慶長天主堂跡

(上京区小川通り元誓願寺角 中央図書出版敷地内)地図へ
教徒でのキリスト教宣教はザビエルや宣教師達の入洛と、織田信長の保護のもとに本格化し、南蛮寺も建てられたが、天正15年(1587)豊臣秀吉が敷いた宣教師追放令によって弾圧を受けた。
徳川政権が確立するとキリスト教布教が黙認され、このあたりには慶長5年(1600)イエズス会の教会が復興され、岩上通りと綾小路が交差した一域に修道院と病院もあった。
しかし、慶長17年(1612)徳川幕府はキリシタンの大弾圧を開始、天主堂も焼き払われてしまった。
(京都市)




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