平安宮朝堂院跡

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 朝堂院は八省院とも呼ばれ天皇の即位や外国使節の謁見など様々な儀礼や国事の行われるところで、朝政の中心の場であった。
 宮城の正面の朱雀門を入ったところに位置し、北は中和院、西は豊楽院、東は太政官や民部省などの官衙に接していた。その規模は、東西約60丈(約180m)南北約150丈(約450m)で、全体が回廊で囲まれていた。
 正面には応天門があり両翼に栖鳳・翔鸞の二楼が建ち、応天門を入ると左右に朝集堂があった。さらに会昌門をを入ると大礼の際に諸司宮人の列した十二堂が建ち並び、正面の一段高い龍尾壇の上には左右に蒼龍・白虎の二楼を従えて、朝堂院の正殿である大極殿がその威容を誇っていた。東西11間・南北4間の規模を有する大極殿は緑彩の瓦で葺かれた大屋根の下に朱塗りの柱の並ぶ華やかな殿堂であった。
 朝堂院は平安京造都開始の翌年の延暦14年(795)にまず大極殿が造営され、次々に整備されていった。その後、数度の火災に遭いながらもその度に再建されてきたが、安元3年(1177)の大火で全焼し、以後再び建てられることはなかった。
 現在のこの地は、ほぼ大極殿の西端ないしその西側の回廊付近にあたり、昭和50年に平安博物館が発掘調査を行った。後世の撹乱が著しく、遺構を確認することは出来なかったが、大極殿に関係すると思われる多量の瓦類や緑彩の鵄尾の破片などが出土した。
 (平安博物館)

関連サイト
「官制大観」




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