演奏 レスリー・ハワード       
タイトル 『リスト ピアノ独奏曲全集 VOL.43 巡礼の年 第2年イタリア』
データ
1996年録音 HYPERION  CDA67107
ジャケット ジョゼフ・ビドールト『イタリアの風景』
収録曲
  巡礼の年 第2年イタリア 全曲                             S161
1.婚礼
2.物思いに沈む人
3.サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ
4.ペトラルカのソネット 第47番
5.ペトラルカのソネット 第104番
6.ペトラルカのソネット 第123番
7.ソナタ風幻想曲”ダンテを読みて”

  ヴィネツィアとナポリ〜第2年補遺     第2シリーズ           S162
8.ゴンドラの漕ぎ手
9.カンツォーネ
10.タランテラ

11.泉のほとりで        (ズガンバーティのためのコーダをつけた版)   S160/4 bis   
感想  巡礼の年 第2年“イタリア”                    S161  1837−1849年
1837年にリストはマリー・ダグーと長女ブランディーヌと共にイタリアへ行きます。この時に数多くのイタリアの歴史的芸術作品に接し、インスパイアされ、巡礼の年 第2年 イタリア の作品が生まれていきます。推敲が重ねられ、1855年に完成し出版されました。

リストの“巡礼の年 第2年”は、イタリアの高名な芸術に対するリストの印象という曲集なのですが、特に第2曲目の沈鬱さと、第3曲目の陽気さ、という印象ががらりと変わる感じは、ムソルグスキーの“展覧会の絵”に通じるものがあるのではないでしょうか?1)元が他の芸術作品であること 2)それらの芸術作品に対しある芸術家が受けた印象ということ。つまり芸術家のフィルターを通すこと 3)テーマの異なる芸術に対する印象であるため作品集全体に統一性がないところ。このような点で“巡礼の年 イタリア”と“展覧会の絵”は共通すると思います。こんなところにもリストの非常な先進性というものを感じずにはいられません。

1839年10月2日にサン・ロレンツォで書かれたベルリオーズ宛ての手紙で、リストの生涯を貫く芸術観が語られます。その手紙でリストは、ラファエロとミケランジェロがモーツァルト、ベートーヴェンを理解させる手助けとなり、ピサノとベアト、フランシアがアレグリ、マルチェッロ、パレストリーナを理解させ、ティッツィアーノとロッシーニが、コロッセウムとカンポ・サント墓所がベートーヴェンの“英雄”交響曲と関連がある、ということが述べられます
※1。表面的な類似、関連ではなく、あらゆる芸術作品は質的に深く結びつきあっている、という芸術観はリストならではのものです。この考えが、巡礼の年 第2年のみならず、その後の交響詩群、2つの交響曲へと発展してゆくのでしょう。

※1
『An Artist’s Journey』 P186 University of Cicago Press リストの手紙に出てくるジョヴァンニ・ピサーノは13世紀イタリアの彫刻家、建築家でピサ大聖堂の彫刻を手がけました。ジョットに並ぶ芸術家としてみとめられています。フラ・ベアトとフランシアはちょっとわかりません。B・マルチェッロ(1686−1739)はイタリアの作曲家、教会音楽を多く作曲した人です。じことはアラン・ウォーカーも記述しています。

Annes de Pelerinage - Deuxieme Annee - Italie
(Total51:36 HYPERION CDA67107)
1.婚礼                                       1838/39年
この曲はルネサンスの大画家ラファエロの聖母マリアとヨゼフの婚礼の場面を描いた“婚礼”にインスピレーションを受けて作曲されました。

最初に主題が提示され、徐々に響きが増していき、華麗に盛上がります。夜明けを想像させるような明朗な響きが、曲集の第1曲目にふさわしいです。

後に第2主題が宗教的合唱曲の“結婚式のために(アヴェ・マリア III)(S60)”に編曲されます。また1883年にはオルガン独奏曲(S−)にも編曲されています。


Sposalizio
(7:25 HYPERION CDA67107)
2.物思いに沈む人                                1838/39年
“巡礼の年 第2年 イタリア”の2曲目です。1曲目の明るい響きから一転し、巡礼の年第2年は、非常にシリアスな響きになります。晩年の作品に見られるような重く、暗い作品がこの頃に生れているのです。途中、明るい調性に変ることで、晩年の作品の重さに比べ聴きやすいです。

