オペラ、オラトリオ、宗教合唱曲 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
Opera, Oratorio, Sacred Choral Works | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ドン・サンシュ(または愛の館) オラトリオ “聖エリーザベトの伝説” オラトリオ “クリストゥス” アッシジの聖フランチェスコの太陽賛歌 聖史曲”聖チェチリア” |
S1
S2 S3 S4 S5 |
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シュトラスブルク大聖堂の鐘 カンタンティブス・オルガニス 聖チェチリアの祝日のアンティフォナ 4声に同度のオルガンを伴うミサ曲 グランの聖堂献堂のための荘厳ミサ曲“グラナーミサ(ミサ・ソレムニス)” ミサ・コラリス ハンガリー戴冠ミサ曲 |
S6 S7 S8 S9 S10 S11 |
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レクイエム 詩編第13編“主よ、いかに永くわれを忘れたまいしや” 詩編第18編”天は神の栄光を語る” 詩編第23編”わが神よ、汝は牧者” 詩編第116編”主をたたえよ” |
S12 S13 S14 S15 S15 a |
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詩編第129編”深き淵より、われ汝を呼ぶ” 詩編第137編”バビロン川のほとりで” 5つの合唱曲 眠りから覚めた御子の賛歌 アヴェ・マリア I パーテル・ノステル II パーテル・ノステル IV 信頼する主よ、統べたまえ |
S16 S17 S18 S19 S20/1 S21 S22 S23 |
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テ・デウム II 至福 テ・デウム I 祈祷曲(パオラの聖フランチェスコに寄せて) パーテル・ノステル I レスポンソリウムとアンティフォナ キリストは生れたもう 1 キリストは生れたもう 2 栄光をたたえまつる(スラヴィモ・スラヴノ・スラヴェニ!) アヴェ・マリア・ステラ(混声合唱) アヴェ・マリア・ステラ(男声合唱) 十字架、教皇ピオ9世認可を示す賛歌を伴う船乗りの賛歌 ローマの魂に われらなお離れず アヴェ・マリア II 処女マリアへの賛歌 おお、救いのいけにえ II 聖史曲“聖クリストフ” 12の古いドイツの宗教的旋律 7つの秘跡(レスポンソリウム) |
S24 S25 S27 S28 S29 S30 S31 S32 S33 S34/1 S34/2 S35 S36 S37 S38 S39 S43 S47 S50 S52 |
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十字架の道(十字架の道行きの14留) ロザリオ 1.歓ばしき秘跡(ミステリア・ガウディオーサ) 2.悲しき秘跡(ミステリア・ドロローサ) 3.栄光の秘跡(ミステリア・グロリオーサ) 4.パーテル・ノステル 主の家にわれらは進みゆく 結婚式のために(アヴェ・マリア 3) いざ、もろびとよ、神に感謝せよ 詩編 第125番より 涙とともに種をまく人は モテット(あなたがたに平和がありますように) マリアに許しを請う |
S53 S56 S57 S60 S61 S63 S64 S65 |
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パーテル・ノステル 3 |
S? |
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おお、救いのいけにえ 1 タントゥム・エルゴ アヴェ・ヴェルム・コルプス 教皇に |
S? S? S? S? |
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われを解き放ちたまえ キリストの魂はわれを清め 主は使徒たちの魂を守りたもう クリスマスの歌”おお聖なる夜” おお、気高きローマ 枯れたる骨 |
S? S? S? S? S? S? |
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マリアの園”ヒマラヤ杉のように” 平和は汝らに サルヴェ・レジナ |
S? S? S? |
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オペラ “ドン・サンシュ または愛の館” S1 1824年〜25年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
リスト14才の頃のオペラです。1825年初演当時は客の入りが悪く、4回の公演で終了してしまいました。現在では、当時リストが師事していた作曲家パエールの指導とみられる箇所が多いことから、パエールとの共作と位置づけられています。初演は1825年にパリのオペラ座で行なわれました。
