史跡平安宮豊楽殿跡

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平安宮内には、天皇の住まいである内裏をはじめとして多数の役所が軒を連ねていました。国家的な儀式を執り行う場所として平安宮の南中央部には朝堂院が、その西側へは豊楽院が設けられました。豊楽院は、主に天皇の饗宴を行うことを目的に造営されたものですが。先の都である平城京や長岡宮には造られていません。
1987年10月から翌年にかけて行った発掘調査によって、豊楽殿(豊楽院の正殿)の基壇の西北隅と北側建物への渡り廊下の一部を発見することが出来ました。
盛り上がった土壇の周りに細い溝が巡っていました。これは基壇を化粧するのに用いた凝灰岩を据えた後で、切り石の一部が部分的に見えます。こうした基壇を壇上積基壇といいます。これにより、今から1200年前に造られたころの姿を知ることが出来ます。基壇の上で、5箇所の礎石を据え付けた位置を確認することが出来ました。
豊楽殿は東西〔桁行)99間(39.3m)南北(梁間)4間(16.2m)の建物で、屋根には緑色をした瓦〔緑釉瓦)が葺かれていました。鳳凰が羽を左右に大きく広げた姿をレリーフした緑釉の鴟尾も発見しています。
今回豊楽殿の北側で見つけた渡り廊下は、造営された時にはなく、後に造られたことも明らかになりました。敷地内の一段高くなっている所は、基壇跡と廊下跡の一部です。平安宮跡のなかでこのように基壇跡が今でも高く盛り上がっているのはこの付近だけです。
平安宮豊楽殿跡は、古代宮都を解明する上で重要な遺跡であることから平成2年度国の史跡に指定されました。

関連サイト
「官制大観」




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