周処の「風土記」によりますと、「天の川に(中略)五色の輝きを見たものは、これを良い兆候として、富・寿・子を授かることを願う。但しかなう願いは1つ(後略)」(大意です)とあります。
この時代は「祈る」ことのみで行事は行われなかったようであります。
古代中国の風俗などを著した書物「荊楚歳時記」には七月七日為牽牛織女聚会之夜 是夕 人家婦女 結綵縷 穿七孔針 或以金銀鍮石為針
陳几筵酒脯瓜菓於庭中 以乞巧 有喜子綱於瓜上 則以為符応。(B1)「牽牛織女が会う七月七日の夕べに、婦女は五色の糸を針で通して、瓜果を庭に並べて、 裁縫の腕が上がるように祈り、蜘蛛が瓜の上に糸を張れば、 願いに応じてくれたとした。」(大意です)
時代がここまで来ますと、唐代の乞巧奠とほぼ同じような風習であったことがわかりますね。(A1)
乞巧奠は「機織り」「針仕事」「歌舞音曲」「詩歌文字」の上達を願うものとして 唐代に盛んになったようです。
玄宗皇帝が751年灑山の華清宮へ楊貴妃と遊宴したときに行った乞巧奠が、 宮中行事での最初又ははしりと云われているようです。(A2.A3.A1)
「乞巧楼」という、庭に建てた矢倉の上に、瓜果酒肉を供え、牽牛織女を祭り、 月下で五色の糸を7本又は9本の針に通して、夜明けまで宴会が続けられたようです。 この頃になりますと、蜘蛛は小箱に入れて、朝になって綺麗な巣が張られているか、 いないかで裁縫の上達を占ったと言います。この行事を「乞巧奠(きこうでん)」と言います。(A1.A2)
水を張り針を浮かべたお椀中を、七夕の正午まで一晩於いて、底に写る影で裁縫の上達を占う 「ちゅこうしん」と呼ばれる風習が北京で生まれました。この風習は様々な呼び方をされて、 南方に伝わったと言います。(A1.A2)
清代になっても七夕に「針に糸を通す」ことは行われていましたが、古い習慣として次第に衰退して、 この「ちゅ巧針」に変わっていつたようです。しかし現在ではこの風習は残っていないようです。(A1)
中国での七夕の行事はごく一部で残っているだけであるそうです。
乞巧は「七夕」だけではなく、「正月」やその他の季節の行事にもあるそうで、 七夕が廃れてしまった原因は、豊穣がメインで乞巧はわき役であったためであるようです。現在まで残っている風習は、香をたいて、花や果物を供えて、 裁縫などが上達するように織女星に祈ることや、 七夕にぶどう棚入ると織姫と牽牛が話しているのが聞こえると言われる話が残っているそうです。(A1)
日本の七夕の記録は、持統天皇五年(691年)のようです。 詳細は不明ですが公家を集め宴を開き、服を下されたと記されている書物があるようです。
七夕が朝廷の儀式となったのは、「大日本史」の記述によれば、 天平六年(734年)の7月7日の、昼間に相撲を見た後の晩に、文人に七夕の歌を読ませたのが始まりである とあります。(A5)
さて、「公事根源」と言う書物では、宮中「清涼殿」の庭で、 乞巧奠が初めて行われたのが、755年 天平勝宝7年7月7日孝謙天皇の時でした。(A5)因みに玄宗皇帝が唐の麗山で宮中行事として最初に乞巧奠を行なったのは751年でした。
これより先の万葉集(天平六年(734年)の7月7日)で七夕が詠まれておりまして、 天の川を「天漢」と書いていることから、七夕説話自体は遣唐使、或いは帰化人により、 伝えられたようではあります。唐の乞巧奠が行なわれた751年から、宮中「清涼殿」での歌会755年 の4年間で七夕が宮中行事として行われることが、決定されたのでしょうか?
753年に安倍仲麻呂が日本に向け出航し、その後日本向けの船は70年あまり出なかったわけですから、 753年から755年までの2年間は唐からの情報はなかったわけですね。ウ〜ン すると唐で乞巧奠が最初に行なわれた751年7月から、 753年の安禄山の変が起きるまでの間に、儀式が伝わった事に なりますけど・・・・どうなのかな?(A3.A2)
可能性のありそうな人物は・・・735年に吉備真備が遣唐使から帰ってきてますね・・・
唐代の遺物も多い正倉院宝物の中に「七孔針」と呼ばれる三本の長い針と四本の短い針が セットになったものがあります。この他に「大唐六典」に中尚署が、7月7日に「七孔金細針」 を献上するとありますので、中国の風習をそのままに受け継いだものとも考えられますね。
三は陽(男性)を表し、四は陰(女性)を表すものと推測されます。(A2)
聞いた話しではありますが、江戸時代には七夕の夜に牽牛織女の二星を、 たらいに水を入れた水鏡で写して見ると聞いたことがあります。
またこれも不確かなのですが、七夕行事が広く知られ庶民の間で行われるようになったのは 江戸時代に入ってからとも聞いたことがあります。いま少し調べる必要があるようです。
現在では京都の冷泉家に昔ながらの乞巧奠の行事が残っておりまして、 南庭の星の台座に海の幸、山の幸、五色の糸、布、秋の七草が飾り、星を待つのであるそうです。(A4)
参考引用文献
A1●日本と中国 楽しい民俗学 賈+春日嘉一共著 社会評論社
A2●西王母と七夕伝承○小南一郎○平凡社
A3●年中行事を科学する○永田久○日本経済新聞社
A4●私の万葉集二○大岡信著○講談社現代新書
A5●中国伝来物語○寺尾善雄著○中央精版印刷株式会社B1●荊楚歳時記○東洋文庫