南極老人星

 南のごく低い位置に見えるりゅうこつ座の一等星カノープスについてのお話です。


カノープス 撮影者 Apollon 茨城県龍ケ崎市
090102 23:48:00-23:48:20
Nikon NewFM2 300mm F8
Fuji superG Ace iso1600 GP赤道儀

南極老人星

和尚星

カノープス


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南極老人星

●長寿星
 関東地方では南の低い位置にあるカノープスは滅多に見ることはできません。 カノープスは東京でふ冬に地平線から約2度の位置にありまして、 よほどの天候に恵まれないと霞の中に隠れてしまい見ることは出来ません。 そこで、このカノープスを見ると長生きをすると言われております。

 カノープスを寿星として祭った記録は中国古代書「通典」に 「周、寿星の祠を経つ」とありますので 周の時代(BC1000~BC700年頃)にすでに「長生きの星」としての信仰があったようです。

●中国の記述
 具体的な話は古代中国の書「史記」の「天官書」にこのように書かれております。

 狼(シリウス)の此地に大星あり、南極老人という。老人現るれば治安く、見えざれば兵起こる。 常に秋分の時を以て、之れを南郊に候。

●二十八宿
 また古代中国の書「晋書天文史」の「二十八宿」にも書かれております。

 老人と呼ばれる1つの星は、弧(おおいぬ座の一部)の南に位置している。 別に南極ともいう。いつも秋分の日の明け方に南に現れ、秋分の日の暮れ方に南に沈む。 現れるときは、世は太平である。それは人の長寿と隆昌を管轄する。いつも秋分の日に、 都の南の郊外において、天子はこの星を望み見るのである。

●道教説話
 また、道教説話の中に

 酒屋とみれば入ってゆき、水を飲むようにガブガブと酒をのみ、 ケロリとしている老人の噂が皇帝に伝わりました。 興味を持った皇帝に召された老人は、 御前で七斗の酒をのみ悠々と御殿から去りそのまま行方が分らなくなりました。

 すると翌日天文官が、寿星が帝座の近くへ行ったまま見えなくなってしまいましたと上奏しました。 皇帝はさてはあの老人は寿星だったのか 、道理で良く飲むと思ったと感心したそうです。

 この老人は頭と体が半々であったと言います。「七福神」のうち「寿老人」がこれにあたります。

●日本への伝来
 以上の話が日本に伝わったのでありましょう、カーノープスを見ると長生きをすると言われております。 カノープスはシリウスに次いで全天で2番目に明るい白い星です。 しかし日本からは高度が低い位置に見えるので、大気減光により赤みがかった星に見えます。 また南に行くほど見えやすくなります。

 寒い時期に見えますので「カーノープスを見て長生きをしよう」と言う方は防寒にご注意下さいね。 私は上記の写真を撮った後、大風邪をひいて寝込んでしまいました。だはは(^^;

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和尚星

●上総の和尚星
 茨城県常陸にある伝説で、所持金に目を付けられ殺された和尚がカノープスとなったと言う お話があります。殺された所は、鹿島郡の某村と言うのですがどこなんでしょう。 わかれば近くなので行ってみたいのですが。

●布良(メラ)星
 千葉県の突端に「布良」と言う所があるのですが、 そこではカノープス(布良星)が現れると暴風になると言う話があるそうです。 また布良から東へ行った「勝浦」と言う所に行方不明になった漁師が 布良星に宿ると言われているそうです。

●入定(にゅうじょう)星
 布良から少し離れた横渚(よこすか)村で入定した僧のお話です。

 西春法師(さいしゅんほうし)は江戸時代の寛永六年(1639年)に 千葉県白浜の猟師の子として生まれました。 西春法師が19歳の時に出家し、長い諸国巡行を終えて白浜に帰りつきました。

 白浜に帰った和尚は、即身仏(そくしんぶつ:ミイラ仏)になることを決意して、 木食行(もくじきぎょう)を重ねた後、寛分七年(1667年)3月18日に入定しました。

 和尚が入定する時に「自分が死んだら星になって現れるが、 それが出たらシケるから船を出すな」と言い残したそうです。

 現在では日用品を売る「入定市」が千倉から白浜横渚へと移動しながら開かれます。

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カノープス

 
●水先案内人?
 カノープスはエジプトのナイル河口の1つと、同市の名を与えた英雄の名です。 カノープスはギリシア神話の冒険の1つで、ギリシア中の英雄を集めて「おひつじ座」と なっている黄金の羊をアルゴ船に乗ってとりに行くお話の中で、 カノープスはアルゴ船の水先案内人を勤めているのだと私は思っていたのですが、 違う説があるのですね。

  • メネラーオス船の舵手
  • オシーリス船の舵手
  • アルゴ船の舵手

     それに水先案内人と舵手では違いますよね。訳が曖昧なだけの気がしますけれど。

  • ●メネラーオス船
     メネラーオスはアガメムノーン(ギリシア軍の総帥)の弟で、 60隻の船を従えてトロイヤ(イーリオス)戦に参加しました。 トロイヤが陥落し、トロイヤ戦争の原因となったパリスの死後、 メネラーオスがパリスの妻であったヘレネー(一説にはまぼろし)を連れて船出します。 カノープスは此の船の舵手であったと言うのです。

     しかし嵐にあい船はエジプトに漂着。そこの王女テオノエーがカノープスに恋しますが、 カノープスは蛇に噛まれて死んでしまいます。

     ヘレネーは彼を葬り、その時に流した涙からヘレニオン(きく花)が生えたといいます。

    ●オシーリス船
     よくわかりませんでした(^^; 

     オシーリスはエジプトの冥府の神で、カノープスが「オシーリス」です。・・・・・で、 オシーリス船ってなんでしょう?Apollonはエジプトの神様がさっぱりわかりません。 あっちの神様と合体したり、喧嘩して分裂したり、こっちの神様と合体したり・・・・・?

      

    ●アルゴ船
     最初にアルゴ船の舵をとったのがティーピュスで、彼の死後アンカイオス、 別の一説ではエルギーノスが舵手となります。
     ティーピュスはアテナに航海術を習います。アンカイオス・エルギーノスはともに ポセインドンの子で、2人とも同姓同名者がいます。

     アルゴ船のお話はバリエーションが凄くたくさんあって、みんな乗っている人物が違います。 また行きは大体同じ航路なのですが、話によって帰路が違うのです。

     カノープスの死後、彼もアルゴ船も舵もともに星座になったと言われております。

    ●やっぱり・・・・・
       カノープスはやはり水先案内人だと思うんだけどなぁ。それと、ラカイユさんがアルゴ座を「とも」「ほ」「らしんばん」「りゅうこつ」の4星座に分割したのは、まったく残念至極ですね。

     アルゴ船に乗っていたメンバーは、思いつくまま・・・カストル・ボルックス・オルフェウス・ヘラクレス・テーセウス・トロヤのネストル・・・豪華メンバーなのになぁ・・・

     もっとも・・・昔から大きすぎる星座なので4つに分割して呼んでいたのですが(^^;

     

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    主な参考引用文献
    A1○いろいろなギリシア神話の本
    A2○晋書天文史
    A3○道教百話○窪徳忠○講談社学術文庫875
    A4●中国の科学○藪内清編集○世界の名著12中央公論社
    A5●オデュッセイアー上下○ホメーロス著○岩波書店
    A6●星の民俗学○野尻抱影著○講談社学術文庫279
    A7○ギリシア・ローマ神話辞典○高津春繁著○岩波書店
    A8○千葉県の歴史散歩○山川出版社

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