冷泉院址

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 西は大宮通り、東は堀川通り、北は大炊御門道、南は二条通りに囲まれた四町の地域。もとは、「冷然院」と言った。
 創建は嵯峨天皇代で、以後、内裏修復時の仮御所などに使用されていた。嵯峨天皇は譲位とともに、ここで過ごし、文徳天皇もしばしば用い、ここで崩御している。
 949年に焼失し、その後再建された折に、「然」の字は「燃」に通じるということで、「泉」に改められた。冷泉天皇の、冷泉の名も譲位後ここに住んだことによる。1016年焼亡の後は放置されていたが、1051年後冷泉天皇の時、新造された。しかし、1055年取り壊され、これを移して一条院が造営された。




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