適当な文章  (リンクしてある写真はエッセイ終了後のものです)


先日(2003/06/20くらい)、いつものようにチャリに乗ってフラフラしていた。

駒沢陸橋辺りに差しかかると、送電鉄塔があった (後に駒沢線とわかる)。特に行く当てもないので、その日は、その鉄塔を追いかけることにした。

住宅街を抜け、大岡山の東工大横を通り、線路脇のトンネルを潜り、中原街道(たぶん?)を渡り、 しばらくすると、筆者は驚くべきものを目にした。

鉄塔(送電線)の終わりである!

東急池上線(たぶん?)の線路の電力供給鉄塔(二連、というか下コの字型のもの)に連結して終わっていたのだ。

鉄塔マニアならば、別に驚くほどのことではなかったに違いないが、妻にその話をすると、「へえ!」といっていたので、 たぶん珍しい体験だったのだろう。

筆者は、しばらくその終点鉄塔を眺めていた。近くを通りかかったおじさんは、 怪訝な表情で筆者を見やると、そのままスタスタと行ってしまった。

意味があるので、適当な風景にはならないと感じたのか、 写真には撮らなかったが、なかなか面白い経験だった。



てなことがあって、今度は、地名で多摩川&染地近辺をフラフラしていた(2003/07/05くらい)。

前に写真を失敗した、多摩川原橋に再トライしに行ったのだ。

すると、またしても鉄塔(送電線)の終点を、筆者は見た!

といっても、驚くほどのことではない。

稲田線(表記を見た)から分岐した小タイプのその箸箱型鉄塔が、 日活撮影所の変電所で終わっていただけだ。

「ふうん」と筆者は感じた。

ま、それだけの話である。



しっかし、下品な文章だな!



そういうわけで、前回は駒沢線を30くらいから遡ったわけだが、こんどは数の増える順に追いかけてみた。

家(うち)から見えるのが70代なので、最初はその辺りで止めたのだが(2003/07/05)、本日(07/12)、先に進んだ。

すると、なんのことはない、杉並区和泉の変電所(和田堀変電所)で終わっていたのだ。 大宮八幡近く、大円寺の隣だった。

変電所なので、他にいくつか線が集まっていて、杉並線03 と、 和田堀線 187 が確認できた。その向こうにも、他の線が走っていた(実際の表記では一桁の場合0はつかないが、この文書では例外を除き、0をつけて表記することにする)。

よくわからなかったのが、駒沢線 90 と直結しているのが和田堀線 187 で、 駒沢線 89 がなかったことだ。

そこで、前に見た鉄塔の終わりが、駒沢線だったのかどうか、自信がなくなってきた(ま、根性があれば、確認するかもしれないが……)。

それはさておき、せっかく特定送電線の両端を見たので、写真に撮ってみることにした。が、めんどくさいので、9060 までで諦めた。

読者諸氏がご存知かどうかは知らないが、駒沢線は東京都の山の手、杉並、世田谷、目黒区など(太田区も)を横切っている。 すなわち、住宅地の中を突っ切っているわけだ。

だから、近づくのが容易でないこと夥しいし、鉄塔を撮影しようとしたら、急に窓があいて、 おじさんが欠伸をするとか、ゴミ捨てのおばさんに変な目で見られるとかいう出来事に遭遇する覚悟をしなければならない。

それは、普通に嫌だよなァ!



ということだったが、やれば片付く作業なので、本日(2003/07/13)、続きを試みた。

距離的には大したことはないのだが(10キロくらいか?)、途中で疲れてヘロヘロになり、かなりの写真がボケた。

成果は「駒沢線のページ」で確認していただくことにする。

さて、駒沢線のはじまりは05 だった。過去にはもっと数の少ない鉄塔があったのかもしれないが、 もちろん不明。05 の次は 05-1 で、これもなんだかよくわからない。鉄塔 05 が建っていたのは、 東急池上線・石川台駅のわずかに洗足池駅寄りだったが、その近くには千鳥線 34 しかなかった。 これもまた池上線の下コの字型鉄塔に連結していた(駒沢線 05 より少し池上台駅寄り)。

ちなみに駒沢線 52代田線 01 に繋がっていて、東急世田谷線に電力を供給していた。09 から 12 までが東工大の同じキャンパス内にあり(08 が橋を潜った隣のキャンパス内)、近所の住民だけが使用可という坂を登って大学校内に入ると出られなくなった(結局、また同じところから抜けたけどね)。なお、緑が丘駅付近(東急大井町線)から都立大駅付近(東急東横線)くらいまで、呑川本流緑道(たぶん?)にほぼ沿って、鉄塔が連なっていた。

今回は朝早かったので、そんなに胡散臭がられなかったのが幸いだったが、 最初は暗すぎて 39 から 59 までを撮り直すはめになった。まあ、二度としない経験だったと思う。



てなことをいっていたわけだが、駒沢線が 05 で終わっていたのが気になり、 「そういえば駒沢公園内にも鉄塔があったよな」と思い出し、 出向くことにした(2003/07/21)。

鉄塔はあったが、それは当然のように駒沢線ではなく、別の送電鉄塔、都南線だった。 3539 が駒沢公園内にあり、 45終わっていた (目黒区東が丘二丁目辺りの住宅街の中)。

その日は雨でチャリではなくウォーキングだったので、そこまでで止めた。

その後(07/26)、「まあ、やるか!」という気になり、チャリで番号を下った。すると……

都南線のくせに、都内にあったのは 第14番鉄塔 までで、その先は川崎市に延びていた。

近くに橋がなかったので、丸子橋まで走って多摩川を越えた。

途中、0102 鉄塔しかない戸越線 (第三京浜の1キロ行かない東側)を見つけつつ、先に進んだ。

面白かったのは川崎市に入ってからのプレート表示で、鉄塔自体にはついていないで、鉄塔の下に立札の形で立っていた。

川崎市民に遠慮したのだろうか?

もっとも例外もあり、05_101 は通常のプレートだった(しっかし、また 05_1 があったとはね!)。

世田谷、杉並の道路や路地もかなり入り組んでいるが、川崎市高津の住宅地を抜ける道も、なかなか大したものだった。

見えているのに到達できない体験を何度も繰り返し、やっとのことで都南線・最終鉄塔まで辿り付いた (東電南部変電所 内:だから都南線らしい……)。



高津区の鉄塔は錯綜している。

前に別の用事で久地 付近に出かけたとき、その辺りの鉄塔を観察した。

時間もなかったので辿った鉄塔の数はわずかだったが、そのとき記したメモによると、 登戸線 01千南線 特04 に連結し、 それがさらに小田急向ヶ丘線 18 (府中街道沿い)に繋がっていた。

また多摩川沿い(宇奈根の信号付近)にあった送電鉄塔の名は、川世線といった。

いったい、何線あるんだろうね!

だけど、もーやらない!



と思っていたが(またかい!)、「川世線」という名は、川崎−世田谷 由来だと気がついた。

そこで、世田谷側のみ追ってみようかと思い立った。

本日(2003/07/28)は、休みを取っていたので、朝早くに出かけた。

ま、それだけのことである。

川世線の終点は第 63 番鉄塔で、 千歳変電所 に到るわけだが、その千歳変電所が地図にない。

水無川(中川・三鷹用水)沿いにあるはずなんだけどね……

ヘンなの!

それに川世線なのに、途中、調布市緑が丘とか、三鷹市北野とかを通っている。

でもまあ、わりとまっすぐな鉄塔たちであった。



ということで、そこで終わりにしようとしたのだが、結局、川世線の川崎側も探索することにした(2003/08/02)。

別の用事があったのでチャリではなくウォーキングだったが、JR南武線・武蔵新城駅から都南線を南部変電所まで下り、 そこから第 23 番鉄塔まで歩いた。

(第 2624 番鉄塔、 およびその付近の鉄塔たちは、その前の用事のときに撮っておいた)

東電・南部変電所内には千南線・特 020303_1野川線 23、24 があったが、外からではプレートがよく見えないので、駐車場内にまで入ってしまった。

第 08 番鉄塔までは、わりと順調に追いかけられたが、 09 が末長の山の上にあり、近づけなかった。

第 10 番鉄塔に到るためにその続きの山(実際には丘陵)を登り、 13 のプレートが見えないので空き地にまわり込み、その後、 駐車場を抜けて山を降りた(人の家の敷地内だぜ!)。

第 15 番鉄塔(下作延のゴルフ場隣)と 16 にも近づけず、歩道橋を渡るとまた山で行き止まり。で、 18(人名神社隣)のところで山を下った。

第 19 番鉄塔の後、南武線の踏切(津田山駅近く)を渡り、 川沿いの 2021 の辺りからまた登りとなり、大変くたびれた。

なお、第 21番 鉄塔は、以前、「適当な風景」のページに飾ったことのある鉄塔だった。

(登戸線、千南線特、小田急向ヶ丘線の奇矯な関係については、「川世線ページ」を参照)。

そういえば、千南線は「せんなんせん」と読むらしい。 「千歳と南部変電所を繋いでいるなら「ちなんせん」と呼ぶのが妥当ではないのか?」などと疑問に思いながら、家に帰った。

さて、あまりにも疲れてしまったので(暑かったし……)、今度こそ続きはないであろう(特に川崎側)。



ということで、話は続く。

実はある写真の出来が良くなかったので(というか、プレート表示が読めなかったので)、 電車とウォーキングで、再び千歳変電所に出向いた……その帰りのことだった(2003/08/03)。

京王線・八幡山駅付近に鉄塔を発見したのだ。それまで気づきさえしなかったというのに!

そこで気になって、行ってみることにした(08/10)。

その場所に建って(立って)いた鉄塔は予想通り、これまで知らなかった送電鉄塔 「和田掘線」だったが、 兄弟のように寄り添って走っている鉄塔があるとは知らなかった(「北堀線」のこと)。

とりあえず千歳変電所に向けてチャリを走らせた。両方追うと大変なので、まず和田掘線を遡ることにした(最初に見つけたのは、 第172番鉄塔だった)。

杉並の田園風景の中を走り、すぐに環状八号線(中の橋付近)を越え、住宅街を進み、甲州街道を渡り、無事、千歳変電所まで到着した。

そこで今度は、第172番鉄塔付近まで北堀線を昇っていった(第15番鉄塔まで)。

結局、中央自動車道下の道を渡ったわけだが、入り組んでいて(というかビルに挟まれていたので)、渡る前によく確認できない鉄塔があった。 だから第173番鉄塔(あれば……)は遠景しか撮れなかった (後に買ったゼンリンの地図によって「ない」とわかる)。

また、「身代わり地蔵尊」だったかな?の敷地内にあった鉄塔のプレート番号も確認できなかったが、その次が25だったので、とりあえず24としておいた。

なお杉並区でのプレートは、前に川崎市で見たものと同じ形式だった(鉄塔の下に名前を表示した看板(立札)が立っている形式)。

京王井の頭線・浜田山駅付近を北上し、その名の通り、しばらく和田掘(善福寺川側)に沿うように住宅地を抜け、 和田掘変電所(向かいが荻窪制御所)に到達した。

そこで今度は北堀線を追いかけることにした。

第17番鉄塔までは和田掘線と一緒に撮っておいたので(高速下を何度も渡りたくないから)、 そこまで戻り、追跡をはじめた。

北堀線は、第19番鉄塔くらいまで和田掘線と並走し、それから南に進んでいた。

その後、神田川沿いとなり、やはり住宅街を抜け、京王井の頭線を渡り(永福町駅と明大前駅の間)、和泉に入って、 和田掘変電所近くで終わっていた(プレートが見つからなかったので、変電所名は不明。そして、またしても敷地内に入る)。

