幸かふくおか 〜「はかたより」〜 番 外 編
「アンニョンハシムニカin釜山」
サブタイトル「一泊二日・釜山とんぼ帰り旅、高速船ビートル二世号利用、片道たったの3時間、楽し、いそがし、それでも海外旅行ヨ」の、はずだったのに、、、
なぜか僕は今、大韓航空機内、釜山・金海空港にて。という状況にあります。サブタイトル予定とは大きく違い、二泊三日で飛行機まで利用となったのです。窓際に座っている僕は、離陸のために2機前をゆっくり滑走路へ向かう日本航空(JAL)機、大阪・関空行きをぼんやりと眺めています。「あ〜あ、楽しい時間はあっという間だよなあ〜」と、ため息ひとつ。どうやら、先程JAL機内に乗り込んだ凸凹コンビ(永田さんと柴田くん)の離陸を見送るという形になるようです。そういえば永田さん、こんな事言ってたっけ。「なあ塩川、スチュワーデスってのはなんであんなに美人なんだんべえ?って俺思うんだけどなあ、恐らく、ああこんなに美人と一緒だったら死んだっていいやって、覚悟を決められるからじゃねえかと思うんだ」って。今まさに覚悟を決めているのでしょうか?「旅の最後くらいはすんなり行くといいけど、、、」なんて心配になってしまうほどに、いろいろとあったんですよ。韓国のりをたくさん買い込んだからって、必ずしもノリノリ!だけではなかった今回の旅。それでも今回の旅をきっかけに、きっと韓国通「コリアンフリーク」になるであろう我々の、記念すべく韓国発朝鮮、否、韓国初挑戦の巻を、是非皆様に、旅日記風にお伝えできればと思います。この前、大沢先生からも「書けヨ!」って言われちゃったしネ、、
さて、知らない人のために(知らない人がこの旅日記なんぞを読むのでしょうか?)
まずは、メンバー紹介から。永田さん、柴田くん、塩川夫妻の計4名様。知っている人には以上。
で、念のため知らない人のために、、
@ 永田さん・・群馬の高崎で学習塾「学び舎」を経営するおじさん。柴田、塩川の高校の輩でもある。
にわか(?)阪神ファン。皆のまとめ役、長老短身(?)
A 柴田くん・・一般旅行業取扱主任者の資格を持ち、アジア各地を「庭」のごとく歩きまわる。
熱狂的な「浦和レッズ」サポーターという顔を持つ練馬区の公務員。
B 塩川(僕)・・東京を離れはや2年。福岡で皆を待ち続けるも待ち人現れず、今さらながらに東京・
群馬が恋しい人。「釜山港へ帰れ」より「関東へ帰れ」の人。
C 美弥子さん・・誰も誘っていないのに勝手に会社休んでついて来ちゃった人。好き嫌いが激しく果たし て韓国料理が食べられるのか? お目付け役ですワ。
※ 尚、男3人が群馬県出身のため、 会話の中に上州弁が出てくることをお許し下さいませ。
そもそも今回のスペシャル企画の発端は、酔っ払い柴田が浦和レッズサポーターとして、打倒!アビスパ福岡戦で博多の森競技場に乗り込むにあたり「ど〜せなら釜山に行っちゃいましょうよ!永田さん!」とこれまた酔っ払いの永田さんに話しを持ちかけ、「なんで釜山なんだんべえ?塩川?」と九州2度目とはいえ福岡はほとんど初体験になるはずの、戸惑う永田さん。「ま、それもよかんべ」と既に目がすわっている僕、という状況下、ぐんぐんと強引に引っ張る柴田くん。盛り上がりの夏、高崎にて、、というところから。
その後、永田さんは悩みすぎて(?)体調を崩し、ツアー参加すら危ぶまれる状態に陥り、釜山行き以
に魅力あるプランも提案できないままに時は過ぎる。その間、企画・提案・実行もろもろ担当の柴田と、
「ま、それもよかんべ」とうなずき担当の僕とで、計画は実行へと移され、永田さん強制参加も勝手に決定した。が、最後の最後まで、何ですか「美弥子さんも一緒に行きませんか?」などとは誰も言ってなかったのですがねえ、、
〜まずは前夜(日本の福岡)のお話しから〜 9月15日(祝)夜10時半、地下鉄・中州川端駅にて、ついさっきまでモーレツに忙しく働いていたサラリーマンが一人(僕です)待ち人の到着を待つ。待ち人は「アビスパ福岡」の本拠地・博多の森競技場で「浦和レッズ」の応援を終えた「ようこそ福岡へ!」の永田さんと、オフサイドのルールも知らずに観戦してきた美弥子さん。ちなみに柴田くんはサポーター連中との打ち上げがあるので、ちょいと後で合流することに。
サポーターユニフォーム姿の連中がちらほら通り過ぎたあとに、待ち人登場!「よお!」「なんか永田さんがここにいると、中州じゃなくて高崎にいるみたいっすねえ!」でっかいバックを肩に担ぎ、チャームポイントの可愛い手をひょいっと上げ「よお!」というその人は、まぎれも無く正真正銘の永田さん。「九州一の歓楽街・中洲へようこそ!」
ネオンきらきらの中をキョロキョロとしながら歩いているワリには、客引きの兄ちゃん姉ちゃんから声もかけられず、ん?、あっそうか、お目付け役の美弥子さんも一緒でしたネ。忘れちゃあいけません。まずは博多ならではの「一口餃子」をつまみにビールで乾杯!といきたかったのだけど、運悪くお目当ての「宝雲亭」定休日。ならば玄海灘の新鮮な魚を!と、中洲メインストリート沿いの、少々高級な雰囲気の漂う居酒屋へ閉店間際にすべり込む。「ああ、腹減った〜」関さば刺身、かわはぎのきも、いか生造りなど、期待通りの玄海の幸に舌鼓をうつ。「群馬じゃあこんな新鮮な刺身食えねえですよね、永田さん」すだちサワーも新鮮です。「遠路はるばる、お疲れさんです!」
朝一番に高崎を出発した永田さん、実は羽田空港でちょっとしたトラブルがあったとのこと。元々、柴田とは別々の便だったらしいけど、永田さんの乗る予定だった飛行機(スカイマーク)が、エンジントラブルか何かで、数時間も足止めを食ったとのこと。キックオフには、かろうじて間に合ったそうだけど、永田元(はじめ)さんらしく、はじめからつまずくとは、おやじギャグも冴えないってもんです。「で、塩川、何で俺は釜山に行かなきゃなんねーんだんべ?」「ま、次行きましょ、永田さん」、、、
中洲といえば「屋台!」せっかくだから寄ってみましょう。と、那珂川沿いに並ぶ屋台の中から、比較的空いている屋台を選ぶ(まずいんじゃない?)。「さんゆう」という名のその屋台は、とんこつらーめんの店。ま、味云々じゃなくて雰囲気ですよね、雰囲気。屋台ってやつは。味の方は永田さんのお口には合ったようで、隣合わせた客の博多弁を聞きながらご満悦の様子。よかった、よかった、、、
キャナルシティ博多(観光名所でもある「食べる、遊ぶ、買う」の複合施設)前の公園から群馬・高崎へ携帯から電話する永田パパ。深夜突然の電話攻撃を受けたのは、一人息子の幼稚園児、父親以上のトラきち「光穂坊ちゃま」だったのでしょうか?
