演奏 レスリー・ハワード(P)   フィリップ・ムーア(P)       
タイトル 『リスト ピアノ独奏曲全集 VOL.42 リスト・アット・ジ・オペラ IV 』
データ 1995年録音 HYPERION CDA67101/2
輸入盤(試聴あり)  ≫輸入盤(AMAZON.USA 全曲試聴あり)
ジョン・コリアー 『タンホイザーよりヴェーヌスベルクにて』
収録曲
≪DISC 1≫
1. ベッリーニ〜リスト “清教徒”の回想 S390
2. ヴェルディ〜リスト “イェルサレム“よりサルヴェ・マリア 第1バージョン S431@
3. ヴェルディ〜リスト “ドン・カルロ”より祭りの合唱と葬送行進曲 S436
4. ワーグナー〜リスト オペラ“タンホイザー”より巡礼の合唱 S443 ii
5. ワーグナー〜リスト “ニュルンベルクのマイスタージンガー”より冬の静かな炉辺で S448
6. ドニゼッティ〜リスト “ルクレツィア・ボルジア”の回想 大幻想曲 I S400/1
7. ドニゼッティ〜リスト “ルクレツィア・ボルジア”の回想 大幻想曲 II S400/2
DISC INDEX DISC.1≫ ≪DISC.2
感想 ≪DISC.1≫
1.ベッリー二〜リスト “清教徒”の回想        S390  1836年
ベリーニの“清教徒”はピューリタン革命時代のイギリスを舞台にした作品です。1835年にパリで初演されました。リストは翌年の1836年に編曲し、ベルジョイオーソ侯爵夫人に献呈されました。ベルジョイオーソ侯爵夫人といえば、同じく“清教徒”の主題を用いた“ヘクサメロン”の仕掛人でもあります。

アルトゥーロの“いとしいおとめよ、あなたに愛を”とエルヴィーラの“私は美しいおとめ”の主題を使用しています。

ところどころ“ヘクサメロン”を思わせるような変奏、主題を感じます。まさにグランド・オペラ・ファンタジーという名にふさわしい壮大な曲です。

リストは1838年3月15日ミラノにおけるコンサート、1838年4月ウィーン、1839年3月8日ローマでそれぞれ“清教徒”の回想を演奏しています※1。ヴィルトゥオーゾ時代の主要演目であったことが分かります。

このうち1838年4月のウィーンのコンサートにおいて、フリードリヒ・ヴィークが観賞しており、リストの演奏に感嘆しています※2。

ハワードの演奏で20分近くにも及び、リスト自身のヴィルトゥオーゾ時代の代表曲でありながら、録音が非常に少ない作品(当然、コンサートで取り上げられる回数も)です。ハワードのクレジットでは“世界初録音と思われる”とクレジットされていますが、グレゴリオ・ナーディが1988年に録音しています。

※1 AN ARTIST'S JOURNEY translated and annotated by Charles Suttoni , The University of Chicago Press 1989  P90、P142 、P181
※2 LISZT the master musicians Derek Watson DENT 1989 P45

Reminiscences des Puritains
(19:59 HYPERION CDA67101/2)
2.ヴェルディ〜リスト “イェルサレム”よりサルヴェ・マリア! 第1バージョン S431i
   1848年

ヴェルディのオペラ“第1回十字軍のロンバルディア人”は1843年にミラノで初演されました。ヴェルディはその後1847年にこの歌劇をフランス語版で“イェルサレム”として発表します。リストの編曲は、“イェルサレム”のパリ初演後になります。リストはジゼルダのアリア“サルヴェ・マリア”を使用しています。

第1バージョンの方が輝かしい編曲で、老年に再度編曲された第2バージョンの方が大人しいです。ハワードは、老境の心境のようなもの、“アニュス・デイ”の編曲に見られるような心境の変化を見出しています。また二つのバージョンの性格の違いについて、ハワードはタイトルに“!マーク”があるかないか、という点に関しても表れている、と指摘しています。

