Praphrase de Franz Liszt
映画に登場するリスト
『フランツ・リスト 愛の夢』
パンフレットを入手しました。1971年のソ連−ハンガリーの合作映画です。監督はマルトン・ケレチ。パンフレットには属啓成さんの解説も載っています。登場人物にはリスト、マリー・ダグー、ヴィトゲンシュタイン公爵夫人と夫のヴィトゲンシュタイン公。ロマンスをテーマに、一生涯を追うという大作です。主演者達はちょっと名前を初めて聞く人ばかり。マリー・ダグー役とカロリーネ役は交換したほうがよかったのでは?カロリーネ役のアリアドナ・シェンゲラーヤはむしろフェミニンな魅力がマリー・ダグーに似ているし、ジュリー・アンドリュースに似たマリー役のクララ・ルーチコはむしろカロリーネに似ているんだけど。リスト役のイムレ・シンコヴィッチはちょっと...。ロバート・ミッチャムかドナルド・サザーランドに似ています。鼻が似ているってことですね(笑)。音楽の担当はリヒテルとシフラ。つまりソ連とハンガリーの高名なピアニストに託したわけです。ぜひ見たい映画です。

Franz Liszt − Dream of Love
(Directed by Marton Keleti in 1971)
『ラプソディ』
続く3作品は、『フランツ・リスト 愛の夢』のパンフレットに載っていた情報で、評論家の岡俊男さんが調べられたものです。『ラプソディ』は、1934年にドイツで作られた映画です。フランツ・オステンの監督作品になり、リストはウォルフガング・リーベンアイナーが演じました。
『愛の夢』
1944年のフランス映画です。リピエール・リチャール・ウィルムがリスト役。監督はクリスチャン・ステンゲル。
『ウィーンの別離』
1954年のフランス、ドイツの合作映画。ジャック・フランソワがリスト役、ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人にコレット・マルシャン。監督はアンドレ・アゲ。
『殺人狂時代』 /
映画『殺人狂時代』においてチャップリン扮する主人公ヴェエルドゥが、気ままにピアノを弾く場面があります。そこでヴェエルドゥが演奏したのはリストの“ハンガリー狂詩曲第二番”でした。“青ひげ”ヴェエルドゥが弾くリスト...。チャップリンはリストのカサノヴァ的、ドンファン的な性格を意識したのでしょうか?

Monsieur Verdoux
(Directed by Charles Chaplin in 1947)
『イノセント』
リストの音楽はあまり映画に使われていません。有名なところでルキノ・ヴィスコンティの『イノセント』で“エステ荘の噴水”が使用されました。ヴィスコンティの大作『ルートヴィヒ』には、リストは登場しませんがシルヴァーナ・マンガーノがコージマ・ワーグナーを演じています。

L’Innocente
(Directed by Luchino Visconti in 1976)
『愛の調べ』
1947年のアメリカ映画『愛の調べ』にフランツ・リストが登場します。この映画はクララ・シューマンを主人公としたもので、若き日のキャサリン・ヘップバーンが演じています。シューマン夫妻の伝記映画なのですが、タイトル・バック曲にはクララの演奏会という設定のもとリストの“ピアノ協奏曲第1番”が使用されています。これは物語上の演出で、協奏曲を弾き終え喝采を浴びるクララが、アンコールでは予定されていたリストの“ラ・カンパネラ”を弾くのを拒み、無名の恋人ロベルト・シューマンの“トロイメライ”を弾くというオチ、そして物語のエンディングではついにシューマンの“ピアノ協奏曲”を演奏するというプロットの伏線になっています。

リストを演じるヘンリー・ダニエルは容姿もリストに似ており、多少、俗物っぽく描かれているのが面白いです。リストの見せ場は次の3つです。(1)リサイタルでリストが“メフィストワルツ”を演奏していると、その強烈な演奏法によってピアノ線が断ち切れてしまうというエピソード。(2)名高いリストが無名のシューマンの曲を演奏するというエピソード。(3)クララによってその派手な演奏をピシャリとやられたにもかかわらず、寛大な心で持ってシューマンに助力をするというエピソード。今に伝わるリストのエピソードが活き活きと描かれています。

この作品は音楽ファン以外には、あまり知られていませんが、最期には発狂するというシューマンの悲劇を主軸に、音楽家達のエピソードを上手くまとめあげた傑作です。おそらく監督のクラレンス・ブラウンもよほどの音楽好きなのでしょう。先に出て来たシューマン、リストをはじめブラームス、ヨーゼフ・ヨアヒム等当時の名だたる音楽家達が好意的に描かれ、音楽ファンにとって観てて楽しい作品です。 
『我が恋は終わりぬ』
ボレットのCDのライナーに書かれていたのですが、1960年に『我が恋は終わりぬ』というリストの伝記映画が作られています。音楽を担当したのがボレットであったとのこと。リストを演じたのは『ヴェニスに死す』でアッシェンバッハを演じたダーク・ボガード。ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人を演じたのはカプーチンという女優です。監督はチャールズ・ヴィダーです。ダーク・ボガード主演ということは、おそらくリストの伝記映画としては最も優れているものではないかと思います。観てみたい映画なのですが、この映画に関しては、ここまでしか知りません。