タクシーで大橋へ。ここ大橋は我々塩川夫妻にとって東京・赤羽に次ぐ、お酒の旨い街。ごく一部の店主夫妻と常連客には、大橋有名夫妻となりつつある僕達?ま、この辺のお話しは、今度「はかたより」本編にて公開しましょう。ちなみに昔々、永田さんの「学び舎」があったのは高崎市大橋!「おお!偶然ですねえ!」「大橋つながりだあ!」と大げさになってきた酔っ払いども。
時間は深夜0時をまわり、商店・飲み屋が軒を連ねる大橋の街もそろそろ眠りに入りつつある時刻。美弥子さんは明日、否はや今日の朝に備えて先に家に戻り、永田さんと2人で塩川夫妻居住のマンション近くのスナックに飛び込む。
僕も初めて入ったその店は「おしゃべり処・自由気まま姫」まあ、ど〜んなお姫様がいらっしゃるのかしらんらん!と入った店のカウンターに立つのは一世紀前のお姫様、、ろ、六十過ぎのママでした。ぎゃふん!(古い、、)せめてもの救いはアルバイトの看板娘、ぽっちゃりさん三十。カウンターのみ10席ちょっと、ひと昔前のスナックといった感じのちょっと懐かしいような店。焼酎ボトルをキープして飲み直し。
一人客のあだ名(?)ファッションリーダーくんも飲み仲間に引っ張り込んで、群馬県認知度などを酔っ払いなりに調査。たまたま夏の甲子園で見事全国制覇を果たした桐生一高のお陰で群馬という字くらいは見たことがあるかな?といった悲しい現実の調査結果を突きつけられ肩を落とす我々に「おきゅうと」という博多名物の海草系(ところてんとこんにゃくの親戚みたいな)食い物で慰めてくれる優しいおばあちゃんママ。文学少女がそのまんま年取ってしまったような、あかずきんちゃんがそのまま大人になってしまったかのような(大げさだなあ、酔っ払いは)そのおしゃべり素人ママのペースに除々に引き込まれていき、終いにはすっかりファンになってしまった僕。毎日2時過ぎに70過ぎのご主人が車で迎えに来るらしい。なんだか、ほんわかと暖かそうな老夫婦に乾杯。
閉店間際の1時半頃になって、やっと忘れかけていた柴田くんから連絡が入る。ようやく近くまでたどり着いたというので店の外に出ると、約50m先、道路の真中に仁王立ちのノッポ男を発見。浦和レッズのユニフォームと思われる真っ赤な服に、真っ赤な長髪、信じたくなかったけど悲しいかな柴田くんだった、、、こうしてようやく3人無事合流。我々の上を行く酔っ払い度上々の柴田が加わり雰囲気は最高潮に。でもあまりお店に迷惑かけないように、そろりそろりと退散する。
すぐ近くの塩川宅に到着し、たった一晩だけの福岡の夜は、おなかいっぱいの思い出と、大橋常連店一件追加!という、財布と肝臓に良くない結果を残して幕を閉じたのだ。
〜9月16日(木)〜
「アンニョンハシムニカ」(こんにちは)ようやくここから旅日記・本編の始まり。 睡眠時間約4時間のお目覚めは、二日酔いというよりついさっきまでの酔いがそのまま。この状態で船に乗るのは非常に不安、、、さらに外を吹く風が変に生あたたかいのが更に不安な気持ちにあおりをかける。台風はそれて通り過ぎたはずだけど、、、でも「揺れない」のが自慢のJR九州「高速船ビートル二世号」だからね。ま、大丈夫でしょう!?
福岡の中心部・天神までは西鉄電車。朝のラッシュアワーとはいえ、埼京線のようなぎゅうぎゅう詰め状態と比べれば楽チン楽チン。つらいのは昨夜の酒が残っていること。目の前の高校生の兄ちゃんが「酒くせえ!むかつく〜!」と言いたげによこ目でチラリ。「なんだ文句あんのか!こっちだって胃がむかつくんだよ!」って苦しい、、、
天神からはタクシーでベイサイドプレイスへ向かう。雨がポツっと降ってきたような?あれ?台風は通り過ぎたはずだけど、、、博多タワー前でタクシーを降りる。「さーてと、ビートル君はどっこかなあ?え〜壱岐行きがここで、、えっ?いきいき?ハハッ!」なんて余裕があったのはここまで。「ビートル乗り場は、ずーっとあっちの隣の埠頭だよ」って窓口の係員に冷たく言われて唖然とする。歩いて行けない距離でもないらしいけど、、、寝不足、二日酔いの集団は黙って再びタクシーに乗り込む。「すまん、すまん!」です、、、
「出航手続き」
非常にシンプルというか、あじけないというか、コンクリートの冷たさがそのまま伝わってくるような大きな建物が、釜山行き高速船の乗り場だった。閑散とした建物内に、農協ツアー御一行様的団体だけが、唯一旅の雰囲気をかもし出している。スタッフらしき連中はお揃いのハッピ姿で小旗など振っている。ここにいる人達は皆、釜山へ向かう仲間同士なんだろうね。
さて、まずは乗船カードの記入から。ここで期待の柴田くん、期待に応えて一発目の天然ギャグが飛び出した。4人全員がカードの記入を終え、記入台から離れた後「あらっ?誰のカード入れかいな?」と美弥子さん。黒い札入れのような大きな皮のカード入れが置き忘れてある。中身はドル札など現金も入っている。外人か?。一瞬○○ババ、、の4文字がふと頭をよぎったけど(サイババじゃないって)、恐らく落し主は、我々と同じ釜山行きの仲間だろうし、と思いカウンターのお姉さんに届け出る。出国前の一日一善。
柴田が皆の乗船カードをまとめてカウンターで手続き中に、館内アナウンスが流れる。「シバタマナブさま〜シバタマナブさま〜!1Fカウンターまで、、」えっ?「ハーイ、僕がシバタマナブですがあ!!」と大きな声で素直に手を上げる良い子の柴田くん。「こちらに柴田様のカード入れが届けられておりますが、、」あっちゃ〜、置き忘れた外人が柴田くんだったとは、、、
ちなみに我々、朝食がまだだった。「船を待つ間に何か食えるんべ」と思っていたのだけど、館内のレストランは閉まっているし、売店なんて見当たらないし「船に乗れば何かあるだんべ」って本当かなあ。腹ぺこ状態のままソファでぐったりして出航時間を待つ。
出国審査を終え(船旅片道3時間とはいえ立派に海外旅行なのだ)乗船に向かう途中、小さな免税店を発見。嬉しいことに軽食類くらいは置いてあるようだ。350ccの缶ビール100円!「船内で一杯やりますか!むかえ酒だあ!」つまみに真空パック入りの「ちくわ」を買う。今ではもう見たくも無いあの「ちくわかまぼこ」を、、
「港に停泊中の時が一番揺れるんだよね」と、いつの間にかパンをぱくつきながらの柴田くん。な〜るほど、旅馴れした柴田くんのお言葉、説得力がある。全席指定なので、慌てず最後の方に乗り込むことにする。ちなみに「2階建ての船で一番揺れが少ないのは1階真ん中の席なのだ!」と、自信たっぷりに座席指定をしてくれた柴田くん。安心、安心。
「出航」10:15博多発
出発出航!!「出航」といえば、昔、寺尾聡の歌で「出航(さすらい)」っていう歌があったねえ。その歌詞の中で「♪おまえ〜の匂いは〜記憶の彩りだけど、、」というフレーズとメロディーが好きでねえ。「記憶の彩り」なんてすてきな言い方だと思わない?詩人だねえ。ちなみにそのあと「♪生きて〜行く道連れは〜夜明けの〜風さあ〜」と続いて、ぶるっと、寒くなっちゃうんだけど。余談。
予定通り1階真ん中あたりの席に、お行儀良く横一列に並んだ4人組。缶ビールで乾杯!出発〜!「グビグビッ、、ぷは〜っ」。さっき免税店で買い込んだ真空パック入りのちくわを「パクッ、、うっ、、いでっ、うめえ、、けど、、いでっ、、」何と、ちくわの中身にプラスチックの筒が入ってやがった。トイレットペーパーの芯じゃないんだから、くそっ。ちくわの穴がつぶれないようにだろうけど「強く噛んだら危険!」とか何とか書いとけよ!し、か、し、何事も無かったかのように冷静を装う僕。 その後、隣の席で第二の犠牲者が、、何も知らずに「がぶりっ!」と永田さん「うぐっ、、」あ〜ゴメンなさい。はははっ、、、
それにしても、揺れないはずの「ビートル二世号」が、あら、揺れる、、、(あ、ちなみに高速船の種類は2種類あって「ビートル号」と「JB号(ジェビ:韓国語でつばめの意味)」我々が乗船したのは「JB号」だったけど、通称「ビートル」が高速船(ジェットフォイル)の代名詞のようになっているので、今回は「ビートル」と呼ぶことにする) で、その「ビートル」が、、揺れる。ぐわんぐわんと上下に揺れる。胃の中も揺れる。
最初に車でもすぐに酔う、美弥子さんがぐったり。続いてノッポの柴田くん、立ったり座ったりと船内をふらふら。「あれが能古島、こっちが志賀島、、」と余裕を見せてガイドしていた僕も、向かえ酒の缶ビールも飲みきらないうちに、内臓からの危険信号受信。隣を見ると永田さんも目をつむって必死に耐えている様子。(船体を約2メートル浮き上がらせ、海面を滑るように走る為、波の影響を受けにくく、船酔いの心配もなく快適なクルージングがお楽しみ頂けますって、、、はあ?)