リストは1837年に訪れたフィレンツェで、ロレンツォ・デ・メディチの墓にミケランジェロによって刻まれた,、ロレンツォ・デ・メディチを表す像と、“朝”と“夕”の3つ像に接した時、インスピレーションを得ます。非常に沈鬱な曲です。この曲は後の1860年〜1866年の作品“3つの葬送頌歌”の第2曲“夜(S699)”へ編曲されます。ハワードの解説では、“夜”はミケランジェロの同名の作品から名づけられたとなっています。となると次に詳細は書きますが、こんどはジュリアーノ像の下にいる裸体像の方に焦点をあてたのでしょうか?


≪メディチ家廟墓≫
ミケランジェロが1519年から1534年にかけてサン・ロレンツォ教会のメディチ家の廟墓のために作った、彫像です。廟墓の向かい合った壁に、2人のメディチ家の要人の墓をむかいあわせるという設計で作られています。一人はミケランジェロを含めルネサンス文化を擁護したロレンツォ・デ・メディチ、もう一人はジュリアーノ・デ・メディチです。ミケランジェロは1519年から1534年にこの廟墓を飾る彫像を作成します。2人のメディチの性格を考慮し、彫像のイメージが決まりました。ロレンツォは内省的な性格であったため、一方ジュリアーノは外交的ということで、2人の墓は対照的なイメージで設計され、それぞれ“朝”“夕”、“昼”“夜”の彫像が置かれました。

ブレンデルによると、リストは自分の葬儀の際に、この曲を元にしたオーケストラ編曲版“3つの葬送頌歌”(S112)が演奏されることを望んだが、その希望は叶わなかったとのこと※1。

※1
同じことはアラン・ウォーカーも記述しています。『フランツ・リスト ワイマール時代 1848−1861年 P.479』


Il penseroso
(5:16 HYPERION CDA67107)
3.サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ                  1849年 
3曲目において雰囲気は一転し、非常に陽気な曲となります。

サルヴァトール・ローザは17世紀のイタリアの画家、彫刻家、詩人です。ただし、この曲の元となったカンツォネッタはローザがフランス亡命中に書いたものです。また曲はリストオリジナルのものではなくジョヴァンニ・ボノンチーニ作の曲を使用しています。リストはローザの3行の短い詩にインスピレーションを受け、この曲を作りました。ピアノ独奏曲の楽譜にはこの詩がそのまま5線譜の下に書かれています。

詩の簡単な大意は“住むところが変わっても、自分の情熱は変わらない”というようなもので、幼少の頃より演奏旅行を続けるリストが気に入ったのもうなずけるばかりか、“巡礼の年”という曲集にとてもぴったりです。

Canzonetta del Salvator Rosa
(2:42 HYPERION CDA67107)
4.ペトラルカのソネット 第47番                     1846年以降
続く“ペトラルカのソネット”の3曲は、歌曲(S270)から編曲されました。フランチェスコ・ペトラルカ(1304−1374)はイタリアのアレッツォ出身の詩人です。“ソネット”はイタリア語で“小さな歌”を意味し、各言語の特徴に合わせて行数が異なり、イタリア語では14行となります。旧来の詩を練磨し完成させたペトラルカのソネットは“ペトラルカ風ソネット”と呼ばれます。

リストが取り上げた3作は“抒情詩集
※1”からのものです。ペトラルカの“抒情詩集”に収められたソネットは、リストが取り上げた3作だけでなく合計して366篇あります。全体の中心となるテーマは、ペトラルカが聖キアーラ教会で出会ったラウラという美しい女性への恋慕の情を詠ったものです。