内容は一昔前のオペラそのままで、リストらしさは見られません。リストの14才頃といえば、ピアノ独奏曲では、例えば“8つの変奏曲”(S148)や、“華麗なアレグロ”(S151)を作っている頃です。20代にはピアノと管弦楽のための作品を苦心しながら作るのですから、1824年の段階でこれほど管弦楽法に習熟したオペラを作ることは到底無理です。パエールの手による部分がほとんどであると考える方が妥当だと思います。 Don Sanche,ou Le chateau d’amour |
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オラトリオ “聖エリザベスの伝説” S2 1857年〜62年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
リストの2大オラトリオのうちの一つです。リストの作品としても最大規模のもので、上演には2時間30分ほどを要します。魅力的な旋律も多く、リストの合唱曲の中での代表作です。今日ではほとんど演奏されることがないのが、とても残念です。“序曲”だけでも定番レパートリーとなればいいのですが・・・台本はオットー・ロクヴェッテによります。 ≪物語≫ 第1部 1.エリザベスがワルトブルク城へ到着する。 2.ルートヴィヒとエリザベスのやりとり(バラの奇蹟) 3.十字軍。ルートヴィヒは十字軍戦争へ出兵する。 第2部 4.ルートヴィヒの戦死の訃報。母ソフィーの嘆き 5.エリザベスの死 6.エリザベスの葬送 リストはオラトリオの主題に、16世紀、17世紀の教会音楽から聖エリザベスにゆかりのある旋律を取り込みました。エリザベスを表す旋律は、“明けの明星のように”“わが愛するヨゼフよ”。十字軍の合唱の旋律は10世紀のグレゴリオ聖歌の“グローリア”です。 ≪聖エリザベス≫ 聖エリザベスは1207年にハンガリーに生まれ、ドイツのアイゼナハへ移り、ワルトブルクで教育を受けます。夫の死後、慈善的な活動から“聖エリザベス”と呼ばれるようになりました。有名な伝説として“ワルトブルク城で開催された歌合戦”“バラの奇蹟”があります。ワルトブルクの歌合戦は、ワーグナーのオペラ“タンホイザー”でも登場しますが、“タンホイザー”の伝説と、“聖エリザベス”の伝説は関係がありません。 ≪ルートヴィヒ2世への献呈≫ “聖エリザベスの伝説”はバイエルン国王ルートヴィヒ2世に献呈されました。リストとルートヴィヒ2世は、ワーグナーの支援者として、お互いを尊敬していました。 1866年5月1日、5月10日にミュンヘンのホーフ劇場でビューローの指揮で上演されます。5月1日の公演に対して、ルートヴィヒ2世は“このすばらしい芸術作品のたのしみは純粋で曇りなきもの”との賛辞を述べています※1。“聖エリザベスの伝説”の中の主要登場人物の名前(エリザベート、ソフィー)が、ルートヴィヒ2世に関連ある実在の人物名ですが、国王はどのような思いで聴いたのでしょうか? ※1 『ルートヴィヒ二世と音楽 <音楽選書 29>』 ローベルト・ミュンスター著 小塩 節 訳 音楽之友社 1984年第1刷/第1刷 初演は1865年8月15日にリスト自身の指揮によって、ブダペストで行われました。当時のリストはすでに神父服を身に纏って舞台に立っており、その姿が多くのスケッチ、イラストとして残されています。その効果は絶大なものだったと思われます。 Die Legende von der Heiligen Elisabeth |
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アッシジの聖フランチェスコの太陽賛歌 S4 1862年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ピアノ独奏曲にも編曲されている作品です。ピアノ版も力強い大曲でしたが、合唱曲のオリジナルはバリトン独唱と男声合唱による、さらに力強いものです。“太陽賛歌”という聖フランシス(フランチェスコ)の手による詩をテキストにした作品です。詩は、神と、その創造物である太陽、月、水など自然を称え高らかに謳い上げた内容です。リストはこの曲に14世紀のクリスマスキャロル“In
dulci jubilo”を使用しています。 作品は1862年より作曲され、1880−81年に改訂されています。1863年にローマで初演されましたが、その時はピアノとハーモニウム伴奏でした。オーケストラ伴奏による初演は1877年7月2日になります。ゼンフト・フォン・ピルザハ男爵に献呈されていますが、この人物はちょっとわかりません。 Cantico del Sol di San Francesco d’Assisi (15:32 HUNGAROTON HCD31960) |
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カンタンティブス・オルガニス 聖チェチリアの祝日のアンティフォナ S7 1879年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
