ルート66は米国の東西を結ぶ幹線として1912年にナショナル・トレイルズ・ハイウエイとして建設された。総長 2,448マイル(3,939km)である。石原隊は過去2回ここに挑戦してきた。2000年10月に62才にしてキングマンからロスアンゼルスを走り、 サンフランシスコまで足を伸ばした。2008 年9月には70才にしてオクラホマ・シティーからキングマンを走った。
そして2012年9月には74才にしてシカゴからオクラホマ・シティーまで走りルート66を完走。つい で に寒いミルウォーキーでハーレーダビッドソンのエンジン製作工場を見学、暑いサン・アントニオでアラモの砦訪問後、ヒユールトンとガルベストンに足を伸ば し、北から南端まで縦に総行程2,900kmを走破した。赤点はルート66上の都市、青点はついでに訪問した都市である。
第3回ルート図
旅 行計画策定はプロジェクト・リーダーの押川さんが全て担当、私は押川さんと交代でサポート車運転を日替わりで担当。バイクだけの参加は徳山さん、安田さ ん、阪間さんの3 名。石原隊長夫妻と斉藤さんが成田まで子育呑龍のお守りをもって見送りにきてくれた。このお守りは霊験あらたかだったのか無事帰国できた。UA-882便でオヘア空港着後、ハーツでシボレー・ワゴン車をレンタルし、メンバー5名とその荷物を収容。オヘア空港 のすぐ北側のデ・プレーンはUOP社訪問のため来たことがある。UOP社は石油時代の華、石油精製技術のライセンス企業だが、今ではハニウェル社の子会社 に 成り下がった。 時の流れを感じる。時差調整のため、北上し、ミルウォーキーに向かう。ハーレーダビッドソン博物館で本場のビール、ガソリン・ブランドを賞味。これが旨 い。ミルウォーキーのベストウェス タン泊。(Hotel Serial No.512)
第2日 110マイルSteel Toe Tour |
2009年Vツインモデルの前で |
第4日 221マイル
今日は私がワゴン車で先導する番だ。スプリングフィールドまで高速道路を使わないルートを選ぶとどこまでも東に向かって 進む。ど田舎で周りはトウモロコシ畑でなにもない。停車してルート全体を見るとなんとポンティアックか ら真東に10マイル走ってから南下するとわかり戻ることにする。
ポンティアック
で迷う
ポンティアックの町で給油し、R55にはいる。そのまま南下すると結構沢山の風車が左手に見える。ブルーミングトンを過 ぎたShirleyでメープルシロップ製造販売の農園Funks Groveに 立ち寄るが午後しか店は開いていない。
Funks
Grove
McleanのDixie Travek
Plazaで小休止。Mcleanの街並みは小さな町の典型であるとの触れ込みであったがどうということはない。
スプリングフィールドは立派な議事堂を持つ。オー スチンなどでも同様のドーム型議事堂が散見される。
ス プリング フィールド |
リンカーン・ホーム |
スプリングフィールドの南の外れになるCozy Dog Drive-inで昼食の予定であったが、休日でお休み。近くの中華店で昼食。スプリング フィールド中心部に戻り、リンカーン・ホームを訪問。弁護士となって成功していた時代の街並みが連邦政府により維持されていた。ここでルート66のネクタ イを買う。
スプリングフィールドからルート55を一路南下。セントルイス東北部でミシシッピ川を渡るChain of Rocks Bridgeに行くべくルート270に入る。ミシシッピ川西岸に駐車し、Chain of Rocks Bridgeを徒歩往復。この橋は中ごろで22度折れ曲がっている。なぜ曲がっているか合理的な説明はないが。すぐ下流にある自然の堰(これがChain of Rocksの由来)が折れ曲がっているのでそれに沿って造られたということか。ミシシッピ川はここで浅瀬になって舟の航行が不可能のため東側に運河を掘 り、Chain of Rocksロックが作られている。
Chain of Rocks Bridge
ゲートウェイアーチを見たかったが時間もなくなったので宿に最短時間で移動することにした。まだ30マイル以上残ってい るのだ。夕闇迫る中、セントルイス南西の郊外にある宿に向かうべくナビに目的地の宿の番地を入力し、最短時間を指定してセントルイス外環 道ルート270を西に向かった。ところがナビは途中でこのルート270を捨ててルート170で南に誘導する。そして今度はルート64を東に向かい、一般道 S. Kingshighway Blvd.にでて南下、今度はI-44で西に向かい、S. Lindbergh Blvd.(R-61, 67)に降りるというS字コースでセントルイス市内を引き回した。ようやくKirkwoodのホテルに着いたときはほとんど奇跡のように感じたものであ る。
セントルイスのS字コース(黄 色)
ここで一 泊。(Hotel Serial No.515)
セントルイス・ブルースを作曲したのはW.C.