そのうち出航後15分も過ぎると船内ミニタイタニック状態。あちらこちらで真っ青な顔してしゃがみ込んだり、床に横になったり、、、僕はいわゆるゲロ袋片手に席を立つ。2階へ上る階段下に座り込み、トイレ前で戦闘開始準備。「や、やばい、、」ト、トイレへ。そして初めて迎え撃つ胃の内部から這い上がってくる敵を勢い良く吐き出した時、短命に終わった見るも無残なちくわらしき白いつぶつぶを、ついさっきまで嫌悪感を抱いていたこのちくわを、今は不思議と優しい気持ちで見つめている。
「これは大変な事になったぞ、、、」一度、戦闘態勢に入ってしまった僕の胃は、その後何度も何度も襲ってくる敵を吐き出すため、苦痛な長期戦を強いられる。僕はトイレ脇のドアに身を寄せ、立ったまま窓の外の大海原を、恨めしそうに見つめる。
そんな僕に「お水をどうぞっ」と天使が登場。「よろしかったら、通路に横になっても良くってよ」「いや僕はそんな、あ、あなたの膝まくらでなんか、その、、、」などと、考える余裕は全く無かった、、その天使(女性乗務員)によれば、台風は過ぎ去ったものの、波は最悪の状態らしい。ここまで揺れるのはめったに無いという(で、なんであなたは全然平気なの?)
通路にはマグロのようにぐったりと横たわる敗戦者達。すぐ前の、恐らくは二十代後半と思える女性が前かがみにうずくまっており、背中側が丸見え状態。ブラウスは上へ、スラックスは下へと、どうやら相性が悪いようで(?)パクッと開いちゃった限りなくお尻に近い腰部分で、パンティーとやらがチラリと顔を見せている。が、、、それを見ても何も感じないほどに、今の僕は最悪状態なのだ。時折、永田さんが思い出したようにトイレへかけ込みに来ても「良い物お見せしやしょうか?先輩!」なんて教えてあげられる余裕なんて全く無いのだ。ハハハ、、、悲しいかな、色気より吐き気なのだ。「しっかし何でこんな目に遭わなきゃなんないの?」
結局、釜山港まで一度も座席に戻れず(トイレから離れるのが怖かった)立ったまま、ドアに寄りかかったままの状態で、片道213km、3時間近くを耐える。(座席はひとりひとりがゆっくりくつろげるリクライニングシート、リラックスしたくつろぎのひとときで楽しい船の旅をって、、はあ?)
美弥子さんはちゃっかり一人で3人分の座席を占拠しぶっ倒れており、柴田もちゃっかり通路奥の目立たない場所でぶっ倒れており、永田さんだけが一人定位置の座席でじっと耐え続ける。こんなに荒れている海面よりも、いっそのこと海中に潜って潜水艦のように突き進んでもらいたいと真剣に思う。たった一泊の旅なのに、、、食べることだけが楽しみなのに、これじゃあ船酔いがメインの旅になっちゃうよ、食い気より吐き気だよまったく、、、
昔「♪胃液吐くまで〜」って片岡鶴太郎の歌があったけど、本当にキツイのは、胃液まで吐き尽くしたあとなのだ。経験談。
「釜山上陸」13:10
悪夢の3時間は約3時間で過ぎ(当り前)韓国第2の都市・釜山に到着。神戸や函館のように、海のすぐ近くまで小高い山々がせまっており、その斜面にビルが密集して建つ。エネルギッシュな韓国パワーに、弱りきった胃を抱え少々気後れしてしまう我々。
長い通路をふらふらとしながら税関へ。簡単な入国手続きを済ませ、やっとやっと、隣の外国、韓国・釜山上陸を果たす。「アンニョンハシムニカ!(こんにちは)」。両替カウンターで日本円を韓国ウォンに両替する。さて、韓国経済救済のためにも焼肉を食いまくってウォンを遣いまくるぞお!うぉ〜!って胃がどこまで復活するかにもよるなあ。
まずは今晩の宿泊先「釜山ツーリストホテル」を目指す。観光案内所の女性によれば、徒歩10分程度とのこと。おおざっぱな地図だけが頼りだ。目印としてはホテルのすぐ近くにある「釜山タワー」。小高い丘の上に建っているので、近くまで行けば見えるはず、、、だが、いきなり道に迷う。「柴田隊長!道が違っているようであります!」「そ、そ〜言えば、あれ?後ろに見えるのが釜山タワーだよねえ?」と柴田隊長。釜山は日本語が結構通じるようだけど、一般人に道を尋ねるのは勇気が要るもの。ま、初めての釜山の街並みを眺めながら歩くのも楽しいし、ぷらぷら歩こうか。
赤や黄色の原色が目立つハングルの看板と、ひと昔前の日本を思い出すような古い建物。見るものすべてが日本のようで、実はまったく違う外国。人だってそうだ。ちなみに、ハングルの意味は偉大なる言葉。「ハン」は偉大な「グル」は言葉。だからハングル語という言い方は間違いなのだ。
そして、歩きながら徐々にゲロゲログロッキー状態から脱出しつつある我々。意外と早い回復ぶりには我ながら驚きだが、帰国まで3、4食分の時間しか無いのだから、一時も早く回復して「食い気」を前面にもってくるのが我々の使命なのだ。店のチェックもしながらホテルへ向う。まずはあっさり冷麺か、、よしよし、食い気も出てきたぞっ。
「いよいよ食の巻」
「釜山ツーリストホテル」に到着。部屋に荷物を置き、ホテル近くの食堂に入る。店の前には「かるび」「びびんばぷ」「冷麺」などと日本語で書かれている。分かりやすくてよろしい。
「いやあ、早くも疲れたねえ!ビートル号にはホントやられたよなあ!」「まあ、とにかく食うべえ!」冷麺2つ、石焼ビビンバ2つ注文。大衆食堂といった感じの店内、我々は入り口近くのテーブル席に座ったが、奥は座敷になっている。客はサラリーマン風の男が一人、遅めのランチだろうか。店主らしきデブッちょのアジュマ(おばさん)と親しげに話しながらキムチなどを食べている。我々にとってはからっぽの胃に流し込む朝食でもある。最初にキムチが数種類テーブルに並べられる。白菜、大根、にら、などなど。ご飯だけもらえれば、おかずはキムチだけで十分という程の量だ。日本風に言えば、おしんこかお通し代りのようだ。箸とスプーンは銀色の金属製。ご飯はスプーンで食べ、器は手で持たずに置いたまま食べるのが韓国式マナー。
さて、お待ちかねの冷麺が登場。余談だけど福岡では冷し中華のことを冷麺と言う。なんかインチキくさいね。で、本場の冷麺は大きめの銀色のどんぶりに入って登場。麺の原料はたしかどんぐりの粉。店員のアジュマが目の前で、長〜い麺を大きなハサミでバチン!バチン!と豪快に切ってくれる。続いて石焼ビビンバ。「ビビン」はまぜるの意「パブ」ご飯。要するにまぜご飯のこと。スプーンで、ぐっちゃぐっちゃに、これでもかこれでもかとまぜる。通はスープを少量かけてまぜる。これが韓国流おいしい食べ方。
「いっただっきま〜す」お味の方は、、韓国食チャレンジ早々に、冷麺担当の美弥子さんの箸が止まる。表情が硬い。元々好き嫌いが激しい美弥子さん、早くもギブアップか、、、柴田は順調そうだ。一方、石焼ビビンバ担当の永田さんと僕。ひと口食べてにんまり。「こりゃあうめえ!」ほどほどの辛さで、味がご飯に良くしみ込んでいる。さらに石焼ビビンバと一緒に付いてきたスープを飲んで、永田さんも僕も思わずうなる。「う〜ん!ぐー!」「こらあ、まじでうんめえ!」と永田さん。クリクリの目さらに大きく、驚きの表情。「マシオッテヨ!(うまい)」。きっとカルビタン(カルビスープ)のスープだと思うけど、これは絶品だ!ダシと旨みが良く出ていて、、ん?気が付くと美弥子さんの恨めしそうな視線が突き刺さる。う、、、食べ物の恨みは後々怖いぞ、、、ということで美弥子さんと席をチェンジ。僕が冷麺を食べることになった。
ハサミで切ってもらったのに、それでもまだ十分に長〜い麺。そして噛み切れないほどの驚くべき弾力だ。味の方はというと、いやいやどうして、これが実はさっぱりしてけっこううまいのだ。麺も独特の味がある。美弥子さんは酢の匂いが嫌だっただけのこと。 最初の店にしてうまいもの食えて、皆満足。船酔いからも大分脱出できたようだ。
さて、腹ごしらえができたところで次なる行動に移ろう!たった一泊の韓国旅行、我々にのんびりしている暇など無いのだ。現在午後2時半。24時間後には既に帰路についているはず。さあさあ!と思ったら「いやあ、食ったら休みたくなったんねえ〜」とご長老永田さん。「メインの夕食までに体を休めて、万全の体制で焼肉などに立ち向かうんべえ」というのが前向きに見せかけるご意見のようだが、当然そんな意見は無視。さあ、次っ!
