読書録

シリアル番号 1221

書名

マリン・モンロー 最後の17週

著者

ピーター・ハリー・ブラウン
パティ・B・バーラム

出版社

株式会社文芸春秋

ジャンル

ノンフィクション

発行日

1993/6/15

購入日

2015/1/30

評価



原題:Marilyn: The Last Take by Peter Harry Brown & Patte B. Barham

鎌倉図書館蔵

マリリン・モンロー 7日間の恋を読んだ後、無性にマリン・モンローの死の謎に興味を持った。そこで図書館に立ち寄り借りてきた。ハードカバー2冊の本格派である。これを読むとマリリンは一般のイメージとはことなり非常に良い頭脳をしていたようだ。

著者らはマリリンの 死亡で未完となった「女房は生きていた」のラッシュ・フィルムをカンザス州中部の岩塩抗地下360ftの地下貯蔵庫から探しだし、フォックスの社内記録を 全て読んで書いた詳細な実録である。

映画産業はまさにエンジニアリング会社と同じ。エリザベス・テーラーとマリリンが20世紀フォックスで競っていたのだが、経営陣がテーラーに恋してしまっ てマリリンが望んだクレオパトラの主役をテーラーに与え。テーラーの言うなりの高給と我がままを許したため金が湯水のように流れだし、あまつさえ主役エリ ザベス・テーラーとリチャード・バートンの恋愛スキャンダルに発展し、スタジオは倒産の危機に陥る。社長のスクーラスが「シーザーは暗殺され、マーク・アントニーは自 殺した。スクーラスは王位を失うでしょう。すべてはクレオパトラのなせるわざです」とジョークを言うほどであった。 経営陣はハリウッドの土地も殆ど売り払って資金調達するが不足し、そのしわ寄せはマリリンに押し付け「女房は生きていた」の製作費をカットし続けた。 こうなるとかっての千代田のドタバタを思い出す。

こうしてできた1963年の「クレオパトラ」を見たがエリザベスに魅力がなく説得力がなく面白くなかった。金をかけたから良い映画ができるとは限らない。これははじめからボタンのかけ違いだったということがわかる。巨大会社になってマネジメントが崩壊寸前だったわけで、企画も実施もデタラメというわけ。

マイ・フェア・レイディの監督だったジョージ・キューカーは「女房は生きていた」の監督はしたくなかったし、マリリンとは折り合いが悪く憎んでいたため不 要なテークを33回も繰り返したり、シナリオを何回も書き直させた。この影響でマリリンはストレスで不眠症に悩んでいた。当時は覚せい剤と睡眠薬の害が分 かっていな く、医者は不眠症になやむマリリンに麻酔薬のネンブタールや抱水クロラール、フェノバルビタール等の睡眠薬をあたえ、朝起きられないと、覚せい剤のアン フェタミン、メタンフェタミンをどんどん与えていた。

マ リリンが憧れたJFKとの色事はエリザベス・テーラーへの対抗心もあったようだが、結局JFKの単なる浮気だった。そうしてマディソン・スクエア・ガーデ ンで行われた誕生パーティーにでてハピーバースデー・プレジデントの歌を歌ったりしていたが、JFKはRFKを使者にして突然縁切りをし、電話番号を変え た。使者となったRFKは逆にマリリンの魅力に虜になる。しかしこの関係も選挙の邪魔になるとRFKは突然縁切りをする。これに激怒したマリリンが全てを バラスと迫ったため、RFKは医者を連れて彼女の家に入り、医者に睡眠薬を致死量注射して殺し、シークレットサービスか、CIAに電話交信記録や彼女のメ モなどを持ち去らせ、ロサンゼルス警察を抱き込んで全てをもみ消したというように理解できる。JFKにマリリンを紹介したピーター・ローフォードは全てを 知っていたが死ぬまで口を割らず墓場に持って行った。


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