※1 『ルネサンス百科事典』 原書房 では、単に”歌集”となっていますが、同じものだと思います。

Sonetto 47 del Petrarca
(5:53 HYPERION CDA67107)
5.ペトラルカのソネット 第104番                           1846年以降
2曲目のソネットは、さらにドラマティックな美しさを持っており、単独で演奏される事も多い曲です。“ペトラルカのソネット”の3曲は1844−45年に、先行して出版されています(S158)。その時は、曲順が異なり、この104番が1曲目で、続いて43番−123番という順番でした。冒頭に最も特徴があるのは、この104番なのでうなずけます。ですが、ペトラルカのソネットの3曲は性格が類似していて、聴いた感じの印象が3曲とも同じような感じです。そのためリストは最も特徴的な104番を真ん中に持ってきて、印象が類似する43番と123番を引き離したのかもしれません。

Sonetto 104 del Petrarca
(5:55 HYPERION CDA67107)
TD>
6.ペトラルカのソネット 第123番                           1846年以降
3曲目のソネットは1曲目と同じく、優雅な作品です。#4から似たような印象の曲が続きます。“巡礼の年 第2年”は全部で7曲となりますが、取り上げられるイタリアの芸術家は5人(ラファエロ、ミケランジェロ、ローザ、ペトラルカ、ダンテ)です。“ペトラルカのソネット”の3曲も、ひとくくりとして考えると、冗長に感じません。そしてこの優雅な3曲は、続く最終曲の迫力と好対照であって、曲集のクライマックスを際立たせます。あくまでもハワードの演奏ですが、ペトラルカのソネットの3曲を足した演奏時間が、最終曲1曲分に相当します。

Sonetto 123 del Petrarca
(6:31 HYPERION CDA67107)
7.ソナタ風幻想曲”ダンテを読みて”               1849年
巡礼の年第2年の最後を飾るのは、推敲に推敲を重ねた“ダンテソナタ”です。リストの作品の中でも“ソナタ”“超絶技巧練習曲集”に肩を並べる別格の完成度を誇っており、現代でも単独で演奏されることの多い有名な作品です。圧倒的な迫力に貫かれます。

ダンテソナタの経過
S701e ダンテ・フラグメント 断片 1837年
S158a 神曲のパラリポムネス 第1バージョン 1839年
S158b 神曲のプロレゴムネス 第2バージョン 1840年
S− ハ長調のアダージョ  断片 1841年
S158c ソナタ風幻想曲“ダンテを読みて”  第3バージョン 184?年
S161/7 ソナタ風幻想曲“ダンテを読みて”  最終版 1849年

“(略)永遠のほか われよりさきに
 造られしもの無し われは永遠と共に立つ
 一切の望みは捨てよ 汝ら われをくぐる者

黒ずんだ色で門の上にしるされているこれらの言葉を眼にとめ、私は言う。「師よ、言葉の意味、私には解き難く、恐ろし。」”
(ダンテ『神曲』地獄編 寿岳文章訳 P37 第三歌 集英社 2003年出版)




“「ジェリオーネ、さあ進め。輪を広く描いて、ゆっくりとくだれ。背中に乗せた珍しい荷物のことを忘れるな。」”
(ダンテ『神曲』地獄編 寿岳文章訳 P196〜198 第十七歌 集英社 2003年出版)



半音階の旋律が、地獄を駆け巡るように、上昇下降を繰り返し、聴く人の脈拍をも速くさせるようです。曲は大きく3回の劇的なクライマックスを持ち、それをつなぐのが平穏な美しい響きとなっています。ハワードの演奏で、5分あたり、2回目が11分あたり、そして最後が15分あたりからフィナーレです。僕の場合、最初のクライマックス部で、最高のカタルシスがあります。