あー、くたびれた(和田掘線の158以下があるのかどうかは不明)。



しかし、話はまだ続くのである。

前に用事の帰りに、小田急線・喜多見駅と狛江駅の間で見かけた鉄塔が急に気になりだしたのだ。

で、今度はそれを追ってみることにした(2003/08/09)。

台風10号が上陸していたので、今回は電車とウォーキングで臨んだ。

おそらく同じであろうと思われる鉄塔が多摩川縁にも見えたので、とりあえず小田急線・和泉多摩川駅まで行ってみた。

が、ひどい土砂降りとなったので、諦めて狛江駅まで戻り、鉄塔(送電線)の名前だけでも確認しようか、と考え直した。

鉄塔(送電線)の名前は「境−新線」といった(狛江駅付近で線路西側にあったのは 第38番鉄塔だった)。たぶん、武蔵境と新城を繋いだものと想像した(?)。

天気は悪かったが、雨が止んだので(台風の目に入ったのか?)、そのまま北上することにした。

知らない道なのでどうなるのか?などと思いながら、歩き進んだ。

第31番鉄塔(野川沿い)の横、東電学園寮(たぶん?)のところで、謎の鉄塔02) を見つけた。

謎というのは、プレートがなかったということを示す。

で、その確認のため、また敷地内に入ってしまった。まったく、早朝だったからできたことである。

それはともかく、鹿島グラウンドを過ぎ、菊野台、西つつじヶ丘、 柴崎 と進み(京王線を柴崎駅とつつじが丘駅の間で渡った)、 第19番鉄塔付近で中富線90 と遭遇し、 気がつかなかったが航空宇宙技術研究所の近くを通り(竹林&樫の保護樹林の中に航研線02があった。 歩いている最中に台風の強風で枝が折れて民家の物置に落ちたりして、とても怖かった。ちなみに場所は調布市深大寺東町)、野崎八幡を過ぎ、人見街道を渡り、 三鷹市の方の深大寺を北上し、井口を越えて武蔵野市に入り(井口新田の信号付近)、ついに土砂降りとなった (ここに建っていた第05番鉄塔は低い新型・美麗 (環境調和型鉄塔の別名、多くはクリームまたはアイボリー色の巨大電信柱といったところか?))。

自前の傘が壊れてしまったので、そのとき持っていた青いビニール傘は狛江駅付近で拾ったものだったが、 それさえ強風でバラバラになってしまった(とりあえず直したが、一部破けたまま……)。

もう戻れないので(ヘロヘロだったし……)、小金井市に入り、西部多摩川線を渡り、都営アパートの向こう側、 中央線を挟んで第01番鉄塔の写真を撮り、終わりとした (東変電所&JR武蔵境給電区内に立っていたので、プレートの確認はできなかった)。

そのときすでにびしょぬれだったが、道がわからないので、人の歩く方について進むと東小金井駅があった。

生き返った気持ちだった!

(さて、もうお気づきでしょうが、この文章は、後で地図を確認しながら書いています。鉄塔探索中は、 知らない道ばかりを歩くことになり、知ってる道まで鉄塔沿いに戻ったりもしてました!)

(しっかし、ひたすら歩くあたりは、映画「のようなもの」(森田芳光 監督)みたいである)

(なお境−新線 08 はなく、 車返線 43 だった。あと、ところどころ、「新−鶴線」となっていた。 旧名なのかね?)



で、止せばいいのに、本日(2003/08/10)、境−新線の続きをやることにした。

もちろん、終点まで行く気はなかったよ!

小田急線・狛江駅まで電車に乗って、その先ウォーキングとした。

岩戸南を抜け、駒井の狛江市側第45番鉄塔までは順調だった。

そのあと、あまりにも良い天気だったので川崎側にトライしようと思い、 多摩川の反対側に辿り着くまで約1時間。東名高速道路の西側に第46番鉄塔はあった(って、見えてたけどね……)。

あとは適当なところで終わらせようと、てくてく歩いた。

宿河原を抜け、府中街道(かな?)を渡り、東名を潜ってしばらく行くと山があり、 その上に第49番鉄塔が聳え立っていた。

「えーっ!」とか思いながら道を探し、民家の裏を抜け、狭い石段をかなり昇ると、そこは緑が丘霊園だった。

怖かったのは、第51番鉄塔のプレート撮影時で、 霊園ということもあり、木木に囲まれ、まず立っている位置が確認できない。でもなぜか近づけたが、 それは山(陵)の急斜面で、しかもプレートは反対側についていた。転びこそしなかったが多少はすべり、 前にチャリでゴルフ場に迷い込んで出られなくなり、チャリごと柵越えしたことなどを思い返しながら、 写真を撮影した(写真 51_3)。

で、「よく、そこに造ったな」といった感じの不思議な石段から山を降り、平瀬川を渡り、 向ヶ丘を南下し(ここも山(丘)だ!)、鉄塔の頭などという珍しいものを見ながら(向ヶ丘線か?)、 宮崎に入り、線路の向こうに第59番鉄塔を見て、帰ることにした(さすがに疲れたため)。

そこから眺めた感じでは、やっぱり武蔵新城の方に続いているようであった(?)。

続かなーい。



そして、筆者は夏休みに入った(2003/08/11)。

電車で東急田園都市線・宮崎台駅まで行き、第59番鉄塔のプレート撮影から再開した。

宮崎から馬絹を越えて野川に入ったが、山また山で、登っては降り、車の音も聞こえない田舎風景に不安になりがら、先に進んだ。

第65番鉄塔などは農家の敷地内にあった。 第68番鉄塔が西野川小学校&野川中学校の辺り)

それから高津区久末に入り、中原街道(たぶん?)を渡ると 野川線15 (末広型のかなり大きな鉄塔)と遭遇し、 境−新線の送電線が野川線と直交していたので、南部変電所には向かっていないと判断した。

で、また山を登り下り、横浜市港北区高田町に入り、下田町から日吉本町に抜けた。

「ひえーっ」とか思いながらも、やっと線路に遭遇できそうだと安心し、東急東横線の高架を潜り(日吉駅と綱島駅の間)、 第86番鉄塔(箕輪辺り)まで撮って帰ることにした。

家に戻って地図で近くの変電所を調べてみると、綱島変電所&新幹線綱島変電所が見つかった。 が、それでは名前が合わないのでもう少し遠くを調べると、南武線・尻手駅(鶴見区)付近に新鶴見給電区を見つけた。

境−新線、境−鶴線と ときどき名前が変わるのは、なるほどそういうわけだったのか?と、とりあえず納得したが、本当にそこに到るかどうかは、 依然謎である。

続かなーい2。



翌日は歯医者だったので、続きの探索はその翌日となった(2003/08/13)。

東急東横線で綱島駅まで行き、そこから綱島公園を突っ切り(また山だ!)、第85番鉄塔まで戻り、 全景を撮り、先に進んだ。

第80番代鉄塔辺りから、川崎火力線が並走していた (境−新線 85 が、川崎火力線 65 辺り)。

東海道新幹線の高架を潜り、矢上川を渡り、川崎市幸区南加瀬に入った。小倉を抜け、 江ヶ崎に入った辺りで変電所内の鉄塔を見て「あ、終点だ!」と思ったら、そこ(京南変電所)で終わっていたのは川崎火力線だけで(78)、 境−新線はまだ続いていた(変電所内に建っていたため、 そこにあった第99番鉄塔のプレートは確認できなかった)。

その後、横須賀線を越え、鶴見区矢向に入り、 無事最終鉄塔(103新鶴見交流変電所 内)まで辿りついた。

これまた人の家の敷地内からしか確認できない位置にプレートが貼りついていたのだが、幸い、ガレージのシャッターが開いていたので、撮影可能だった。

ということで、川崎方面はもうやらない。



あと気になっていた鉄塔は、京王井の頭線・三鷹台駅と久我山駅の間に見えた鉄塔だった(三鷹台駅寄り)。

とりあえず電車で三鷹台駅まで出向き、見えた鉄塔を追った(2003/08/13 午後)。

最初に辿りついた鉄塔は北多摩線74 (分岐)で、 ついで高井戸線12三井線01 となった (−高井戸線12−北多摩74(−北多摩線73)−三井線01− と連結)。

遠くに行く気はなかったので、まず三鷹台変電所 まで 北多摩線 を追い、 それから地名的に近しい高井戸線 を昇る(数の多い方に移動する)ことにした。

すぐに京王井の頭線を北に渡り、久我山から宮前、井の頭通りを渡って、浜田山、成田西、善福寺公園まで行ったあたりで力尽きた (第36番鉄塔 )。

翌日(08/14)は朝から雨だったので、「どうしようかな?」と迷ったが、家から近いこともあり、昼過ぎ、井の頭通りを西永福駅に向かい、 北堀線、和田掘線を過ぎた辺りで北上することにした。

しばらく行くとそれらしい線が走っていたので近づいてみたが、これが杉並線13 で、 非常に珍しい三分岐型をしたものだったが、目的の高井戸線は見つからなかった。

しかたがないので、前日諦めた辺りに戻り、先を追っていくと、高井戸線37杉並線13 に繋がっていた(逆に歩けばすぐに見つかったものを……)。

杉並線 は遡れば 和田掘変電所 に達することがわかっていたので、その先、 その方向で帰ることにした(変電所の近くで淀橋線(番号見忘れ、ミサワホーム展示場敷地内)を見かけた)。

その後、チャリでよく通る道を通って家に戻った。約三時間コース。靴がびしょぬれになった。

いまのところ、他に気になる線はないので、たぶんこの先は、もうないであろう。



というわけで、あとは後日談になる。

最初に鉄塔に出遭ったときは、その経路の面白さからプレートだけを写していったが、後で見直すと面白みに欠ける。

そこで、まず「駒沢線」からリニューアルをすることにした (鉄塔の全景を入れた写真。2003/08/23、24)。

ついで「川世線」を行い(08/30、31)、 本日(09/06)、「都南線・戸越線」を行った。

写真を撮る都合上、すべてウォーキングで行ったので、たいへん疲れた。

その後、「和田掘線・北堀線」の和田掘線側(09/07)、 「境−新線」の鉄塔全体が映っていない部分(小田急線・狛江駅から北)も撮り直した。

「境−新線」の取り直しはウォーキング部分だけで四時間以上かかったが、それでも最初に行った雨の日よりは短時間で済んだ (空が青いのが撮り直したもの)。

残るは「和田掘線・北堀線」の北堀線側だけだが、さすがに疲労が溜まっているようなので、いつやるか不明。

と思いつつ、本日(09/15)、北堀線側完了。これで予定していた部分はすべて終わった。

なお、あまり見やすいとはいえないがwebの「駒沢線ページ」にマップ を追加した。

(同人誌の締切が近づいているので、しばらく出歩きはナシとなる予定)



さて、同人誌の締切も無事に間に合って(といっても、一月前倒しだったけど……)、鉄塔の続きを少し行った。

狙ったのは「杉並線」だが、前にチャリで追いかけたこともあったので、 二日間かけて、できるだけ街の風景がわかるように撮影してみた。

もちろん、ウォーキングである。

「杉並線」は03 から34番 までの鉄塔のほとんどが美麗で、その分、数飛ばしがあった。

35から最終 45番 までの多くが四角いタイプで、「時代が付いている」と感じさせた。

ちなみに「駒沢線」よりも民家の中に立っているケースが多く、「昔は畑だったろうに……」とか思わせた。

つけ加えると、JR総武線の高円寺駅から阿佐ヶ谷駅に向かう途中で見られる鉄塔が連なった光景は非常に美しい。

(荻窪→吉祥寺駅間で見ることのできる「北多摩線」は、それと比較すると、壮観といった感じ。向こうは背が高いしね!)