ハンディーだ。収入がなくミシシッピ河にかかる1874年完成のEads
Bridgeの下に野宿していたとき、助けてくれた娼婦の言葉にヒントを得たという。この曲は第二次大戦中、当局の禁止にも関わらず、ドイツ、ソ連、日本
で楽しまれた。硫黄島からもレコードが発見されW.C.
ハンディーに贈呈されたそうである。ソ連の場合は当局の目を盗むためX線フィルムにダイヤモンド針で溝を刻んだレコードがアングラマーケットで流通したと
いう。
夜食は付近のテキサス・レストランでとる。
第5日 164マイル
今日はバイク騎乗の番だ。ヘルメットにビデオカメラを装着して出発。セントルイスのS. Lindbergh Blvd.をルート100(旧ルート66)に向かって北上。下のショット番号をクリックすると走行記録ビデオが観れます。1957年のジェームス・スチュ アート主演映画「翼よ!あれが巴里の灯だ」に描かれたようにリンドバーグが大西洋横断飛行した愛機にスピリット・オフ・セントルイスと命名したこ とが思い起こせる。
Shot-3 S. Lindbergh Blvd. Si. Louis
2:41min.
セントルイス西側の旧ルート66は今はルート100となっている。左折してルート100を西に向かうと丘の稜線に沿って 走ることになる。セントルイスから西に延びる丘陵は北を東に流れるミズリー川とその南側のミシシッピ川支流によって造られた浸食谷に囲まれている。
Shot-9 R-100 west ward 2:41min.
走行中雨となる。レストランの駐車場に入り、そこでビデオカメラを外し、カッパを着る。
カッパを着る
カメラを取り込んでしまったのでビデオは無いが、ミズーリ特有の山の中の曲がりくねった道を下る最高に気持ちのよいコースであった。しばらく走ると雨は上がる。I-44を陸
橋で渡り、Gray
SummitにあるTravelodge Six
Flags前の広場でカッパを脱ぐ。ここで自転車で移動する老サイクリストが自転車の方がバイクより燃費がいいと主張する。
サイクリスト
Gray SummitからVilla Ridgeへ向かう道は気持ちがよい丘の道が続く。
Shot-14 Gray Summit/Villa Ridge 5:21min.
左手にI-44を
見ながらR-66を併走。Exit247で間違う。ミズーリー州は前カンブリア期の石灰岩地帯だ。路傍の褐色の岩がそれ。
以後ミズーリー州スタントンま でI-44。ここには無法のガンマン、ジェッシー・ジェイムズが 隠れたメラメックの大鐘乳洞があるというがパス。
St James(Exit195)から再びI-44に入り、時間稼ぎ。路傍にバーストタイヤの残渣多数。
Exit169でR-66に戻り、Hooker Cut経由Elbow Inn Bar & BBQに向かう。Hooker Cutとはルート66当時もっとも深く掘削した場所だそうである。お日様が出てレンズがハレーションを起こす。
Shot-22 Hooker cut/Elbow Inn Bar & BBQ 3:34min.
この界隈はマークトゥエイン・ナショナル・フォレストに指定されている。Mark Twain National Forestは1938に国立公園として制定され、農務省によって管理されている。公園の名はセントルイスの上流ミシシッピ川沿いの町ハンニバル に育ち米国文学のパイオニアとなったマークトェインを記念して命名された。自然豊かなところだ。 そもそもR66以南のミズーリー州から北部アーカンサスおよびカンサス州の南東の隅はThe Ozarkと呼ばれるアパラチア山脈とロッキー山脈の間に横たわる高原地帯で人はほとんど住んでいない。Ozarkの語源はフランス語のaux Arksだそうで、このあたりに多い石灰岩を雨水が穿って自然にできたアーチが見られることから派生したと言われる。
The Elbow Inn Bar & BBQに立ち寄る。ここは天井からブラが何千とぶら下がっている有名な店だ。店を訪れた女性が置いていったものだ。外の壁にはハーレイ・パーキング・オン リーというプレートが貼ってある。違反車はクラッシュされるとある。
Elbow Inn Bar & BBQにて |
バーのお姉さんとおしゃべり 押川撮影 |
Devils Elbow |
Devils Elbow |
マンガーモス・モーテル
安田撮影
第6日 197マイル
今日は私がレバノンから先導の番だが予習不足。ルート66を探して走れそうもないということで押川氏に先導を頼み、今日 もバイクであ る。天気は快晴、気温は低い。走行中You tube向けに数分のビデオを撮影する目的でヘルメットにビデオカメラ装着。しかしカメラのレンズの縦横セット忘れのために画面は横倒し。 Phillipsburg(Exit118)でR66がI-44を渡り、I-44の南側を西に向かうとき、ハーレー自体が画面に入り、太陽を背に走るとヘ ルメットの上に装着したカメラの影も映っている。
このあとRoute 66はMarshfieldを通過し、そこはローラーコースターのような道路のはずだが記憶がない。ConwayあたりでI44に入ったのかもしれない。 ヴィデオも10ショット撮影したが皆横倒しの映像だ。Springfieldで給油したとき、レンズの縦横セットを直した。下の写真には SpringfieldではR66がR744として表示されているのが見える。またヘルメットにビデオカメラが装着されているのがわかる。
Springfield 市内R744で ヘルメットにビデオカメラ装着走行 阪間撮影 |
Springfield
市内R744で 信号待ち 阪間撮影
|
スプリングフィールドからはしばらくI-44で時間を稼ぐ。Exit-18でI-44を降り、R-71を北上して Carthageに向かう。北向きのためレンズハレーションが発生しなかったため採用。
Shot-44 R-71/Carthage 3:36min.
