2011-12年の英国滞在
2011年9月、頼まれてコンサルタント業の
ため、ロンドン郊外のブレントフォード(テームズ河の支流ブレント河の渡渉
地
点の意味)のホテルに5週間滞在した。(Hotel Serial No.503)ここから近くのエンジニアリング会社に折り畳み自転車ブロンプトン
で通勤したのである。
オフィスの机の下に収納したブロンプトン
ブレントフォードはちょうどヒースロー空港とロンドン中心
部との中間にあり、外国の企業が多い。通勤したビルも家主はセガで借り手はオーストラリアのエンジニアリング企業である。ブレントフォードはテームズ河の
北岸にあり、対岸はキュー王立植物園がある。ブレントフォード郡裁判所のまえに石碑があって、この渡渉地は紀元前54年にかのユリウス・
カエサルに無謀にも戦いを挑んだケルトの王Cassivellaunusの要塞があったところであるとの記念碑が建っている。チャールズI世のころ、クロ
ムウェルが活躍した議会派と王党派の内戦
の戦場でもあったらしい。産業革命期にはバーミンガムから英国を縦断するグランド・ユニオン運河がここブレントフォードでテームズ河に合流していたそう
で、い
までも1790年建造のロッ
クが大切に保存さ
れている。ホテルと一体で開発された新しい集合住宅にとりかこまれながら、権利を持つナローボートが停泊している。ここは干満の激しいところで引き潮の時
はロックで水位を確保している。
フェリー・
ウォーフのボート
1710年に建設されたシャープレス・ポンプ社のレンガ建ての歴史的建造物が大切に保管されている。周辺より基盤が低い
ので、周辺は土盛りしたと見える。最寄の
駅はブレントフォードとキューブリッジだ。ファリングドンにある本社に説明に上がるため、キューブリッジで電車をまっていると下りホームの上をよたよた歩
いている北キツネを見つけた。人はいなかったので、ゆっくりとホームを縦断し、線路際の藪のなかに消えた。ここは住宅の密集したところ
だが、土地の半分は広大な緑地だ。だから彼らはまだ生息できている。というかキツネ狩りする貴族が広大な緑地を残して絶滅したためかもしれない。
キュー
ブリッジ近くにスチームミュージアムというのがある。やけに細長いレンガの塔が建っている。立ち寄ってこの塔は誰がどういう目的で建てられたのかと問う
と、産
業革命当時、ここからテームズの水をくみ上げてロンドンに送っていたが、動力はジェームズワット蒸気エンジンを改良したコー
ニッシュ・エンジンであった。往復動をテコで往復動ポンプに伝えていたのだが、エンジンの力が強すぎてポンプが壊れてしまった。そこで送出圧力を
にがすためにこの塔を追加したという。
コー
ニッシュエンジン駆動ポンプ・スナッバー
セント・パンクラス駅からテンプル駅まで
週末に到着し、契約したノルウェーの会社の事務所のあるロンドン中心街を視察。Kew
BridgeからBRでWaterlooに移動。ここから観光客の間を歩いてウェストミンスター橋を渡り、ウェストミンスター駅からサークルラインで
Farringdon駅にむかった。しかし駅は日曜日の工事で閉鎖。次のセント・パンクラス駅で降りたらどえらい大きな駅で迷子になる。ユーロスターがこ
こに乗り入れている。2006
年にはウォータールー駅に乗り入れていたものを付け替えたようだ。たぶん来年のロンドン・オリンピック対策として分散させたのだろう。正面の
ファサードは見事だ。ロンドンは昔3年もいたが、ここまでは来たことがなかった。
セント・パンクラス駅
セント・パンクラス駅からようやく脱して、Farringdon駅に向かう。雨がふってきたが傘は持っていない。しかしそのうちにやむ。セントポールを左
にみてフリート街を西に向かって歩きながらダビンチコードの舞台にもなったTemple
Churchを探すがついに入口がみつからない。フリート街には立派なRoyal