オーケストラ、合唱、アルト独唱の作品です。テキストはラテン語になります。静かなオーケストラ伴奏と合唱で始まり、その後アルト独唱に引き継がれ、交互に歌っていきます。そしてクライマックスではユニゾンで歌い上げます。短い曲なのですが、内に秘めた力強い信仰心があらわされたような、とてもドラマティックな曲です。 ≪リストとパレストリーナ≫ 1880年5月のローマのパレストリーナ祭で初演されました。リストには自分の新しい音楽スタイル(新ドイツ学派)によって教会音楽、宗教音楽を新しいものにしようという意欲がありました。そのため、16世紀にトリエント公会議において“教皇マルチェルスのミサ”を提出し、多声音楽を典礼音楽として承認させたというパレストリーナに非常な関心を持っていました。リストは1870年代にはブダペストでパレストリーナの作品を指揮しています。また、リストがローマに定住している頃のローマ法王ピオ9世に“わたしのパレストリーナだ”とも言われた、とのこと。ですが巨匠時代、つまり新ドイツ楽派の中心人物として音楽界を2分して、自分の芸術を推進していた頃には少し違う考えを持っていたようです。ヘルムの『リスト』に記載されている1860年のアグネス・ストリート宛ての手紙を抜粋します。 “彼は、自分がもし、「パレストリーナからメンデルスゾーンに至る、純粋な良き伝統のための狂信者になっていれば」、もっと楽であったろうにと書いている。”※1 ※1 『リスト』 P149 エヴェレット・ヘルム著 野本由紀夫 訳 音楽之友社 1996年/1999年 ≪アンティフォナ≫ アンティフォナは教会等で歌われる聖歌のことで、歌われる詩編に対する、説明みたいな短い歌のことのようです。“対声”“交唱”を意味して、対等な立場の合唱が交替しながら歌われるとのこと。それに対してレスポンソリウムは“応唱”を意味し、歌われた詩編に対して応答のような形で歌われるものです。合唱と、独唱が交互に歌うとのことです。となると、リストのS7を聴いた感じ、レスポンソリウムの感じを受けるのですが・・・。ちょっとよくわかりません。 ≪聖チェチリア≫ 聖チェチリアは結婚した後でも純潔を守った聖人です。夫とともに殉教します。聖チェチリアは音楽・楽器の守護聖人です。 Cantantibus organis,Antiphon to the Feast of Saint Cecilia (5:48 HUNGAROTON HCD31960) |
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グランの聖堂献堂のための荘厳ミサ曲“グラナーミサ(ミサ・ソレムニス)” S9 1855年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
1855年の春、リストは、エステルゴム(ドイツ語で“グラン”と呼ばれます)のバジリカ大聖堂の献堂のためのミサ曲の作曲を、エステルゴムの大司教ヤーノシュ・シトフスキから依頼されます。実はシトフスキはもともとペックの司教で、1846年にペックの大聖堂の再建時にリストにミサ曲の作曲を依頼しておりリストも了解していました。ですが“ペック・ミサ曲”は作曲されませんでした。その後シトフスキはエステルゴムの大司教に就任し、1828年よりはじめられていたバジリカ大聖堂の再建を引き継いだとき、ふたたびリストにミサ曲作曲の依頼をしたのです。 エステルゴムは、ブダペストをドナウ川沿いに北上し、川沿いのスロヴァキアとの国境にあります。ハンガリーの王、イシュトヴァーン1世の生誕の地であり、イシュトヴァーン1世はエステルゴムでハンガリー王国の王に即位します。1241年にモンゴル人に破壊され、ハンガリーの首都はブダに移ることになるのです。またエステルゴムは現在でもハンガリーのカトリックの総本山になります。 バシリカ(Basilica)とは、古代ローマや初期のキリスト教時代の長方形の建築形式で、ローマ時代においては法廷や商取引などの公会堂として使用されました。長方形の建物内部は、中央をとおる身廊と、その側廊とで分割され、回廊が囲む構造になっています。 ドレーク・ワトソンによるとベートーヴェンの“ミサ・ソレムニス”(1822)はもともと、このエステルゴムのバジリカ大聖堂の献堂を意図に作曲されたとのこと。 初演は1856年8月31日、リストの指揮によって行われました。その後も、多くの教会などで演奏されていきます。1866年3月15日のパリでの演奏では、そのコンサート自体がミサ曲の演奏に適したものでなく、オーケストラ、合唱共に練習が足りず、ひどい失敗に終わります。ヘルムによると“グラナー・ミサ”は、宗教音楽としての、そのあまりに革新的かつ大編成を必要とする書法が当時、さまざまな批判にさらされたとのこと。1866年の失敗においては、新聞での酷評にマリー・ダグーが加担したとも言われています※1。 1879年3月21日のオルガ宛書簡では、ウィーンでの4月8日の演奏が8回目であることが語られています。 この4月8日の演奏会には、エデュアルト・ハンスリックが臨席していました。この演奏会でのハンスリックの批評文は、反対派であるハンスリック自身も抗うことのできないフランツ・リストという人物が持つ強烈な魅力を認め、そのときの模様を伝えてくれます。そしてそれでもハンスリックは“グラナー・ミサ”に厳しい評価をします。 “しかし、それでもやはり≪グラーンのミサ曲≫は、依然としてきわめて不愉快で、不健康で、打算的な作品のままである。この作品においては、宗教的な表現を手に入れようとする奮闘と、芝居がかった俗受けへの克服し難い傾向が、絶え間なく覇権を争っているのである※2” リストの教会音楽刷新の意欲があらわれた作品の中でも、最も優れた傑作です。 “グラナー・ミサ”は“リストのもうひとつの交響曲”と呼んでもよいほど、オーケストレーションが際立ったシンフォニックな作品です。同じ頃に作曲されている“ファウスト交響曲”に似た旋律や効果がところどころあらわれます。 “グラナー・ミサ”は、次の6曲からなります。 1.キリエ 2.グロリア 3.クレド 4.サンクトゥス 5.ベネディクトゥス 6.アニュス・デイ ≪ミサ・ソレムニス≫
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ハンガリー戴冠ミサ曲 S11 1867年/69年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
オーストリア=ハンガリー帝国の成立に際し、国王となったフランツ・ヨーゼフの戴冠のために作られました。初演は1867年6月8日のブダペストでの戴冠式で行なわれました。初演時には6曲のみで、その後“オッフェルトリウム”が、1869年に3曲目の“グラデュアーレ”が追加されます。“グラン・フェスティヴァル・ミサ”と同じく、交響的、非常にロマン派的なミサ曲です。キリエで見られる、弦楽の使い方はワーグナーを思わせます。 ハンガリー戴冠ミサ曲は次の8曲からなります。 1.キリエ 2.グローリア 3.グラデュアーレ 4.クレド 5.オッフェルトリウム 6.サンクトゥス 7.ベネディクトゥス 8.アニュス・デイ “グラデュアーレ”はS15aの“詩編第116”が使われています。“クレド”の旋律は、アンリ・デュモン(1610−1684)の“ロワイヤールミサ曲”のものが使用されています。ここだけオルガン伴奏となり。雰囲気は一転してグレゴリオ聖歌のような感じになります。“オッフェルトリウム”は、後にオルガン曲に編曲されます。“オッフェルトリウム”には合唱がなく器楽だけの作品です。響きは大きめですが、少しモーツァルトの“ラクリモサ”を思わせる旋律です。僕にはちょっとわからないのですが、特に“オッフェルトリウム”“アニュス・デイ”においてハンガリーの旋法が使われているとのこと。 ≪フランツ・ヨーゼフ1世の戴冠と“ハンガリー戴冠ミサ曲”の初演≫ オーストリア=ハンガリー二重帝国が成立するのは1867年3月15日、アウスグライヒ法案が承認されることによります。オーストリアは前年にプロイセンとの普墺戦争に敗れドイツ統一から除外されてしまいます。大国としての勢力を維持することを目的に、考えられたのが、ハンガリーとの合体でした。二重帝国は、同一の君主の元に、外交、軍事、財政を共通とし、政治、憲法、議会といった実際的な執行面はそれぞれ独自に持つという同君連合体制です。そのためオーストリア皇帝のフランツ・ヨーゼフ1世がハンガリーの君主を兼ねるということ、ハンガリー王戴冠式が行なわれる事が、二重帝国成立を最も象徴することでした。 リストの友人でもあるハンガリーの音楽家コルネル・アブラニーは1865年に、オーストリア=ハンガリー2重帝国の成立を予測しており、戴冠式用のミサ曲をリストに依頼する必要性を文書に残しています。そのため、実際に、いつリストに要請があったのか分からないのですが、いずれにしても短い準備期間しか与えられず、リストは3週間で作り上げたとのことです。リストは1867年4月14日に、この曲を完成させます。この頃リストはローマに腰を据え、必要があれば、欧州各地へ出掛けるという生活でした。リストは6月4日にブダペストにつきます。事前にフランツ・ヨーゼフ1世に謁見し、国王からフランツ・ヨーゼフ功労賞という騎士十字架を授与されます。1867年6月8日、ブダペストのマティアス教会で戴冠式が行なわれ、そしてハンガリー戴冠ミサ曲の初演も行われました。6月8日の戴冠式では、なぜかリストは正式に招待されなかったとのこと。そのため合唱団とともに式の中に入ったとのことです。 民族の異なる二つの帝国は、存続が難しく、フランツ・ヨーゼフ1世は他界する1916年(第1次大戦中)まで二重帝国君主として君臨しますが、その後を継いだカール1世は第1次大戦終結の1918年に君主権を放棄してしまいます。これはオーストリア=ハンガリー二重帝国の終焉であり、またハンガリーの独立、そしてハプスブルク帝国の終結を意味する事でした。 Hungarian Coronation Mass |
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レクイエム S12 1867年/68年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