ということで、日付が不明瞭になったが、鉄塔を追加した。

雨の中、「稲田線」を追いかけたのだ(2003/11/01)。

多摩川を渡るのは、いつもながら大変だったが、わりと短い送電鉄塔だった (稲田線15 が京王線・調布駅の南かつ京王多摩川駅の西にある学校(調布南国高校?)グラウンド内)。 そのため途中で分岐する(第20番鉄塔)から、 「日活線」(撮影所に電力を供給)に寄り、 終点の稲田変電所 から延びる「浄水管線」も追ってみた。

浄水管線は、管(地名)と生田浄水場 を結ぶ短い鉄塔だったが、プレートがついていない形式だったため、正確な番号は不明である。 終点に繋がる第10番鉄塔 などは、鉄塔の足にペンキでただ「浄水管10」とだけ書いてあった!

まあ、そんなものである……



そしてその後(2003/11/08)、杉並線の終点に近い野方変電所 の近くから延びる「目白線」を追いかけた。

この線は第06番鉄塔 から西武新宿線の架線と変わり (沼袋駅付近 )、 下落合駅近くの変電所 で終わっていた。

途中で飽きたので、本日(2003/11/15)、残りを撮影した。

寒かったせいかで、結構ボケた。

途中、中抜けがいくつかあったが、第35番鉄塔だけは撮り忘れの可能性もある (1617 も写真同じだし……)。

(間隔が近すぎて、線路に近づけないところでは、逆に撮りにくかったのだ!)

これで、近所の送電鉄塔は、ほとんど終わってしまった。

この先どうなるか不明。

新座 まで行くのは厭だし……)



というわけで、また日が経ってしまった。

土日は変わらず、天気がよい日はウォーキングを続けていたが、特に狙って鉄塔を追いかけるということはなかった。

(杉並、和田堀、駒沢線などを、別に用事の際に部分的に追いかけたくらい)

日付は忘れてしまったが(1993/12くらい)、京王線を下っていたとき、武蔵野台駅付近で鉄塔を見つけたので、そこで降車し、ちょっと追いかけてみた。

見つけたのは車返線で、「おー、こんなところにあったのか!」と思ったりした。近傍には、案の定、 車返変電所 があり、 多摩川左岸・稲木大橋付近には北多摩変電所 があった (これも、「へぇ、こんなところにあったのか!」っていう感じ。ちなみに川の左岸・右岸は、海に至る方角を向かいて立ったとき、右手側が右岸、左手側が左岸らしい)。

車返は「くるまがえり」と読むのだろうな……

その日はその後、写真は撮らずに車返線を追ってみた。が、すぐに西武多摩川線の架線と一致してしまった。 そのため、目白線と同じであまり面白く感じなかったから、野川公園から野川を下り、京王線・柴崎駅近傍から西に向かい、つつじが丘駅から電車に乗って家に帰った。

(ちなみに野川の鴨はガアガアとうるさい。 川崎市久地近傍の高瀬川の鵜(と )も互いに向き合って難癖をつけ合う鳥が数羽混ざっているためうるさいが、 調布ケ丘近傍の野川の鴨も同様で、しばらく議論をした後、騒がしく飛び立つところまでそっくりだった)



そして、いろいろあって年明けとなる。

正月三日(2004/01/03)に都営新宿線で西大島駅まで行き、 「船堀橋線」を追いかけた。

特に荒川を狙ったわけではないが、送電線が川を越えるときは上から(川越え)が多い、と考えたからだ。

(ちなみに都心の送電線はみな地下に潜っている。荒川の西大島駅よりは東の南砂町で、すでに潜っているのを後に確認。っていうか、 南砂町変電所 に鉄塔はなかった)

船堀橋線・第06番鉄塔(甲乙) を見た後、船堀橋を渡り、夜が明け、 第01番鉄塔 までを辿った。

長島変電所 から 「長島線」に乗り換え、南下するので、どこまで行くのだろう、と思っていたら、 東西線・葛西駅に辿り着いた。すなわち、これも鉄道架線だったわけだ。途中、 第09番鉄塔 から葛西橋線 (第10番)に分岐していたので、後(2004/01/18)、それも追いかけてみた。 第10番鉄塔からはじまり(14近傍)、荒川・中州(といってよいのか?)に第20番 があり、 第21番 で終わっていた。おそらく、川を渡った先は地下架設なのであろう。



で、「武蔵野線」である。

1994年末、それを中心イマーゴとした小説が発表され、1997年には映画にもなった(小説とは別解釈)、 関東近辺では、おそらくもっとも有名な鉄塔である(筆者は小説未読、映画未見。ちなみに現在武蔵野線は、武蔵赤坂線、武蔵野連絡線、武蔵野線に分割されている)。

正直行って、すでに他人が取り上げたものなので最初は興味がわかなかったが、 「北多摩線」との絡みもあり、 とりあえず中東京変電所 まで行ってみることにした (武蔵野線が終わる 武蔵野変電所 が、北多摩線の終点でもある)。

JR山手線・池袋駅から東武東上線に乗り換え、坂戸駅経由で西大家駅に向かうことにした(越生線:2003/01/09午後)。

東武東上線の急行に乗ってまず驚いたのは、地名で成増を出、和光市に入った途端、都内では考えられない数の送電鉄塔が林立していたことだ。 遥か向こうに線路に平行して走る線が複数本あれば、線路と斜め垂直に交わる線も複数本あり、「埼玉は鉄塔の本場ではないのか!」とさえ思ってしまった。

加えて気がついたのは、大地の平坦さである。

同じ関東ローム層とはいっても、東京や神奈川とはこんなに違うのかという感じで、それは後に実際に歩いてみて、あらためて実感することになる。

(地名を考えてみても、富士見ヶ丘、富士見台、富士見坂などは東京&神奈川にあるが、埼玉にあるのは、ふじみ野や富士見町なのだ!  富士見河原なんてものありそうだ)

さて、西大家駅を出て、猫型鉄塔などを眺めながら30分ほど歩くと(本当に鉄塔の数が多い!)、 いかにも田舎臭い独特の臭いとともに中東京変電所 に到着した。 周囲をぐるりとまわり、やがて武蔵赤坂線の第01番鉄塔 を発見。 向かって右側で日高線(48) と連結し、左隣には 旭ケ丘線(01) が聳え立っていた。

その日は、それだけ写真にとって、「また来ることはあるのだろうか(なぜって、田舎臭かったから……)?」とか思いながら、帰路についた。

(JR川越線というか同・八高線というか、高麗川駅まで歩き、八王子経由で家に帰った。 電車の待ち合わせ時間が15分以上というのは、ここ20年くらい経験していなかったのではなかろうか、とそのとき思った。冬の夕暮れなので、とにかく寒かった!)



次に、本来の目的を「北多摩線」として、 新座変電所 から武蔵野変電所 経由で、 千歳変電所 まで向かう計画を立てた (実際はデジカメの容量があるので、「西武新宿線・保谷駅くらいまでだろう」、つまり北多摩線は次回以降になるだろうと予測していた)。

東部東上線・朝霞台駅でJR武蔵野線(北朝霞駅)に乗り換え、1駅隣の新座駅で降り、ほぼ南東に向かった。約20分ほどで新座変電所に到着。 ぐるりを巡り、武蔵野連絡線を確認した(2004/01/10)。

第01番第02番鉄塔にはプレートが見当たらなかった。 なお、この変電所に限らず、変電所内の鉄塔にはプレートのないものが多い。もちろん例外はあるが……)

そして南西に向かった(このときは思わなかったのだが、 後に武蔵赤坂開閉所新座変電所中東京変電所武蔵赤坂開閉所 間を歩いたとき、「新座は町なのだな!」と実感した)。

野火止用水脇を通って平林寺を右手にまわって関越を渡り、やがて堀之内変電所 に到着。 そのわずか先の自動車教習所 内に第11番鉄塔があり、 途中に墓地のある急坂を下ると、次の鉄塔が見えた。 が、それが立っていたのは黒目川の向こう岸とわかり(がっかり!)、仕方がないので大通りまで出て橋を渡り、 プレートを確認すると片山線(09)と判明。 その先の畠の中の柵のない鉄塔が第13番 だったので、 第12番(片山線と共有、だったと思う?)はなかったことがはっきりした。 その後、畠を抜け、坂を上がり、辺りの景色の雰囲気が変わり、無事武蔵野変電所に到着した。
ぐるりをまわってみたのだけれども、武蔵野変電所は柵と壁に囲まれていたため、プレート(変電所の)の確認はできなかった。

(代わりに、バス停「変電所東」の写真を撮る)



そこで「北多摩線」である。

武蔵野変電所内に建っていたのが第125番鉄塔 (「変電所東」の上くらい……)で、そこから数を下ることにした。

冬の抜けるような青空の下、練馬区・大泉&石神井の街を南下した。 第117番が中抜けし(西武池袋線・保谷駅近傍の吉武線(10):保谷変電所)、 第109番南泉変電所第103番 が西武新宿線の 武蔵関変電所、 そして関町東の第101番鉄塔 でデジカメのメモリが尽きた。 その日はそのまま南下して京王井の頭線・吉祥寺駅から家に帰った。

翌日(2004/01/11)、続きを開始。関町を下り、第100番鉄塔が関町線01番、 第98番 が電電武蔵野線02番、 中抜きの第92番辺りに吉武線・第31_1番、 民家の中と学校(法政高中)の中に2本あって、中抜け3本の第86−90番中のその2本の番号は不明、後、JR中央線の高架を潜り、 久我山から京王線・三鷹台駅脇を抜けて、第72番三鷹台変電所、さらに下って玉川上水を渡り、 見慣れぬしかし見知った感じもある住宅街と日本女子体育大学を越えると、 中央自動車道のわずか手前に終点の第64番 および 第63_2番鉄塔 があった(過去にも逆側から確認している)。

(実際に千歳変電所 とプレートのある敷地は高速の向こう側(北側)にあるので、 中富線の終点 (これも別敷地)も含めて、北多摩線の終点は千歳変電所周辺地区ということになるのだろう)

この日は鉄塔の数が少なかったので、比較的疲労もなく家路に着いた。



翌日(2004/01/12)、武蔵赤坂開閉所 から 新座変電所まで 武蔵野連絡線を追いかけた。

東武東上線でふじみ野駅まで行き、ほぼ南東に迷いながら歩くこと約90分で 武蔵赤坂開閉所 に到着(実際に最初に発見したのは、竹薮の中の武蔵野連絡線・ 第02番鉄塔 だった)、 ぐるりを巡り、 中富線・第01番 などを確認後、武蔵赤坂線・ 第44_1番 のプレートを確認した。

第05番までは、田舎の道でも道沿いに建って(立って)いたので、 さほど回り道もせずに進めたが、そこから 第15番鉄塔 までが、ほとんど畠の中に突っ立っていた。 はじめは直進してみたが、あまりに畠の中に足跡が残るので、その後は近くの車道沿いに進みながら道があれば寄る、とかしてやっていたが、 そのうち覚悟を決めて、できるだけ直進してみることに決めた。そして、いつまでも続く田舎の風景の中、細い川(東川?)を迂回したり、 その川の脇に沿って約1.2メートル程の高さで腰を屈めながら関越を潜ったり、そこから丘の上の畠を越えて 第19番鉄塔 まで至ったりした。 コープの建物とラヴ・ホテルを過ぎて下水処理場をぐるりとまわり、JR武蔵野線を潜った先が 第22番 で、丘を上った 第23番 の先が新座変電所内の第24−27番となった。

(写真に別角度で写した武蔵野連絡線・第26、27番と武蔵野線・第01、02番は同じ鉄塔:筆者の解釈)

その日は新座駅から北府中駅までJR線に乗り、そこから少し歩いて京王線・府中駅に至り、家に帰った。

(途中、わりと低い並走鉄塔(高木線&府中線)を見つけて、気もそぞろに青信号を横断歩道手前で渡り、バスに轢かれそうになった……ようである。 自覚はなかったが、10センチ離れていなかったみたいだ!)



