アルクマール市、大堤防、レールワールデン市、ヒートホールン村、アペルドールン市周遊

6日間滞在したアムステルダムのホテルを引き払い、スーツケースはホテルに保管してもらい、巨大なアイセル湖の周りを大きく時計回りに一周する2泊3日の旅に出発した。バックパッカースタイルである。アイセル湖は大堤防で人工的に作られた淡水湖である。

初日の目的地はフリースランドのレールワールデン市である。アムステルダムから北オランダ州のアルクマール市まではザーンセス・スカンス経由の鉄路である。アルクマール駅で最新式の自動トイレをつぶさに経験することができた。 北オランダ州の再北端にはデン・ヘルダーという町がある。ここの海事博物館には馬関戦争の時、負けた長州から接収したクルップ社製の青銅砲が保管されているそうだが、当時は知らず立ち寄らなかった。

アルクマール駅でバスに乗り換え、Wieringer海干拓地の真ん中を突っ切って大堤防に向かう。Wieringer海干拓地はチューリップの産地とのことだが、この季節にはなにもなく、近代的な大型風力発電機が数え切れないほど林立し、盛んに廻っているだけである。

総延長30kmの大堤防の途中、工事完成を記念するモニュメントで定期バスを降りた。大堤防をつぶさに見学し、説明板を読む。海水と淡水は海の色と海鳥の有無でわかる。といって淡水湖に魚がいないわけではなく、淡水湖にも漁船が漁をしているのが見える。海といっても非常な遠浅で、その向こうにある天然の島の列で守られた内海のため、波もなく湖水のようだ。レストランで昼食をとり、次ぎの定期バスでレールワールデン市に向かった。対岸のフリースランドの海岸線も冬の荒海からの浸水を防ぐためか大堤防と同じ高さの堤防がそのまま延々と続いている。

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大堤防

フリースランドはスペインと独立戦争をしたアムステルダムなどと違い、ながくハプスブルグ家系統のナッソー家の領地だったため、独特の文化をもっている。農家は集落を作らず広大な耕地の中に点在し、巨大な屋根を持つ母屋を持っている。この農家の屋敷内に大型の近代的風力発電機が設置されているのに驚かされる。運河はあるが、排水溝などは少ない。レールワールデン市はその州都である。第一次大戦中暗躍したマタハリの生家がある。グリーンウッド夫妻は市庁舎前のスタッドハウデルリック・ホフというホテルに宿をとった。一時期貴族の館だったという品のあるホテルだ。にもかかわらず、地方のホテルは安い。チェックイン後、オーデルホーフェ斜塔、プリンセスホフ美術館、フリース博物館などを歴訪。フリース地方のレース編みつくりを見学するが、途方もない根気のいる仕事だ。

レールワールデン市の東方にはフローニンゲン市がある。北海ガス田開発の拠点となった町だ。オランダは資源国なのである。干拓によって造成した広大な農地をもってしてもGNPに占める農業の産出高はたったの4%である。干拓を中断したのは合理的判断なのだろう。

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レールワールデン市庁舎前のスタッドハウデルリック・ホフ

周遊第二日目は淡水湖に突き出る漁村ヒンデローペン村の訪問は断念し、水郷の村、ヒートホールン村に向かう。スティーンヴィック駅で下車し、バスに乗り換えてヒートホールンバス停まで20分である。ここではかねてより視察したいとおもっていたヒートホールン干拓地の排水ポンプ場を見に干拓地に徒歩で向かった。ことの詳細はオランダの水利に報告したとおりである。

ヒートホールン干拓地の排水ポンプが揚水した水はカナルブー・スティンワイク運河にはいる。この運河は地元の人が人生をエンジョイするボートライフを提供している。ヒートホールン村を縦横に走る水路もその東側の自然の沼もみなコルネリス運河経由でこの主要幹線水路に連結している。

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カナルブー・スティンワイクに停泊する船

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カナルブー・スティンワイクを航行するオランダ特有の個人用サルーンボート