1868年にリュヴォフで初演されました。編成は2テノール、2バス、男声コーラス、オルガン、2トランペット、2トロンボーン、ティンパニ。この作品はコンサートで演奏することではなく、教会内で演奏されることを目的につくられました。“リベラ・メ”だけは1871年に作曲されています。 レクイエムは次の6曲からなります。 1.レクイエム(レクイエム・エターナム) 2.怒りの日(ディエス・イレ) 3.ドミネ・イエズ(オッフェルトリウム) 4.サンクトゥス 5.神の小羊(アニュス・デイ) 6.リベラ・メ 曲の中心は、テノールとバスのハーモニーです。男声コーラスのみということが、グレゴリオ聖歌を思わせます。ですが出だしの“レクイエム”のみを除いて、他の曲にはやはりドラマティックな要素があります。 Requiem (50:34 HUNGAROTON HCD11267-2) |
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詩編第13編“主よ、いかに永くわれを忘れたまいしや” S13 1855年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
オーケストラとテノール独唱、混声合唱の曲です。最初、テノールの独唱がメインとなり、混声合唱が入ってきます。ドラマティックに構成された曲で、ワイマール時代に書かれた作品らしく、曲が持つ様々な旋律、全体の構成など、とても充実しています。ドレーク・ワトソンはオーケストラのモティーフを、詩の内容に合わせて分類しています。リストの交響詩作品を思わせ、新ドイツ楽派による宗教音楽という感があります。曲が書かれた1855年にベルリンで初演されています。テキストの内容は、様々な困難にある“孤独な魂”を、神に救済を求め、最後に救われる、といった内容でしょうか。リストはこの曲を1859年に改訂しています。 またワトソンが紹介しているのですが、1855年7月28日のリストのアグネス・ストリート宛て書簡で、次のようなことが述べられています。“私の心の奥底から沸き上がってきた、この詩編のために、私はプロメテウスの合唱(S69)の作曲を中断してしまった”。またフランツ・ブレンデルに語ったところでは“テノールのパートはとても重要です。私は自分で歌ってみることで、ダヴィデ王の心情が、私の中に血と肉となって注ぎ込まれたのです”ワイマール時代の、次から次へとインスピレーションが湧き起こるリストを想像させる言葉です。 またウォーカーの書籍で紹介されているのですが、楽譜のすべてのページにピアノ編曲版がついているとのこと。ハワードの独奏曲全集に取り上げられていないので、これはオーケストラパートのみのピアノ編曲だと思います。 Psalm No.13“Herr,wie lange willst du meiner so gar vergessen?” (25:09 HUNGAROTON HCD11261) |
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詩編第18編“天は神の栄光を語る” S14 1860年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
“詩編”とは旧約聖書の一部で、ダヴィデ王に捧げられた150編の詩です。古くから、この“詩編”は教会音楽として歌われてきました。 リストによる“詩編第18編”は、オーケストラ伴奏とオルガンを伴う男声合唱のための作品で、力強く明朗な響きで神の栄光を称えます。ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人に献呈されました。初演は1861年です。 Psalm No.18“Die Himmel erzahlen die Ehre Gottes” (7:59 HUNGAROTON HCD11261) |
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眠りから覚めた御子の賛歌 S19 1874年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
この曲はピアノ独奏曲の“詩的で宗教的な調べ”の第6曲として知られているものです。詩はラマルティーヌによります。女声コーラス、ピアノ(またはハーモニウム)、ハープ、ソプラノ独唱による作品です。この合唱曲版は非常に美しい傑作だと思います。リストの子どもたちへの愛情、そして2人の子どもを失った悲しみを経て晩年に作られた合唱曲であることを考えると、胸が詰まるような感動があります。 ≪3人の子供たち、ブランディーヌ、ダニエル、コージマのために≫ 1874年3月16日にコルネリウスにあてて、リストは“だいぶ前に、わたしはこの曲を3人の子どもたちに、心をこめて歌ったことがある”、と書いたそうです。ダニエルは1859年に20歳で他界、ブランディーヌは1862年に27歳で他界、2人とも非常に若くして人生を終えています。1874年に書かれた、このリストの言葉には、曲の美しさにあらわされた非常な悲しみを感じます。 ≪作曲の過程≫
