板倉勝重・重宗屋敷跡

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板倉勝重
関ケ原の合戦後、京都以西の支配に抜擢され、徳川幕府成立とともに 初代京都所司代に任ぜられた。
朝廷対策や幕府成立直後の混乱状態の中での治安維持に手腕を発揮し、その文化的素養と政治力で徳川幕府の西日本での支配の基礎を築いた。
板倉重宗
板倉勝重の長男。寛永三年(1626)三代将軍家光の上洛と、水尾天皇の二条行幸を実現させ朝廷と幕府との和合関係を築き、徳川幕府の安泰を図った。
また、二度目の家光上洛では、30数万軍勢の威力を背景にいっそうの徳川政権の支配を確定した。
さらに、京都の市中対策として、市中二一ヶ条を制定し小堀遠州などを使い、民政の充実を図った。




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