NHKが平壌放送になった日

目覚まし時計をかけても、夢うつつでアラームを止めると、止めたことを忘れて、寝過ごすことがあります。そのため、タイマー付きラジカセのタイムスイッチで、目覚ましの鳴る15分ほど前からラジオ放送が流れるようにしています。これは、半分寝ながらでもラジオを聞いていると、頭がある程度働き始めるためか、ベルが鳴ったときに、確実に起きられることが多くなるような気がするためです。サラリーマン生活30年の知恵です。

このラジオ放送で、先日信じられないことが起こりました。寝るときにラジカセをいつも通り、594kHzのNHK第1放送に合わせたにもかかわらず、朝になると、電波状態の影響で普通は夜間しか聞こえないはずの、621kHzの平壌(ピョンヤン)放送(北朝鮮の国営放送)が流れ出しました。もうろうとしながら、なぜこんなことが起こるのか必死に考えていると、目覚まし時計が鳴り、起きてみると、やはり聞こえていたのはNHK第1放送で、全くの勘違いであることが分かりました。

その日はなぜあんな勘違いを起こしたのかが1日中気になりました。勘違いした時に流れていたのはニュースでした。前日の1月12日にNHKのチーフプロデューサー、長井暁氏(42)が、中川昭一・現経済産業相と安倍晋三・現自民党幹事長代理から「偏った内容」と放送中止を求められた局幹部の指示で、特集番組「問われる戦時性暴力」という、従軍慰安婦(日本軍が戦地に設けていた、兵士の性的欲求を処理するための施設、「慰安所」で実質的な監禁状態で半強制的に働かされていた女性のこと。これら女性の多くは、日本軍が侵略したアジア各地で、強制的に連行されたり、看護婦にするなどと偽って送り出されていました。詳しくは、問題20(人権)をご参照ください)問題を扱った「民衆法廷」を取材した番組内容を改変してから放送したという、衝撃的かつ、勇気ある内部告発のニュースが流れていました。朝のニュースでは、このNHK始まって以来の重大ニュースに対する、NHKの全面否定の公式見解が流れていました。

私がNHKニュースを平壌放送と勘違いした原因として、二つのことが思い当たりました。二つの放送は、(1)内容の奇想天外さと(2)情調(しゃべり方)が共通しているのではないかと思いました。

(1)内容の奇想天外さ

政治家、お役人、大企業の幹部が自分に都合の悪いことがばれて、それに対して「事実無根」と言うときは、大体「おっしゃる通りです」と言っていると思って間違いないという話は、「サメの脳みそ、ノミの心臓、オットセイの・・・」でご紹介しました。さらに、証拠が揃いすぎて「事実無根」と言うだけでは、説得力がない場合には、架空の話をでっち上げるしかなくなります。このような手をよく使うとみられるのが、平壌放送ではないかと思います。例えば、北朝鮮が拉致を正式に認める前には、日本人拉致事件は、日本が勝手にでっち上げた事件だとされていました(つまり、日本が勝手に言いがかりを付けていると「うそ」をついていたことになります)。しかし、その後多数の脱北者(北朝鮮からの亡命者)の証言が得られたことと、小泉首相が食料援助などの寛大な交換条件を提示したこともあって、北朝鮮も日本人拉致の事実を認めることになりました。

それまでに知っていた話と、全く異なる話が出てくるのというのが、この種の話の特徴ですが、今回のNHKニュースの話も、それまで朝日新聞報道などから知っていた話とは、下の表に示したように、(a)面談日、(b)呼び付けたかどうか、(c)番組内容の改変があったかどうかという、極めて重要な3点で全く異なるものでした。これまでの私の経験からいうと、こういう場合には、大体後から、新しい話を作った方がうそをついているケースがほとんどだと思います(ただし、最近の横田めぐみさんのものであるとされた遺骨が、めぐみさんのものでないことが判明したという日本側の鑑定結果はでっち上げであるという、北朝鮮の主張には、(1)提供された遺骨が1200度以上で処理されていたとすれば、また、(2)帝京大学法医学研究室のDNA鑑定では別人の遺骨であると判別していたものの、警察庁科学警察研究所の鑑定結果は公表されていないことから、ある意味ではかなり説得力があるようです)。