「釜山観光」
我々が宿泊する「釜山ツーリストホテル」の周りは飲食店などが密集していて、裏通りだけど賑やかな雰囲気だ。ホテル入り口の斜め前にある喫茶店は、何だか怪しげな感じで、高級クラブ風の綺麗な服を着た女性が数人、入り口近くのソファでお客様を待っている。興味本位でちょっとのぞき込むと「いらしゃ〜い」と甘〜い日本語が聞こえる。ニコッと微笑みを返されると、思わず引き込まれそうになるけど、一体、何の店なのだろう?高級喫茶店で女性が話し相手になってくれるのだろうか?それとももっと危険な店だろうか?今となっては確かめようがないけど、他でもこの手の店を見かけたような気がする。誰か知ってたら教えてチョ。
僕がそんな怪しい店に気を取られているうちに、他の面々はホテル隣の、みやげ物屋で店員に捕まっている。日本語が上手な女性店員に「韓国のり」を勧められているようだ。知っている人も多いと思うけど、韓国のりとは塩味が強烈なパリパリのりだ。日本ののりと比べるとのりの密度が低く、隙間がけっこうあいている。「どぞどぞ食べてくださ〜い」と親切な店員に勧められるままに試食。「種類によって味がちがうねえ」「うまいねえ〜」「血圧に悪いねえ〜」と、あ〜だこ〜だ言いながらパリパリ食う。「じゃ明日買うんべえ」って店員さんゴメンね。でも絶対、明日買いにくるよ。
店頭脇に無造作に置いてあるのは、石焼ビビンバ用の石鍋セット。日本円で2000円以下という価格だ。日本の通信販売では「2セットで何と驚き特価9800円!」なんて価格で売っている物なので、絶対お買い得だとは思うのだけど、、重そうだなあ、、
韓国の商売人は日本人を簡単に見分ける。そして日本語で声をかけてくる。時にはタクシーの運転手だってそうだ。でも走っているタクシーの運転手から声をかけられて、立ち止まってしまうのは永田さんくらいだろうけどね。「それは営業ですヨ、永田さん」
ここは、釜山の青山・原宿といった雰囲気の、若者オシャレ・ブランドストリート。途中「NIKE」ショップに立ち寄る。柴田くん先導でサッカーユニフォームをチェックしていると、すぐに若い店員が来て売り込みを始める。またも商売上手で強引な韓国人の一面を目の当たりにして、少々恐縮してしまったけど、柴田くんもまったく買う気は無かったようで、、さっさと退散する。
「チャガルチ市場(シジャン)」
片道3車線、中央分離帯なし。戦争の時、飛行機が道路に離発着できるようになっている道路があるらしいけど、この道はどうなのだろう?ちなみに韓国は徴兵制度のある国だ。成人男子は2年半の軍隊生活を送ることが義務づけられている。2年半?、、俺が福岡に引っ越してからの期間と同じじゃないか。単なる偶然では無いような気も、、俺もよく耐えているなあ、、もうそろそろ、、って独り言。
その広い道路を、地下道を通って渡る。「チャガルチ市場」は地元の人々で大変賑わっている港市場だ。屋台では、そーめんのような麺に真っ赤な唐辛子らしきものをたっぷりかけて食べている人達がいたり、生魚や干物などを一生懸命に声をからして売っている人達がいたりと、アジアの活気が感じ取れて、旅気分上々。なんだか嬉しくなってくる。建物の中は、赤や黄色の原色がキラキラと光って、日本の市場とは全く違った雰囲気だ。
「いらっしゃい!さしみ!さしみ!」としつこいくらいに声をかけられる。日本人はとっても刺身好きと思われているのだろうか。どうやら1階の店で買った新鮮な魚を、2階の食堂で調理して食べさせてくれるらしい。視察に行った柴田くんと美弥子さんの報告によれば、2階には広〜い座敷が広がっており、海の家のようだったとか。
うじゃうじゃの人ごみの中を、軽トラック、リヤカー、バイクなどがすり抜けて行く。「くるま!くるま!くるまっ!」と大声で怒鳴られ、ん?車まで売っているのか?と振り向けば、真っ赤な顔して怒った表情のおじさんが睨みつけていた。うわっ!。
「ちょっと休憩」
歩き疲れたので、喫茶店に入る。ハングルで喫茶店ってどう書くのだろう?と考えたところで分かるはずもない。ビルの2階にそれらしき店を発見。「まあ、間違いなかんべ」。
スペースがもったいない程にゆったりとした座席は、美容室の待ち合い席のようでもある。メニューにはカット、パーマ、、って書いてあるわけないでしょ。「オレンジジュースジュセヨ(ください)」と永田さん「キウイジュース、ジュセヨ」と柴田くん。共に日本のジュースと変わりなかったようだ。ホットコーヒーの美弥子さんはというと「アメリカンより薄いコーリアン」だって。で、変わっていたのは僕が注文した「トマトジュース」。よく考えるとまだ幾分の船酔いが残っているようにも思え、二日酔いの定番飲み物である「トマトジュース」を注文したのだ。当然日本のような濃縮還元!の塩味の効いた真っ赤な「トマトジュース」を想像していたのだけど、出てきたジュースを見てビックリ。なにやら種のような物が沈殿しているようで、上下2色に分離している。そして味わってまたビックリ。生のトマトをジューサーにかけただけのような、そのまんまトマトのジュース。「とまとジュース」とひらがなで書いた方が、感じが出るかな。味に慣れてくると、自然の薄味がとってもうまい!いつか自分で作ってみよっと。
さてさて、メインの夜に向けて再ミーティング。「ホテルに帰って寝るべえ」と相変わらずの永田さん。日本でおとうちゃんの帰りを待つ、永田さんの妻子のことを思うと、これ以上ご長老の意見を無視するわけにはいかないねえと、優しい目をする柴田くん。「俺も一緒にホテルに戻るよ」って、ホントはあんたも疲れたんでしょ? で、時間的余裕が無い僕と美弥子さんは別行動を取ることに。ホントは僕も疲れているんだけど、、
2階窓際に座る我々の席からは外の通りが良く見える。気が付くと、いつの間にか屋台リヤカーが次々と、幅6mほどの道の中央に並べられている。夜間専門営業の屋台の準備が始まるようだ。何の食べ物だろう?その屋台の店主と思われるアジュマ(おばさん)達が、頭の上におぼんやボールを乗せてぞろぞろと現れる。雰囲気出てきたねえ。
喫茶店を出て、同じビル内で「パソコンショップがあるから行ってみよう」と、先陣を切る柴田くん。一人で店に入り受付の女性と何やら話しをしている。「インターネットカフェだって!高校生がゲームしてたぜっ!」と、店の外で躊躇していた僕達に自慢気に説明する柴田くん。臆することない柴田くん。「あんたは旅の鉄人ばい!」
「二人散歩」
ホテルに戻った永田さん、柴田くんと別れ、残された我々二人は賑やかな国際市場をぶらぶらと歩く。今まで4人で歩いていたので、2人になると少々心細い気持ちもする。
小さな飲食店が多く、夜の営業を前に店員が食事をする姿が外から見えるのだが、女性は板の間で片膝を立てて食事をしている場合が多い。行儀悪くも見えるのだが、後で分かったことなんだけど、韓国の女性は昔、チマチョゴリという日本の着物のような物を着ていて、片膝を立てることにより長いスカートの中に空間ができ、オンドルという言わば床暖房からの暖かい空気をそのスカートの中にためて温まっていたらしい。そのなごりが今でもあるとか。歴史あっての風習なんだねえ。
国際市場は、とにかく色々な物売っている問屋街だ。金物、食器、日用品、衣料品、食品、靴、かばん、などなど。上野・アメ横の10倍くらいの広さがあるかも。
ゲームセンターに入る。ゲーム機で韓国ウォンを使ってみようと思ったのだ。さーて、どのゲームにしようかな?と説明書きを見ても分からないので、単純そうなプリクラ韓国版を選ぶ。1000ウォン(100円以下)を投入、、あれ?さっぱりダメだ。動かない。そこへ助っ人韓国人が登場。しかし、韓国語で色々説明してくれても言葉が分からず理解できない。それでも一生懸命に説明してくれるおじさんに、こっちも必死に意味を分かろうとする。すると不思議なもので、身振り手振りでどうにか意思は通じるもので、結局あと1000ウォン足りないということと(ゴメン、、)その機械の使い方が何とか分かった。おじさん「カムサハムニダ(ありがとう)」で、そのおじさん、てっきり店員かと思ったら、外に止めてあったチャリにまたがり、さっそうと走り去った。ただの通行人だったのかな〜?
「夜の部へ」
ホテルに戻る。1時間ほど仮眠を取り、永田さん達の部屋へ。時間は夜7時。ぐっすり寝ていた永田さんとは対照的に、周辺のお店チェックなどバッチリチェックしていた柴田くん。「ガイドブックに載っていた焼肉屋を見つけたぜ!」と得意気な柴田くん。エライ!しかも「そのあとでロッテホテルのディナーショーを見よう!」との提案。エライエライ!
