それでも地球は周っている
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R.フラーリー画  今回は簡易版です。詳細は参考文献をお読みくださいまし。 概略だけのお話にとどめようと思います。

 歴史などでは、宗教裁判で地動説(太陽の周りを地球がまわっている)を否定され、今後 こうした事はいわないと強要され、ボソボソと「それでも地球は周っている」と言ったと、 教わると思います。

●著書「星界の報告」
 時代は暗黒の時代といわれる中世。科学は宗教に逆らう事が出来なかった時代です。 聖書では地球が宇宙の中心で、その周りを太陽や月や星が巡っていると言う考えでした。

 ガリレオは望遠鏡を作り、木星を観測していた時です。木星の周りにあった星が 昨日と違う配置になっています。また次の日にみるとまた違った配置になっています。 ガリレオはこれらの星を観測しているうち、これらの不思議な星は木星の周りを巡っている 事に気が付いたのです。(一部はこちらで紹介しています)

 明らかに地球を中心とした星の動きではありません。それを表したのが「星界の報告」と 言う本です。

●さて
 この発表は騒ぎを巻き起こしました。ここに政治的な権力闘争と、 従来の科学のアリストテレス学派との争いが加わり、ガリレオは裁判に掛けられました。 裁判は「以後おとなしくしてなさい」と言わば執行猶予付きの判決がおりました。
●再び
 ガリレオは毒舌家としても有名で、その猶予期間内に、 弟子に進められなどしてまた著作「天文対話」を表したので、 また裁判に掛けられる事になったのです。

 結局は政治闘争の要因が大きくガリレオに「地動説」を捨てさせる判決が出ました。 望遠鏡も普及し始め木星に衛星があることはもう多くの人が認めていただけに、 当時の人々でもこの判決は驚きをもって伝えられたようです。

 満場一致の判決のように伝えられていますが判事3人は自白に疑わしい所があると 異議を唱えたふしがあります。実際罪は第一次判決の秘密命令に叛いた事とされていますが、 立会人の署名もないような、いわばでちあげの罪に近いものでした。  これ以後ガリレオは幽閉生活を送り生涯を閉じます。

 一般に伝えられているようにガリレオは宗教に屈したというだけではないのです。



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