給油のため、Carthage市内をさまよう。先導車以降、右折専用信号を無視している。Shot-45 Fuelling in Carthage 6:31min.
西に向かいJoplinからカンザス州のGalenaの町に入る。1970年に閉鎖されたという。かっての石炭、銅、銀
の炭鉱町である。景色が緑から褐色になる。露天掘りではなく坑道式だったようだ。荒涼とした空地が見えた。めぼしい産業もないので、ルート66で街おこし
をしているようだ。4 women on the route 66という1934年代のサービスステーションが再生されてい
る。
Galenaにて
Galenaをでて次のBaxter SpringsではMarsh Rainbow Arch Bridgeを渡る。Marshは設計者の名前とか。
Marsh Rainbow Arch Bridge
ヴィニータに着く。これでオザークと言われる山岳地帯を出たことになる。のこりはオクラホマの平原だ。ヴィニータの South 7th Streetのホリデイ・イン泊。(Hotel Serial No.517)夕食はイタリアン・レストランでとる。
Vinitaの
街 押川撮影
第7日 192マイル
今日は私がワゴン車による先導役である。GPSは役にたたないので入力せず。EZ66 Guideを見るとホテルを出て1回左折すれば真っ直ぐと理解して出発。ところが1回左折して真っ直ぐ走行するとWilson Streetとの交差点でUS60 & OK66は左折の表示が出ている。おかしいと地図を見るために停車すると押川氏は左折し、皆ついて行ってしまう。実は押川氏が正しかったのだ が、その時点では真っ行くべきと思っているので皆を説得して町中を引き回してやはり私はまちがっていることが判明。あとでEZ66 Gideをみると、Vinitaにはもっと詳しい地図があって、これにはSouth 7th Streetが描いてある。これだと2回左折しなければならないわけだ。事前不勉強のたたりであった。
道は次第に西に曲がっている。Chelseaに入る とルート66と平行している鉄道に貨物列車がとおりかかっているのに遭遇。VerdigrisではMcClellan-Kerr Bridgeを渡る。
鉄道 |
McClellan-Kerr Bridge |
Catoosaでは青いクジラを見る。ここからI-44でタルサをバイパス。Stroudで はRock Cafeで昼食をとる。Rock Cafeはルート66敷設工事で切り出した石灰石で建てられた。英国人の30人規模のハーレー大部隊がやってきた。ここでルート66の帽子(中国製)を買 う。
Blue Whale |
Rock Cafe |
ChandlerではMcJerry's Route 66 Galleryに立ち寄る。このガラリーのオーナーのJerry Mc Clanahanは画家であり、EZ66 Guideの著者である。
McJerry's Route 66 Gallery
ここで押川氏はEZ66 Guideの表紙を飾る絵を購入。マッククラナハンは独身だというが同じ敷地内に3つの家を所有し、芝を刈るのが趣味だということだった。
Jerry Mc Clanahanを囲んで
Arcadiaでは1898 Round Barnに立ち寄る。ほとんど廃屋になっていたのを大修理して観光スポットにしたようだ。1898 Round Barnにて
ナビにホテルの住所を入力し、I-35からI-40に乗り換えて前回西にむかって出発したオクラ ホマ・シティーのサドルバック・ホテルまで走ってルート66完走となった。オクラ ホマ・シティー泊。(Hotel Serial No.518)夜は前回も訪問したキャトルメンズ・ステーキハウスに出かけフィレミニョンを楽しんだ。大変な人気の店で、予約は受 け付けず、先着順であるから1時間バーでビールを飲みながら待った。
サドルバック・ホテルのカラオケ・バーなるものに立ち寄るとアメリカ版カリオケで盛り上がっていた。ここでテキサス から来たらしい後家さんグループと意気投合してジルバを楽しんだ。日本はおかしな国でこのようなバーは風俗営業法違反で摘発されるのではないか?