Court of Justiceがある。
Royal Court of Justice
Temple駅からDistrict LineでKew
Garden駅にゆき、そこで下車してキューブリッジをわたって帰った。ホテルまで歩くいたが遠すぎる。
キュー・ブ
リッジ
ブレントフォード⇔テディントン・ロック往復
第一週末はブレントフォードとテディントン・ロック往復30kmの両河岸のパブリック・フットパスを娘に借りた折り畳み自転車
Bromptonで走破した。Bromptonは例外的に電車もバスも時間制限なく、いつでも普通に荷物
として無料で載せてかまわないことになっている。好き
なだけ走って行って電車で帰ってくることもできる。このサイクリングで英国が500年かけて磨き上げた風景を堪能した。
38年前のクルーズ時に購入した Maude Parkerが描いたThe Royal River, Illustrated Map of The
Thames 1938 John Bartholomew & Son
Ltd.という航路図をいまだ保管している。これはいまだ同社にて版権を所有しているので公開できない。したがってGoogle Mapsで示そう。
ブレントフォードど出発してハイストリートを南西に向かうとやがてサイオン・パークが右手に見えてくる。入口を探して中にはいると今はホテルになっている
サイオン・ハウ
ス前でインド人の集団が大勢着飾ってあつまっている。だれかの結婚式らしい。サイオン・ハウ
スはヘンリーVIIIの妻になったキャサリン・ハワードが不義密通の嫌疑で死刑執行されたとき、一時、幽閉されたところだ。キャサリンが夫ヘンリー8世に
直訴しようとしたハンプトン・コート宮殿の廊下は、今もキャサリンの幽霊が無実を訴えようと出没する怪奇スポット「ホーンテッド・ギャラリー」(幽霊の廊
下)として、世界的に知られている。
サイオン・ハウス
サイオンパークを出てテームズ河岸にでるとOld Isleworthという島が見える。この島を見る格好でThe
London Apprenticeという気持ちのよいジョージアン風パブがある。ここはヘンリーVIIIと後に妻になったキャサリン・ハワー
ド、またのちにはチャールズII世とその愛人Nell Gwynneの
逢引きの場所だったという。
The London Apprentice
住宅地沿いの河岸にアイルワース・プロムナードがある。ところどころベンチなどおいてあって散策やサイクリングに配慮してある。
アイルワース・プロムナードとブロンプトン
アイルワース・プロムナードを行くとやがてリッチモンド・ロックがある。橋を渡るといま来たアイルワース・プロムナードを振り返ることができる。リッチモ
ンド・ロックの落差は大きくない。
Richmond Lock
リッチモンドの橋をくぐってウォレン・フットパスをゆく、ここではガイドにつれられ
たシルバー族が大勢歩いていた。ここでも女性が多い。まー!日本の巡礼とおなじようなもの。広い芝生の広場の真ん中に真っ白なマーブル・ヒル・ハウスの前
を通る。ここでは各種イベントが行われるそうで当日も屋外映画の準備中であった。
マーブル・ヒル・ハウス
ようやくテディントン・ロックにつく。ここまでが海水が逆流する上限だそうだ。なるほど落差も大きい。テディントン在住の頃は1度テディントン
駅からロックに至
るハイストリートを散策した記録があるがこのような繁華街であるとは記憶していない。ブレントフォードではインド人が多いが、ここでは白人しかみかけな
い。界隈は40
年前よりにぎやかになり、ロンドン中心
部をイ
ンド人など新興種族に譲り渡したリッチな白人のテリトリーになったのだと娘はいう。38年前の1973年に住んだシダーハウスもしっかりメンテナンスされ
てそのままの姿でそこにあっ
