此附近 閑院内裏址

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ここから北西に当たる西洞院通り、押小路通り、油小路通り、二条通りに囲まれた地域は、 平安時代から鎌倉時代初期にかけて藤原氏の邸があったところである。
当初は、藤原冬嗣の邸であったが、十一世紀初期に藤原公季が伝領してから「閑院」と称した。
また、高倉天皇の時代(1161〜1181)大内裏が甚だしく荒廃したため閑院邸が里内裏(臨時に設けられる皇居)として利用され、 次いで後鳥羽天皇もここで皇位を継承するなど朝廷の中心となったところでもある。
以来、後深草天皇に至る9代90余年間、里内裏となっていたが、 正元元年(1259)5月に火災で消失した





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後深草院二条
(http://www2.justnet.ne.jp/~jingu/)



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