敬虔な響きとドラマティックな構成の素晴らしさには、かの大井和郎さんも魅了されました。

1848年2月22日のガエタノ・ベロー二宛書簡で、リストが“サルヴェ・マリア!”を送ることを記しており、この“イェルサレム”の中で“サルヴェ・マリア”が一番ぴったりくる曲だということを述べています。またマリー・ムハノフ・カレルギスに献呈することも記しています。

※1 LISZT LETTERS IN THE LIBRARY OF CONGRESS - FRANZ LISZT STUDIES NO.10 translated by Michael Short 2003 PENDRAGON PRESS LETTER NO.51 P50〜52


Salve Maria!de L'opera Jerusalem(I Lombardi)
(6:57 HYPERION CDA67101/2)
3.ヴェルディ〜リスト “ドン・カルロ”より祭りの合唱と葬送行進曲
  S435 1867/68年
ヴェルディの“ドン・カルロ”は、1866年に作曲され1867年にパリで初演されました。リストの編曲は初演と同年になります。テキストのおおもとはシラーの戯曲になります。

オープニングからスケールの大きな旋律が続き、一転して重苦しい音楽になります。ハワードの解説によると、葬送行進曲というリストが与えたタイトルは、いささか語弊があり、リストが編曲した場面は、異端審問によって火刑に処せられる新教徒達の合唱の場面のようです。

Don carlos - Coro di festa e marcia funebre
(8:22 HYPERION CDA67101/2)
4.ワーグナー〜リスト オペラ“タンホイザー”より巡礼の合唱 第2バージョン
  S443A  1885年頃
リストの最晩年の編曲になります。“巡礼の合唱”は音の世界、高揚感は規模こそ違うだけで、“タンホイザー序曲”と同じものです。

1861年に作られた第1バージョンは第17巻に収められており、第一バージョンに比べて格段に音数も少ない静かな作品となっています。

Choeur des pelerins - Chor der alteren Pilger aus der Oper Tannhauser
(7:22 HYPERION CDA67101/2)
5.ワーグナー〜リスト “ニュルンベルクのマイスタージンガー”より
  冬の静かな炉辺で  S448 1871年
ワーグナーの“ニュルンベルクのマイスタージンガー”は1862〜67年にかけて作曲され、1868年にミュンヘンで初演されました。

リストが編曲したのは第1幕のワルターの独唱曲です。ゆるやかなメロディ主体の曲ですが、リストによって豊かな装飾が施され、とても美しいピアノ曲となりました。


Am stillen Herd - Lied aus Die Meistersinger von Nurnberg
(9:50 HYPERION CDA67101/2)
6.ドニゼッティ〜リスト “ルクレツィア・ボルジア”の回想 大幻想曲 I 
  第2幕の三重唱 S400/1 1848年
原曲は1833年にミラノのスカラ座で初演されたオペラで、テキストはユゴーによります。物語はルクレツィアが政敵を毒殺する話。

ですが、ルクレツィアが暗殺などに携わったという確証はありません。ルクレツィア・ボルジア(1480−1519)は、イタリアの貴族ボルジア家の娘。父はロドリーゴ・ボルジアで後の教皇アレクサンデル6世。兄は冷酷な政治家として後世に名を残す、マキャベリの『君主論』のモデルにもなったチェーザレ・ボルジア。ルクレツィアは、そんな父、兄の思惑に翻弄される人生を送ります。3度目の結婚でフェラーラ公妃となり、画家ティツィアーノらを保護し、フェラーラでルネサンス文化を開花させます。

1840年にパリで初演され、同年にリストは第1バージョンという位置づけにもなる“ルクレツィア・ボルジア”のモティーフによる幻想曲(S399)が同年に作られました。この第1バージョンは1848年に次のトラックの“ルクレツィア・ボルジア”の回想 大幻想曲 II になります。