GSさんのご好意で、ようやくこの映画を観ることができました。

物語は、シャモニで不仲となりつつあるマリー・ダグーとリスト。そこへショパンとジョルジュ・サンドが訪問するシーンから始まります。物語全体は、マリーとの破局〜カロリーヌ・ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人との出会い〜やがて恋仲となり〜コンサートピアニストを引退〜ワイマール宮廷楽長に就任〜カロリーヌとの結婚を目指すも、叶わぬ夢となり〜リストは神父へ、カロリーヌは宗教の世界へ。という構成です。さまざまなエピソードを交えた結果、やはりリストの巨大な生涯を映像化するのは難しかったのでしょう、エピソードの深みがあまり出てこない映画となってしまったようです。ですが、シューマンの『愛の調べ』のように、とにかく大作曲家が、たとえフィクションとわかっていても邂逅する場面などは、嬉しい限りです。『愛の調べ』と同じく、音楽ファンにはたまらない映画です。またこれだけ全編にリストの音楽が使われている、ということもさすがリストの映画です。“ため息”がテーマ曲となっており、ファウスト交響曲やソナタの旋律も弦楽器ですこし演奏されます。コンサートでは“ラ・カンパネラ”がフルで演奏されます。

カロリーヌを演じたCapucineは“カプーチン”と発音するようです。ジュヌヴィエーヴ・ペイジのマリー・ダグーは、シャセリオーの肖像画をモデルとしたのでしょうか?映画では、カロリーヌと対比するためか、いろいろな意味で子どもっぽく描かれています。なぜかダーク・ボガードのリストは髪が短い。これはジャン=ガブリエル・シェファーのスケッチを元にしたのかもしれません。ボガードは若々しい演技です。カプーチンは僕が知っている映画では、ピンクパンサーシリーズ、フェリーニのサテリコンにも出演しているようです。

Song without end
(Directed by Charles Vidor in 1960)
『リストマニア』
ケン・ラッセル監督はリストのロックスター的性格に注目しました。ザ・フーのロジャー・ダルドリーをリストに起用し『リストマニア』(1975)を製作しました。確かビデオにもなっていたのだけれど、残念ながら見ていません。ケン・ラッセルは『サロメ』でシェヘラザードを使用するなど、キューブリック並みの音楽センス!きっと強烈な映画なんだろうと思います。と思っていたのですが、ネット上で公開されていたパッケージの解説を読むと、かなり滅茶苦茶な映画であるようです。その解説から僕は、フェリーニの『カサノヴァ』のような映画を想像しています。

Lisztmania
(Directed by Ken Russell in 1975)
『即興曲/愛欲の旋律』
『即興曲/愛欲の旋律』(1991)というショパンとサンドを中心に据えた映画ではジュリアン・サンズがフランツ・リストを演じました。邦題から想像される内容と違い、コメディっぽい内容のようです。これも見てないです。
『バーバー』
ベートーヴェンの“悲愴”ソナタをテーマ曲に冠した2001年制作の『バーバー』にもリストの曲が少し使われます。少女のハートウォーミングな演奏を、“St**ks!”の一言で片づけるピアノ教師が、エド・クレインに“ピアノは指で弾くのではない”と手本を見せます。彼が弾いてみせたのはリストの“ピアノ協奏曲第1番”のワンフレーズでした。

The Man who wasn’t there
(Directed by Joel Coen in 2001)
『アンデルセン物語』 ※ Page de Ferenc Liszt さんから教えていただきました。
NMさんから教えていただきました。

1952年に作られたミュージカル映画『アンデルセン物語』で、リストの曲が使われている、とのことです。この映画の最大の見せ場、21分にも及ぶバレエシーンで、使われている曲が、2つの演奏会用小品の第2番“小人の踊り”、交響詩“前奏曲”、交響詩“タッソー、嘆きと勝利”、“ピアノソナタ ロ短調”を管弦楽にアレンジし、メドレーで使われている、とのことです。作曲、音楽担当はウォルター・シャーフという人。主演はダニー・ケイ。この映画は1952年のミュージカル映画音楽賞にノミネートされています。
『作曲家グリンカ』 ※ Page de Ferenc Liszt さんから教えていただきました。
これもNMさんから教わりました。

1954年の映画『作曲家グリンカ』で、リストが登場します。このリスト役が、なんと巨匠リヒテルなのです。これはリヒテルのドキュメンタリーフィルム『謎(エニグマ)〜蘇るロシアの巨人』でリヒテル自身が紹介してくれます。リヒテルの説明では、グリンカの時代のエピソードをなんでも詰め込んだ、という映画だったとのこと。1840年代前半(43年でしょうか?)にリストがロシアを訪れた際のエピソードが取り入れられました。エピソードと同じく、リストがグリンカの歌劇“ルスランとリュドミラ”のチェルノモールの行進(S406)を初見で弾く、という場面です。映画の方では、グリンカはその場におらず、慌てて呼び出され、トロイカで急行しますが、リストが弾き終わる頃に到着します。拍手喝采の中、リストが“フランツ・リストです!”と握手を求め、グリンカ,も“グリンカです”と応え、力強い握手を交わす、という胸が踊るような場面で描かれています。

