって飯田に向かうルート。このルートは信州街道が通じている中央構造線の一つ北西側の谷筋を通っている。
B江戸時代製塩が行われていた相良町(さがらちょう)→掛川→秋葉街道→遠州森町→三倉町→山岳宗教のメッカだった秋葉寺(しゅうようじ)三尺坊(宿坊)→竜頭山→以降中央構造線に沿って水窪(みさくぼ)→信州街道(秋葉街道)→青崩峠→遠山郷→上村→秋葉街道→分杭峠→高遠→杖突街道→杖突峠→塩尻というルートがある。S.K.がここを歩いている。
いずれも地形の制約にしたがい中央構造線上またはこれに平行に走っている。中央構造線上にはなぜか鹿島神宮、香取神宮、諏訪大社、杖突峠、杖突街道、高遠、分杭峠、地蔵峠、秋葉街道、青崩峠、信州街道、別所街道、鳳来峡、鳳来寺山、長篠の古戦場、砥鹿神社(とがじんじゃ)、豊川稲荷、豊川、豊橋、渥美半島、伊勢神宮、吉野山、高野山、四国霊場、阿蘇・高千穂など歴史の古い神社や霊場が並んでいる。
近世の伊勢参りの道中記を見ると、東海道から秋葉山、鳳来山を経て豊川稲荷を参拝する事例が多く見られるという。
グリーンウッド氏はすでに上のリンクのようにかなり訪問している。
wakwak山歩会の登山計画に阿蘇山がリストアップされている。地蔵峠、秋葉街道、青崩峠、信州街道、別所街道、鳳来峡、鳳来寺山、長篠の古戦場、砥鹿 神社、豊川稲荷、豊川、豊橋を廻れば、あとは香取神社を別途訪問するだけで中央構造線上の由緒ある神社・仏閣・自然はすべて廻ることになる。
バイクで足助発の中馬街道を巡ることも考えられる。
June 12, 2009
Rev. September 15, 2016