こちらの“ルクレツィア・ボルジア”の回想 大幻想曲 I は第2幕の三重唱を編曲したものです。

Reminiscences deLucrezia Borgia - Grande fantaisie I Trio du second acte
(11:14 HYPERION CDA67101/2)
7.ドニゼッティ〜リスト “ルクレツィア・ボルジア”の回想 大幻想曲 II
  S400/2 1848年
1840年に作られた“ルクレツィア・ボルジア”のモティーフによる幻想曲(S399)は1848年“ルクレツィア・ボルジア”の回想 大幻想曲 II として改訂されます。

取り上げられるテーマは次のとおりです。
序幕の終曲:オルシーニの“奥様、私はマフィオ・オルシーニです。  Maffio Orsini,son io”
第2幕第2場より:オルシーニの酒宴歌 “幸福の秘密 Il segreto”
序幕より:ルクレツィアとジェナーロの二重唱“ああ、あなたのお母様を愛して Ama tua madre”

Reminiscences deLucrezia Borgia - Grande fantaisie II Chanson a boire - duo - finale
(14:31 HYPERION CDA67101/2)


≪DISC.2≫
収録曲
≪DISC 2≫
1. マイアベーア〜リスト “ユグノー教徒”の回想 S412 ii
2. ラフ〜リスト “アルフレッド大王”からアンダンテのフィナーレ S421/1
3. ラフ〜リスト “アルフレッド大王”から行進曲 S421/2
4. モーツァルト〜リスト “魔笛”より、二人の兵士の歌 S634 a
5. オーベール〜リスト “許婚”からティロルの旋律 S385 a
6. オーベール〜リスト “マザニエッロ”より華麗なるタランテラ S386 ii
7. ヴェルディ〜リスト “イェルサレム“よりサルヴェ・マリア 第2バージョン S431 ii
8. べリーニ〜リスト “清教徒”より導入とポロネーズ S391
9. ベリーニ〜リスト “夢遊病の女”による演奏会用大幻想曲 S393 iii
DISC INDEX DISC.1≫ ≪DISC.2
感想 ≪DISC.1≫
1.マイアベーア〜リスト “ユグノー教徒”の回想 S412 A 1842年
オペラ“ユグノー教徒”は1572年の聖バルテルミの虐殺を舞台とした作品です。1836年に初演されました。ということはリストの編曲は初演と同年となります。

“ユグノー教徒の回想”の第1バージョン(第50巻収録)はハワードの演奏で24分近くに及びます。最終バージョンではリストによって大幅に曲がカットされ短くなります。曲の全体はオペラから、ラオルとバレンティンの叙情的な2重唱のアンダンテ O ciel! ou courez-vous? の主題に基づきます。

ハワードのCDクレジットでは第2バージョンとなっているのですが、これは第3バージョンのようです。第54巻の解説ではそのように記述されています。

また1880年12月2日のゾフィー・メンター宛書簡において、リストがメンターのために“ユグノー教徒”の回想の異稿を作ってあげていることが書かれています※1。またメンターはこの曲を1880年12月29日のコンサートで演奏しています。

※1 LISZT LETTERS IN THE LIBRARY OF CONGRESS - FRANZ LISZT STUDIES NO.10 translated by Michael Short 2003 PENDRAGON PRESS LETTER NO.258 P220〜221

Reminiscences des Huguenots
(16:00 HYPERION CDA67101/2)
2.ラフ〜リスト “アルフレッド大王”からアンダンテとフィナーレ S421/1 1853年
ラフ協会のサイトにある、ラフの作品目録によれば、オペラ“アルフレッド大王(Wo0.14)”は1848年〜50年に作曲されています(ラフ協会http://www.raff.org/index.htm )。ラフがワイマールのリストの許に来たのが1850年であり、ワイマール・サークルに参加してすぐに発表した作品になります。オペラ“アルフレッド大王”は1851年3月9日にリストの指揮によってワイマールで初演されます。

