維新史蹟小川亭之跡

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小川亭とてい女

京都縄手通り三条下がる小川亭の老主婦てい女は勤王婆さんとして有名なり。
小川亭は、偶々、肥後藩邸より其の離れ座敷が鴨川一帯を見晴らし眺望の宜しきを以て、勤王討幕の謀議處として使用せられ、小川の後家二人はその世話をすることとなれり。
当時同家へ出入せる武士は、住江甚兵衛、川上源斎、轟武兵衛、宮部鼎蔵、山田信道、高木源右衛門、藤村紫朗、桂小五郎、平野次郎等にて、後年、国臣の銅像を故郷に建設する時、てい女は肖顔の検証役となれり。
維新後は娘のおはると共に旅宿を営みたりしに、勤王婆さんを慕いて投宿するもの頗る多く、大正12年7月10日90才にて死亡せり。

京都市教育会編纂「京都市維新史蹟(昭和3年)」より    




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