・・・昼間の喧騒が遠くに聞く潮騒のようになり、やがてそれも消え去ると、
  静寂の中からあなただけの桃源郷が幻出するでしょう・・・


  ー 真夜中の唐詩選へ ようこそ ー

 華やかな祝祭の日々、子供の心は嬉々として戯れる。
 道端の花々は微笑み、童子の動きを追う。木陰を作る樹木は腕を伸ばし、子を下げてあやす。
 嶺より来る清流は子の作りし拙い水車を回し、子の笑顔を誘う。清流を分けての池は子を泳がせる。そして小魚や沢蟹を追う日々を与える。
 祭の日々は続く。祭の舞台に置かれた大太鼓、小太鼓は子の桴を受けて、喜びのリズムを辺りに響き亘らせる。
 大人達は座敷に寄り合い酒を酌み交わし、談笑する。全ては生々として在り、充足している。
 踏みつける道は素足に大地の生命を吹き込み、人に森羅万象の中に在る喜びを与える。
 他郷に続く乾いた土埃の街道は若者に夢を語り、異郷の地より戻る者へは惜しみない笑みを以って迎える。道は生きてあるものに場を与え共に在った。
 青く澄む空は舞い上がる雲雀に云う、さぁ、もっと高く上がれ、と更に天を高くする。
 人は麦を踏む、もっと健やかに育てと。
 馬は荷を負うての一日の労働を終え、人と同じ屋根の下に在り、優しい眼差しを家族に向け、会話に聞き耳を立てる。牛は犂を引いて後の餌を味わい食み、濡れたような双眸で真理を体現する。山羊も明日の搾りに備え乳房を下ろす。鶏は明日の産卵の為に早めに蹲る。
 万象が命を輝かし、共に語らい、哀しみや楽しみの交々を分かち在ること、それが祭の日々。
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 祭を見詰めていた鮮潔なる片雲が、傾く陽光を遮ることもなく、静謐を保って去る。
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 遊子異郷の地に在って、既に十年一昔を幾重にも重ねた。
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 街道は口を封じられて黙し、憧憬の想いを語ることも無い。小川は無機化し微笑むことも無い。
 談笑の響きは無く、小鳥の影もない。暢楽の時季は過ぎた。
 豪快に笑い大風に立ち向かった三本の樫の大木も、今は切倒された。
 真楽の下にあったものが全て失せたのである。
 故園を見るも古人無く、訪れ捨てるのみである。
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 悄然とした帰郷者へ、厳粛な然れど親密さを滲ませた声が、微風に乗って聞こえてきた。
 振り向けば、祭の始終を見届ける聳然たる秀峰山。
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 汝の思い知るなり、語るがよい、我は不易のものなり。
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 佇み耳を澄ませば、清流の声が静かに聞こえ、道端には馥郁たる香が漂いはじめる。
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 客郷を去る者の後を追い、時の彼方から潮騒が聞こえて来る。
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 祭の日々が微かに蘇る。
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 この真夜中は李白の「独坐敬亭山」です。
 人誰しもが相対し語りかける「敬亭山」を持つ。其れは荒ぶる心を鎮め癒し、本来を取り戻すための原風景なのかもしれない。
 「故郷忘じ難し」である。

* 「独坐敬亭山」 *
* 李 白 *

- 読み方と詩の出典:『解明 古典漢文』鎌田 正著 -