「焼肉食う時間は1時間位しか無いけど、、」「オッケー!オッケー!がんがん食うベえ!」と寝起きで元気復活の永田さんと僕。だけど普段着しかないけど大丈夫?しかも汚いサンダルなんだけど、、「ジャパニーズオーケー?」と電話予約もスムーズな柴田くん。「8時45分までに入場してくれだって。タクシーで20分くらいかな?やっぱり焼肉食うのは1時間位だねっ!」時間計算もバッチリ柴田くん。「あんたは旅の鉄人ばい!」
「待望の焼肉屋」
しかし、そんなに誉めて持ち上げても、しっかりコケさせてくれるのも柴田くんらしいところであり、、結論から先に言うと、柴田くんがガイドブックに載っていたと言ってた焼肉屋は、実は全く別の店だった。でも、それに気が付いたのはずっと後のことで、、
とにかく「レッツゴー焼肉!」。今回、旅のメイン的期待度大の焼肉屋へ。ホテル横の坂道を駆け登ること50m。「はあはあ、、」右手に見えるは、ああよだれタラタラの焼肉屋!「焼肉・大塔」店名がガイドブックと違うなんてことは、この時点の我々には気が付くはずも無し。だから柴田くんを責める資格など全く無し。階段上って2階の入り口から。
「アンニョンハセヨー」奥で片膝を立ててくつろいでいた女性店員達が、さささっ、、と散らばる。ひょっとして我々が今晩の初客?ガイドブックに載っている店なのに(載ってないって)。靴を脱いで、オンドルという韓国式床暖房の客席へ入る床はピカピカ光っていて、派手色の座布団が韓国らしい。4人掛けの座卓が10卓以上だろうか、結構広い座敷だ。一番奥、隅の席へ案内される。他に客はいないのだからどこでも良さそうに思うのだけど、、あ、そうか、これから客がわんさかやって来る時間なんだね、きっと。有名店だもんね(有名店じゃないって)。
とりあえず「メクチュ!メクチュ!(ビール!ビール!)」聞いているんだか、聞いていないんだか、日本語分かるんだか、分からね〜んだか、とにかく無愛想なお姉ちゃん。そして適当に、カルビやプルコギ(タレに漬け込んである肉、初めて食う)などを注文。
「乾杯〜!今日はホントにお疲れ〜!」ここまで辿り着けるとは、嗚呼感無量、、、皆で感慨にふけっていると、さっきの無愛想なお姉ちゃん再登場。立ったままの体勢で前かがみで肉を焼き始める。床に座っている我々を見下ろすような格好で、パッツパッパッと手際良く焼く。「ニク、ニク、ヤサイ、ヤサイ、タベル、タベル!」とカタコトの日本語を喋りながら、相変わらず無愛想なままパッパパッパと肉を焼く。ロッテホテルのディナーショーの開演時間が迫っており、のんびりしていられない我々にとっては、このお姉ちゃんの手際の良さは都合良くもあったのだけど、じっくり味わう余裕も無いほどのスピードでひたすら食うのは、なんだかあじけない。会話を交わすのさえ遠慮してしまう程の迫力に、少々憎たらしさも覚える。しかし、好き嫌いの多い美弥子さんに、有無も言わせずに食わせてしまったのには、恐れ入谷の鬼子母神。「サービス、サービス!」と言いながら、永田さんのコップにビールを注ぐ。普通、韓国の女性が男性にビールを注ぐことは、めったにしないのだけど、おじさん気に入られちゃったのかしら〜?
一通り注文が済んだと判断したのか、お姉ちゃんはスッと奥へ消える。「まったく、あじけねーよなあ!」などと、お姉ちゃんがいなくなってから文句を言う我々。やれやれ。
結局、最後までお客は我々だけだった。肝心の肉の味はと言うと、、よく分かんねえや!
「五つ星・ロッテホテルのディナーショーへ」
タクシーを拾う。黒いタクシーだ。柴田くんいわく「模範タクシーで良かったあ〜」。10台に1台くらいの割合らしい。韓国のタクシー(バスも)ウンジョンスー(運転手)は質が悪く、ひどいやつもいるらしい(実際、我々も最終日にそれを経験することに)。
模範タクシーの運転手は、これまたカタコトの日本語ながらも、親切丁寧に話しをしてくれた。「良い人で良かったね、永田さん」後部座席でようやく焼肉の味を思い返す我々。 8時45分の入場時間には、何とか間に合いそうだ。「焼肉屋のあのお姉ちゃんのおかげだね、悪い人では無かったよね。いや、俺達にとってはとっても良い人だったんだよ」「うん」一同うなずく。「永田さんにビール注いでくれたしね」。後から人気急上昇の人。
我々の宿泊先「釜山観光ホテル」とは比べ物にならないほどに豪華な、「ロッテホテル」の正面エントランスから堂々と入場する。正装とはほど遠い、清掃、、向きの格好では、ちょっと浮くねえ。恥ずかしさで頭の中真っ白だったワケではないけど、会場を間違えて、恐らくは怪しげな宗教団体のセミナー受付と思われる所に行ってしまう。やばいやばい、、統一○○だろうか?やばいやばい、、 改めて、隣の入り口へ。
その名も「ラスベガスシアター」ショーは「スターバースト・フロムパリ!」そしてここは韓国・釜山、、いやあ、インターナショナルだねえ。観客もさぞかし国際色豊かなことだろう、、と思いきや、ほとんど日本人。しかも客席ガラガラ、、ありゃ?何百人収容できるのか知らないけど、かなりデカイ劇場で約3割の入り。こんな程度で採算合うの?と余計な心配をしてしまう。ステージもデッカイなあ〜。
席に着き、ドリンクを一杯ずつ注文したものの、料理を注文するほどの金銭的余裕は無し。これじゃあディナーショー改めドリンクショーだよ。トホホ、、そんな哀れな我々を見るに見かねてか、優しいボーイさんが「乾き物スナック盛り合わせ」を持ってきてくれた。もしかしてチップ目当て?
「やべえ、、お、俺の席やばくねえか?」「は?」「俺の席やばいよ、、」と永田さん。そう、我々の席はステージ通路脇一番前にあり、僕と永田さんはよりステージ側に座っている。他の観客から見られているように感じ、ダンサーの気分も味わえる特等席。しかし、「ストリッパーが目の前に来たらど〜すりゃあいいんだよ」「んなこたあ、ないでしょ」って言いながらも実は僕も内心ドキドキだったりする。そういうショーじゃないでしょ? ところが、いきなりオープニングから予感的中。金髪トップレスの外人ダンサーが目の前に、、「おいおい、、」永田さんも僕も目のやりばに困ってお互い見つめ合っちゃったりして、、
ステージは、前半金髪チーム、後半韓国地元チームと2部構成になっていた。中でも韓国雑技団(?)による踊りと演技は見ごたえがあった。帽子のてっぺんに長〜いひもを付けた、キョンシーのような格好をした男が、頭をぐるんぐるんと回しながら踊る姿は、ユーモラスで力強くもあった。そして圧巻だったのがフィナーレの太鼓乱れ打ち。ひな壇に並んだ人達が、左右の太鼓をリズミカルに打ち鳴らし、我々の心を打つ。う、うまい、、、
帰り際、最上階のラウンジで夜景を眺めてみようということになった。もう既に閉店時間は過ぎているが、そこはホラ、柴田くんがいるじゃないか。ねえ、柴田くん、、って言う前にすでに一人でラウンジ奥へ、スタスタと侵入して行く。「夜景を見せてくださ〜い」と日本語で言ったのか、英語で言ったのか知らないけど、柴田くんの勢いに圧倒された店員は、迷惑そうな顔をしながらも「ちょっとだけよ」と許可してくれた。重ね重ね、「あんたは旅の達人ばい!」海外旅行には、パスポートと柴田くんは忘れずに。
夜景は我々の予想以上に美しく、釜山港側と、反対の新興住宅地側のそれぞれ違った夜景が眺められた。住宅地方面へ高速道路のような道が延びており、家路に向う車のテールランプがきれいに続いていた。店員さんサンキュー。あ、柴田くんもね。
「地下鉄初挑戦」
帰りは韓国地下鉄初挑戦。日本の自動券売機と違い、韓国の場合行き先ボタンを先に押してからお金を入れる。それは知っていたのだけど、さて、その券売機がどの機械なのか、、同じようで違う機械が並んでいる。「あ、これだね!」と柴田くんがコインを投入した機械は、「残念、ハズレ!」何と、それは宝くじの発売機だった。「なんでこんな所に宝くじ発売機があるんだよお!」と悔しがっても払い戻しできるわけでもなし。「記念にとっておいたら?」と他人事の僕。しかし、ど〜考えてもキップと間違わせて買わせようとしているとしか考えられないよなあ。たぶん同じ間違いをした日本人観光客って、きっといると思うなあ。