た。テディントン駅のすぐそばで庭
に
巨大なヒマラヤ杉(レバノン杉かもしれない)のある快適な環境であったことを再確認。ディントン駅も昔のままの姿でそこにあり、横のThe
Bloated
Mallard (太っちょのマガモ)というパブも健在であった。このパブで休む。このパブは鉄道駅に付帯するホテルとして建設されたものだそうだ。下に
テディントン・ロックからハンプトンコートに至る航空写真を示す。
1973年当時のテディントン駅
テディントン駅と”太っちょのマガモ”パブ
そのまま南にゆき
ブッシ―・パークを横断すればヘンリーVIII世のハンプトン・コートだ。
ブッシ―・パーク中ごろまで南下してUターン。テディントン・ロックで娘夫婦と落ち合い、ロックが見えるレストランで昼食をとる。娘にかって住んだシダ
―・ハウスを教え、キューガーデン側のフットパス経由で帰路につく。
シダー・ハウスにて
途中、テームズ河を見下ろすリッチモンドの丘の上に建つ宮殿かと見まがう建築物をみつけた。これはRoyal Star & Gareter
Homeといい、退役軍人の養老施設のようだ。
Royal Star & Gareter Home
キューガーデン沿いにキューブリッジに向かう。リッチモンド橋の袂は大勢の家族連れの人出であった。大潮の日は河の水位があがり、遊歩道は水浸しになる。
リッチモンドのリバーサイド
キューガーデン沿いのパスはブレントフォードのホテルの対岸でホテルとその前のフェリー・ウォーフもよく見えた。左端に見えるのが18世紀
建造のシャープレス・ポンプの社屋。ホテルの右手はGoat Warf(山羊岸壁)でパブリック・フットパスになっている。
18世紀建造のシャープレス・ポンプの社屋、フェリー・ウォー
フ、滞在ホテル
テディントン⇒チャーツィー
第二週末はディントン駅までブロンプトンを運び、そこからブッシーパークを横断し、ハンプトン・コート外周のパブリック・フットパスをさらに上流にさかの
ぼった。
それにはまず、先
週のテディントンに列車でゆかねばならない。最寄のKew
BridgeからTeddingtonへゆくにはBarns乗り替えなのだが、無人駅でBarnsのどのプラットフォームに移動したらよいかわから
ない。同じホームのShepperton行でよいということがなかなか理解できなかった。Kingstonでスイッチバックするということが判明するまで
10分を要した。
Teddington下車、Bussy
Parkを横断する。途中Leg of Mutton
Pondで数人の太公望がテント持参で釣りを愉しんでいる。数日来の雨で池の水位が上昇し、周辺の草地が冠水している様がいい。
Bussy
Park
Kingstonへの橋のたもとにつく。ここは40年前に仲間と毎週末3ポンドでゴルフしたところだ。入口は記憶通り。ここから
Barge
Walkに入る。夏休みにオックスフォードまでテームズ河を遡上したボートを借りた貸しボート屋がどれだろうと見ながら走った。ハンプトンコートは外から
1702年当時の造園法を再現したPrivy
Gardenを見る。宮殿の正面ファサードは工事中だった。ビーフイーターが迎えてくれる。
ハンプトンコートのPrivy
Garden
Molesey橋を渡ってここのカフェでジュースを買い、トイレを借りる。Molesey橋からThames
Path(バージ・ウォーク)に降りる。すると目前にMolesey
ロックがある。これがかって
オックスフォードへ遡上したときの第一のロックとなったところだ。
Molesey
ロック
さらにゆくとMosely Boat
Clubがある。ちょうどスカルが到着し、中から若くすらりと伸びた金髪の女性が降り立つと思えばサッと細身ではあるが長大スカルを軽々と水面から持ち上
げ、頭の上に掲げて台まで持ち運ぶ。スカルが軽いのか彼女が強力なのか?