そして翌週(2004/01/17)、観念して武蔵赤坂線を辿ることにした。

ふじみ野駅から、今回も約30分かけて中東京変電所に到着し、 第01番は以前撮っているので、 第02番 から追いかけることにした。

(武蔵赤坂線は総鉄塔数が45本以上あるため、本体とプレートの撮影でデジカメ(SONY:DSC P1)のメモリ約9割が消費される。 そのため、できるだけ余計な写真は省かなければならなかった。もっとも「また来るのは厭だ!」という感情の方が強かったが……)

第02−04番は道沿いなので問題なかったが、 第05番に向かうために畠を渡り竹林へ直進、 そこから第06番へと枯草(薄)を踏み下しながら猛進して行くと、この日、 その先数度に渡って悩まされることになる用水路に遭遇した。

(どれも幅 3〜10メートル程度。場合によっては飛び越えらる)

近くに橋が見当たらなかったので、水量が少なかったこともあり、約1.5メートル下の水辺まで降り、60センチくらいの流れを飛び越え、 高さ150センチくらいの鉄柵(堀)をよじ登り、向こう岸に渡った。

(多少服が汚れたが、濡れはしなかった!)

そして、またしても枯草を踏みながら次の鉄塔を目差すと、「あっ、これ、線路だ!」といった感じで、柵もない単線の線路と出遭った(JR川越線)。 バランスを崩さないようにして土の盛り上がり(線路の盛り土)を登り、敷石を踏み、枕木を踏み、鉄路を渡り、畠を越えて、 距離的には第05番から 2〜300メートルくらい先の 第06番鉄塔 に、やっとの思いで辿りついた。その時点で、 靴下には細かい枯枝&草が数多く突き刺さり、また土でべっとりと汚れていた。

(ここまでも、またこれから先も、鉄塔を囲む柵というものが武蔵赤坂線にはほとんど見られなかった。 また柵がある場合もほとんどが木製で、例えば道端にある部分だけ自動車事故防止のために作った、というような感じのものが多かった。 これは武蔵野連絡線の数の若い鉄塔でも同様だった)

(さらにところで武蔵赤坂線・ 第08番鉄塔 はS玉女子短大学近傍の丘の上に、 生垣のような草木(というか生垣?)に囲まれて立っていたのだが、プレートを撮ろうとゴミ捨て場を抜けてその奥に入ると、 生垣の中でさらに囲うように約半分だけ作られた 木柵の下には白いブラウスが落ち、 また柵には緑と紫の布(セーターか?)が掛けられていた。地面を見ると数枚のティッシュもある。この寒い折、いったい何をしていたのだろう?  と感じてしまった。成人式帰りに何かをやっとも思えないし……)

さてその後も、基本的には、できる場合は直進を目差して進むことにした。

用水路などに度々出遭い多少の迂回はあったものの、また人が珍しいのかよく吼える犬たちに悩まされながらも(田舎の犬はいつまでも吼えている。 出遭った10数頭の飼い犬の中で、吼えなかったのはたった2頭!)、日高カントリークラブ脇を抜け、 第14番はその中にあり、 第15番で 圏央道を潜り、 第17番 はホンダの車置き場敷地内で、 第18番 は智光山公園内、 第20番 は赤白(60メートル以上)、 第22番 で入間川を睨み、迂回して有料の狭山大橋を(不法に)渡って清掃センター敷地内に紛れ込み、 そこにあった 第23番鉄塔 はガラクタの山に覆われ(不法投棄か?)、 それだけ鉄柵に囲まれていて、その後、国道第16号線を越え、 第27番で西武新宿線(新狭山駅近傍)を渡り、 第28番 辺りで、目の錯覚ではなく白いものが舞い落りてきて非常に寒く、 第31番が工業団地内、 第37番 まで畠を通過、その後、 赤坂の森公園内の道なき道を直進し(冬で虫がいないのが、何といっても、ありがたかった!)、 第40番 のプレートを撮って横を向くと が見えたり、 第43番 (かな?)が墓地の駐車場、大音響の土地改質場脇に 44番鉄塔 があったりしながら、無事、武蔵赤坂開閉所に辿り着いた(幸いなことに、雪は止んでいた)。

それから東武東上線・ふじみ野駅に向かったが、疲れていたせいもあって約1時間半もかかり、結局、合計7時間くらい歩き詰めとなってしまった。

(先にも記したが、その翌日、葛西橋線を追うことになる。その後、お昼ご飯を食べてから、下北沢までジーンズを買いに行った。 ここ10数年愛用している黒スリムの EDWIN Livi's 606 はやっぱり製造中止らしく、しかたがないので505(W28)を買って、また貧乏になった……)



DVDで購入した1971〜72年放映の特撮ドラマを見ていたら、多摩ニュータウンの鉄塔が現れた。 倒されたりして、ドラマにも参加している。そこで、気になったので、調べてみることにした(2004/01/25)。

(その前日は、武蔵野線0610 と、片山線09 付近の確認に出かけている。 前者の確認後、プレートを確認しない、すなわち鉄塔に近接しないで新狭山駅まで歩いたが、その時間の短いこと、短いこと……。 わかってはいたが、鉄塔を見ながら歩くことの無駄骨さを再再度実感してしまった!)。

京王線・多摩センター駅に着くまでに、予想通り、いくつもの鉄塔群が縦横に走っているのが観察された。 駅から高台の多摩パルテノンに向かって、多摩中央公園まで登り、西方向近傍に鉄塔がないのを確認してから、先に発見した駅東の高台(落合付近)の鉄塔を目差した。

その団地内の鉄塔(東京西線13 )と遭遇するまでに、まず山(陵)を降りて、登った。 次の鉄塔は丘の峰沿いのさらなる小丘の上にあり(只見線559 に隣接)、そこから道のない丘の斜面を下り、 東京西線11番を目差した。 武蔵野線のときに経路を直進する方法は学んではいたが、練馬や埼玉の場合、土地が平面なので、気を使うのは畠の畔か用水路くらい。 しかしここは東京郊外、そして切り開き(通し)の新興造成地に林立する団地群の場合、次の団地が次の丘の上に建っている。 高低差は、少ない場合でも30メートル(これは神奈川でも同じ……)。それが数度続いて、ほぼ直角に電線を曲げる(まわす) 第08番 から、いよいよ本格的に道なき道に入り込んだ。

(ここまで、落合→豊ケ丘→貝取→永山で、ここから、黒川方面へと向かうことになる)

写真は撮らなかったが、丘(小山)に埋もれた水道局の施設の手前に、枯薄に覆われた07 があり、 そこから山道を下った向かいの山の上に第06番が生えていた。

(ちなみに、この日ウォッチングした東京西線にはいつも見かける形のプレートがなく、番号の確認は、 すべて鉄塔の脚 に貼りついた漢字の番号札で行なわなければならなかった。 しかもこれを探すのに、ほぼ毎回、鉄塔ぐるりをまわらなければならず、前日も晴れていたからよかったもの、そうでなければ確実に転んでいたことだろう)

(*プレートのない鉄塔はあっても、番号札のない鉄塔はないようだ。なお札には、鉄塔の名称の他に、所有会社(日電、JRなど)、建設日&補修日、 塔長などが記してある)

06を目差すと道は行き止まりだった。行き止まりを示す紐が張られた場所から数10メートルくらい先の山あいの土地でトラクターが作業をしていた。 そんなくらいだから本当に道がないわけで、観念して山の斜面を登ることにした。 松杉竹の樹海を越え、これも枯れた蔓か蔦の茨がジーンズに刺さり、痛い思いなどをしながら斜面を登り切ると、そこは茶畑で、はっきりした道はなかったが、 畔を進むことはできた(06はまだ遠い!)。木々を抜け、今度は枯芝の山の斜面を下った。降りてみると、向かいの山の上に06が建っている。 が、麓(というほどのものでもなかったが……)に近づいてみると、土が湿っていて、登るのは困難そうだった。 で、諦めて道を迂回し、それでも諦めきれずに、〇〇家の先祖代代の墓の奥の畠経由で再度トライをするが、竹と枯薄に阻まれて行き着けず、 さらに道を迂回して山を越えると、細道をわずかに登った先(いままでの逆側)に06 に至る道を発見した。

直進だったら、わずか数10メートルの距離を辿りつくのに、大変な手間がかかったわけだ。

そこから見えた西東京変電所は、なかなか壮観な眺めだった。

0504 は企業の敷地内だったので近づけず(看板 によると、 「飢えた野犬」と「猛毒をもったマムシ」がいるらしい)、道を登って03 を確認。 同じ道をわずかに下って、先に見当をつけておいた「立ち入り禁止」看板の奥の細道を進むと02 があった。 その向こうに01(と変電所)も見えた、03を確認した道を下るしか接近の方法はなく、そこで坂をよろよろ下り切ったところで別の道 (「この先行き止まり」)に方向を換え、それをゆるゆる登ると、急斜面の中腹に01 が建っていた (ただし、そんな位置関係にあったため番号札の確認は行なえず。またその斜面の上にあったのは、当然のように西東京変電所!)

埼玉と違って、「田舎臭い(動物+堆肥)においがしないなぁ!」などと思いながら畑の突き当たりを越え、 変電所から100メートルくらい離れた木木の密生した山の斜面を登った。 道があることだけを信じて薄や竹や松(だろうと思う?)の中を進んでいくと、下からは見えにくかった別の鉄塔と遭遇。が、余裕がないので写真は撮らず(そのひとつは、 京浜線03・04号 だったと思う)、やっと抜けた鉄塔路の向こうに一部砂利の撒かれた小道があった。

これを、おそらく左に曲がっていればよかったものを、右に下ったため、 その先、西東京変電所 のプレートに辿りつくまで、ゆるゆると山を下るはめになってしまった。

その後、真光寺から鶴川街道沿いに小田急線・黒川駅を越えて京王線・若葉台駅に至り、家に帰った。 実際の距離にしても、駅数にしても、わずかな移動が結構な疲労を生んだ日であった。



その翌週(2004/01/31)、止せばいいのに東京・あきる野の新多摩変電所まで出かけてしまった。

ゼンリンの電子地図で調べてみると、東京西線の至る先が新多摩変電所だろうと知れたからだ。 今度は本当に山(丘陵)なので起伏はより厳しかろうと予想されたが、厭なら遠景だけを撮影しようと、とりあえず気を楽にして臨んでみた。

立川駅からJR青梅線で拝島駅まで行き、そこからJR五日市線に乗り換えて、終点の武蔵五日市駅まで向かった。 20数年振りに訪れた武蔵五日市駅は新設されていて(いつだろう?)化粧栄えもよく、駅前のバスターミナルも整備されていた。

そこから秋川街道を道なりに南下し、 小峰峠 のトンネルに差しかかったところで小峰線13 (小峰変電所)と遭遇。そのまま距離700メートルくらいの トンネルを潜って、出てからしばらく道を迷った末、折り返し道を逆に登って 新多摩変電所 に到着した。

変電所のプレートを撮影した後、柵に沿って時計まわりにぐるりを巡ると、坂の上に76 (とプレート)を発見。が、近すぎて、その場では写真を撮れなかった。その坂を別方向に下った変電所敷地内の鉄塔が 77 で、これが終点だった(隣の鉄塔にも繋がっていたが、その名称は確認できず)。

なぜ終点かわかったかというと、76の近くに矢印つきで「No.77に至る」という道標が立っていたからだ(そして、その先を示す道標はなかった)。

で、そこから76まで戻り、道なりに山道を辿っていくと、山の向こうに75 が見え、 次いで「No.75、74に至る」という道標を発見。それで、どうやらその道が「鉄塔巡査路(というのか?)」であるらしいことがわかった。

前から感じてはいたのだが、高台や山(丘)にある鉄塔には、当然のようにそこに至る道がある(東電により整備されている)。 運良くそれを発見できれば目差す鉄塔に行き着けるが、そうでない場合、藪の中に迷い込んでしまう。 しかも鉄塔を目指す方向に道なりまたは道なしに進めば必ずその道と遭遇できるというわけでもない。その道と出遭えること自体、僥倖といえるのだ!

