「私の父」


わたしの父は、色気や女性的なものを淫乱な象徴ととらえる人だった。
父は私がスカートをはく事すら許さず、きれいな色のハンカチを欲しがる私を、色気づいて危険な奴だと言って本気で怒る人だった。
服も持ち物も、黒か白か紺が正しいと言う。
さらに、父は私を男の子に負けないような強い子にしようとした。
私の兄は色白のおとなしい性質で、会う人からは必ず「きれいだ」と誉められ、子供の頃はモデルにスカウトされて雑誌にでたり、社会人になるとホストクラブの経営者が、兄の噂を聞いて、わざわざ職場に見学に見え、少しでも来て欲しいと勧誘される事が多かった。
兄がいくらか美形だったので、妹の存在を知ると、どんなに妹は美人かと期待されわたしが若い頃には、兄の職場の人達が私を見にこられることもあったが、私を『妹だ』と人に紹介すれば、ほとんどの人から『嘘だぁ〜』と言われるほど、私の器量は悪くて気質も男らしかったので、父は、兄と私の性別が反対になって生まれるべきだったと口癖のように言っていた。

地元の警察署で、男の子を対象に空手や柔道を教えていたので、私を仕込んでくれるように頼みこむ父で、女の子はダメだと断られると、朝も早くから起きて、毎朝父は私に、空手の稽古をつけていた。
わたしは、運動は苦手で特に父が強制する空手の練習は大変なストレスだったが、怖い父に反抗する事は出来ず、飛びけりや藁を巻いた大木を打ちこむ攻め一方の練習を毎日やらされた。
いじめられて泣いて帰ってくれば、いじめた相手に勝負を挑みに行って、勝って来なければ家にも入れてもらえない。
近所の子供達が私の喧嘩の勝敗の証人としてくっついて来るので、嘘でごまかす事も出来ず、死に物狂いで戦わなければならない事は子供ながらも、かなり苦しかった。

空手の稽古や戦いは、根性も鍛えたし、子供時代は腕力ではある程度の男子ならば負けないほど強い自分になっていた。

父親は、私を床屋へ連れて行って、男の子のような短い髪にするように頼む。
床屋さんは『かわいそうだ』と言い、出来る限り、毛先を長めにして切ってくれたり、幼い私に口紅まで付けてくれた。
家に帰ると父はわたしに顔を洗わせ、床屋さんが切った髪をさらに短くするので、いつも私は男の子の髪型だった。

わたしの着る服は兄のお下がりの服で、ズボンと男物のシャツが定番だったから
私は、頭のてっぺんから足元まで男の子だった。
そのため地域の小学校とか中学校が集まるような会があるたびに、女子の列に私がいると
他校の生徒から、『何だあいつ?男が女の列にいる』と言うので、『私は女だよ』と答えると「生意気な男だ」とか、
『女の中で隠れていないで、男らしくかかって来いよ』などといって、蹴りを入れてくるようなのが時々いた。
小学校時代までは腕力では男子に負ける事も無かったのだが、男子の力は中学になると恐ろしいほど強くなり、体格の良い他校の男子から、みぞうちを打たれて負けたときは、毎日のように女が体を鍛えていても男には素手ではかなわないと思い、悔しかった。

わたしが、当時女の子と遊んでいれば、「女と遊んでいる! スケベ!」と、他校の男子からののしられるし、本当に女ならば、証拠を見せろとズボンを下ろそうとする。


父がわたしに与えた苦労は、父の知らない場所でも、わたしに苦労を与え続けていた。
父は、母に暴力を振るうので、父が家にいると、家庭で安らぐ事はできなかったが、病弱でおとなしい母を暴力で攻撃する父から、母を救う為に私は父から鍛えられてきた空手を使って父と生きるか死ぬかの覚悟で戦った事があった。(私は高校生だった)
私の気性は、幼い頃から素直で反抗するという事をしなかったので、私が全力で父に向かった事は、父にとって思っても見なかった事のようだった。
予想以上に、弱かった父を知った時、父が私を厳しく異常なくらいに鍛えてきた理由が理解できた。
父が普通の人以上に弱かったからだったのだ。
男性は腕力にコンプレックスがあると、せめて自分の子供を強い子とさせたいのだろう。
子供の頃から、父はとても怖いし強い人だと思っていたのだが、父と戦うまでそれを知らずに怯えながら過ごしていた家族だったし私だった。

その日を堺に、父は家をでて、私は父の死ぬ日まで30年間会わなかった。

父が亡くなる数年前に、わたしが原宿で占いをしていると言う事を知った父は、変装して私を見に行きたいと言っていたという。
父は、社交的な話し上手な人間だったので、90歳の死ぬときまで、沢山のガールフレンドに囲まれて生きていた。
彼らに、私の話を聞かせていたらしく、娘の強さを熱く語っていたらしい、そして、子供に悲しい思いをさせた親だった事を申し訳なかったと話していたと、父のお葬式で女性たちから聞かされた。
父が亡くなった週末、いつものように占いの仕事をしにお店に出たのだが、地下の店なの
だが、私の小部屋に小さな蝶が舞い込んできた。

蝶は私の周りで数時間飛び回り、私のいる小部屋から外に出る事がなく、お店が終わる夜には、その蝶は私の足元で死んでいた。

蝶が地下室の店まで来る事も、それまでもなかった事で
蝶に魂が宿ると言う話は本当なのだろうか・・・・小柄な父は宿る蝶も大きな蝶を選べなかったのかなと思いながら、父を思って悲しくなった・・・・・。

父は、亡くなる2ー3年前から口癖のように、『子供達に迷惑をかけたので死ぬ時は誰にも迷惑をかけないで死ぬ』といっていたと言う。
そのせいか寝込むことも無く、朝起きてから3時間の腹痛を味わった後に亡くなった。
亡くなる前夜は人を呼んで、お寿司パーティをしたそうで、感の良い人で父の無意識がお別れパーティをしたのだろうと聞かされた。
親孝行で父に会いに行っていた兄の事を母親似で軟弱だと人に言い、反抗して以来、音信を絶っていた私を頼もしい奴だと人に話していたという。
「エッセイでも書く事があったら『お父さんのバカ!』って言う題で書いてくれ」と言うのが父の私へ言い残した言葉だそうだ。

父を思い出し書く気になったのだが、ちょうどお彼岸の中日だった。
父の心が来たのだろうか・・・。