排水ポンプ場視察後、コルネリス運河に面したレストラン de Rietstulp(Restaurant Serial No.218)で昼食をとり、このカフェの電動ボートをレンタルしてヒートホールン村に向かった。ヒートホールン村は干拓地の東側にある集落で、近くにある自然の沼の岸辺に茅ぶきの家屋が並び、集落のなかを水路が通じ、ちょうど潮来の加藤洲十二橋にあるような家々をむすぶ木橋がかかっている。水路の波打ち際は木製で柔らかさを与えてくれる。

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コルネリス運河でボートのヘルムを取るグリーンウッド氏

集落から沼への出口の水路でカヌーが転覆して水に落ちた若い女の子たちがキャーキャー言いながら水船になったカヌーを押しているではないか、水深は胸までで歩けるようだ、ボートの牽引を申し出るが必要ないという。まあ問題ないだろうと判断して集落の東側にある沼の湖面に出る。沼の周辺は一面に水草に覆われ、手を加えた跡のない自然が残っている。干拓せず保存された沼もあるのだ。これを表現するに静謐の一語だけが適切だろう。沼の南岸まで南下し、そこから再び水路に入り、集落にもどるルートで約1時間かかった。満ち足りた一日であった。

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ヒートホールン村

バスで再度スティーンヴィック駅にもどり、一路、今夜の宿があるアペルドールン市に向かう。途中ズオレ駅とデベンタ駅で乗り換えが必要だ。オランダの鉄道はIT化が進んでおり、都度、ホームにあるCRT表示のスクリーンで当該ホームを見つけて移動することになる。ズオレ駅とデベンタ駅の間はライン川の支流アイセル川が作った渓谷を走る。

アペルドールン市を訪れたのは市の北部にある1692年に総督ウィレム三世が狩猟用に使用する館として建てたヘット・ロー宮殿を訪れるのが目的であた。しかし予約した宿は当初レンタカーで来るつもりだったのでアペルドールン市の南西の郊外のフーンデルローにあるモーテルである。面倒なのでタクシーを拾ったが、20分も広大な森の中を走るのでビックリした。

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フーンデルローのホテル

現地に着いて判ったのだが、フーンデルローはホーヘ・フェルウェル国立公園の入り口にあるのだ。この国立公園はライン河が残した砂丘、ヒースの茂る荒野、樫の木の広大な森などオランダでも水に縁のない標高の高い土地だ。乾燥した貴重な生態を守るために自然保護区になっている。国立公園に入るにも入場料をとる。そのかわり自転車を無料で貸してくれる。

周遊第三日目はヘット・ロー宮殿を訪れるか、ホーヘ・フェルウェル国立公園を自転車でまわるか迷ったが、雨のため、ヘット・ロー宮殿に決まった。フーンデルローからはバスでアペルドールン駅にもどった。ここからバスを乗換え、ヘット・ロー宮殿に向かう。巨木の森の中にそれは存在した。馬小屋ですら宮殿と間違う豪華な館であった。総督ウィレム三世は スペインからの独立をめざした反乱軍を指揮したナッソウ家出身のオラニエ公ウィレム 1世の子孫である。英国のメアリーと結婚して、名義上英国王を兼ねたと説明がある。后でもあるメアリーと宮殿を半当分して使用したようだ。

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ヘットロー宮殿

裏庭はベルサイユ宮殿と同じシンメトリカルな大庭園であった。よく手入れさてている。

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ヘットロー宮殿の裏庭

アペルドールンからアムステルダムへの帰路、途中下車して北海道の五稜郭のモデルとなったナールデンを訪問する計画は中止してアムステルダムに帰着。ホテルに預けておいた荷物を回収してスキポール空港内のホテルに移動する。これで9日間のオランダ漫遊は終了した。すこし長すぎた感がある。

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2003/10/10

Rev. July 11, 2007


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