それはさておき、結構起伏が激しい本当の山道(というか丘陵道だけど……)の巡査路を進むと、75を行き過ぎてしまった。 後から思えば別に曲がる道があったのかもしれないが、目の前に74が聳え立っていたので、そちらを追うことに決めた。

(実際には、74 全景を撮影するため、いったん巡査路から降り、 その後、75の全景は見えないかと、小さなトンネルを背後にして、進むと行き止まりの舗装道路を約数100メートル下っている)

74の脚許から73遠景を撮影し、峰を辿って73、そして72を目差した。

巡査路は72 でいったん途絶え、「こりゃ、崖だよな!」と思われる道を降りると、 舗装道路の向かいに 「71に至る」道標 を発見。へとへとになりながら、その急勾配を登った。

その後、道を間違え、山の上で行き止まりになったり、頭だけが土の上に出ている一辺10数センチのコンクリートの杭、 というか土地所有町の印 (武蔵五日市町・行政区、八王子市・行政区など:名称は何というのだろう?)を見つめながら「町の境なのね……」などと思いつつ、 東京五日市CC 脇を抜けて 69まで辿り着いた。 そこで別の舗装道路に降り、綱代トンネルを望む柵の周りを巡って68を遠望するも、行けそうな道がないのでいったん戻って秋川丘陵自然公園内の山道を進むと、 鉄柵で塞がれた分岐路があり、その柵の脇には「68に至る」の道標が倒れていた。

で、躊躇せず先に進むと68 と遭遇、さらに坂を登って、 赤白の67 に到達した(と思うが、すでに記憶が曖昧。その場でメモなど取っていないし……)。

67の脚の根許から66 を遠望していると、 サマーランドと荷台に記された軽トラックが道を逆方向から登ってきた。どうやら、そこはサマーランドの敷地内だったらしい。トラックの来た方向に道を下ると、 何人かの作業員が大量の落葉を道脇に寄せる作業に携わっているのがわかった。そしてゆるゆると道を下り、東京セサミプレース(休みだった!)の駐車場に抜けた。 怪しいといえば怪しかったかもしれないが、駐車場管理人から特に注意を受けることはなかった。

(このとき67から逆に辿る道に降りていたら、もしかしたら66に達していたかもしれないが、そのときそんな体力の余裕はなかった!)

朝から何も食べていなかったので、その時点で、相当へろへろになっていた。 で、国道61号線沿いに大橋経由で秋川を渡り(橋の下辺りの自動販売機でジュースを買い、わずかに体力回復)、 五日市街道と交わる山田の公差点付近で7-11を見つけて食料を買い、そのまま帰るのもなんなので別の道を辿ってまたセサミプレースまで戻り、 66に至る道はなかろうかとサマーランド近傍を登っては降りたりしながらサマーボウルまで歩き、さすがに疲れたので、 そのまま国道411号線沿いに橋を渡ってJR五日市線・秋川駅に至った。

立っているのも辛いと思うくらい疲れていたからか、「続きはどうするんだろう?」などと、わりと他人事のように感じていた。



で、翌日(02/01)、今度は東京西線を14 から昇ることにした。

以前と同じく京王線・多摩センター駅へと向かい、14を目指した。

東京西線・第14番鉄塔は、よくよく近づいてみると東京都埋蔵文化財センター の敷地内にあることがわかった。 で、14に向かって、タクシー配送所(というのか?)近傍のコンクリート斜面を登ってみると柵に薔薇線で、目の前数メートル先に鉄塔脚が見えたにも拘わらず、 とても近づけはしないことがわかった。で、逆側にまわり、柵の外側から接近できないかとルートを探したがそれもなく、 仕方がないので階段を上がったセンターの門近くをうろうろしていると、腰ほどの高さのスライド式入口(車の出入りに使うようなレール式のもの)が、 人ひとり分くらい開いているのに気がついた。で、止せばいいのに施設内に入り、階段を降り、 物置小屋みたいなところの裏道を抜けて目指す鉄塔に向かおうとしたところ、警報が鳴りはじめた。

他に人もいなかったので、「(警報を)鳴らした原因は自分だろうな!」などと思いつつ、わりと冷静にあわてて階段を上り、 昨日の筋肉痛のため駆けると転びそうなので、早足で歩きながら、入ったところから脱出した。

その後しばらくして警報が止み、誰かが追ってくる気配もなかったので、そのまま先に進むことにした。

(警報を鳴らしたのは、記憶にある限り、生まれてはじめての経験だった。残念なことに、小学校時代に火災報知器などを悪戯したことはなかった)

そこから、近くの信号を渡って多摩都市モノレールの方向に向かい、愛宕線04 を背後に公園(なのかな?)の坂を登り15 に遭遇、そのまま進んで 16 先の松ケ丘の団地内に17 (近傍に角タイプで耳付型の 境-八王子線73 あり)、 それからほぼモノレール沿いに18、祠の裏山の上の 19、造成地公園頂上の 20中央大学・明星大学駅近傍21 (ここからプレートあり)へと進んだ。

22 は明星大学敷地内だったので、14の経緯もあり近づかなかったが、 結局七生福祉園まで行っても北に抜ける道がないので、(おそらく明星大学の)職員寮経由で校内に入りすぐに出て、大学近傍の高台で 23 を眺めてから、その先の「車行き止まり」道を下ると、頭の上をモノレールが通過する工事中の道路に至った。

そこに降りる道の最後が非常に急角度だったのはいうまでもない。

頭上を通過する2台のモノレールをぼんやりと眺めつつ、多摩動物公園駅を右手上方に見ながら国道503号線をわずかに西に進み、 道を北に渡って左手に23を見ながら赤白の 24に近づこうと種種の方向から登り道を探ったが、結果的に鉄塔路には遭遇できず、 24を諦めて七生丘陵公園(だったか?)内に入った。 坂を登ると多摩動物公園の仕切り柵があり、それを辿って、今度こそ本当に道じゃない崖を降りた先の丘の上の(動物園の)柵のすぐ外側に 25 が立っていた。

そこから坂、というか本格的な丘陵を下り、犬に吼えられたりしながら、(抜け道のない)日鉱住宅内の 26 を過ぎると、民家の畠に27 が見え(プレートなし)、その先はしばらく平地となった。

28 で京王線を跨ぎ(平山城址公園駅と南平駅の間)、 29 で浅川を越え、道路を渡って 3031で中央線・豊田駅近傍を渡り、 32がお寺の近く、 33が送電・高幡線28と隣接していて、 34 で角度をわずかに左にずらして高倉町を過り、 35 が交差点、 36 が日野バイパス、 37 が線路近傍の労働会館内、 38 でJR八高線・北八王子駅を越え、東海大学病院近傍の中央道手前に 39、それを脇目に坂を登ると南多摩変電所があって、その敷地内には、 40、41(角型)、42 が聳えていた。

(南多摩変電所内に1番基 が建てられていた石川町線は、谷池川を越えた 同02 と、総数2基の鉄塔だった。また42近傍には 秋留線01 もあった)

それから浅川沿いに国道16号線を宇津木の交差点で渡り(43 が16号東、 44 が西)、川沿いに 45 を過ぎて、西側の16号を左入町手前の交差点で越え、 その先の高台に建つ46 まで歩き(川の南側、神社の近く)、 そこから47 を遠望して、その日は帰ることにした。

近くに駅がないので、それまで辿った鉄塔を遠目&近目に眺めつつ16号を南下、大和田町4の交差点で甲州街道(国道20号線)に乗り換え、 西に向かって浅川を渡り、道なりに進んで京王八王子駅に至って、家路に着いた。

その間、おおよそ7時間歩いて、歩数は約4万9千歩(前日は約4万3千歩)となった(その辺りから歩数計を携けるようになる)。



*以下のパラグラフは小説&映画に興味のない人には無用の長物なので、飛ばしてください(内容概説もしません)。

さて、武蔵野線ウォッチングも終わったので、「鉄塔 武蔵野線」を文庫、DVD、単行本の順に鑑賞してみた (文庫版は最終章の一部が割愛されている。 なお作者は、それって変電所のことじゃない、という筆名の銀林みのる氏、映画の監督は長尾直樹氏(撮影監督 渡部眞氏))。

小説を読んでまず驚いたのが、その取材の綿密さだった。わずか1、2、3週間前に見てきたばかりの景色の多くが、 まったくその通りに描かれていたからだ(実際に読んだのが、その時期ってこと)。 小説が発表されて10年近く経っているので、上の感慨は、同時に田舎風景の変化のなさにも及ぶ。

(旧武蔵野線1から44_1は武蔵赤坂線でも同番号、以下、旧武蔵野線45(武蔵野連絡線1)、 46(2)、47(3)、48(4)、49(5)、50(6)、51(7)、52(8)、53(9)、54(10)、55(11)、56(12)、57(13)、58(14)、59(15)、60(16)、61(17)、62(18)、63(19)、64(20)、65(21)、66(22)、 67(23)、68(24)、68_1(25)、旧武蔵野線68_2(新武蔵野線01)、68_3(02)、69(03)、70(4)、71(5)、72(6)、73(7)、74(8)、75(9)、75_1(10)、76(11)、77(13)、78(14)、 79(15)、80(16)、81(17)となる)

夏と冬との違いがあるとはいえ、印象的な廃品置場の23、牛のいた 40、ラヴホテルのあった 63 など、入間川の渡れそうな緩い流れまで含めて、きわめて的確に描写されていた。 また畠などは、「そういえば、あそこには大根が、あそこにはトウモロコシの枯れた茎が、葱が……」などと思い返して、気づかされることも多かった。

反面、鉄塔や田舎へのこだわりは筆者とは違うな、と感じた。

(筆者の場合、実は鉄塔自体はどうでもいいらしい。撮った写真を見てもそうだし、こだわりはプレートと鉄塔間の連続性だけのようだ。 また鉄塔の形も、袴型、スカート型など、すべての形がが少しづつ違うことには気がついていたものの、塔頂(頭)の形の違い(尖り、帽子型など)や、 碍子の出方(地面に対して水平、垂直など)には、実際、気がつきもしなかった。が、鉄塔そのものに名前がついていることに対するに驚きなどは同質のものだろう。 もっとも筆者の場合、鉄塔に終わりがある、それもわりと数多くある、という衝撃の方が大きかったのだが……)

小説での景色再現性が優れていたので、「では、より後発の映画ではどうなるのだろう?」と興味津々、DVDを鑑賞した(小説1994年、映画1977年)。

すると意外や意外、というのか、「ブラック・レイン」(リドリー・スコット監督)みたいだ、というのか(「ファイト・クラブ」(デイビッド・フィンチャー監督)というのか)、 画面の綺麗さも手伝って、そこに映し出された風景は、実際に目にしたものとは異なっていた。

(*所見時には気づきもしなかったが、D・F監督の「セブン」のラストシーンは鉄塔風景の中で展開される)

内容自体は、よくできていたと思う。が、(上映時間の関係で無理だとしても)鉄塔追跡の論理からいって、72‐81を無視するのはいかがなものだろう。 さらに付け加えるなら、やはり最初は(小説通り)75_1からの方が印象深かったろうに、とも感じた。

ラストに関しては小説も映画版もイマイチで、逆にこれが曖昧のため、図らずも小説や映画内容を忘れ難くするという高級テクニックとなっているナ、 と感じさせた(謀っていたら、すみません)。