「新平駅」方面行きの電車に「南浦洞駅」まで乗車。ホームを探す時にも少し迷って、「新平、新平、坂本しんぺいちゃ〜ん!」とハングルが分からずに苦労したけど、無事に乗車。車内は深夜11時過ぎだというのに結構混んでおり、それぞれ専用のつり革を確保する。静かな車内で日本語を喋っている我々に、けげんな顔つきの韓国人。中でも真っ赤な服を着た金髪長身の男、柴田くんは目立つようでジロジロ見られる。「こいつどこの外国人だあ?」と思われているに違いない。でもそんな周りの雰囲気なんて、おかまいなしに人一倍大きな声で喋る柴田くんは、まさに変な外国人だ、ここが変だよ日本人。
「ホテルにて」
帰りがけ、コンビニで食料を調達。本場焼酎「真露」も入手。柴田くんは屋台の餃子をゲット。1泊旅行、最初で最後の釜山の夜にとどめの「乾杯!」だ。昨晩博多で今晩釜山。「旅はいいねえ〜」あれほどキツかったビートル(船)酔いも、今思えば酔い思い出、否良い思い出、とは言えないのだねえ、、、これが。だって僕と美弥子さんは、また同じ船で帰るのだから。ちなみに永田さんと柴田くんはもう一泊して、飛行機でラクラク帰国予定。「明日の天気も悪いみたいだし、また波が荒れて揺れるんだろうなあ、きっと、、」トホッ。
「エエイ!なるようになれっ!」と真露をあおる。本場の真露は甘ったるい味で、辛い料理にはちょうど良いのかも知れないけど、晩酌には甘さが口に残っていまいちだった。
それと、永田さんより深夜の海外迷惑電話攻撃の被害に遭った方々に、この場を借りて、謝っておこう。天田さんに坂本さんに、、だけど酔って電話する人って多いよね。僕も、、、
〜9月17日(金)〜
嗚呼、悲しき1泊旅行。2日目が最終日。4人全員無事、全員集合で朝食を食おう。「しじみ25」という店に直行。昨夜チェックしておいたのだ。飲んだ翌朝のしじみ汁、想像しただけでもお腹の中が熱くなってきそうにワクワクする。恐らく昨日行った「チャガルチ市場」でも、熱々のしじみ汁が売っているらしいけど、ホテル近くの小さな食堂でパッと済ませようと思う。昼すぎには出国予定なので、時間が無いのだ。
「アンニョンハセヨ〜」「・・」どうも日本語は通じないらしい。店名は日本語なのに。メニューのハングルを勝手に解読すると、しじみ汁単品か、朝食セットのどちらかしか、ないようだ。全員セットで注文。ここでも最初に数種類のキムチがドン!と出てきた。日本のおしんこ付け合わせと同じだが、量が違う。どこの店でもとても食べきれない程のキムチがドン!と出てくる。これは全部食べなくても全然かまわないらしいけど。
そしてお待ちかねの「しじみ汁」とごはんが登場。さて、ごはんはキムチをおかずに食べるべきか、しじみ汁の中に入れて食べるべきか。悩むなあ、、、しじみは殻を取ってあり、たくさんの身が塩味の効いたスープの底に沈んでいる。「ふ〜っ、ふ〜っ、ずずず、、、ごくんっ!」あ〜、疲れた胃にじゅわ〜っと染みわたる、しみじみ染みわたる、、、ん?日本で味噌汁の具としてのしじみもいいけど、塩味スープのしじみ汁をこれまた釜山風でうまい。しかし、しじみ汁で優〜しく包み込まれた胃袋だが、ほっとしてはいられない。今度はキムチの辛さ攻撃に耐えなければならないのだ。この繰り返し。まさにこれこそ釜山式、二日酔い解消食事療法「朝食アメとムチ攻撃」。くせになりそ〜。
さてさて胃袋も落ち着いたところで、今日の予定だけど、まずはホテルすぐ裏にそびえ立つ「釜山タワー」に登ろうと思う。釜山のシンボルタワーがすぐ近くにあったのだが、まだ登っていなかったのだ。その後、みやげ品を買い込んで、昼めしを食べて、大急ぎで恐怖のビートル号に乗り込む。永田さんと柴田くんは、僕と美弥子さんを見送った後、温泉にでも行ってのんびりする予定とか。どうやら船酔いゲロゲロ地獄チームと温泉ほっかほか天国チームとに、明暗はっきり分かれたようである。やれやれ、、
「釜山タワー」
途中雨がぽつぽつと降りだし、待ってましたとばかりに待ちうける、カサ売り屋台のおじいさんと遭遇。このおじいさん、柴田のことを日本人とは思わなかったようで、日本語を喋れるのに最初戸惑っていた。で、カラフルなでっかいカサを購入。 釜山タワーまでの長い階段を上るのはしんどいから、エスカレーター付きの別方向から行こう、という柴田くんに従って歩いてきたのだが、なんとエスカレーター始業前、、、ガーン!さ、さあ上りますか。止まっているエスカレーターを力無く上る。普通の階段の方がよっぽど上りやすいよ。「永田さ〜ん、大丈夫っすか〜!」と言いながら、自分もかなりキツイ!
はあはあと息を切らせながら、釜山タワーがある竜頭山公園にたどり着く。小高い丘全体が公園になっている。「うわあ〜!」カサが飛ばされそうな強風だ。雨も横なぐりに降っている。エスカレーターは屋根付きだったので気が付かなかったけど、かなりの悪天候になってきたようだ。「ムフフ、、これは、台風かあ?ビートル欠航かあ?」かすかな期待に胸を躍らせたりして、、
入場券を購入し、エレベーターでタワーてっぺんの展望台まで一気に上がる。展望台の高さは118m。釜山の町並みが広がる。釜山港、チャガルチ市場も良く見える。「大きな港町だなあ」。「あのビルの屋上のかめみたいなの何だんべ?」と永田さん。「キムチを漬け込むかめかなあ?」確かめなかったけど、恐らくキムチ用だと思う。ビルの屋上や、階段などに、たくさんのドラム缶やかめがあった。今度確かめてみましょう。 国際旅客船ターミナルを見ると、ビートル号が停泊中だ。小さいが良く見える。ちょうど10:15発の便が出航する時間だ。「あいつが出航しなければ、、、」という期待も虚しく、定刻通りに動き出す。「なんでこんな悪天候なのに行ってしまうのよ〜!」ビートルの97%という高い就航率が、非常〜に恨めしく思える。「しょうがねえよな、、、」覚悟を決める僕。同時に昨日のあのスッパイ感覚がよみがえる。うえっ、、、
帰り際、タワー出口前で土産物店のアジュマ(おばさん)につかまる。まだ時間が早いこともあってか、客は我々のみ。日本語での強引な売り込み攻撃にたじろいでしまう。一生懸命さが伝わり、ついつい買ってしまった。永田さんは、奥様お子様お揃いTシャツ。僕は「2002年サッカーワールドカップ」のインチキ帽子。
お化け屋敷のような水族館で、人面魚ならぬブタ面魚(笑えた)を見てタワーを出る。 上って来た階段とは別の、ホテル方向の階段を降りる。「こっちの階段の方がぜんぜん近かったねえ、柴田くん」。途中、昨晩の焼肉店前で記念撮影。
「チェックアウト」
ホテル横の土産物店で、昨日の約束通りに大量の「韓国のり」を買い込み、更にコンビニでも「韓国のり」を買い込み、一旦ホテルに戻ってチェックアウト。エントランス脇で終始きちっと背筋を伸ばし、直立不動だった案内係のお姉さん、さようなら。今思うと、松田聖子にちょっと似ていたね。
「最後の(?)昼飯」
帰国前最後になる食事は「参鶏湯(サムゲタン)」を。店は柴田くんがチョイス。ホテル近くの小さい食堂に入り、めいめい好きな物を注文する。僕は「参鶏湯!」 参鶏湯とは、丸ごとの鶏の腹にもち米や高麗人参等をつめて煮たもので、あっさりした塩味だ。日本の焼肉店でも食べたことがなく(価格が高い)初挑戦である。味はというと、塩味のおじや風で、スープはおいしかったけど、鶏の小骨が多いのが食ベづらかった。
「国際旅客船ターミナルへ」
雨はそれほどではないけど、風が一段と強まりつつある中、、しかし、こんな悪天候で出航するの? 我々4人は旅客船のターミナルへ向う。「再見!」と書かれた大きな横断幕、昨日見たばかりなのになんだか懐かしい。ゲロゲログロッキー状態で入国した港へ、出国のために再びやってきた。見送り組と、荒れ狂う大海原への出陣組とに分かれて。それでも、ほんの少しの期待を胸に、、、
窓口へ行くと張り紙があった。「悪天候のため14:00発のビートル号は欠航とさせて、、、」おお!な、なんと本当に欠航だあ。「欠航、結構!欠航、結構!」仕事に支障をきたすって言ったって、しょうがないもんねえ。「お、温泉行きましょ!温泉!」と気持ちだけが先走り。しかし、単純に喜んでばかりはいられない。帰国予定の船がダメになったのだから、もう一泊するにしてもチケットの手配やら何やら、すぐに動かなければならない。「ああ、頭ん中こんがらがってくるよ」そうだ、こんな時は柴田くんに、、、と思ったら、もう既に動いてくれていた。さすが!