最も古いものは、1840年に作られたピアノ独奏曲版(S171c)です。リストは1844年にこの合唱曲の第1バージョンを書きましたが、それは紛失しています。ただ1847年の“詩的で宗教的な調べ”の草案(S172a)、として残されました。そのため、ピアノ独奏曲らしいS171cと、合唱曲からの編曲であるS172aとで、アレンジに大きな違いがあります。そしてピアノ独奏曲版は、S173で再びピアノ独奏曲作品らしく編曲されることで完成します。合唱曲版として現存するのは、1850年代の終わりに書かれた断片、1862年2月18日と日付の書かれた、フランス語のテキストによる3パートの女声とピアノ(またはハーモニウム)伴奏の版です。また1865年1月に書かれたイタリア語テキストの版を経て、そして最終版として1874年の2月に完成しました。 1875年6月17日に聖史曲“聖チェチリア”の室内楽版の初演時に、いっしょに初演されました。この最終版はブダペストのリスト合唱協会に献呈されましたが、リスト合唱協会による演奏は、リストのピアノ伴奏、フランツ・エルケルのハーモニウム伴奏で1876年3月20日に行なわれました。 Hymne de l’enfant a son reveil (10:45 HUNGAROTON HCD31960) |
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アヴェ・マリア I S20/1 1846年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
イントロの和声、各声部が徐々に重なっていく感じが、大変美しい曲です。クララ・ハンブルガーは、この宗教合唱曲としては初期の作品にあたるこの曲を“リストの新しいスタイルのスターティング・ポイント”と称しています。ですが僕には、出だしの合唱の感じなどは、バッハなどのバロック時代の作品が兼ね備えている美しさを感じます。充実した傑作だと思います。歌詞は“ロザリオ”(S56)と同じテキストを使っています。 1852年の第2バージョン(S20/2)は、“詩的で宗教的な調べ”の第2曲“アヴェ・マリア”と同じです。また“オルガン・ミサ(読唱ミサの挙式の助けとして付随する)”(S264)に使われているとのこと(ですが聴いた感じ、どこか分かりませんでした)。 Ave Maria I (5:22 HUNGAROTON HCD31103) |
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信頼する主よ、統べたまえ S23 1853年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
オルガン伴奏に男声合唱にテノール独唱の作品です。ザクセン=ワイマール大公のカール・フリードリヒが1853年に死去。息子のカール・アレクサンダー大公が引継ぎます。この曲は、カール・アレクサンダー大公の就任を祝って1853年7月8日に作曲されました。とても力強く感動的な作品です。その後、ヨアヒム・ラフによって木管、金管を伴うオーケストラ伴奏も作られました。 この邦題もすこし?です。対訳を読むと、“Domine salvum fac regem”とはそのまま“God save the King”という意味で。カール・アレクサンダー大公の就任の祝って作られた、という背景がよく分かります。 Domine salvum fac regem (4:27 HUNGAROTON HCD31103) |
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至福 S25 1855〜59年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
バリトンと混声合唱の曲です。僕の持っているCDではヴォーカルのみのア・カペラなのですが、辞典によると、オルガン伴奏も入るようです。任意なのでしょうか?この曲はヴィトゲンシュタイン侯爵夫人の娘マリーが結婚する際に作曲されました。献呈はヴィトゲンシュタイン侯爵夫人です。初演は1859年にワイマールで行われました。出版は1861年です。後にオラトリオ“クリストゥス”に組み込まれました。テキストはマタイ福音書からとられています。美しい合唱曲で、中間部での盛上がりや、“アーメン”で静かに終っていくところなど、とても充実した合唱曲です。 フンガロトンのゾルターン・パド指揮の演奏では中間部の盛り上がりのところでオルガン伴奏が入っています。マリー・ヴィトゲンシュタインへの1859年9月30日付けの書簡で、「“Beatitudes”を4時に教会に聴きに行こう」との記述があります。ただし書籍の注釈では、これは“クリストゥス”の第2部とのこと。※1 歌詞はマタイによる福音書5章3節〜10節を使っています。キリストが弟子たちに山上で語ったとされる教えで、山上の垂訓、または八福の教えと呼ばれます。英語ではBeatitudesという語があてられています。 ※1 The Letters of Franz liszt to Marie zu SAYN WITTGENSTEIN P110 Die Seligkeiten (9:28 GLOBE GLO5070) |
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テ・デウム 1 S27 1859年頃 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
