素晴らしき熊野人
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<その1 私の尊敬するアウトドアマン 山城さん>

今年2002年のコンテンツを、ふるさと熊野を中心にしていくが、そのトップにこの人のことを書いておきたかった。
新宮で勤務していた、13年ほど前、タウン誌作成に関わったことがあったが、その記事の取材で偶然出会った。

「山城屋」さんのご主人で、新宮市で電器店を営まれていた。
この方は、私のアウトドアの心の師匠と言うべき人である。
この日の、2時間くらいの語らいが、私を本当のアウトドアへ導いてくれた。
それまで、キャンプやルアーフィッシングなどやっており、いっぱしのアウトドアマンを気取っていた。
しかし、この人に出会ってから、自分のしていかなければならないことが、方向付けられたのである。

それからまもなく勤務地が和歌山に変わったので、以来出会うこともなく過ぎてきたが、いまだに当時の山城さんの笑顔と言葉は、鮮明に思い出せる。

昨年(2001年)新聞記事で、この山城さんの遺言によってご家族が、8000万円を新宮市に寄贈したことを読んだ。
出会った当時86歳であったから、2000年に亡くなったとして、もう100歳近くの大往生だったと推測するが、すばらしい生き方をされた。なかなかこうはできない。
さて私にできるかどうか・・・・

当時私が書いた記事を紹介します。

人間働けるうちは働かなあかんでー! 
山城屋さん
(「こっちも寒なってきたので、明日から沖縄へいくんや」)
山城屋さん
(「エンジンも一発でかかるでー」)

1989年9月15日撮影
カメラ:オリンパス OM-1
レンズ:ズイコー28mmf3.5
フィルム:フジカラーASA100
      トライXASA800増感
 

「人間働けるうちは働かなあかん!」

遠くからみると行商の車がきていると思った。
けっして新しいとはいえない低床式のトラックが一台とまっていた。
近くによってみるとその車にはガスボンベ、ビデオデッキ、テレビ、梯子等日常生活での必要なものがすべてといっていいほど積み込まれていた。
雑然とはしているが、不思議な調和を保ってしかるべきところにきちんと収まっていた。まさしくキャンピングカーであった。

車の持ち主は、山城屋さんの御主人、山城増蔵さん。
キャビンの上にはテレビアンテナ、ラジエーターグリルの前には発電機。
グリーンの幌の中を、子細にみれば、大工道具、カメラ、ガスコンロ、机、ラジオ、テープレコーダ。
机の下を開ければ中に布団があり寝るときはそのまま引きずり出せばすぐ寝られる具合いになっている。感心したのはその中のもの全てに年期が入り、使い込まれているということであった。

山城さんは、その日、テレビアンテナのポールのペンキ塗をしていたのだが、アンテナを高くあげるためにいろいろと工夫を凝らしていた。そしてそれらはすべて廃物利用という。
そういえば、いろんな小物をいれている道具箱の区切りや釘などの、入れ物はほとんどが牛乳の紙パックを、ちょうどいい大きさに切ったものである。最近この牛乳パックの再利用がいわれだしたが、効率的活用を実践している。

もう十年以上使っているというそのトラックは、丁寧にメンテナンスをしているらしくエンジンも一発でかかった。
ワンボックス、サンルーフ、4WDという今様キャンピングカー等は足元にもおよばない。
「いまはやりののワンボックスは、見てくればかりで何も入らないし不便や。本当にどこででも寝泊まりできてゆったりするにはトラックが一番ええ。格好ばかりつけてもあかん。もう十何年もこうして改良をしながらきた。金もいらんし段々使いやすくなってくる。使えるものはいつまでも使わなあかん」
聞けば、軽井沢に3カ月ほど行ってきて帰ってきたばかりだという。
軽井沢で何日もその車で泊まっていても行商の車と間違うので周りの人も気にもとめず気楽であったという。山城屋さん
山城屋さんに真のアウトドアマンをみた。
そういえば近ごろアウトドアブームですごいキャンピングカーを連ね、河原のあちこちでキャンプをしている。雑誌から抜け出したようなキャンピングもいいが、じっくりと年月をかけて、自然と調和した自分好みのアウトドアライフ追求するのも楽しいものである。
ゴミの山をつくって自然をめちゃめちゃにする自称アウトドア派は、山城屋さんのキャリアと自然体を見習ってほしい。

 「10年くらい米の飯を食ったことがない。いつでもパンと牛乳そして野菜だけ。健康法?毎日のラジオ体操と山歩きをかかさないこと」
お見事である。
「日本国中行ってないとこはないくらいや。今度は、もうそろそろ寒くなるので沖縄にいくんや。あっちは温いからのう」 
うらやましい。
 「なぜこんなにゆったりできるかいうたら、わしゃは80まで働いた、一生懸命、人の倍くらい働いた。だからいま気楽に日本中回れる。人は働けるうちは一生懸命働かなかなあかん」
80歳まで働いた?ということは、
「わしゃいま86や」
老いを感じさせない、人柄とバイタリティーに、ひたすら尊敬の気持ち。
若いとはいえないが、「老い」といえば御幣がある。
山城屋さんにお話を伺ったのはおりしも9月15日。老人の日であった。
今ごろは沖縄だろうか?

(テレビの写りが悪いので修理中)

(奥はタンスのリサイクル。下に布団が入っている
 
(ほとんどの生活用品がある)
 
(最後のチェック)

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