二条富小路内裏址

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この地ははじめ西園寺実氏の邸宅であったが1232年,後堀川天皇が仙洞とし、その後、四条、後嵯峨、後深草、亀山、伏見、後伏見、花園、後醍醐天皇まで幾度となく皇居または仙洞となった。実氏は後嵯峨、後伏見天皇のとき、外戚となり権勢を恣にした。
さらに、後醍醐天皇は隠岐より還られるや、ここに入御され、建武の中興の政令はここから発せられたが、建武3年(1336)足利尊氏の叛乱により焼失した。



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後深草院二条
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