内容 朝日新聞の主張(かっこ内は記事の載った日付) NHK、中川昭一氏、安倍晋三氏の主張
面談日 01年の放送当時、放送総局長だった〔現在はNHK出版社長〕松尾武氏は、01年1月29日にNHK側が中川昭一、安倍晋三両衆院議員と相次いで会ったことを認めている。今年(2005年)1月9日時点の朝日新聞の取材に対して、松尾氏は、番組放送前日の01年1月29日に「中川さんが先で、安倍さんの順ではないか」と面会したことを認め、さらに「(2人)の国会議員に会ったのはそのときだけか?」との確認に対して、「それ1回きり」と話していた(18日付)。また、中川氏も今年1月10日の朝日新聞の取材に対して、放送前日に面会した事実を認めていた(14日付)。ただし、中川氏は、今年1月13日には「(NHK幹部が)来たのは当方の記録では放送後の2月2日」と別なことを言っている(18日付)。【朝日新聞の報道が正しいとすれば、日本の政治家は、3日前に言ったことと逆のことを平気で言うようです。】 松尾氏は中川氏とは一度も面会していない。NHKの野島直樹、国会対策担当局長が中川氏と面会したのは、放送3日後の01年2月2日が最初。つまり、放送の3日後なので、放送中止を求めることができるわけもなく、番組の趣旨を説明しただけだった。安倍氏については、放送前日の1月29日ごろとみられる。
呼び付けたかどうか 松尾武、放送総局長〔当時〕は、今年1月9日の朝日新聞の取材に対して、一貫して「自民党に呼ばれた」との認識を示し、これを「圧力」と感じたと証言した。「もし呼ばれて行かないとどうなるか?」との質問にも、「3、4倍の圧力(がかかる)。放送中止になったかもしれない」と答えた(18日付)。 NHK幹部が、「この(安倍氏、中川氏との)面会は予算説明にあわせて番組の趣旨や狙いを説明したもの」などとニュースで放送した。つまり、呼び付けられたのではなく、NHKが定例の説明に出かけていった。
番組内容の改変はあったか NHK内部で編集作業が終わり、教養番組部長からOKが出たのは01年1月28日午後11時ごろ。番組は44分だった。その後29日夜に、松尾氏と野島氏が参加した「異例の局長試写」(NHK関係者)が行われた。開始前に、松尾氏はスタッフに「(国会での予算審議の)この時期にNHKは政治と戦えない。天皇有罪とかは一切なしにしてよ。番組尺(長さ)が短くなったら、ミニ番組で埋めるように手配して」と述べた。松尾氏と野島氏が指示した主な修正点は次の3点。@「民衆法廷」に批判的な秦郁彦氏(当時は日本大学教授)のインタビューを大幅に増やす、A「民衆法廷」を支持する米カリフォルニア大学の米山リサ準教授の話を短くする、B「日本と昭和天皇に慰安婦制度の責任がある」とした法廷の判決部分のナレーションなどの全面削除(18日付)。
放送当日の30日6時半ごろ、43分版が完成、松尾氏はさらに3分のカットを命じた。放送3時間前の同7時ごろから再編集の作業が再開されさらに以下の3点が削減された。@中国人被害者の証言、A東ティモールの慰安所の紹介と元慰安婦の証言、B慰安所や強姦についての元日本兵の加害証言。こうしてつくられた40分版が夜10時からNHK教育テレビで放送された(18日付)。
【私は番組を見ていないので、はっきりしたことは言えませんが、朝日新聞の報道通りだとすると、番組が改変されたというより、番組の重要な部分がすべて削除されたという感じです。】
番組は通常の編集であり、改変ではない。【朝日新聞報道にあるような「編集」が通常行われているとすれば、NHKで放送されている番組からは、政治家に都合の悪い内容はあらかじめすべて削除されているということになると思います】

(2)情調(しゃべり方)