さらに西にすすむと両岸が貯水池だらけのところにくる。といっても地図でわかることで、走っている当人にとっては土手した見えない。ここは自然しか見え
ず、無意識で通りすぎたがあとで帰って、当HPを漁ると娘がここをサイクリングしたときの記録がでてきた
ので2枚収録する。
ハンプトン・コート駅からテームズ南岸を3km程西に行くと対岸のサニーサイド・リザボアの土手に小屋が見るところがある。そこから西に向かって撮影した
のが下の写真だ。
テームズ河畔 サニーサイド・リザボア
更に2kmゆくとサンバリー・オン・テームズ近くのロックがある。下の写真は東北に向かって撮影したものだ。
ロック
このSunbury
Lockで豪雨に会ったが、下の航空写真の左下隅の大きな柳の木の下でやり過ごす。
雨上がりに少し走ってThe
Weirというパブでビターを飲みながらピーマンの詰め物料理を食べたがうまかった。
The Weir
Anglersという店を過ぎるとWaltonの川岸に大勢の家族連れが何かのパレードを待つ気配でまっている。なにかパレードでもあるのかともいな
がら川上に向かて走っていると水上警察がフラッシュ・ライトを点滅しながやゆっくり河を下ってくる。何事かと目を凝らすと二隻のカヌーが並んでいる。まだ
わからないでいるとカヌーの間に河童が2匹クロールで泳いでいる。物好きなと思ったのだが次の日のBBCで、この人はコメディアンのDavid
Williamで8日かけてコッツウォルズの丘の上のローマ人が建設したサイレンセスター市(Corinivm)の少し南のケンブル村のテームズヘッドという源泉から140マイル
(346km)泳ぎ下ったのだという。以前にも英仏海峡を横断したそうだ。これで100万ポンド稼いでスポー
ツ慈善団体に寄付するのだと紹介されていた。この日はテディントン止まりだったようだが、汚染した川水のため抗生物質を服用していても下痢などしたそう
だ。日曜日にビッグベン対岸のロ
ンドン水族館
についたようだ。背骨を傷つけたと聞いた。かってサイレンセスター市からカースルクームへドライブしたとき、水源近くを通過している。
David
William
テームズ河をショートカットしたDesborough運河沿いにゆくとShepperton
Lock手前で運河沿いのフットパスは消えてしまう。Jessamy
Road突き当りを勘でフットパスをさがして進むと手持ちの地図の隅にあるRiver Wey & Godalming
Navigationsというところまでたどり着いた。このロックはナショナルトラストになっている。
River Wey & Godaming
Navigations
水路が迷路のようになり、島だらけで行きたい方向には行けない。普通の人はさすがここまでは入り込
めない。このロックを渡るとそこはDoyley Cort's
Islandという島だ。そこからWey川の西岸を走ったときは、手持ち地図の外なので心細くなった。両側が水路の狭い
土手の上を延々と走った。
Wey川はロンドンの南サレー州に横たわるサウスダウンンズという丘陵地帯の水を集めてテームズにそそぐ支流だ。
水源となる地帯はギルフォードの南にあるGodalmingと呼ばれる地帯でかっては繊維産業が盛んであったという。Wey川はWeybridge
Lockで西から流れてくるBourne川
と合流したのち、シェ
パートン・フェリー乗り場付近でテームズ
河にそそいでいる。
Bourne川と合流したウエイ川
ようやくWeybridge
Lockにつく。このロックこそCobham村を流れてくるBourne川がWey川に合流する地点だ。
Weybridge
Lock
2006年のクリスマスに訪問した谷
間のShere村は
ギルフォードの東にあるが、この村の水はMole川にながれこんでいる。ちなみにCobhamを流れる川もMole川でWey川に並行して北流し、ハンプ
トンコートでテームズ河に合流している。
実はこのLockについたとき、10mと離れないところに今来たパスと並行に走る自動車道路を戻れば、Cartsey
Meadowを横断できたわけである。そこが地図がない悲しさ、また戻るという心理的抵抗感があり、西に向かえばChartseyだろうとBourne川
にそって走り出したのだ
が、何か日本や韓国の企業があるビジネス団地の中に入ってしまった。東芝とかホンダとかヒュンダイという社名が見える。これは行き止まりではと取って返し
Weybridge
Lockで右折して南下したがいつまで走っても西に向かう道がない。人に聞いてWeybirdge駅に向かって南下中だと気が付いて引き換えし、先の工業
団地の中を突っ切ると広い道路にで、あとは大きなRoundaboutをいくつかバイクのような気分で突っ走ってChartseyについた。結局
Weybirdge駅から乗ればよかったと気が付いたのは電車に乗ってからであった。コバムはWeybirdge駅からすぐ。Kew
