土御門内裏址

(上京区烏丸通り下長者町上がる)地図へ


 平安京左京一条三坊九町にあたるこの地(北は上長者町通り、南は下長者町通り、東は烏丸通り、西は室町通り)は、10世紀頃に村上天皇の皇子具平親王の邸宅が造営され、12世紀に至って曽孫源師時の邸宅土御門第となった。
 白河院近臣の権勢者藤原顕隆はこの地を買得して内裏を模した最初の里内裏を営み、鳥羽天皇から崇徳、近衛と続く三代24年もの間、天皇の御所となった。この里内裏も、保元元年(1156)の乱によって廃絶した。鎌倉室町時代には清浄華院が移ってきたが、のち豊臣秀吉により寺町に移され、その後には黄金塗り瓦葺の大名屋敷がたちならんだものの、これも秀吉の伏見城造営に際して伏見に移された。
 江戸時代の寛永12年(1636)になって水戸藩邸が営まれたが幕末の文久4年(1864)、烏丸通りを挟んで東向かいにある蛤御門(禁門)で起こった戦火により全焼した。現存する水戸彰考館所蔵史料の多くはこの藩邸で蒐集されたものである。
 明治時代に入った後は転々と所有者が変わり、平成8年その一部が京都ガーデンパレスホテルとなった。
 (財団法人古代学協会古代学研究所)




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