混声合唱とオルガンがユニゾンで荘厳に歌っていくような曲です。そしてアクセントのように金管が入ります。この曲もヴィトゲンシュタイン侯爵夫人の娘マリーの結婚式のために作られました。1860年8月15日にワイマールのカトリック教会で初演されました。 Te deum laudamus 1 (9:10 HUNGAROTON HCD31103) |
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おお、救いのいけにえ 2 S43 1869年頃 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
リストは“おお、救いのいけにえ”のテキストを使って合唱曲を2曲作っています。2曲は旋律も編成も異なります。1は女声合唱で、2は混声合唱になります。静かに祈りを捧げるような曲です。リストの小さな合唱曲は、たった2〜3分の間にも、テキストに合わせたドラマとコンセプトを持っています。 O Salutaris hostia (2:30 HUNGAROTON HCD12747) |
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聖史曲“聖クリストフ” S47 1874年以降 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ピアノ伴奏と、ハープ、ハーモニウム、そしてバリトン独唱と、女声合唱の作品です。詩の内容は、下の聖クリストファーの伝説を元にしています。前半では力強いピアノ伴奏と、バリトン独唱が聖クリストファーの逞しさ、心の葛藤を歌い上げます。そしてクライマックスに、天使を表す女声合唱が、ハープとハーモニウムの音を伴って曲を締めます。 バリトン独唱の旋律は、モーツァルトの“ドン・ジョヴァンニ”の第2幕15場“ドン・ジョヴァンニ、晩餐に招かれたので参った”を思わせます。 ≪聖クリストファー≫ キリスト教の守護聖人の一人です。クリストファーは木こりを生業とする屈強な男です。この世で最も強い男に仕えたいと望み、最初に王に仕えます。その後、王が悪魔を恐れているのを知り、悪魔に仕えます。ところがその悪魔でさえイエス・キリストを恐れていることを知るのです。次のような逸話があります。クリストファーは、ある日、川辺で小さな子どもに“川の向う岸まで連れていって欲しい”と頼まれます。簡単な事だと引き受け、彼は子どもを背負い、川の中を渡っていきます。ところが次第に背負っている子どもの体重がどんどん重くなっていきます。頑強なクリストファーでも耐えられなくなってきて、彼は子どもを川に投げ捨ててしまおうか、という誘惑にとらわれます。しかしクリストファーは誘惑に耐え、無事に川岸にたどり着くのです。実は子どもは幼い頃のキリストだったのです。誘惑と試練に耐え、キリストを無事に運んだというクリストファーは、交通安全の守護聖者として、現在に至るまで称えられることになりました。また“クリストファー”という名前には“キリストを運ぶ者”という意味があります。 Sankt Christoph.Legend (10:25 HUNGAROTON HCD31960) |
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7つの秘跡(レスポンソリウム) S52 1878年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
オルガン伴奏を伴う、男声、女声、混声合唱、ソプラノ、バリトン、メゾソプラノ独唱の曲です。全7曲で曲によって編成が変わります。リストがローマに定住していた頃の作品です。礼拝式等で使われるように作曲されたものです。 1.洗礼 Baptisma 2.堅信 Confirmatio 3.聖体 Eucharistia 4.悔悛 Poenitentia 5.終油 Extrema unctio 6.叙階 Ordo 7.婚姻 Matrimonium #3、#7のみウィーンで1879年に初演され、ワイマールで全曲が初演されました。この作品は当時、プステート出版社から出版を拒否されてしまった作品です。静かに祈りを捧げるような曲で、コマーシャルな要素が何もないため、断られてしまったのでしょうか? 広辞苑によると“秘跡”とはカトリック教で、キリストによって定められた恩恵を受ける手段とのこと。それは7つあって、リストの曲目と同じです、が3番目だけ辞典では“聖餐”となっています。“終油”というのは、病人の苦痛を和らげ、心を安らかにするために、体に香油を塗る儀式です。 Septem sacramenta (34:03 HUNGAROTON HCD12748) |
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ロザリオ S56 1879年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
1.歓ばしき秘跡(ミステリア・ガウディオーサ) S56/1 |
