【武州杉山城】
【肩書】
埼玉県指定史跡【住所】
埼玉県比企郡嵐山町杉山字雁城614【交通】
東武東上線武蔵嵐山駅下車徒歩40分【形状】
丘陵地に作られた山城【時代】
中世(室町―戦国)【城主】
不明【歴史】
戦国時代に立てられたらしいが、不明である。
すべて想像になるが、室町時代に関東管領の上杉氏の家臣の居城かなにかであり、後に北条氏と上杉氏の間で争奪が繰り返され、戦国末期には松山城と鉢形城を結ぶ支城網として役割を果たしていたのではないかということは容易に考えられる。
【写真】
【感想】
武蔵嵐山駅の東口から北(寄居方面)へ
3、4Kのところの丘陵地に○○中学校がある。この辺の地形は連続する丘陵地であり中学校のやや北よりに杉山城跡がある。丘陵の東側は関越自動車道が通り、西側は○○川が流れる。丘陵沿いに西側に道があり散策できる。西側の道沿いの城跡付近には案内板があるのでどのあたりが城跡なのかは容易に理解できる。さらに北へ1Kくらい行ったところが越畑城跡らしいがこちらは案内板はないので遠景から想像するしかない。丘陵内を探索すれば遺構があるかも知れないが今回は夏であり草が生い茂り立ち入りは断念した。この一帯の丘陵地は、地形的には、何処に城があってもおかしくないし、いまでもその形状を残している。今回は杉山城跡から越畑城跡のあるとされる丘陵地を散策してみたがまさに格好の立地条件であると感じた。遺構を探索することはできなかったが、随所に竹薮が見られることや時々見受けられた堀跡らしきものに往時の姿を垣間見ることができる。
【探査履歴】
1997.8.17
丘陵の西側の道を○○中学校から越畑までを徒歩で散策