窓口で払い戻しの手続きを済ませて、明日の飛行機のチケットを手配することにする。こんな時に仕事のことは考えたくないのだけど、僕の場合、明日、まる1日会社を休むわけにはいかず、午後からでも出社しなければならない状況なのだ。天気が回復して、夜の関釜フェリーが出航すれば(釜山―下関)、明日の朝、山口県下関市から新幹線で博多へ向うという方法もあるが、それでも会社に出社するのは午後になる。それに大型フェリーとはいえ、まだ海が荒れていたらビートルの悪夢再びであり、とても熟睡などできるはずなし。どう考えても明日の飛行機がベストという結論に至ったのだ。「参ったねえ、欠航じゃあねえ。仕事のこと考えたら、温泉行っても落ち着かないしねえ〜、、、いひひひ、、、」
「大韓航空へ」
永田さんと美弥子さんを待合所に残し、柴田くんと2人で大韓航空へ行ってみることに。歩くこと10分、昨日道を間違えた方に大韓航空のビルはあった。どうも墜落事故などのイメージが強い大韓航空だけど、わがままは言っていられない。
「ジャパニーズOK?」いつもの調子でこんにちは。困った様子のカウンターレディ達。日本語の分かる人がいないのだろうか?ちょっと不安になったが、数人の視線がある一人の女性に向けられ、その女性は照れた表情で「どぞ、どぞ」とカウンターに座るように勧めてくれた。幸運なことに一番きれいな人だった。韓国では恐らくキリッとした目尻の吊り上った美形タイプが美人とされるのだろうけど、この人は日本風のかわいらしさを兼ね備えており、笑顔がまた、、あ、どーでもいいね。で、肝心のチケットは満席で確保できず。「げっ!」余計なこと考えてるから、、仕方がないので日本航空(JAL)の電話番号を教えてもらい、一旦は諦めかけたのだが、そこはほら日本人っぽい顔つきの彼女。どうにか座席を確保してくれた。JALにお客を取られるのが、しゃくだっただけかな? 一人約1万円、思ったより安く入手できた。
「再び釜山観光ホテルへ」
再びチェックイン。同じ部屋を取り、再び荷物と共に部屋に戻る。時刻は午後3時。すぐに温泉へ出かけたいところだが、一つだけやっておかなければならないことがある。それは会社への電話だ。この状況を説明し、明日遅刻する旨を連絡しなければならない。まったく、海外旅行中に会社に電話なんて気が重いけど、これも仕方がないね。ちなみに美弥子さんの場合「泳いで帰ってきて!!」と言われたとか。
「いざ温泉へGO!」
台風の恩恵にあずかり、ありがたく温泉へ向う。地下鉄で駅名は「温泉場」そのまんま。日本人にも非常に分かりやすくてよろしい。我々には、地下鉄はもう慣れたもの。すんなりと「温泉場」駅で降りる。しかし、降りてからが問題だった。駅から徒歩10分程度のはずなんだけど、、詳しい地図は持ち合わせてなく「地球の歩き方」と、柴田くんが図書館から借りてきたガイドブックだけが頼り。図書館から借りてくるなんて柴田くんらしい。実際ガイドブックって年々新版が出るから、図書館を利用するのはとっても有効かもしれない。でも詳しい地図がないと、、あ〜あ、道に迷った。
ここは釜山の街中とは違い、日本人観光客がウロウロしているような場所ではない。温泉場なのでそれなりの雰囲気と賑わいはあるけど、都心から離れると地元住民の視線も冷たく感じる。食堂メニューにも日本語はほとんど見当たらない。「永田さん、なんだかやばい雰囲気っすねえ、、、」。 そこで困った時の柴田くん、さっそく行動開始。通りかかりの女性に声をかけ、道を尋ねる。20代の優しそうなその女性は、どうやら道案内してくれるようで、柴田くんがなにやら会話をしながら歩いて行く。その数メートルうしろをゾロゾロと付いていく我々3名。日本語が通じているのだろうか?「サンキュー、バイバイ!」と別れる。「英語が通じる人でよかったよ」と柴田くん。「英語で道を聞ける人でよかったよ」と僕達。 我々の目的地は案内してもらった場所のすぐ隣だった。周りの建物と比べてもひときわ目立つ近代的なビルだ。巨大サウナセンターのようだ。エスカレーターで受付階へ。」 受付にて「あの〜、日本人ですか?」と日本語で質問される柴田くん。「いえジャマイカ人です」くらいのギャグを飛ばしてくれたら面白かったと思うのだけど、しかし韓国人には何人に見えるのだろう?一体彼は。逆に聞いてみたかったなあ。
入浴料を支払う。本場韓国式のあかすりもある。「よし、俺はあかすりもやるべえ」と永田さん。「あ、僕は温泉に入るだけでいいや」と横目でチラリと永田さんを見ると、「俺を見捨てる気かあ」と目で訴えている。「は、分かりました。お伴いたします」。「あかすり一丁!」。美弥子さんも本当はあかすりを体験したい組だったのだけど、女性用は平日のためかやっていなかった。じゃあな。
やはり近代的な広い館内。コインロッカーですっぽんぽんになり、いざ温泉へ。温泉というよりスパ・ワンダーランドといった感じの広い風呂場。泡風呂や水風呂、サウナ、外には狭いながらも露天風呂もある。海水パンツをはいて入りたい雰囲気だ。タオルで前を隠すのは当然として、、と思ったら「ありゃ!」皆、ぶらぶら全開状態、、前を隠すかどうかで日本人と韓国人を見分けられる。それともう一つ、ロッカーキーのゴム輪を手首に付けるか足に付けるかでも見分けられることを発見。日本人は手首、韓国人は足首に付ける。足首に付けるなんて囚人っぽい感じがしたけど、とりあえず真似してみた。
広い風呂場の一角、階段を上がった所に、あかすりコーナーはあった。永田さんと一緒に恐る恐る入っていく。腰高の台(ベッド)が3つ並んでいる。客はいない。短パン姿のあかすり男が2人、暇そうに待っていた。「アンニョンハセヨ〜」しかし考えてみたら、風呂場の一角にこのあかすりコーナーがあるということは、我々はパンツをはいていないわけで、「すっぽんぽんで台上に寝るってことですよね、永田さん」別に他の人が見ているわけでは無いけど、やっぱり恥ずかしいなあ。あかすりのタオルでゴシゴシ、、、力まかせにゴシゴシ、、、(いていてえ)ローション塗ってヌルヌル、、、ニュルニュル、、、(うへっ)ビニールカバーの台の上で、まさに「まな板の上の鯉」状態。永田さんと隣同士の台で、されるがままの無抵抗状態の我々。チ○チ○をチョン!って触られたって、タ○タ○をヒョイ!と上げられたって、何の抵抗もできない情けない2人だった。ニュル、、、
先に風呂を上がり、くつろいでいる柴田と待ち合わせ。ファーストフードコーナーのような席があり、風呂上りの生ビールを注文する。「メクチュ、ハナジュセヨ(ビール1本)」 すぐ横で、10人くらいの地元韓国人らしき人達がTV画面にくぎ付けになっている。野球の試合だ。少々熱くなっている人もいる。ピッチャーが小池で、、えっ?あ、そうかオリンピック予選だ。たまたま「韓国VS日本」戦がソウルで行われており、生中継らしい。気まずいことに日本リード、やばっ。逃げよう、、、 あ、忘れてた。あかすりがダメで急きょ足の裏マッサージを受けてる人がいたねえ。美弥子さんだ。遅いねえ。実は噂の足の裏診断を受けているんじゃないか?「最高ですか?」
「地下鉄で釜山へ」
温泉とあかすりと生ビールで(一部の者、足の裏マッサージで)すっかり心地良い状態の面々。台風も過ぎ去ったのか、風も弱まり星空が広がり始める。 地下鉄で釜山に戻る、その途中での出来事。突然、コピー刷りの紙を1枚ずつ乗客に配り始める人。無言でさっささっさと配る。B5の半分サイズくらいの小さな紙にハングル文字が、手書きでびっしりと書かれている。昔、大学生の頃、過激派の連中が授業前などにビラを配っていたけど、同種の人だろうか?ハングルを勉強して解読してみようかな。