イントロの旋律や和声感が新ドイツ楽派らしく未来を志向しています。全体が美しい旋律に彩られ、ドラマティックな構成と豊かな装飾を持った佳曲です。

Andante finale aus Konig Alfred
(8:14 HYPERION CDA67101/2)
3.ラフ〜リスト “アルフレッド大王”から行進曲  S421/2  1853年
冒頭がメンデルスゾーンの結婚行進曲のような旋律です。軽快な行進曲で、エンディングに向かって徐々に盛り上がっていく感じです。

Marsch aus Konig Alfred
(7:55 HYPERION CDA67101/2)
4.モーツァルト〜リスト “魔笛”より、二人の兵士の歌  S634a 
  1870年代後半
この曲は連弾曲であり、ハワードはフィリップ・ムーアと連弾しています。

VY P445に記載されているヴィルトゥオーゾ時代のリストのコンサート・レパートリー表(アウグスト・コンラーディが1849年にリストのもとに滞在した際、リストの記憶により作成し、リスト自身が校正したもの)では、モーツァルトのオペラ“魔笛”序曲によるパラフレーズが記載されています。このオペラ・トランスクリプションは全くその存在が楽譜としては残っておらず後世の人にとっては幻の作品です。また1838年12月16日のテアトロ・ココメロでのコンサートでは、リストは他の5人のピアニストと共に、計6人の12本の手による3台のピアノ版“魔笛”序曲を演奏したとのこと※1。

※1 AN ARTIST'S JOURNEY translated and annotated by Charles Suttoni , The University of Chicago Press 1989  P161

しかしリストは“魔笛”第2幕 第8場 山の中において、タミーノが門前に立つ甲冑の騎士に門を開けることを頼む場面をピアノ連弾曲に編曲しました。

デュオ・エグリ&パーティスのCDのマリア・エックハルトによるライナーでは、この曲の草稿が近年になって発見された、ということが書かれています。ですがサールの作品表でも“魔笛”より“アダージョ”として記載されているので、それほど最近ということではなさそうです。リストはこの曲の草稿に“アダージョ”としか書きませんでした。EMBから出版された際に、編集者のイムレ・メッツォによって“苦難に満ちたこの道を旅する者は”という、オペラの該当箇所の歌詞があてられました。作曲年代ははっきりしないようですが、リスト学者達は、宗教的作品が多く書かれた1875年〜1881年の間ではないか、と推測しているようです。またこの作品は完成なのか未完なのかも定かではないとのこと。

モーツァルトの原曲もそうですが、聴いた感じ、それほど宗教色が強いようには感じませんでした。古典的な響きを素直にそのまま編曲しているようです。


Song of the Two Armed Men -"Der,welcher wandelt diese Strasse"
(3:20 HYPERION CDA67101/2)
5.オーベール〜リスト “許婚”からティロルの旋律  S385a 1856年出版
オーベールの“許婚”は1829年のオペラです。リストは他にS385の“許婚”のティロリエンヌによる大幻想曲を作っています。この“ティロルの旋律”は、大幻想曲の素材となった旋律のみのような曲で、短い小品です。

ハワードの解説によれば、この“許婚”からのティロルの旋律は、原曲をオーベールのものとするかどうかに議論があるそうです。そもそも1856年に出版された時、“オーストリアの民俗音楽”として出版されたとのこと。近年の学説では、リストとオーベールはそれぞれが個別にこの民俗音楽を採用したのではないか?とのことです。リストは1826年のイギリス演奏旅行時に、この曲を書いたのだろう、との推察がされています。

Tyrolean melody (Auber's La Fiancee)
(1:27 HYPERION CDA67101/2)
6.オーベール〜リスト “マザニエッロ”より華麗なるタランテラ  S386A 
  1869年
“ポルティチの唖娘”は1828年初演。1647年7月7日にナポリで魚小売商のT・A・マザニエッロがスペインに対して起こした一揆を題材にしたオペラです。フランス7月王政期に人気を博したグランド・オペラの頂点とも言われます。リストは第3幕の間奏曲を導入部と変奏に、第4幕の“勝利の合唱”をコーダに使用しています。

