豊園水跡

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天正15年(1587)豊臣秀吉は政庁を二条の妙顕寺から新造した聚楽第に移し 聚楽第を中核として京都の城下町への改造に着手した。
秀吉は 聚楽第に続いて五条坊門高倉に別荘龍臥城を造営したが、その邸内の井戸より湧出する上質の水を豊園水と名付けて茶の湯に用いた。
元豊園小学校の校名はこの豊園水に因んでつけられたものである。 現在の豊園水は明治31年に学区内の人々によって修理され保存されたもので、井戸枠から当時を偲ぶことができる。
(京都市 駒札より)




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