ウィルミントン

1986年突然ニューヨークのウォールドーフ・アストリアホテルのスイートルームにとある製薬会社の社長に呼び出された。ウォールドーフ・アストリアホテルといえばあのキザなマッカーサー元帥が解任されてからの晩年を過ごしたところだ。そのオーナー社長から いろいろと議論を吹きかけられて思うところを述べた記憶がある。あとで聞くところによるとヘッドハンティングの首実検だったそうで、めでたく合格し、移籍 を要請されたそうであるが、会社として断ってくれたそうである。

いずれにせよその場でノースカロライナ州のウィルミントンのとある土地に工場を建てたいので調べてこいという。さっそく 切符を買ってウィルミントンに飛んだ。この着陸寸前に映画撮影をしているような屋外セットが見えた。土地の人に聞くと第二のハリウッドを目指し映画産業の誘致 をしているのだという。

当時日本は米国を抜いたといわれ、米国の田舎のノースカロライナ州も日本企業の誘致に熱心だった。ウィルミントンはデラ ウエア州にもあり、こちらのほうはデュポン社の本社がある。本社ビルの半分はHotel du Pontになっていて1988/3/30のデュポン社訪問のとき、ここに宿泊したが此処の避難マニュアルは最高のものだった。(Int. Hotel Serial No.530

市役所に飛びこみ、候補に上がった土地の地図、許認可条件などの資料収集を開始した。担 当官はそこが低湿地帯であるか調べる必要があるという。低湿地帯であれば渡り鳥の保護のため、そこには工場は建設できないという。米陸軍の工兵隊のエンジ ニアがその調査担当だそうである。日本企業の誘致に熱心であったためと思うが、役所の紹介で工兵隊のエンジニアたちまち現れ、彼の車で現地にむかう。くだ んのエンジニア氏は雑木林のなかにあった空き地を歩き回り問題ないと太鼓判をおしてくれた。丘のようなところで素人目にも明らかである。役所に取って返し 大気、水質汚染規制の担当者から必要なデータをもらい1日が過ぎた。

ホテルに帰って休んでいると電話が鳴り商工会議所の事務局長から夕食の招待を受けた。日本企業の誘致の意思を伝えられた。土地斡旋業者らしい人物もそのほかの土地を見てくれと言ってきた。 是非見てくれと言われたのでついて行くとリン鉱石が枯渇したため、閉鎖された鉱石出荷拠点の廃墟であった。跡地を整地する資金も途絶えたためか施設が立ち枯れていた。小さい町は企業誘致フィーバーであった。

フロリダからロードアイランドにかけての米東海岸は海岸に沿って堆積島が連なっているため、内海は安全な水路となっている。海岸に沿って連なる堆積島には橋が架けられ、絶好のリゾート地となっている。ボート遊びには絶好のロケーションである。

残念ながら日本の繁栄も長くは続かずこの進出企画は反故となった。

ここでアメリカのメイン州において漁船に使われていた有名なフレンドシップ・スループの画を買い求めた。

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2001/1/13

Rev. April 8, 2014


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