よい講演を聞きましたので、下手な!要約?をアップします

1999年6月5日土曜日
立命館大学春季公開講座講演会

「ダイオキシン環境ホルモン問題の考え方」
副題 「人工化学物質とどう付き合うか」

高知大学学長  立川  涼 (たつかわ)
初めて日本でダイオキシンをゴミ焼却の煙より検出した方。

ダイオキシンの基礎知識……
砂川 うつらうつら聞いている。

砂川 メモ取り出す

☆ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆
以下、砂川はメモを見ながら、記憶をたどり打ち上げたものですか
ら、変な点、不適当な点は全て砂川の責任であり、立川氏の責任で
はありませんのでそれを了解の上でお読み下さいますようお願いい
たします。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

カナダのジェーコブソンは子どもが切れること、及びラーニング.
ディスオーダーについて孤軍奮闘研究してきたが現在この件に関し
て世界中から千の単位の報告が出ており、因果関係の状況証拠はで
でだしていると思われる。

自然動物は早期警戒システムである、動物の異常を人間の近未来の
姿と認識できるか否か?

鯨は授乳で2/3の PCBが母体から子へ移る。

人間の乳児は「 人を食べる人である」母乳を飲むから、ですから
食物連鎖の頂点である人間の又その上にいる、だから環境ホルモン
の影響はもっとも受けやすいので、乳児への基準は厳しくし乳児を
守らなければならない。

日本のダイオキシン測定の精度管理は出来ていない。
このままだととんでもないことになる。
過去、現在の汚染の状況を比較できないので、政策決定の指針とな
らず、データー無し、間違ったデーターのもとの政策決定となる。

日本は測定平均を取る時、物質が測定できず=ノーディテクトの場
合、その測定点はゼロとして計算する行政の決まりがある、
よって多数の標本があればあるほど、平均の値は実際より小さく
なっていく。
地球上に全てに広まっているダイオキシンがゼロであるわけが無
い。

世界の常識は、測定できなければ、測定感度の限界の値をその測定
点の数値として平均を出している。
(例えば10以下の濃度であればゼロと出る測定方法でゼロと結果
が出た場合、ゼロと判断するのでなく10の濃度であると判断す
る)

日本は基準を作るには熱心であるが、守るのはルーズである。

日本のダイオキシン測定可能機関の数と、時間当たり処理可能測定
検体数を考えると、報告数が多すぎる。

日本の行政マンはとても優秀である、新しく配属されたダイオキシ
ンを何も知らない人が、体の健康を害するくらい勉強して、短い時
間でダイオキシンのことを語れるようになる。

行政のデーターは人に属していて、担当が配置変えになればの部署
には、経験、情報は残らない。

1950年DDT は 雄の鶏のトサカを小さくすることにより、エストロ
ジェン=女性ホルモン  様作用があることが報告されているがこれ
が教訓っとはならなかった。

20世紀は物と金があればハッピーな世であった。
21世紀は多元価値社会である。

21世紀に向かって日本はしんどい、深刻である。
マスコミ、テレビは朝スイッチをひねると、サッチーのゴシップば
かりである、夜は芸能人の遊びを見せられる。
大人が変質し、おかしくなっている。

意識の改革、教育が必要である。
ドイツでは1971年より小学生から環境教育を各科目において広く教
えている、その教育を受けた人たちが、今働き盛りになって環境を
守ろうとしている。

今の日本の状況は、50年間の日本の教育の成果である。

うしなわれし未来が出版された後クリントンは新しい環境法律を作
るため、大学、民間、行政、そして市民グループが入ったチームを
作っている。
市民グループといってもレベルは高く、大学、民間、行政にチョウ
チョウハッシと渡り合える。

ゴア副大統領はうしなわれし未来の序文に「 国民は知る権利と、
学ぶ義務がある」と述べている。

日本の毒性研究は遅れている、儲からんから、5〜10年は外国の情
報、研究に頼らねばならないであろう

☆☆☆  質 問 の 時 間 ☆☆☆
学生風な人
私たちはどうすれば良いのでしょうか?

立川
冷たいようだが、自分で考え、自分で行動することだ。

砂川の友人
私は化学系の仕事をしているが、新入社員たちは大学で環境につい
ての講義を聴いて来ていない。
高知大学では、今までの教訓をどう教えているのか、大学生の環境
にツイテの意識、知識、をどのように取り組まれているのか?

立川
何年か前から、小中学校の教科書からPCB (カネミ油症)の事が消
えた、教育の現場では大学まで子どものかんしんの取っ掛かりがな
くなっている。

大学の学科方式はその様にオリエント( 指向性を定める)されて
いない。
環境は大きなマーケットになった。
環境を掲げる学科、学部、大学が多くなった。
その結果、制度化され、細かくなって、特化された。
特化されたため社会全体の問題として、みれる学生、研究者が育た
なくなっている、特化した研究者をどう打破できるか?
環境教育を進めるためにも、タコツボ学問をどうするか?

政府・行政の意思決定諮問機関のセンモン家はごく狭い自分の分野
しか判っていない、センモン家は狭い分野しか知らないからセンモ
ン家の由縁であるが、社会全体を総合的に見れる人がいない、その
様な狭い視野の人ばかりの諮問機関には問題がある。

社会や経済のセンモン家を入れれば良いわけではない、彼らもまた
狭い視野のセンモン家であるから。

追記
質問はケッコウでました、友人が手を挙げた時3人ほどあげていま
したが、司会者が、「そろそろなのですが、どういたしましょう」
と言った時、間髪を入れず、でしゃばり砂川は「おねがいしま〜す」
と声をかけると、「では今声をだされたかた」との事になりました
ので、もちろん隣の友人をムンズとつかんで立たせました。
かくして、良い友達を持っているHさんは最後にギリギリ質問が出
来ました。
よかった、よかった。(^^)V

追記その2
立川さんのお話は、とても落ち着いたソフトな語り口の説得力のあ
る、トゲの無いお話でしたが、ホントデスよ。
起こしてみるとなかなか鋭いお話でした。
私も見習わなければとおもいました。

彼のお話の中では、民主主義という単語は一つも出てきませんでし
たが、彼が一番問題にしているのは、このことであると確信した、
砂川です。

小倉よりよりフェリーに乗って、講演会のはしごに引き出してくれ
た、よき友人に感謝。

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