カラオケバー 阪間撮影
ジルバ 押川撮 影
ア
ディオス
第8日 210マイル
全員ホテルの前で記念撮影。
全
員集合
私がワゴン車で先導してダラスに向かう。朝いちばんでまたナビの指示が狂って、というかその解釈に判断が狂い、無駄な走 りを繰り返す。どうも起き抜けは頭のウォームアップに時間がかかる。
ようやくダラスに向かうR35で南下開始。前回はここをダラスからオクラホマシティーに向かったのだ。ムーアという場所 を通過するが、ここは2013/5/21に空前の規模の竜巻が西から東に向かって通過したところでPlaza Towers Elementary Schoolが完全に破壊され、大勢の児童がなくなった。
見おぼえのある街道を更に南下する。ナビに従ってダラスに入ったが、ここでワゴン車のレンタル契約書をよく読んでいな
かったためのチョンボをする。米国でも財政難のためトールゲートが増えている。小さなタグをフロントガラスに張っていけば、トールゲートを通過するときカ
メラが登録番号を認識してカードから引き落とす仕組みである。レンタカーにはこのタグを表示したり、しなかったりできる仕組みがある。ところがレンタルバ
イクにはこのタグが用意されていないので、人間の居るゲートで一旦停止しなければならないわけだ。ところがバイク4台引き連れて通過してしまった。ゲート
のカメラが番号を撮影しているため、いずれ
罰金がカードから引き落とされるだろう。通常料金は1.5ドル程度だが無断通過は15ドル程度らしい。
ダラスのイーグル・ライダーでバイク返却。
イーグル・ライ
ダーにて
アーバイン泊。(Hotel Serial No.519)
第9日 277マイル
押川運転のワゴン車でサン・アントニオに向かう。途中ウェイコ(Waco)、オースチン付 近を通過。周辺は農地だが渇水のためか、全て褐色である。オースチンは テキサス州の州都で立派な議会ドームがある。サンアントニオはア ラモ砦で有名な観光地である。ダウンタウンを流れる運河の周りには散策路が整備され有名ホテルとレストランが軒を連ねている。ここでボートツァーに参加。空軍の幼年学校の卒業式があったとか。大勢の卒業生と その母親たちが街にあふれていた。ここらへんは日本と変わらない風景だ。ジョン・ウェイン主演・監督映画「アラもの砦」を3回観たという徳山さんが主人公 のデイビー・クロケット大佐がメキシコ軍の馬を逃がすために泳いで渡った川がこの運河ではないかとしきりにつぶやく。
サンアントニオの
ボートツァー
コヨーテ・アグリー 坂間撮影 |
コヨーテ・アグリー 安田撮影 |
第10日 200マイル
朝一番でテキサスがメキシコから独立したきっかけとなるアラモの砦見物。
アラモの砦
アラモはスペインの布教所として1718年にサン・アン トニオ・デ・ベハル(後のテキサス州サンアントニオ)に建設された。19世紀初頭にスペイン軍の騎兵隊が駐屯し、その要塞を「アラモ」と呼んだ。メキシコ からの独立を画策していたアングロサクソン系テキサス住民は、サンアントニオ市を占領し独立の契機となる。当時はまだ教会の上部は完成しておらず、単なる 壁であった。全員玉砕したわけだが、女子供は生き残って、玉砕を語り伝える。徳山氏はデイビー・クロケット大佐がかぶっていたアライグマの縞模様のしっぽ のついたクロケット帽という帽子を買う。映画は観たことはないが、生真面目なトラビス大佐役は美形のローレンス・ハーヴェイが演じて軍人役がはまっている というし、ボウイ役のリチャード・ウィドマークはまさに西部劇役者として適役という。
クロケット帽
すばらしい警句をのこしてくれた71才のアンブロース・ビアスは
若き頃従軍した南北戦争の古戦場を歩き回ったあとこのサンアントニオに遊び、メキシコ独立戦争取材のために国境をこえたところで消息が途絶えた。
押川運転のワゴン車でヒュース トンに移動。ヒューストンに向かって疾走するハーレーに単騎騎乗する男一人。この体躯とハーレーデザインはマッチしている。米国では単独行が多い。
ヒューストンに
向かって疾走するハーレー
ヒューストンは過去20年間に西に向かって住宅地が成長し、ループの外側にベルトと呼ばれる環状線が建設されていた。す
でにこのベルトの外に西に向かって巨大住宅地が開発され、売れているようだ。製造工場などいうものは見当たらないからこれすべて世界の石油ビジネスに関連
するビジネスマンンの住宅地ということになるのだろう。夜は千代田化工を引退後、日本のバルブメーカーの米国子会社の社長をされているO氏夫妻と近くの
中華屋で旧交を温める。
ヒューストン泊。(Hotel Serial No.521)
第11日
戦
艦テキサス
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San Jacinto Monument |
September 5, 2012
Rev. October 29, 2018