次にこれまた突然、今度は一人の男が大きな声で喋りはじめた。サラリーマン風の男が、何やら車内実演販売を始めた。透明のビニール袋を取り出し、右手には黒の四角い物を持っている。それが商品のようだ。ビニール袋に水を入れて、右手に持った四角い物でそのビニール袋を上から切る、否、圧着? すると、あら不思議、水の入ったビニール袋が、水がこぼれることもなく真っ二つに分かれた。「さーて、こんなに便利な商品がたったの○○ウォンだよ!さあ、買った!買ったあ!」とでも言ったのだろうか。2人が即購入。「うそっ」座席に座っていた男と、横に立っていた女。たった1、2分の出来事だったと思うけど、あっという間の商談成立劇。いやあ、お見事。そして電車は次の駅に到着。セールスマンが降りる。購入者の男も降りる。そして2人とも隣の車輛に乗り込む。「えっ?なんだあ?」さらに、もう一人の購入者の女が、ゆっくりと隣の車輛へ移動。「おいおい!お前らグルかよ。サクラだったのかあ!」がっくり。 だけどこんな場面に遭遇するのも、またフリー旅の楽しみの一つだよね。バスツアーだったらこんなことあり得ないもんね。地下鉄の出来事だから当然か、、、
「最後の晩餐」
広くはないけど、地下道が充実している釜山。やはり有事に備えてのことなのか。ずらりと売店が並ぶ地下道で、僕はサンダルを購入。ここ数年、東京にいた頃からずっと履いていた汚いサンダルの買い替えだ。日本円で1900円位。日本よりちょっとは安い、、、と喜んでいたら、実は日本人なのでボラれたかも?という疑問も浮上。ど〜なんだ? そして最後の晩餐会。どこの店にするかだが「最初の食堂に行きてえなあ」という永田さんの意見は満場一致で可決された。昨日の昼、一番初めに食べた石焼ビビンバの店だ。「あの、カルビタンのスープをもう一度!」と永田さん。僕は焼肉を注文したり、各自ばらばらに注文。この店は大衆店だけど、ほんとマシオッテヨ(うまい)。ビールの酔いも心地よい。足の裏健康法のマッサージを受けた美弥子さんは、人一倍にクラクラきており、どうやらマッサージで血のめぐりが良くなりすぎのようだ。「ヤッパリ最高のようだ」
食事の後、店のアジュマ(おばさん)と記念撮影をする永田さん。この店とってもお気に入りのようだ。写真を撮ってもらって喜んだおばさん(のび太のお母さんに似ている)写真を送ってくれと、店の住所が印刷されている紙を渡すが、字が分かりにくい。元々ハングル自体分からないのに、大丈夫だろうか。それと、永田さんのカメラのフィルムが実はモノクロだったとのこと。「写真送ったら、日本が遅れていると思われるんじゃないか?」と心配する永田さん。いや、届くかどうかの方がやはり心配でしょう。「カムサハムニダ(ありがとう)」いつかまた来るね。 ホテルに戻り、この旅の締めくくり、ビールでささやかに乾杯。ちなみにマッサージが効き過ぎた美弥子さんは一人ベッドでぶっ倒れている。ほおっておこう。 台風の影響で、結局2泊3日となった今回の釜山旅行。楽しかったですねえ。是非とも第2弾も企画して継続していこう。「し組」としてもね。2002年のサッカーワールドカップ観戦ツアーも実現したいしね。ちなみに柴田くんは1週間後にはソウルでサッカー応援だそうだ。「僕達とは動きが違いますねえ、永田さん」
〜9月18日(土)〜「ついに本当の最終日」
朝、ホテルのロビーで待ち合わせ。その前にホテルの喫茶店に寄る。トマトジュースを注文してみたが、初日に国際市場近くの喫茶店で飲んだ、生トマトジュースではなく、日本と同じ、濃縮還元のタイプだった。残念。美弥子さんが注文したコーヒーはやっぱり、アメリカンより薄いコーリアン。これが釜山の標準レギュラーのようだ。 両手いっぱいの荷物を抱えて永田さんが登場。朝から土産品を買い込んできたらしい。前日に下見をしておいた陶芸品の店などで買ったとのこと。柴田くんも相変わらずのマイペースで登場し、全員集合。「じゃ、行こうか」。案内係の松田聖子似のお姉さん、今度はホントにさようなら。丁寧なおじぎで見送られる。
「最後のTAXI事件」
さてと、空港まではタクシーを利用しようということで、ホテル前でタクシーを拾うつもりではあるんだけど、大きな荷物をたくさん抱えてどうしようかなというその時。近くに車を止めたタクシー運転手が近づいてきて、声をかけてくる。「クーコー?クーコー?」とカタコトの日本語だ。ちょっとポン引きっぽくてヤバイかなとも思ったが、たまたま、そのタクシーが少し大きめの車体で、荷物の多い我々にはちょうどいいかなということで、言われるがままに荷物をトランクに積み込んで、そのタクシーに乗り込む。黒い模範タクシーではなく、一般タクシーのようだ。
助手席には柴田くん。車が走り出した瞬間、突然、柴田くんが大声で叫ぶ。「メーター!メーター!」と料金メーターを指す。驚いて見ると、料金メーターはすでに走行距離が出ている。日本円にして3000円程度がすでに課金されているのだ。運転手は「ダイジョブ、ダイジョブ!」と平然としている。「ノー!ノー!」と再び大声で叫ぶ柴田くん。「ダイジョブ、ダイジョブ」と運転手。突然勃発した車内戦争に、逃げ場もなくただ呆然として後部座席で固まっている我々3人。なかなかメーターをリセットしようとしない運転手に、柴田くんは「I GET OFF!」と叫び、助手席側のドアを開ける(ちなみに走行中)。「おいおい!柴田がタクシー降りたらど〜なるんだよ、僕達は」ふてぶてしい態度の運転手も、柴田くんのそこまでの抵抗にやっとメーターをリセットする。やれやれ、、、
でもその後も、ぶつぶつとハングルとカタコトの日本語で文句を言いつづける運転手。時折「わからない!」「知らない!」などと抵抗する柴田くん。冷戦状態からいつまた車内戦争が勃発するかとビクビク状態で固まっている我々、後部座席3人組。「ど〜かテポドンミサイルが飛んできませんように」。運転手は「トラック、トラック、イッパイ!」と何度も訴える。バックミラー越しに後部座席中央に座る僕にも目で訴える。一体何のことだろう?車がたくさんで、ここで降りたらトラックがイッパイで危険だぞって言いたいのだろうか。「ナンバーウォンタクシー!」ということも訴える。これは分かる「NO1のタクシー会社なんだぞ」ってことが言いたいのだろう。「分かるよ、うん!」とバックミラーで後ろから目でなだめる僕。しかし、つり上がった細目は完全に怒っている。こわっ、、、
そんな緊迫状態のまま、20〜30分位だろうか、タクシーはやっと金海空港に到着。乱暴に車を止め、トランクから荷物を降ろす。車から降りてきた運転手に、運賃を支払う柴田くん。運転手は「トラック、イッパイ!」とまだ怒鳴っている。結局わずかだけど、おつりもよこさずに、ハングルで何か捨て台詞を吐いて、荒っぽく走り去った。 後で気が付いたんだけど「トランクいっぱい」と運転手は言いたかったのだろう。トランクにたくさん荷物を積んでいるから、その分余計に支払えということだろう。それでも「韓国はチップのいらない国、必要なし!」きっぱり柴田くん。「旅の途中で柴田くんを落さないで、ホントに良かったっすねえ!永田さん!」空港の便所で立小便しながらホッと一息。ぶるっ!
「金海空港にて」
そんなこんなで、この旅日記の1ページ目から続く。サブタイトルは「2泊3日、以上のような旅でした」と改めさせていただきます。 楽しいことやら、苦しいことやら、トラブルやらと、いろいろあった韓国旅行・釜山珍道中。金海空港でも関西空港行きJAL、永田さん、柴田くんの乗る飛行機のテイクオフ時刻が遅れたりと、最後の最後までハラハラドキドキでした。でもそろそろ2機前のJALも滑走路に入り、離陸体勢のようです。「あとは、墜落しないことを願うだけだね」。僕と美弥子さんは片道たった30分のフライトで福岡へ。まさか釜山から出勤することになるとは。永田さんと柴田くんは大阪経由で東京へ。無事テイクオフです! ここでお別れ、、、
おわりに、、、 この旅日記を最後まで読んでくれた貴方とも、ここでお別れ。またいつの日か、旅日記第2弾・ミレニアム特別企画などでお目にかかれるかもしれないけれど、是非次回の海外旅行には、貴方もこの旅日記の登場人物になってください。もっと楽しめると思いますヨ。「ご気分の悪い時にご利用下さい」と書かれた紙様ゲロ袋のように、どうぞ人生に疲れた時に、我々のツアーをゲロ袋同様にご利用くださいませませ。
〜し組トラベル・臨時結成部〜