髪を振り乱して演奏するリストをリヒテルが熱演しています。リヒテルの余裕のない演技が、逆にリストを落ち着きのない、ちやほやされたヴィルトゥオーゾのような感じで描いていて、面白いです。リヒテルも“なかなか上手くやれたと思う”と言っています(笑)。

リヒテルのドキュメンタリー『謎(エニグマ)〜蘇るロシアの巨人』はDVDでワーナーより発売、番号はWPBS−90104です。このフィルムにはあとリストの曲では、“ピアノソナタ ロ短調”が少しだけ入っています。

文学に登場するリスト
『失われた時を求めて』
プルースト『失われた時を求めて』第一篇“スワン家の方へ”の中で、スワンがサン=トゥーヴェルト侯爵夫人の夜会へ出かける場面があります。その夜会で催される演奏会で取りあげられた曲は、リストの“伝説〜小鳥に語るアシジの聖フランシス”でした。

『失われた時を求めて』 2巻  マルセル・プルースト
集英社
『トーマス・マン日記1933−1934』
トーマス・マンは1933年9月1日の日記で、リストのヨーロッパ精神とワグナーのドイツ精神を対比させた小説を書くと面白いだろうと述べています。ただの思い付きではありますが、アイデアではさらにニーチェとコージマをも絡ませるという壮大なものでありました。もし書かれていたら、実に読んでみたい作品となったでしょう。なぜなら巨人リストを小説化できるのは、おそらくはノーベル賞作家であるトーマス・マンの文筆力をもってのみ可能なことだからです。

『トーマス・マン日記 1933−1934』 トーマス・マン
紀伊国屋書店
『パリの憂愁』 ※ Page de Ferenc Liszt さんから教えていただきました。
リストを好んだ詩人ボードレールは、詩集『パリの憂愁』の中で、リストに捧げる詩を書いています。タイトルは“バッカスの杖”。リストの人々を魅了し、そして賛否両論を巻き起こす超人的な魅力を散文詩で表現しました。またボードレールは詩集『人口庭園』をリストに贈呈。返礼にリストは著書『ボヘミアンとハンガリアに於ける彼らの音楽』を贈ったとのこと。
時を経て、作曲家モーリス・ラヴェルは詩人ベルトランの『夜のガスパール』に憧れ、ピアノ独奏曲を作りましたが、リストはボードレールの“ガスパール”と言える『パリの憂愁』に実名で登場してしまいます。ラヴェルにとっては、さぞかし羨ましかったことでしょう。

『パリの憂愁』  ボードレール
福永武彦 訳 岩波文庫 1957年1刷/2001年39刷
『悪魔のワルツ』
著者はフレッド・M・スチュワートというアメリカの小説家です。角川ホラー文庫の1冊ということから分かるとおりオカルトもののエンターテインメントです。1969年の作品。まだ読んでいないのですが、おもしろいので紹介してしまいます。ダンカン・エリー(もちろんフィクション)は、どこか異様な魅力を持つピアニストで、リストの“悪魔のワルツ(メフィスト・ワルツ、おそらく第1番)”を得意なレパートリーとしていました。彼は、まさに悪魔じみた本領を発揮して、この曲を奏でました。ここから先は、表紙の解説文を引用します。“狂気か錯乱か、それとも悪魔の仕業か。悪の旋律にのせて繰り広げられる、魔術的世界”。この本は角川ホラー文庫が、出版開始当初のラインナップで、当時書店で手に取ったおぼえがあります。さっぱり売れなかったのでしょう。書店では現在手に入らず、このたび、めでたく古書店でみつけました。200円でした。感想は読み終わってから書きます。

『悪魔のワルツ』  フレッド・M・スチュアート
篠原慎 訳 角川ホラー文庫 1993年1刷/1993年1刷

各界著名人のリストに対する言及
フリードリッヒ・ニーチェ 1844−1900(哲学者)
“リストは、すべての音楽家たちの代表者であって、いかなる音楽家でもない。君主であって、政治家ではない。百の音楽家の魂をいっしょにもってはいるが、おのれ自身の影をもつに足るおのれ自身の人格をもっていない。”

『生成の無垢 上』 フリードリッヒ・ニーチェ
P315 原佑、吉沢伝三郎 訳 ちくま学芸文庫 1994
マックス・ウェーバー 1864−1920(社会学者、経済学者)
“リストに至って、この最高級の名人の深い知識は、楽器に内包される凡ゆる究極的なものを表現する可能性を、この楽器のために開いてみせた。”

※ピアノに限定。

『音楽社会学』 マックス・ウェーバー
P236 安藤英治、池宮英才、角倉一朗 訳 創文社 1967/1994 


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