Bridgeの一つ前の駅であるBrentford駅で下車しMorrisonで夕食を仕入れるというすごく効率的なルートであった。途中の珍しい駅名は
Eghamはエッガム、Syon
Laneはサイオンレーンと聞こえた。走行距離は残念ながら記録忘れ。地図ではかれば本日だけで50km走った計算になる。
オールド・ディアパーク
第三週末はキューガーデンへとブロン
プトンで出かけたが、鍵を忘れて入れず、キューガーデン駅付属のパブにブロンプトン持ち込みで昼食をとり、いっぱいひ
かっけてキューガーデン沿いに南下、オールド・ディアパークを横断してリッチモンドロックに出る。ここからは前と同じルートでキューブリッジに向かう。途
中ヘンリーVIIIと後に妻になったキャサリン・ハワードの逢引きの場となったThe London Apprenticeというパブの前のOld
Isleworthという島とパブの隣の教会が見えた。
The London Apprentice近くの教会
キューガーデン
第四週末は先週ゆけなかったキューガーデンへ向かった。昔のままの姿があった。ここはロンドン万博のクリスタルパレス再建のパームハウスはいまだ健在だ。
パームハウス裏の池がいかにも英国的な造園だ。
パームハウス裏の池
パームハウスからパゴダに向かって歩き出しテームズ河対岸
のサイオン・
ハウスを結ぶSyon Vista、パームハウスとパゴダを結ぶPagoda Vista、パゴダとサイオン・
ハウスを結ぶCeder
Vistaという3本の見通し回廊が巨大な二等辺三角形を形成していることに気が付いた。ここだけは木が植えられていないので見通せるのだ。
最後はエリ
ザベスI世が寵臣Robert Dudley (初代レスター伯)に与えたというキュー・パレスに立ち寄って帰る。
Kew Palace
9月22日は大英博物館の隣のThe Montague On The
Gardensで社長主催のパーティーが開催された。ブレントフォードのエンジニアレイング・オフィスからタクシー相乗りでロンドンの目ぬき通りを観光し
ながらホテルについた。
ロンドン塔、アルバート・ホール、コベントガーデン
第五週末はブロンプトンを持ってウォータールーに移動。ヴィヴィアン・リーが悲劇のヒロインを演ずるウォータールーブリッジから対岸を望むと右側にドーム屋根をいただく壮麗なサマセッ
ト・ハウスがでんと構えている。大英帝国ここにありという感じである。冬期間はこの中庭にスケートリンクがしつらえられるという。ここには英国政府機関と
ロンドン大学付属のコートルード・ギャラリーがある。事業で成功したサミュエル・コートルードが収集した一級の印象派の絵画類が展示されているという。
さてまずテンプル寺院にむかった。ダビンチコードを読んでから行きたかったところだ。今回は一発で三重に取り囲むビル群をぬって見
つけることがで
きた。午后一般公開であるがこの日はクワイヤーのオーディションのため。非公開であった。この周りのビルにはSir John Roch, Sir
Christopher Pitchford, Judge
Braithwaiteらの名前がある。ここで仕事仲間のノルウェーから来ているフレデリック夫妻に会う。
テンプル寺院
2006年の映画「ダビンチコード」にもでてきた黒い扉をあけてフリートストリートに出た。
ついでセントポール寺院、バンクにすすむ。イングランド銀行前の広場にはウェリントンの騎馬像と地下鉄掘削用のトラベリング・シールドの発明者でロンドン
市のチーフ・エンジニアであるGH.Greatheadの立像がある。
レーベンホール・マーケット、ロンドン塔、タワーブリッジと
すすみ、Uターン。ロンドン塔は観光客でごった返していた。ロンドン塔の裏に来たのは初めてだが、堀で囲まれているのを初めて知る。(2012年8月のロンドン・オリンピックのマラソンコースとなる)
セントポール寺院
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Bank of EnglanとRoyal Exchange
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ロンドン塔
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タワーブリッジ
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コベントガーデン、レスター・スクエア、中華街にすすむ。中華街でスープヌードルを頼むと、昔、ソーホーでたべた細麺のラーメンであった。こういうときメ
ニューを見ないでスープヌードルと頼むのがコツ。エビ入りスープを堪能。この中華街はソーホーの隣接地区だ。ピカデリー、リージェントと進みここで土産を