(なお、小説でも映画でも出色だと思った科白は、主人公ミハルの弟分アキラの「みっちゃん……」(中略)「もう帰ろう。 (後略)」(「みっちゃん、もう帰ろうよ」)だろうと思う。何時までも耳について離れないのだから……)

小説も映画もかつてレヴューを読んでいたにもかかわらず、発表当時、何の感慨も抱かなかった。 ごく最近まで30年間以上、雑誌も含めて月10冊程度本を読んできた身としては、わずかでも興味を惹けば目にしていたはずだ、と思う。 もっとも当時、またはその後でもよいが、小説を読んでいたとしたら、筆者の駒沢線の発見はなかったわけで、そう考えると、なんとも表現に困惑してしまう。 また、自分でそのまま小説化できなかったという点からみれば悔しさを感じてもよいはずだが、それも余りない(全然ないわけではない。 実際、「鉄塔 武蔵野線」とはまったく無関係の鉄塔関連小説などは書いているわけだし……)。 もっとも筆者がはじめての鉄塔小説の書き手だったとしても、同じ話を書くわけがないので、ここは素直に作者の力量を褒め称えておきたいと思う。

この項、終わり。



で、東京西線の続きである(2004/02/07)。

まず、京王線で京王八王子駅まで出向き、そこから国道166号線を北へ向かって甲州街道、浅川と渡り、ひよどり有料トンネルを西にずれて、 一部小宮公園内を抜け、ひよどり山中を右手に見ながら坂をまわって下り、中央道を渡り、尾崎町でバイパスを潜り、16号の歩道橋を渡ってわずかに北上すると、 東京西線・第46番鉄塔 が立っていた(ここまで約1時間)。

坂を上がって46を確認後、「この先行き止まり」の道を進み、地所に網が張られた農地の、その網の孔を潜ってさらに進むと、 47は道路を隔てた向こう側にあった。仕方がないので同じコースを46まで戻り(近くに、 ラジオ体操をはじめた工事のおじさんたちもいたし……)、川沿い、道なりに47を眺め、その先の丘の上の48を目指した。

寂れた細道をゆるゆる昇ると、個人所有のグラウンドの先に48 があることがわかった。 朝も早かったので、柵の開けられたグラウンドを越えて先に進むと、各人の名前のついた桜などが植えてあり、 どうやらそこが会員制の自然公園らしきものであるということがわかった。が、仕方がないので、そのまま丘向こうの 49を目指すことにした。途中、公園整備の人の車を追い越したりなどしたが、咎められはしなかった(しかしこう簡単には入れるのでは、柵や門の意味がないではないか!)。

舗装された自然道を降りて登ると、広場になったところに49 が聳え立っていた。 で、人目を気にしながら、そのまま駐車場を見上げる道なりの坂を下りて道路を渡った先が富士美術館。 その先の創価女子短大の向こうに50が見えたが、これは学校敷地内みたいなので迂回し、短大を右手に大きく坂を下り、創価大の自転車置き場から、結局、 大学校内(50 は創価大の方にあった)に入り、プレート(創価大線もあった)を確認。 ついで同じルートから校内を抜けて166号線を渡った。そのすぐ近くの高台の上に立っている 51 を確認したところで、道がなくなった。 で、仕方がないので、創価大学緑風合宿所の急坂を登ったりしてみたが、結局、目指す鉄塔が向かいの山の上に建っていることが確認できただけだった。

ということで、また国道166号線に戻り、わずかに北上した先の山道を試してみることにした。

牛舎があって吃驚したりしながら細道を登ると、見えた、あった、達した赤白の 52 は、なんとそこに建立された小さな 富士浅間神社 の境内に立ち(創価大も一望できた、って近過ぎか!)、 しかもそこから鉄塔巡査路も続いていた。

巡査路に沿って道なりに進むと、犬目線01 に遭遇、 その先の脇道が53 に到る分岐道 だった。 さらに進むと犬目線02、03があり、その先の脇道の先に54、 戻って舗装道路を北上すると、武蔵野GC手前に55 が立っていた。

武蔵野GCを右手にしばらく進んで下り坂に入ると、工場の脇に56 が建ち、 そこを抜けて緩い崖を下って国道46号線沿いに北西に進むと、何かの工場の敷地内に 57 があった(左手は八王子CC)。

58 は明らかに八王子CCか、 または隣接する清掃工場(戸吹不燃物処理センター)の敷地内にあったので迂回し、 その先の最終処分場横の八王子市所有の野球グラウンドから59、60にアプローチすることにした。

歩き難いことこの上ない枯草溜まりの広場の先の59 には何とか行き着くことができたが (ゴルフボールなどが転がっていたので、ゴルフ場敷地内なのだろう)、その先の高台上の金網内にあった 60に接近することは叶わなかった。 そして、見渡す限りに道はない。「この先、いったいどうしよう?」かと途方に暮れた。

仕方がないので、いったん来た道を戻って46号を北上し、用水路(かな?)を取り巻く戸吹町の田舎道を西に進んだ。 途中、鉄塔の頭が見えたので竹山(杉もあった)の急坂道を60にトライしてみたが鉄塔には呼ばれず、いったん降りて、 東京都知的障害者育成会の建物の先の山道を登った。

60から61に続く送電線(空の影だ!)だけを頼りに、一面落葉の歩き難い道を進み(柔らかさに足をとられるのだ!)、 61のほぼ真下から緩い崖を登った。鉄塔にさえ行き着ければ巡査路がある!と信じたゆえの行動だった。

果たして61 に行き着くと、そこには巡査路があった (ゼンリンの電子地図にも載っていない道、ここまで多数)。で、それに沿って進むと、低い崖を下ってゴルフコース脇の舗装路に至り (敷地内だ! しかもプレーしている人が普通にいるし……)、そのすぐ先に 62、そして舗装路を道なりに進んだ、明らかにゴルフコース内の丘の上に、凛凛しい姿の 63が建っていた。

続く64 は、ゴルフ場駐車場西のコース内にあるように思われたが、道を進むと鉄塔道標があって、無事、プレートまで辿り着くことができた。そこから65を遠望し、「あと少しで終わるかな!」などと思いながら道を進むと、ゴルフ場から外れた北側のさらに高台のところに65が建っていた。

(途中、キャディーさんたちを乗せた車に抜かれ、またその前にも、64手前で工事用の車両にも抜かれている)

最短で65 に行くには、ゴルフ場の舗装路脇の緩い崖を登り、鴉避けCDのついた柵を越える必要があった。 で、「明らかに、見えてるよな!(見てるかどうか、わかんないけど……)」などと思いながら、柵を越え、坂(崖)を登った。 行き着いて見ると細道があり、それは鉄塔巡査路であると同時に秋川ハイキングコースにもなっていることがわかった。

(その位置辺りが、もっとも八王子CCに接近していたコース部分。 ちなみに62辺りからゴルフ場境界には針金二本の低い柵が張り巡らされていたが、それに付随する注意書きをよく読むと、 「高圧電流が流れているので危険です(表現は不正確)」とか記されていた。何度も跨いだのに……)。

で、秋川ハイキングコースを西に進むと、鉄塔道標と66への分岐道があることがわかったので、それを進み、無事 66 に到達した。

そこで帰ることになるわけだが、如何せん道がないので、「また、サマーランド方面へ抜けようか?」などと思いつつ、 「せっかくだからコースを行くか!」と、いったん進めた足を逆方向に向け、ハイキングコースを戸吹方面へ向かうことにした。 途中、わりと最後のところで分岐道を降りる方に向かうと、数時間前に見た施設近くに出たので道を戻り、(いまのがハイキングコースではなかったから……) 本来のコースを進むと、だいぶ北側に抜けた。川(用水路)沿いの道を東に進むと、国道411号線(上戸吹西交差点)に抜けたので、 「結局、同じか!」などと思いながら、それを北から西へ道なりに登っては下り、サマーボウルのところから前回と同じ秋留橋を渡ってほぼ北上し、 秋川駅から家に帰った。今回は立川から分倍河原経由で家に帰った(歩数、約5万3千歩。なんなんだー!)。



その翌日(2004/02/08)は、午前中に写真の整理などを行い、「ちょっと強迫的になってきて厭だな!」などと思いながら、 ゼンリンの電子地図で調べると道がありそうだったので、04、05のプレート探索に出かけた。

京王線・京王永山駅からはじめることにし、まず近くの10 に寄り道することにした (10は柵に囲まれた丘の上にあり、前にプレートが確認できなかった鉄塔)。で、今回も柵のまわりを巡ってみたが、やはり角度が急すぎてプレートは見えない。 そこで近くの団地の階段の4F〜5Fの踊り場辺りから眺めて見ると、プレートは見当たらなかったが、番号札みたいなものはあるように思われた(筆者は近眼)。 で、デジカメの画像サイズを最大に合わせ、札(らしきもの)を狙った。実際に写真内容を確認したのは後日だったが、 そこには、朧げながら確かに10 の文字が映っていた。

(鉄塔の番号札は、当該鉄塔をそれより番号が若い鉄塔から見たとき見える方向の脚についているようだ。 しかしそれが右なのか、はたまた左なのかは、何故か定まっていない。東京西線には左が多いような気がしたが……)

それからそのまま永山団地を抜けて突き当たった道路を渡り、国士舘大学多摩校舎沿いに多摩ニュータウン市場を左折(南下)、 そこから少し行った車道も兼ねる陸橋の東側から国士舘大グラウンドに至る坂道を登った。 グラウンド近くまで行ってみると、その先にグラウンドと民家の畠を抜ける細道があり、国士舘大グラウンドを左手にその細道を道なりに進むと、 只見線566 に行き遭った(グラウンド側の柵の中)。

その場所から、遠く近くに立ち並ぶ数基の鉄塔を眺めつつ細い枯葉道を進むと、本当にすんなりという感じで東京西線・ 第04番鉄塔 に辿り着いた。 それを背後にさらに歩を進めると、背の高い竹藪の向こうにふいに05の姿が浮かび上がり、 何やら歌を練習していた私服の女学生(かな?)がいたすぐ先の角を曲がって、実際に 05 を確認した。

(今回に限らず、鉄塔と竹薮は組みになることが多い。これは竹の繁殖能のせいか、東京郊外に特有の現象なのか?  神奈川の場合は、そうでもなかったと思う)

せっかくなので、そのまま道を戻ってさらに03 まで進み、 前に通った坂道を下って01まで向かうことにした。

西東京変電所を望む斜面の柵の中に立つ、さらに柵に囲まれた01の脚を外側の柵の真向かいから眺めてみたが、 やはりこちら側には番号札は見当たらない。そこで、「どうしようか?」などと惑いながら、すぐ内側に用水路がある外柵を辿って、 敷地内に抜けられそうなところはないかと探した。結局、畑と変電所境界のコンクリートの張出し部分から、用水路を跨いで柵内に入った。 枯薄・枯竹など大量の枯枝の束に足をとられながら、鉄塔の立つ斜面広場(というほどの広さではなかったが……)に到り、無事 01 の番号札を確認した(向かって左脚貼り)。

その日はそれからほぼ東京西線沿いに番号を昇り、13のところで墓地内に入って竹林を抜け、そのすぐ下の坂を降るなどしながら14まで至り、 ぐるりを巡って、やはり14が東京都所有施設の敷地内に立っていたのを確認して(がっかり!)、家に帰った。



翌週(2004/02/14)は、逆に番号の多い鉄塔のプレートを確認しに出かけた。

まず、JR線・武蔵五日市駅 まで出向き、 以前と同じ経路で 鉄塔の並びを確認しながら 小峰トンネル を抜け、そのまま進めば新多摩変電所に至る田舎道を、 75が、見上げた角度と距離で最も近くなるところまで進み、 そこから分岐する二、三軒の民家が並ぶ細道に分け入った。

(75は、以前76から74へと巡査路を道なりに進んだとき、通り越してしまった鉄塔)