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ピアノ独奏曲、オルガン、ハーモニウム独奏曲版もありますが、それらの原曲となる混声合唱とハーモニウムのための作品です。同じ主題をそれぞれのタイトルが表すようにアレンジされて歌われます。歌詞は聖母マリアを称える内容で“アヴェ・マリア”のテキストと同じです。ロザリオの3曲は親しみやすい旋律で、そしてコンセプトも明確なのですが、“7つの秘跡”と同じようにプステート社から出版を拒否されてしまったとのこと。 Rosario - Mysteria gaudiosa (2:18 HUNGAROTON HCD31103) |
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2.悲しき秘跡(ミステリア・ドロローサ) S56/2 |
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オルガンのリードに続き、マイナー調で歌われます。3曲の中で美しい変化を与えてくれます。 Rosario - Mysteria dolorosa (2:28 HUNGAROTON HCD31103) |
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3.栄光の秘跡(ミステリア・グロリオーサ) S56/3 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
オルガンのリードも力強くなり、最後は輝かしく栄光を歌い上げます。 Rosario - Mysteria gloriosa (2:10 HUNGAROTON HCD31103) |
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4.パーテル・ノステル S56/4 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ロザリオの独奏曲版は、1〜3までが編曲され、4曲目の“パーテル・ノステル”は編曲されませんでした。先の3曲とは内容も異なるうえに、編成も様相がかわり、バリトン独唱とハーモニウムのための曲となります。ほとんど独唱のみの曲で、ハーモニウムは、独唱のキーを手助けするような感じで弾かれるのみです。 Pater Noster (2:38 GLOBE GLO5070) |
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主の家にわれらは進みゆく S57 1880年以降 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
オルガン、トランペット2、トロンボーン2、ティンパニによる合唱曲です。“主の家にわれらは進みゆく”という意味のタイトルのみを繰り返し歌い上げます。この言葉は詩編第122番からのものです。クララ・ハンブルガーの解説によると、全体を通してオルガンで奏でられるC−G−A−Eの音形が“パルジファル”の鐘のモティーフとのこと。確かに“パルジファル”の行進曲でも使われている音形です。短い曲ですが非常にドラマティックな作品です。オルガン独奏版もあります。 In domnum Domini ibimus (3:58 HUNGAROTON HCD31103) |
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涙とともに種をまく人は S63 1884年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
混声合唱とオルガンのための合唱曲です。テキストは詩編125からとられています。たった2行の詩で“涙とともに種をまく人は、歓びとともに刈り入れる”というような内容です。リストの音楽もこの内容に合わせ、前半は慎ましく静かに歌われ、そして後半は歓喜に満ちた盛上がりを見せて終るのです。 Qui seminant in Lacrimis (3:15 HUNGAROTON HCD12747) |
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マリアに許しを請う S65 1885年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
オルガン、またはハーモニウムの伴奏を伴う。バリトン独唱、混声合唱、の曲です。テキストはレクイエムの中の“インジェミスコ”の中から3フレーズのみとられています。ヴェルディの訳詞を参照すると、“マリアに許しを請う”ではなく、“マグダラのマリアを許した主は、私にも希望を与えてくれた”となっているのですが・・・。三省堂のクラシック音楽辞典のタイトルを尊重しましたが、ちょっと間違っていると思います。 オルガン伴奏といっても、ほとんど音はならず、祈りあげるようなとても静かな曲です。 Qui Mariam Absolvisti (5:22 GLOBE GLO5070) |
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