仕入れる。The
Mallを横断してセントジェームズ・パークに入る。気温が30度と10月としては暖かく、大勢の人が公園に殺到したという感じ。The
Mallは自転車のレーシング場と化している。主要な駅や町中に1ポンドで借りられる自転車があるためこれを利用している人も多い。カーボンを減らすこと
は自転車という政策で、日本の原発とは大分価値観が違う。
ハイドパーク・コーナー
大勢の人に交じって公園2時
間程熟睡をしてからバッキンガム・パレス、ハイドパーク・コーナー、アルバートホールまでゆく。そもそもアルバートホールはハイドパークで開催されたロン
ドン万博後、これを記念して南の隣接地に建設されたものだ。クリスタルパレスはハイドパークにあったのである。ここでUターン。会社のパーティー出席のた
め、ハイドパー
クコーナーを通過したときみたロンドン警視庁がカービン銃で武装している姿は土曜日には見られなかった。
The Mall
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セントジェームズ・パーク
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アルバートホール
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コベントガーデン
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ピカデリー経由コベントガーデンに戻り、
ここで背広に着替えて娘夫婦と落合い、グノーのファウストを見る。劇場前の路上で着かえていたら老夫婦から出演者かと声をかけられた。フランス語のため英
語の字幕が出る。指揮者:Evelino
Pido、マルガレータ:Angela Gheorghiu、ファウスト:Vittorio Grigolo、メフィストフェレス:Rene
Papeであった。
あとは夜半にタクシーでホテルに戻る。このタクシーの運転手は大学で数学を勉強したのだが、小売
り相手の衣類輸入商を経営していた。ところが、巨大スーパーマーケットが安売りをはじめ、小売り商が消えてしまった。巨大スーパーマーケットは中間業者を
必要としない。こうして商売をたたむことになった。うまい就職口がないので、タクシーの運転手をしているとのこと。4時間仮眠後、ホテル予約のタクシーで
ヒースローに向かう。
2012年2月、同じ仕事で再び1週間ほどロンドンに出張した。今回は本社のあるファリンドン・オフィスだ。ちょうどテンプル寺院の北側に
ある。ヒース
ローからパディントン駅まではBR、そこからはタクシーだ。パディントン駅はビクトリア時代の技術者でグレートウェスタン鉄道の設計をしたイザムバード・
キングダム・ブルネルの設計になるものだ。(コリン・ジョイスの「イギリス社会入門」
にそう書いてある)
宿は歩い
て5分のキングズクロス1丁目にあるホリデー・インである。(Hotel Serial
No.506)ピカデリーサーカスで夕食後地下鉄でかえったが、セントパンクラスでの乗り換え地下道がながいので、歩いても同じ時間でつくと言わ
れた。
ファリンドン・オフィス
2012年6月、BBC-TVを観ていたら、エリザベス女王戴冠60
周年記念式典、ダイヤモンド・ジュビリーの実況中継をしていた。バッキンガム
宮殿前広場の演奏会、セントポールでの式典、ウエストミンスター・ホールでの昼食会、そして最後にバッキンガム宮殿のバルコニーに女王が立って国民の参賀
を受けるということになる。アドミラルティー・アーチからバッキンガム宮殿の間のザ・モールに群集が集うその上空を宮殿に向かって第二次大戦中の英国の重
爆撃機のランカスターが1機、両側にこれも時代物のスピットファイヤー Mk.Vb戦闘機2機ずつ、後尾の1機、合計5機を従えてゆっくりと飛ぶ様をみる。いまでも大切に保管されているランカスター2機のうちの一つだという。
その動態保存にかける英国人の熱意に脱帽
した。アナウンサーはパイロットの名前まで事前に調べて告げている。日本ではない風習だ。ロールスロイスのレシプロ・エンジン4発のレトロな音も郷愁をさ
そうものだった。
機中から撮影したビデオは下に収録した。サマーセットハウスからチャリング・クロス駅、アドミラルティー・アー
チと一直線にバッキンガムに向かって飛んでいる。下方視野抜群の爆撃手席に座った隊員が最高がデジカメを片手に持ちバッキンガム宮殿の女王陛下を撮影して
いる。1階上のパイロット席で若いパイロットとコパイロットが真面目に操縦、その後ろの席には上官が座り護衛機の位置を確認して右旋回し、北に迎えと指図
している。
そのあとは最新鋭のジェット戦闘機の編隊飛行が待っていた。
October 9, 2011
Rev. February 18, 2021