駐車場に利用されているらしい狭い広場のところで当然のように道はなくなり(鉄塔に呼ばれなかった!)、 仕方がないので、そのまま道一面が落葉の松&杉&その他、さらに枯枝だらけの陵を登った。 最初の50メートルくらいは細い水無川が道となったが、その先に人の通った跡はない。実際の鉄塔までの距離は直線で200メートルくらいだと思われたが……。 崖を上がって峰(のようなところ)まで至り、そこから藪を通して75を確認、できるだけ直線路に近づくようにいったん陵を下りてまた登り、 目の上の空の影(送電線のこと)を見外さないように気をつけながら前進すること10数分、やっとの思いで 75 まで到達した。

実際に現場に達してみると、76 が西方に見え、そしてほぼ北方向に急な登りの細道もあった。 わずかに足を滑らしたりしながらそれを辿ると、小峰公園の順路も兼ねる東電(だろうね?)の巡視路に抜けた。

(前に想像でつけた「巡査路」という名称は残念ながら間違いで、正式には「巡視路」というらしい。 ちなみに75辺りの巡視路番号は31 (という道標が立っていた))

せっかくなので76 まで向かい、そこから変電所脇の細道を下って秋川街道に抜けた。 左手遠くに鉄塔の連なりを眺めながら、東に進む。以前に来たときとは逆方向(南側)から、ゴルフ場内・丘上の63を目指すことにしたのだ (季節がら、梅の木がある民家の庭では、蕾と花が交じり合って咲いていた)。

ところが方向音痴のためか道を間違え、64 の近くに達してしまった(っていうか、 ゴルフ場下の陵を登りきって、いったん場内に入り(!)、造成地を抜けて、そのままコース内の道を行き……という展開になったのだ。 人がいたので、進んだ道を戻ることも出来なかった!)。

ゴルフ場内のコースを横切ることも出来ないので(また、何人かの職員さんともすれ違っていたため)、 とりあえず63を諦めて目標を変え、以前やはり近づけなかった60を目指すことにした。 これまで通ったことのない63北側の細道を下って戸吹町に降りるコースを選んだ。 実際に細道を降りてみると、それがその先で前に秋川ハイキングコースから抜けた道と一致していることがわかった。 で、道なりに進んでから滝川街道を南東に、ついで高尾街道を南下した。

遠くに60を眺めながら、前回と同じく八王子市管理の野球グラウンドからゴルフ場内(コースではない外周部)に入り、鉄塔を観察。 やはり、柵(ゴルフ場の敷地を仕切る柵)の向こう(越えればゴルフ場の外に出る)にあり近づける道はない。仕方がないので枯枝をかき分け、 茨に刺されながら緩い崖を登って柵を越え(ゴルフ場の外、清掃工場の最終処分場近く?)、鉄塔本体と空の影を見失わないようにしつつ、 枯枝&枯木の陵を下って細い水無川を越え、最後に結構急な坂を登って 60 に到した。

これも実際に到達してみると、予想通りというのか、柵沿いに落葉道があり(ただし、その場所の柵は急斜面の上)、 そのまま辿れば61 に達するのか?(ないない!)とも思われたが、 その方向(ほぼ北西)に進んでもまた戻ることになるだけなので、柵沿いに、ついさっき柵を越えた辺りに戻ってみると、 「なーんだ、水無川を渡ることなかったじゃん!」という感じで元来たところに到ってしまった。 で、つい25分くらい前に柵を乗り越えた辺りからまた柵をよじ登って同じ道に出、着ていたコートに染みついた枯草の臭いを気にしながら、その場を後にした。

それから清掃工場脇の舗装道路を下り、工場を右手に58を見上げ、それが確かにゴルフ場内に立っているのを確認すると、 他に方法もないので(崖を登る気もしないし、柵の近くには人がいたし……)、ゴルフ場の駐車場に到ると思われる坂道をてくてくと登ることにした。と、呆気なく 58 に到達。プレートを確認後、それ以上そこにいるのもなんなので、「えっとー!」とか思いながら、 また63に向かうことにした。

高尾街道をそのまま犬目の交差点まで歩き(この辺りの風景は町といえた!)、そこから川口川を西に向かった。 目指すのは川口川と秋川街道が交わる辺りである(そこより東では川が北、西では南側となる)。 犬に吼えられたりしながら先に進んで、「これかなァ?」などと思いつつ、秋川街道を外れて北に向かう田舎道に分岐した。 そのアスファルト道をずんずん進むと、確かに目の上150メートルくらいに63が聳え立っていた。 が、もちろん道はなく、しかも困ったことにトンネル工事の作業中で作業員(監視員)もいた(そのときは休憩中だったが……)。

で、いったん道を引き返し、(敗北感で胸を一杯にしながら)別の道を探した。見つけた道は先程の道とわりと近かったが、 交わることはなく、南東まわりで工事現場を迂回できそうな感じだった。で、またしても結構険しい陵を登り、再度63を目指した。

倒木が多くて(ま、ここに限ったことではないが……)、なかなか直進することができない。 しかし空の影と、垣間見える鉄塔の姿だけを頼りに陵を降りまた登ると、まさに遭遇といった感じで 鉄塔巡視路 に当った。 今回は、鉄塔に呼ばれた!らしい(道標はなかったが……)。で、また倒木などを潜りながら路を進むと、 63の真裏まで辿り着いた。

ほっとしながら、高圧電流が流れる(という説明の)低い柵を跨ぎ、鉄塔の下を抜けてコース側に向いたプレートを撮影。 ちなみに番号札はその逆側、すなわち巡視路から見える方向、向かって左側の脚に貼られていた。

とりあえず満足したので、巡視路を逆に辿って、それの至るどこかの道路に抜けることにした。

途中、いくつか分岐もあったが、できるだけ道なりと思える方向に進んで陵を下り、最終的に熊野神社近辺に至る細道に到達。 で、そこから秋川街道に戻り、楢原町の辺りで京王八王子駅行きのバス(西東京バス)に乗った。

駅に着いてみると、まだ陽も高いので、「平山城址公園駅まで行き、27を狙おうか!」と考えが変わった。 27は北野街道に隣接する民家の畑に聳え立つプレートがないタイプの鉄塔で、人がいると、 ちょっと近づきにくい(民家の敷地内に建つ鉄塔には無プレートのものが多い)。 で、実際現地に着いてみると、やはり人がいたので、わずかに悩みながら鉄塔を囲う柵沿いにぐるりをまわって 番号札 を撮影した。 柵を辿って戻るときに犬と目が合ってちょっと吼えられたが、その犬がこれまで出逢った大型のバウバウ犬ではなく、 戸惑ったような感じの小型犬だったため(鳴き声も戸惑い気味)、無事街道まで戻ることができた。

そこまで来たので、22、23、24も狙ってみようと元気を出した。

北野街道を南西に向かってから、七生団地を左手に道路を曲がり、23を右手に、まず24に向かった。

近づいてみると、七生バッティングセンターの奥が公園になっていて、園内の道を辿れば24に至れるだろうと直感できた。 途中、巡視路と思われる(舗装なしの)落葉&枯葉道には気がついたものの、そこで迷うのも厭なので、とりあえず園内の舗装路を登った。 辿り着いた行き止まりの場所が多摩動物公園の茶色の仕切柵だったので、その柵伝いにほぼ西に進み、分岐路をわずかに行くと、 その公園に入る前からはっきりと確認できていた巨大赤白の 24 に到達した。鉄塔の下を抜けて、そこからプラ板埋込階段(というのか?)のある急な巡視路を下ると、 予想通り先に見た落葉&枯葉道に抜けた。

で、次は23を目指した。「行き方さえ間違えなければ、問題なく辿り着けるだろう」と前回思った通り、中央大学下の駐車場から緑地を抜けてトライして、 太い竹の切株が滑り止めとなっている崖道を登ると、すんなりと 23 に到達できた。

そして最後の22である。

以前の記憶では、22が建っているのは明星大学敷地内だろうという見当だったが、ぐるりをまわるのも面倒なので、 とりあえず中央大学に至る坂道を登ってみることにした。その先のトンネルを潜ると校内という辺りに左に分け入る分岐路があり、そこを抜けると22が、 多摩都市モノレールのトンネル上のさらに丘の上に建っていることがはっきりした。 で、止せばいいのにその方向に沿って柵を越えたが、枯薄ボウボウの空き地を泳ぐように抜けたその先の竹藪(しかも倒れている)の高さが胸ほどもあり、 とても行き着けるものではないと知れた。

で、明星大学側の道に出ようと坂に戻ると、受験生がぞろぞろ。入試だったのですね!  ということで、無念ながら、以前そこから道路に抜けた明星大学に至る工事現場内に入ることも叶わず(ま、行こうと思えば行けないこともなかったが、怪しいし……)、 モノレールに乗って、一駅戻ることにした。

で、あとはもう考えなしである。

多摩都市モノレールを中央大学・明星大学駅で降りて 明星大学校内に入り、エスカレーターや階段を登って鉄塔の見える方向に歩を進めると、 児玉記念図書館先の丘の上に22が建っていることがわかった。工事資材の置いてある駐車場の奥を見ると、どうやらそこから鉄塔に達せるらしい枯葉道がある。 で、惑わず登ると、すぐに 22 に辿り着いた。 そこから、先程強行横断を断念した場所を見降ろし覗いてみると、「経路を変えて行けば、行きつけないこともなかったかも?(相当危険そうだが……)」 っていう感じの眺めだった。

それから駅まで、丁寧きれいに整備された明星大学校内を戻り(体育館の窓拭き中)、多摩都市モノレールを終点の多摩センター駅まで乗って、 ついで京王線に乗り換えて家に帰った。歩数、約5万9千歩(10分以上継続して歩行しないと計測されない「しっかり歩数」では、約4万9千歩)。 足はだるかったが、疲れの具合は以前よりは少なかった……みたいだった。

ま、この先、どうしようもないし……



で、その後、「西東京線」のプレートの落穂拾いに出かけた(2004/02/21)。

まず南多摩変電所 内の4041 を狙うため、京王八王子駅まで出向き、そこから国道20号線、16号線と歩いて、目的の変電所に到達した。

(変電所に向かう途中、箱型を横から見るという41の遠景が結構魅力的だった ので、 帰りに写真を撮ることに決めた)

柵の向こうの箱型41をよくよく眺めて見ると、確かにプレートがある。しかし距離的に離れているので、上手く写真に写らない。 100円ショップで購入した双眼鏡の片玉をデジカメのレンズの上に重ねたりもしてみたが、これも手の揺れが増幅されるので良いとはいえない。 結局、「駄目なら駄目で致し方ない」と、とりあえず写せたもので満足することにした(後で確認すると、双眼鏡のレンズを足すと色収差が大きくなることがわかった)。

で、次は変電所内の40 だが、高台にあって、しかも複数住宅に囲まれているため、 可能な限りぐるりをまわってみたが、通常の経路では近づくことが不可能だと知れた。 で、仕方がないので変電所の柵沿いに盛り上げてあるコンクリートの塀の上の巾30センチくらいの部分を伝ってみることにした。

高いところでは10メートル(までないか……)くらいの落差があるので、子供などが遊ばないよう、角(というか曲がりの部分)には、 横鼠返し(というのか?)が仕掛けられていた。が、手で金網や「ここで遊んでは行けません!」の注意看板を掴むことができたため、難なく(?)そこも越え、 目的の40 正面に辿り着くことができた。 プレート自体は、そこから見て逆側に付いているようだったが、番号札は向かって左脚のこちら(柵)側に貼りついていた。

長居は無用なので、そのままぐるりを反時計回りに先に進むと、コンクリートが途切れて落葉道となっていた。 そこを進むと、来るときに通った道近くの崖の上で、降りて降りられないことはない角度と距離だったが(後で下から見てもそうだった)、 無理をせずにコンクリート塀端上道を戻ることにした。

で、帰り道に犬である。

犬は見下ろす民家のベランダにいた。

が、見慣れぬところに人がいるので向こうも吃驚したのか、咆え方に迫力がない。で、ここは一目散に、しかし落ち着いて横鼠返しを戻り、 その先の段段(団地の盛り上げ風)になっているところからコンクリート塀を降りた。ま、役に立たない犬で助かった(といって、良いのか?)といったところか?