“ダンテを読みて”というタイトルは、ユゴーの詩集“内なる声(1836年)”の中の詩からとられています。リストの“ダンテ交響曲”では“神曲”の物語全体を音楽化していますが、“ダンテソナタ”の方は地獄編のみに焦点をあてているように思えます。特に地獄編の第5歌“フランチェスコカ・ダ・リミニ”の挿話を物語っているとのこと。フランチェスカは13世紀に実在したと言われる人物で、義弟と恋に落ち、夫にその不倫がばれて殺害されるという悲劇の女性です。ブレンデルの解説を読むと、どうも曲中においてドラマティックな部分をつなぐ平穏な美しい旋律が、フランチェスカ・ダ・リミニの挿話を表しているようです。

≪ダンテ 神曲≫
原題は“Divina Commedia”、Divinaが “神”、 Comedia は “喜劇” です。バーギン,スピーク編『ルネサンス百科事典』では原題に忠実に訳すと“神聖喜劇”となっています。カンティカ、地獄編、煉獄編、天国編に分かれ、物語内の詩人ダンテはヴェルギリウスによって、地獄、煉獄、天国を案内されます。ダンテ・アリギエーリ(1265−1321)はフィレンツェ生まれの詩人、政治家で、“神曲”を書いていた時分、彼は政争からフィレンツェを追放されていました。そのため地獄編では、政敵達が地獄で苦しむ様相などが描かれています。『神曲』が他の芸術家に与えた影響は甚大なもので、リストもその一隅に過ぎません。ドレ、ブレイクらの挿絵を始め、シェフェールやアングルの“フランチェスカ・ダ・リミニ”、ロダンの“地獄の門”、など美術作品も数多く作られました。

Apres une lecture du Dante− Fantasia quasi Sonata
(17:36 HYPERION CDA67107)
  ヴィネツィアとナポリ〜第2年補遺(全3曲)   第2シリーズ   S162   1859年
1840年に第1シリーズが出版されています(S159)。第2年のアンコール・ピース集として作曲されたようです。S162はその最終版となります。

Supplement aux Annees de Pelerinage seconde volume
(Total 18:58 HYPERION CDA67107)
8.ゴンドラの漕ぎ手
この曲にはカヴァリエーレ・ペルキーニ作曲のカンツォネッタ“小さいゴンドラの上のブロンド娘”の主題が使われています。タイトルからの印象ですが、波をイメージさせるような小品です。

Gondoliera
(6:06 HYPERION CDA67107)
9.カンツォーネ
この曲は、ロッシーニのオペラ“オテロ”に出てくるカンツォーネの主題を使用しています。トレモロの伴奏に暗い旋律が流れます。この曲は和声的に終結せずに続くタランテラへと不穏さが受け継がれていきます。

Canzone
(3:55 HYPERION CDA67107)
10.タランテラ
タランテラはイタリアのナポリ地方の代表的舞踏曲です。この曲の中間部の旋律にはジェローム・ルイス・コットラウ(1797−1847)作の主題が使われています。この“タランテラ”は単独で演奏される事も多いです。

Tarantella
(8:55 HYPERION CDA67107)
11.泉のほとりで  (ズガンバーティのためのコーダをつけた版)  S160/4 bis  1863年 
第43巻のうち、この曲だけが“巡礼の年 第1年スイス”の曲です。イタリアの作曲家ジョヴァンニ・ズガンバーティ(1841−1914)のためのコーダがつけられた版であるため、この第43巻に収められています。このS160/4 bisは1863年にリストがズガンバーティのために贈ったものです。

ズガンバーティはリストに師事し、ワーグナーに強い影響を受け、歌劇全盛のイタリア音楽会において交響曲や協奏曲を中心とした器楽曲を作曲しました。リストがローマに定住していた頃、ズガンバーティはリストと親交を持ち、金曜日の午前中に開かれるマチネーには必ず出席していました。ズガンバーティには、イタリア音楽会にベートーヴェンのシリアスな交響曲を広めたという功績があります。ズガンバーティがローマで開いたベートーヴェンの交響曲演奏会の際には、リストは演奏会はもちろん、練習時にも顔を出したとの事。

Au Bord d’une source(from Premire Annees de Pelerinage− Suisse)
(4:56 HYPERION CDA67107)


HOME

SITE TOP

HOWARD CD INDEX