1846年にマリー・プレイエルのために作曲したものを、1869年にリスト晩年の弟子ゾフィー・メンターのために改訂したものです。

イントロが56巻に収められている“アルバムリーフ プレリュード・オムニトニーク”(S166 e)1844年に似ています。

Tarentelle di bravura d'apres la Tarentelle de La Muette de Portici
(10:51 HYPERION CDA67101/2)
7.ヴェルディ〜リスト “イェルサレム“よりサルヴェ・マリア 第2バージョン
  S431A 1882年頃
  
1882年という最晩年にリストは、この“イェルサレム”よりサルヴェ・マリアを編曲します。第1バージョンよりも響きが大人しくなり、老年の心境を窺わせます。この第2バージョンでリストはリコルディ社のトレモロ・ペダル用の旋律を加えています。

Salve Maria de I' opera de Verdi Jerusalem
(5:07 HYPERION CDA67101/2)
8.べリーニ〜リスト “清教徒”より導入とポロネーズ S391 1840年
“清教徒”の回想と同じ主題を使用しています。こちらはコンパクトにまとまった小幻想曲のような感じです。

I Puritani - Introduction et Polonaise
(5:28 HYPERION CDA67101/2)
9.ベリーニ〜リスト “夢遊病の女”による演奏会用大幻想曲 S393iii 1874年
ベリーニ(1801−1835)は若くして亡くなった作曲家ですが、多くのオペラを作曲しました。『夢遊病の女』は1831年にミラノで初演されました。よく分からないのですがハワードの解説では、まず演奏記号などが全く記載されていない最初期のバージョンが存在し(これは録音されていません)、第54巻に収録されている第1バージョンは1841年作曲、第50巻に収録されている第2バージョンは1839年頃の作曲となっています。作曲年の順序が逆になっているのですが・・・。この第42巻に収録されている第3バージョンは1874年とのこと。

『An Aritist's Journey』によれば、リストは1838年テアトロ・ココメロにおいて、すでに“夢遊病の女”の主題による即興曲を演奏しています※1。

※1 AN ARTIST'S JOURNEY translated and annotated by Charles Suttoni , The University of Chicago Press 1989  P161

リストが取り上げたモティーフは次のとおりです。
・Osservate
・Vedi, O Madre
・Ah! non giunge “ああ、この思いを乱さないで”
・Ah! perche non posso odiarti
・Voglia il Cielo

リズミカルな導入部、流麗な旋律、装飾効果など全体としてよくまとまったオペラファンタジーの傑作です。現代ではあまり演奏されることのないことが惜しいです。

1884年7月6日のマスタークラスにおいて、クラーレが演奏しています。ゲレリヒによればリストのコメントは次のようなコメントをしたとのこと。

“10年前にペストでこの意味のない作品を何回か弾いたよ”最初の数ページを弾いて、“ここは聴衆が集まって鼻をかむまでの場をもたせる目的しかないよ”“実のところトリルのおかげで、聴衆はなんで通常のチケット代の2倍ものお金を払わなければならなかったのかを理解するのさ”

才気のかたまりのようなリストが発する否定的な発言をそのまま鵜呑みにしてはいけないでしょう。ゲレリヒによれば、リストは演奏しながら、緩徐部の甘い旋律を忘れ難いほどの美しさでもって演奏し、リストは本当に楽しげに振り真似をしたり、いくつかの旋律ではイタリア語で歌ったとのこと※2。

ここでリストの言う“10年前のペスト”というのはウォーカー FYを参照すると、1874年3月に5日間に渡って行われたチャリティー・コンサートで※3、この時のバージョンが第3バージョンになると思われます。

※2 Diary notes of August Gollerich 『The Piano Master Classes of Franz Liszt,1884-1886』edited by Wilhelm Jeger ,translated by Richard Louis Zimdars (Indiana University Press ,1996) P59
※3 FRANZ LISZT  The Final Years 1861-1886 Alan Walker Cornell Univwrsity Press 1996 P.274

Grosse Concert - Fantasie aus der Oper Sonnambula
(15:25 HYPERION CDA67101/2)


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