平壌放送や、朝鮮中央テレビのニュース放送のもう一つの特徴は、そのニュースの読み方にあるということは、多くの方もお気づきのことと思います。北朝鮮のアナウンサーの特殊なしゃべり方は、日本の戦中の大本営発表やヒットラーの演説とも似ている気がします。つまり、絶対的な「真実」を無知な一般民衆に信じ込ませるための、一種の「気迫」というか「気負い」のようなものが込められているようです。この事件を伝えたNHKニュースのアナウンサーも、しゃべり方が普段とはずいぶん違っていて、平壌放送のニュースの読み方と似ているという印象を受けました(頭がもうろうとしていたため、単なる感じの問題です)。しかし、その後のNHKテレビのニュースで、この問題が扱われる場面でも、同じような印象を受けましたし、アナウンサーの表情も、特に若い方の場合には、見るのも気の毒なほど緊張している様子が分かりました。

内容が分からなくてもしゃべり方だけで、かなり話者の気持ちが分かることがあります。しゃべり方に表れた話者の気持ちのことを「情調」というと思ったのですが、国語辞典で調べても、「おもむき、気分、喜怒哀楽などの感情」という意味は載っていましたが、「話し方」という意味の用法はみつかりませんでした。また、精神医学の専門書でも見つけることができませんでした。ただ、精神科のお医者さんが患者を面接する際には、話の内容だけでなく、生理的変化(筋肉の緊張、皮膚、ふるえなど)、行動(落ち着き、注意力、意欲)、話し方(多弁かどうか、話題の傾向、考えの流れ)などにも注意を向ける必要があるということは、神田橋條治(かんだばし じょうじ)著 『精神科診断面接のコツ』(岩崎学術出版、問題19問題61、71ページ/追補版では83ページの表などをご参照ください)にも書いてあります。

そこで、「情調」をGoogleで検索してみると、『言語情調論』〔折口信夫(おりぐち しのぶ)著、中公文庫、中央公論新社刊、民俗学者・国文学者・神道学者の折口氏(1887〜1953)の若いころの著作のようですが、出版されたのは2004年11月です〕というおあつらえ向きの本が見つかりました。この本を315円でダウンロードして読んでみました。この本では、しゃべり方のことを「言語情調」と表現していて、さらに、20ページにぴったりのことが書いてありましたので、以下に引用させていだきます(ダウンロード版は、adobe eBookというファイル形式ですが、このファイル形式は、検索はできますが、コピーができないため、使い勝手が非常に悪い感じがしました、引用部分は無料でダウンロードできる「立ち読み版」にも載っていますので、こちらで試されてから購入された方がいいかもしれません)。

一音に音質音調音位〔引用者注:ある音の前後の音との関係、以下同様〕音量などからくる特別の情調があり、一句一文にはその他に音脚〔前後と区別できる音の集まり〕音の中止などの影響があって特殊の情調を喚起する。右のような塩梅(あんばい)であるから〔横書きなら「このようなわけで」〕、言語としての意味の意識のない場合にも、これが感情傾向を直覚することは困難ではない。実際日常の経験に照らしても、にわかに聴官〔聴覚〕を刺激せられた際あるいは物をへだてて音声を聞いた時にその声の主の感情を覚ることのできるのは、この作用によるのである。かくのごとく〔このように〕感性から入る作用であるから、その仮象〔仮の形、感覚的現象、単なる主観的幻影〕を脱して直覚性〔直接または直観的に感じることができること〕を言語に与えることの多いのはいうまでもない。

引用は以上ですが、朝鮮語が分からなくても、話者の感情が伝わることもありうるということが分かると思います。NHKのアナウンサーの場合には、自分でも「うそ」と分かっていることを、国営放送のニュースとして伝えなければならないことに伴う、内心の葛藤が緊張感を生んだ可能性もあると思います。

日本が北朝鮮のような独裁国家にならないために、NHKは自分や政府に都合の悪いことも放送するようにしていただきたいものです。特に、特集番組「問われる戦時性暴力」の無修正版をぜひ放送していただきたいものです。
(2005年1月30日)。

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