それから京王八王子駅までの戻りに、初心に帰って、行きに見つけた終点鉄塔2基を眺めることにした。 八王子線01北八王子線01である。 互いに鉄塔1基分くらいの距離しか離れていなかったが、どちらもそこで確かに送電線が途切れていた。

ついで、平山城址公園駅で降りて24 に寄り道してから(鉄塔の道を利用)、 懸案の14 に向かった。

ネットでよく調べてみると、14が建っている「東京都埋蔵文化財センター」の所有地「縄文の村」は09:30〜16:30(季節により09:30〜17:00)の間、 開放されているらしい。で、実際に行ってみると、確かに入れる。東京西線ウーォーキング(プレートまたは番号札付き)の、あっけない幕切れであった。

(実は最初は展示館に入って「縄文の村」に抜ける順路を探したが、村の入口は別にあった (展示員に確認。ちなみに「村」といっても「プリズナーNo.6」ではない! 「村」は本館の建物近くに付属施設として設定されているようだった。 ちなみに警報機を鳴らしたとき物置小屋だと思われたのは、村のトイレだった)。

(*「プリズナーNo.6」:英国のITCにより1976-77年に放映されたカルト・スパイドラマ。 主演は、後に「刑事コロンボ」を数本監督することになる「秘密諜報員ジョン・ドレイク」のパトリック・マッグーハン)

次に永山団地丘上の10に再度向かった。 双眼鏡のレンズを試してみたかったからだ。しかし結果は、多少はマシという程度だった(その写真は採用せず)。

(ちなみに南多摩変電所に向かったのが早朝だったため24に寄り道したわけだが、14に行くにはまだ早かったので、 明星大学前の多摩都市モノレール工事現場からモノレールの潜るトンネルの横の工事用トンネル(かな?)などを 抜けててみることにした。 もちろん本当は、関係者以外通れないもので、モノレール用トンネルの左右に2つ造られていた。 今回通ったのは多摩センター駅に向かう方角から見て左側。直線ではなく、進んだ方向に対して左に折れ曲がっていたが(右手の曲がる方向)、 長さはおおよそ200〜300メートル程度だったのではないか、思う(外の光が届かなくなった辺りで出口の光が入ってきた!)。 で、21まで抜けたので、そこからほぼモノレールのレール沿いに14までウォーキング、埋蔵センターに到着したのが10:10くらいだった)

まだ陽も高かったので、その辺りで唯一柵のない08 に寄り道してから、 「和田掘線」の171、 174 を狙うことにした(京王線・八幡山駅からほぼ北上した、「身代わり不動尊」の辺り)。

まず172 に寄り道して、 前にはなかったプレートがあったのに首を傾げながら171 に向かった。 だいぶ暖かくなったとはいえ、さすがに冬らしく、夏には木に隠れて見えなかった 171 のプレートが冬枯れの枝の向こうに透けて見えた。 で、「そんなもんかな?」などと思いながら、次に「身代わり不動尊」敷地内の174 に向かった。 時間が時間なので門も開いていて、臆せず中に入ると、プレート名は173だった。 そのプレート名をこれまで確認できなかったため、筆者が永らく勘違いしていたわけだ。そして、ここでも違和感が湧き上がってきた。すなわち和田掘線の名称表記版は、杉並区のその辺りではプレートではなく看板(というのか、立札というのか?)だったはずだからである。で、確認のため175に向かうと、これにもプレートがついている。変化か、進化か、いや、ただの補修か? 不思議といえば不思議な思いを味わった。

(実際、家に帰ってから昔撮った175 の写真を引っ張り出して確認してみたのだが、 確かにプレートは写っていなかった!(175新

ついで、京王・井の頭線の浜田山駅から吉祥寺駅に向かい、JR線に乗り換えて高円寺駅まで行き、 杉並線22 を狙うことにした。

行き着いてみると、非常に珍しい光景に出くわした。 旧式箱型鉄塔から新式美麗鉄塔への建替えの真っ最中 だったのである!  で、そのときは工事もしていなくて(日曜日だからか?)、一部が透明シートになっている工事用の柵を通して番号札も確認できた。

ついでなので、高井戸線34 まで行ってみることにした。

34が建っているのは都立豊多摩高校敷地内で、ぐるりを巡ったが、プレートが見えるような位置に道はない。 で、門も開いていたので、50メートルくらい先の、34 まで行ってみることにした。結果、プレートが向かった方向に貼りついていることが確認できた。

その日はそれで、浜田山駅から家に帰った。歩数、約5万9千歩(しっかり歩数、約5万5千歩)だったが、歩数計を調べると、 レベル調整メモリがいつのまにか+に変わっていたので、実際はもっと少なかったに違いない。



翌日(2004/02/22)、「川世線」の残り (09:高台=陵、16:ゴルフ場隣の丘、24:マンション工事現場敷地内、45:民家敷地内)などを狙うことにした。

まず09からはじめることにして、JR南部線・溝の口駅まで出向いた。09が建っていたのは溝の口駅と同・武蔵新城駅の中間の陵の上で、 かつてマンションの建つ丘上の10 の奥から柵沿いにアプローチしたことがあったが、 薔薇線付の金網柵&同鍵付戸 に阻まれて諦めた経緯があった。 で今回、以前とは別の経路で段段畑を登ったりしながら同じ場所まで行くと、戸の薔薇線が一部剥がされていた。で、それを潜って細道を登り、 無事09 に到達することができた。

それからほぼ鉄塔伝いに16まで向かった。

(高台の23 下の緑地で下に抜ける道を探ったり(なかった!)、 その近傍の駐車場から2425 を見下ろしたりもした)

で、16 に着いてみると、これも冬のためか、あっさりとプレートが確認できた。 それからまた鉄塔沿いに24まで向かい、工事現場の柵を巡り(場所は遠いが、入れそうなところもあった! その気はなかったが……)、 柵の網の部分から、なんとかプレートを確認した。

次の45がその場所から遠かったため、これも近くはなかったが、駒沢線06を試してみることにした。

東急・大井町線の緑ケ丘駅(駒沢線14近傍)から、これも鉄塔沿いに06を目指した。06は洗足池小学校の裏門内すぐの位置に建っていたため、辺りをうろつくと怪しいことこの上ない。が、ぐるりを巡ってみたが、やはり裏門より最適の場所もない。で、仕方がないので門の外から首を伸ばして脚を確認すると、鉄塔番号の若い方から見て右脚側に番号札が見え隠れしていた(冬枯れしない椿の葉の向こう)。しかし目では見えていたものの、陽光が反射して、結局写真に撮ることはできなかった。

(駒沢線は残る65、68、79のすべてが密集した民家敷地内に建つ美麗鉄塔のため、どちらにしても全部を写すことはできないのだった。 ちなみに08 で確認してみたが、駒沢線の番号札は東京西線とは違い、 若い方から見て右脚に貼りついているようだった)

それで諦めることにして、川世線45に向かうことにした。

電車を乗り継いで小田急線・成城学園前駅で降車、駅近傍の4039 を眺めながら45 に向かうと、蔦が絡まってはいたものの、 まったく問題なくプレートを確認することができた。

で、それで良しとして、その日は家に帰ることにした。歩数、約2万5千歩(しっかり歩数、約2万2千歩)であった。



*以下は各電力会社へのお願いである。

これから送電鉄塔にプレートをつける場合は、遠くからでも見えるような高い位置で、かつ各方向に貼りつけていただきたい、と思います。 そうすれば、今後また筆者のような変わりモノが出てきたとき楽ができるでしょうし、また送電鉄塔の知名度も上がる(?)のではないか、と考えられるからです。



それはそれとして、っていうか、どうもこの時期の鉄塔番号の確認の仕方は、自分でも強迫的で厭である!

ということで、今度こそ、続かなーい! 



落穂拾い

ということで、プレート(または番号札)の落穂拾いを行なった。

[稲田線(稲田線4基、日活線1基、浄水管線8基)]2004/02/28

稲田線:生産緑地の畑を横切って23。上に建物がある1F駐車場内で25。変電所の塀越しに2728

日活線:鉄塔の裏にまわって、金網越しに03

浄水管線:前に通ったのとは逆側の民家(農家)の並ぶ小道から02。それを進んで03。小学校の金網越しに04。駐車場をまわって06。民家の塀越しに07(犬が吼えて困った!)。浄水場の生垣越しに08。工事現場の軽トラック車庫のドア越しに09。前に手書きで記してあったのとは逆側の脚にまわって10

[北多摩線(86-90の中抜き2基)]2004/02/28

大学の校内からでは見えなかったので、裏にまわり、アパートの廊下から塀越しに89。奥まった複数の民家所有と思われる小道を進んで87

[駒沢線(小学校内1基と民家近傍美麗3基)]2004/02/28

小学校の裏門越しに06。民家の壁沿いに進み、大学の塀越しに79。アパートの廊下を進み、壁と塀の間を抜けて68。向かいが更地になっている民家の外通路から覗いて65

[目白線(民家に囲まれた2基、駅構内1基、線路沿い1基)]2004/03/06

民家の塀伝いに線路脇まで行き、それぞれ線路越しに06甲および06乙。当該駅で降車し、ぐるりを周って見つけた木戸の上から18。アパートの廊下を線路脇まで進み、さらに身を乗り出して241617も撮り直す)。

[和田堀線・北堀線(変電所内の北堀線1基)]2004/03/06

当該変電所の金網越しに01(見えたときは嬉しかった!)。

[境‐新線(変電所内3基、民家内3基。およびボケのひどいもの9基)]2004/03/06-07

当該変電所に隣接する運送会社の舗装路から01-1(これまで01と思っていた鉄塔)。アパート庭の通路を変電所の塀まで進み、そこから位置を選んで、錆びた四角い空缶を台にして塀越しに01(テニス場内)。民家の門扉越しに04。民家の藪を進んで、鳥のいない鳥小屋の先で12。門のドアから入ったマンションの外通路を進んで57、変電所の門扉越しに99

ボケ:畑を進んで06、外食屋駐車場の壁越しに10、問題なく78、鉄塔だけ高台となっている脇の坂道先の民家造成地から80、会社寮の鉄塀の隙間から87、問題なく92、トラック駐車場内で95、問題なく96、ついでに民家のガレージ扉越しに103

[武蔵野線(ゴルフ場内1基、自動車管理場内1基、変電所内4基、畑内3基、神社境内1基)]2004/03/03-14

武蔵赤坂線:金網の破れた所からゴルフ場内に入り14。自動車管理場の金網越しに17

武蔵野連絡線:畑の道を探して0809。それとは別の畑の中を行くと隣接する道があって17。 新座変電所の金網越しに2425

武蔵野線:同変電所の金網下のコンクリートに乗って金網越しに12(7倍の双眼鏡付デジカメで番号の確認はできたが、写真は「二」がちょっときつい:使用デジカメ、ペンタックス・デジビノ DB200)。拝観料を払って境内に入り05。 ついでに武蔵野変電所のスライド式車用門から変電所敷地内(芝生に木が植えてある場所)に入り、変電所のプレート(ズーム撮影では字が読めなかったため、仕方なく!)。

*なお、括弧を多用した上記(下品な)文体を「ひーちゃんスタイル」と呼ぶ。



以上


適当な風景 更新履歴


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東京西線 都南線・都越線 和田掘線
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